第十四話
ロイの協力もあり、楽々と御者の追跡を振り切ったライラは、悠々自適に大通りへ向け歩いていた。
先日は馬車で向かった大通りだが、こうして徒歩で向かうのは数年ぶりだ。前回はエリオスが騎士団に入隊し、その祝いに王都に滞在した時だった。
(思えば、あの時も何かもやもやしてたのよね……)
弟が、エリオスが自分のそばにいなくなる。騎士の名誉、蒼の騎士団に入隊するのは嘘偽りなく嬉しかったし、誇らしかった。同時に不安もあったが、隊にはランスがいる。だから安心できた。
それでも、やはり寂しかった。
今日は大通りで何をしよう。適当に市場でもぶらついて時間をつぶすかな、と考えていたその時。
人ごみの向こうに、二人の青年を見つけた。あれは蒼の騎士団だ。
「あ……」
自分が大公女として振る舞わなければならない相手を認識した途端、もやもやとした考えは吹き飛んで、ライラは一気に普段の自分が戻ってきた。
エリオスがお世話になっているのだから挨拶しよう、と考え――ギリギリで思いとどまった。
(そうよ、だめよこのままの格好じゃあ! ランス相手じゃあるまいし、この格好で挨拶したら驚かれるにきまってるじゃない! それにエリオスにもすぐにバレちゃう……!)
どうしよう、とライラが思案している間にも、青年たちはどんどん近づいてくる。ライラから挨拶など出来るわけもなく、仕方なく人混みに紛れてやり過ごそうとした。
だが、なんと青年たちはライラに気付いてこちらにやってきたではないか!
(えっ、ちょっと嘘でしょ!? なんでこっちに来るのよ、あの人たちとは面識はないわよ!?)
ライラは慌ててすぐそばの路地に逃げ込んだ。それまで大人しく肩にとまっていた金糸雀は、振り落とされかけて羽をばたつかせる始末だ。
ライラが逃げ込んだ路地の入口近くからは、青年たちの『隊長いたよな?』という会話が聞こえてきた。
どうやら遠目だったので、ライラがエリオスと間違われたらしい。それで青年たちはライラに近づいてきたというわけだ。
「あ~、びっくりした。驚かせてごめんなさいね」
青年たちに聞こえないよう、金糸雀に囁くように話しかける。
思わず漏れた言葉だったが、まだ心臓がバクバク言っている。ライラは罪を犯したわけではないので、騎士団に見つかっても問題はないが……。
(いや、やっぱり大公家の姫としては大問題よね。エリオスにも迷惑かかっちゃうわ)
――そもそも、今日は出掛けただけで迷惑をかける可能性があるのだけど。
(ああもう、でも苦しいのよ。どうしたらいいの。どうすればいいの。エリオス、エリオス)
何でそばにいてくれないの。ずっとそばにいますと、誓ってくれたのは貴方だったのに。
幼い姉と弟、その他愛もない約束事。
それでも何かが胸を締め付ける。
あの時――憔悴しきった顔をして帰ってきたエリオスが、不可思議な行動をとった時に感じた、何かが。
(ああ、もう駄目だわ。もう頭がおかしくなっちゃう。こんなに考えがまとまらないのは生まれて初めて。……帰って寝たほうがいいのかも)
たとえ寝付けなくても、横になって目を瞑っているだけで体は休まるものである。
グレーテにあれだけ迷惑をかけて外出しておきながら、まだ一時間も経過していない。それでもライラは帰ろうと思い直した。
「うん、今日はもう帰りましょう。貴方のご主人様のためにも、外出はなかったことにしたほうがいいんだもの」
そう言って金糸雀の頭を指先で撫でると、ピイと可愛らし声を上げた。その声にライラは、ようやく心が凪いでいくのを感じた。
胸にはまだあの穴がある、けれど自分の周りにはそれを埋めてくれる人やカタワレたちがいる――。
屋敷に戻ろうとして路地から出ようとするも、進行方向に先ほどとはまた違う団員の姿を発見した。
「おっと危ない。……あら、あの人たちも二人組だわ。ということは……」
以前エリオスに聞いたことだが、蒼の騎士団は、必ず二人一組で行動する。王都の見回りでは常に二、三組が動いているとも。
(いくら大通りとはいえ、こんな短い間隔で二組が回ってくるなんて変よ。見回りの人数が増えているのね。今日は本当に何かあるんだわ)
蒼の騎士団は、自分の予想以上に活発に行動しているらしい。
エリオスがあれだけ心配した理由がなんとなく分かってきた。蒼の騎士団が動くなら、おそらくオリバーに聞いた誘拐の件だろう。
それでも、なぜ『捕り物があるから』と一言告げてくれなかったのだろうか。それさえ聞いていれば、大人しく待っていたのに。
「やっぱり、私とエリオスは対等じゃいられないのかな……」
いつも一緒だった幼いころのようにはいかない。それでも、せめて対等な立場でいたかった。
違う道を進んでいても、何かあれば手を取り合って助け合える存在でありたかった。
凪いだはずの心に、また風が吹いてくる。その風は悲しみとなって心をざわめかせていく。
このまま館に帰れば、当然多くの使用人と顔を合わせることになる。けれど今は、誰とも会いたくなかった。これ以上、心に波風を立てて胸の穴を広げたくはないのだ。
そのためライラは大通りに戻ることはせず、逆に路地の奥へ入りこんでいった。
混乱したゆえの無茶な行動ではない。以前この付近を探検したことがあり、貴族が狩りを行う広い公園に通じると知っていたのだ。そこなら一人でゆっくりすることができる。
しかし、行けども行けども公園に到着しない。ライラは混乱気味だったために、曲がり角を間違ったことに気付けなかったのだ。間違った道をそのままかなり進んでしまっていたと気付いたときには、見覚えのない場所にやってきていた。
次第に平静を取り戻したところで、ライラは辺りをゆっくりと、改めて見回した。だいぶ人気のないところへ来てしまったらしい。
(いけない。エリオスに注意されていたのに)
その事件がなくとも、この身なりではタチの悪い奴等に狙われる危険性がある。小さい頃はよくエリオスと入れ替わっていたから、多少なり武術の心得はある。とは言え女一人、不安は拭えない。
急いで大通りに戻ろうと向きを変えたところで、不意に子供の泣き声が聞こえた気がした。
(……?)
この近くの子供だろうか。
だが、この辺りは廃墟が立ち並び、人が暮らしていそうな民家など見当たらない。
(迷子かな。それなら、せめて大通りに連れて行けば……)
無謀な冒険を繰り返した身として、迷子の心細さは良く分かる。しかもこんな人気のないところだ、子供には耐えられないだろう。
ライラは辺りに気を配りながら、廃墟が立ち並ぶ道を泣き声を頼りに進み始めた。
わき道を奥へ奥へと進むと、やがて一軒の廃屋を見つけた。すすり泣く声は、どうやらこの中から聞こえているようだ。
(……何か、嫌な感じがする)
入ろうとして、ライラは足を止めた。ただの迷子ではない。廃屋の前に立って、ライラはそう直感した。この廃屋には、複数の『人の気配』があるのだ。
ライラは慎重に廃屋の玄関に近づき、辺りの様子を注意深く伺った。
足跡など一目で判断できる痕跡はないが、玄関の埃は他の廃屋と違ってほとんど積もっていない。足跡は気をつけても、侵入者はそこまで気を配ることが出来なかったようだ。
ふと、ライラはそこまで考えて少し悲しくなった。仮にも大公女である自分に、こうした類の知識を植えつけた父に感謝すべきなのかどうか――。
(とにかく、ここには何かある。それに気づけたんだし、今回は有難く思わなきゃ。きっとエリオスたちの役にも立つわよね)
もしかしたら、ここはエリオスたちが探していた一味の根城かもしれない。可能性でしかないが、蒼の騎士団に知らせたほうがいいだろう。
――ただ、その前に己で真偽を確かめたい。
ライラは己の剣を握りしめた。十三歳の誕生日、エリオスとともにアドルフから授けられた、双剣の片割れ。
ラミナでは珍しい、オスト伝統の、反りのついた刃。これは斬りやすさを求めた剣だ。
対となるエリオスの剣に比べ、ライラの剣は少し細身で短い。それでも十分に実用的である。
「ごめんね、しばらくここに入って大人しくしてて」
ライラは上着を開き、そこに金糸雀を忍ばせる。そして小さく息を吐くと、息を殺して廃屋に忍び込んだ。
廃屋は三階建てだったが、上に向かう階段には人の痕跡は残っていなかった。埃が分厚く均等に、階段の表面に積もっているのが証拠だ。
先ほどまで聞こえていた泣き声は、もう聞こえなくなってしまっていた。声という道しるべをなくしたライラは、ここにきて引き返すべきか迷い始めた。
(どうしよう。この中なのは間違いないけど、これ以上調べるのは危険が……)
上じゃないのなら、下だ。ただし地下は入り口を探す必要があるし、中がどうなっているか、検討もつかない。犯人の一味に見つかってしまえば、地下では逃げ道がない。
(……。だけどあの子、泣いてた)
寂しい。怖い。悲しい。恐い。
その感情は、人の心を壊してしまう。本来は知らなくても済むのに。
ギュッと目を瞑り、廃屋の奥へ進もうとしたとき――。
「っ!!」
ライラの意識は背後からの衝撃とともに暗転した。
「ギャンッ!」
「ロイ!?」
時を同じくして、大公の館で昼寝をしていたロイが、悲鳴とともに飛び起きた。近くにいたグレーテがロイに駆け寄る。
「どうしたの、姫様に何かあったの!?」
カタワレが何もないところで悲鳴をあげる。その理由はただ一つ。
「ロイ、ロイ!」
揺さぶって見たが反応がない。一瞬、まさかの大事かと血の気が引いたが、息も脈もしっかりしている。気を失っているだけのようだ。
(けれど、姫様に何かあったのだわ!)
「誰か、誰か!! すぐに若君と大公様に連絡を! 姫様に何かあったの。お願い、早く!!」
ここは大公領ではない。華やかで煌びやかで、けれど闇の奥底深き、王都なのだ。
行かせるのではなかった。いつもの感覚で物事を考えた自分の失態だ。
(もしもの時は、姫様――)
己の運命は、主とともに。