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第十二話

「あ、エリオス」

「っ、姉上」


 その日の夕方。ライラは疲れているだろうエリオスをねぎらうため、玄関ホールで帰りを待っていた。

 しかし、帰宅したエリオスの顔を見て、ライラは驚いた。

 エリオスは年齢に似合わない、気難しい表情をしていることが多い。それに今は仕事を終えたばかり、疲労も溜まっているだろう。

 だが、こんなに憔悴した顔は今まで見たことがない。


「エリオス、どうしたの? 王宮で何かあったの?」


 今日はクルトの初出仕日だが、それは昨夜のうちに判明している。それにランスのはた迷惑な行為はいつものことであり、昨夜のエリオスの言動からも、ランスやクルトだけが原因だとは思えない。


「いえ、何でも……。ただ、――が……」

「? なぁに?」


 エリオスは何かを言いかけるも、顔ごと目線を逸らして口を閉じてしまった。ライラを突き放すことも、縋りつくこともしないままで。

 ライラはそんなエリオスの頬に両手を添え、ぐいっと正面を向かせた。半ば無理やりに、しっかりと互いの視線を合わせる。


「あ、姉上?」

「あなたが心配なのよ、エリオス。私じゃ何の力にもなれないかもしれないけど……。お願い、一人で抱え込まないで」

「あね、うえ……」


 真摯な思いやりに溢れたライラの言葉に、エリオスの何かが――今までずっと耐えてきた枷が、一気に弾け飛んだ。

 王宮でランスから事件の真実を告げられ、自覚のないまま、すっかり心が衰弱していたのだ。急速に七年の歳月がエリオスの心と思考を飲み込んでいく。

 本能にも等しい衝動で、エリオスは目の前にいる愛しい人を無我夢中で抱き締めた。


「姉上、姉上、姉上……!」

「エ、エリオス?」


 今は周りに誰もいないとは言え、弟がこんな風に甘えてくるのは何年振りだろうか。

 ライラはエリオスの突然の行動に、嬉しい反面、かなり驚いた。いつも慎重すぎるくらいに人目を気にして行動するのはエリオスなのだ。

 だから、嫌ではない。ただ、あまりに強く抱き締められて息が苦しい。

 ライラは泣きそうな声で自分を呼び続けるエリオスに、何とか身をよじって呼びかけた。


「エリオス、エリオス。ねぇ、エリオス」

「……姉上」


 息が苦しい、とライラは言おうとしたのだが、エリオスはライラがそれを言う前に、拘束を僅かに緩めた。

 そして、二人の視線がかち合う。


「エリ……」


 思わず、ライラは言葉を失った。

 自分を見つめるエリオスの熱い瞳に、魂まで飲み込まれそうになったのだ。


「姉上」


 思考が働かなかった。エリオスが何をしようとしているのか、ライラは理解ができなかった。

 その熱の籠もった瞳に、声に、吐息に。何かが崩れさろうとした――。


「エリ、オス」

「――っ!?」


 しかし最後に残った、大切な何かをかき集め、ライラはエリオスを呼んだ。

 するとエリオスは夢から覚めたように、目をハッと見開いた。さらに勢い良くライラから離れると同時に、壁まで思い切り後ずさる。見開いた目を白黒させ、最初は真っ赤だった顔はすぐに真っ青に変わった。


 そんなエリオスの態度に、ライラは再び驚く。何がどうなっているのか、こちらは見当もつかない。

 とにかく話をしようとライラが口を開くも、エリオスはひどく狼狽した様子で、声をかける前に逃げるようにして去って行ってしまった。明日は外出を控えるように、とだけ言い残して。

 一人その場に取り残されたライラは、しばらく呆然と立ち尽くすしかなかった。

 やがて夕食の時間となり、部屋に戻って気分を落ち着かせたライラが食堂に向かうと、そこに父と弟の姿はなかった。


(どうしたのかしら……)


 何か、酷く不安になった。いつもならば三人揃って食事をとる。しかし帰宅しているエリオスはいないし、出かけないと言っていたはずのアドルフは外出中。

 一人での食事は初めてではない。いつもなら『仕方ない』の一言で済ませるだけだ。それなのに、何か、何かが恐ろしかった。

 使用人たちが丹精込めて作った豪勢な食事も、今夜はひどく味気なく、ろくに喉を通らなかった。


(今日は早めに休もう。そうすれば、明日が来るもの……)


 いつも通りの明日が、きっと。



「では姫様、お休みなさいませ」

「お休みなさい、グレーテ」


 就寝時間となりグレーテが寝室を出た途端、一人になったライラは寝台にボスン、と倒れこんだ。

 頭の中を占めるのは、エリオスのことだ。あんなエリオスは、見たことがなかった。あんな、泣きそうなエリオスは。


(頼ってくれればいいのになぁ……)


 一人で抱え込まずに、少しだけでもいいから相談して欲しかった。悩みも苦しみも、分かち合えば半分で済む。

 思わず抱きついてくるぐらい参っていたくせに、結局何も言わずに行ってしまった。

 なぜ、全て分かち合った幼い頃のままでいられないのか――。

 その時、ライラは、はたと気がついた。


(そ、そう言えばさっき……)


 そうだ。よくよく考えれば、さっきエリオスに何年かぶりに抱きしめられたのだ。久しぶりに姉に甘えた結果とはいえ、この歳ではライラとしても気恥ずかしいところもある。枕に顔を埋めながら、思わず赤面してしまった。


(それに、何か、何かあの時――)


「姫様」


 ビクッ、とライラは寝台の上で飛び上がった。思いもよらず、後ろから声が発せられたからだ。


「ひ、姫様……?」

「グレーテ!?」

「明日のご予定のことで、申しそびれたことがありまして……。……大丈夫、ですか?」

「え、ええ。大丈夫、大丈夫よ。大丈夫」

「そうですか? では……」


 自身の言葉ながら、一体何が大丈夫なのか。今、何か大切なことが頭を掠めたはずなのだが――。

 グレーテが伝えてくる情報を半分聞き流しながら、ライラは必死にさっきの何かを思い出そうとした。しかし、おぼろげな輪郭すら霧散して、もはや思考の跡形もない。


「――です。……姫様?」

「へぁっ!?」

「……。とにかく、明日は絶対に外出しないように、との若君から再三のお達しです。伯爵夫人へは、すでにお断りの手紙もお出ししました。よろしいですか?」

「う、うん。わかったわ……」


 ふと、ライラは思った。エリオスがここまで外出に対して口酸っぱく言うのも珍しい、と。


(明日……何かあるの?)


 グレーテは特に疑問を抱いていないようだ。

 けれど、さっきのエリオスは――。


「では姫様、お休みなさいませ」

「あ、うん。お休み」


 グレーテが退室した後、ライラが寝台に入ろうとしたらロイが潜り込んできた。ロイは布団にくるまれるのが嫌いらしく、いつもは絨毯の上で寝ているのだが。


「……ありがとう、ロイ」


 ライラはカタワレの毛皮を撫で、ぎゅっと抱きしめた。

 暖かい。温かい。ああ、命のあたたかさだ。


(ばか、エリオスの馬鹿)


 二人で一緒に寝てた頃を思い出す。あの頃は、もう遥か遠い昔のこと。でも、今だって何一つ変わらないのに!


「ロイ、ロイ、ロイ……!」


 ロイを抱きしめ、ライラはその名前を呼び続ける。何故か、胸がひどく締め付けられる。


「……エリオス、エリオス」


 いつの間にか、呼んでいた名前はエリオスに変わっていた。しかしライラはその事に気づかず、いつしか眠りについた。胸を締め付ける理由も意味も、何もわからぬまま。


 翌朝。ライラが食堂に行くと、なんとエリオスとアドルフの姿があった。エリオスはともかく、アドルフはいつ帰ってきたのだろう。貴族の朝帰りなど、普通なら珍しくもなんともないのだが。


(通う相手、できたのかしら……)


 母が亡くなってから十年以上が経つ。王弟ともあろう人が独り身なのに後添いを迎えることもなく、女遊びに耽ることもなく。それはあまりにも一途すぎた。

 だからライラはアドルフに想う女性ができたとして、それを責める気など毛頭ない。エリオスも同様だろう。それでも、わだかまりは生まれてしまう。

 三人で朝食をとるものの、やはり食卓には気まずい沈黙が広がる。


「あー、その、だな。お前たち、何かあったのか?」


 初めに口を開いたのはアドルフだった。沈黙や緊張といったものを嫌う性格のため、この空気に耐えられなかったのだろう。

 しかし、まるで人事のような言い草にライラはカチンときた。


「何でもないわ」

「私も、別に」


 ライラとエリオスの反応に、アドルフは大きなため息を漏らした。二人が頑固なところは自分譲りだ。こうなったらテコでも動かないのは、自分が一番よく知っている。


(参ったね、こりゃ)


 昨夜の自分の行動が理由の一端であるとは分かっているが、その内容を言うわけにはいかない。あれは家族にも知られてはならないことなのだから。


「そうか、それじゃ仕方ない。二人とも、今日の予定は?」

「私は、いつも通りです。ただ、今日は……」

「?」


 言葉尻が詰まったエリオスにつられるようにライラがそちらを向くと、その顔色はあまりいいものではなかった。エリオスは小さく息を吸い込み、言葉を続ける。


「今日、は……。クルト殿が初めて見回りに参加するなど、騎士団が色々と動きます。今日の王都は騒がしくなりますから、外出は控えて下さい」

「……ま、可愛い我が子の頼みなら聞いてやりましょ。なあ、ライラ」

「え、ええ」

「父上、今日は……」

「あー、いーからいーから。騎士団の面倒事は一切俺に無関係でよろしく。な、大人しくしてるから」

「……はい。では姉上をよろしくお願いします」


 いつもの投げ遣りなやり取りだったが、ほんのわずか、引っかかるものがライラにはあった。


(騎士団の面倒事……? 父上、何か知っているのかしら)


 だとしても、騎士団はあくまで見回りしかしないはずだ。王都で犯罪があれば、それは軍や自警団の仕事となる。蒼の騎士団は、それほどまでに特異な活動をするのだろうか。

 不満、不安、嫌な気持ちばかりが募っていく。そんな感情は顔に出さないように努めたのだが、アドルフは朝食を終えるまで、じっとライラを見つめていた。


 朝食後、いつも通りの時間に出仕したエリオスを見送り、自室に帰ろうとしたライラだったが、そこで思いがけないものに出くわした。


「父上? 何をなさっているんです!」

「げ! あっちゃー、失敗したな。気づかれないと思ったんだが……」


 それは裏口からこっそり出かけようとする、アドルフの姿だった。自発的に外出するだけでも珍しいというのに、それがこの数日続いている。これは大公家における異常事態だ。

 ライラは父の朝食時の言動と今の行動をいぶかしみ、睨みつけるような目つきで言った。


「エリオスに言われたでしょう、外出するなと。父上も大人しくしていると言ったじゃありませんか!」


 こんなきつい言い方をしたいわけではない。ただ、自分が知らない何かを知っているなら教えてほしいだけだ。

 でも、それは知らされないともわかっている。だからこそ、こんな八つ当たりのようなことをしてしまうのだ。

 アドルフもそれは分かっているのか、ライラの言葉に目くじらを立てることなく、なだめるように言った。


「まあな。けど、俺にもやらなきゃならんことがあるんだ。王都の中心部には行かないし。館じゃなく、王都の隅っこで大人しくしてる。そういうこった」

「そんな……!」

「見逃してくれ、ライラ。じゃあ、今日は本当に館を出るなよ。館に一人なんだから」


 アドルフはエリオスと同じことを言い残すと、ライラを置いて、あっさり出かけて行ってしまったのだった。

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