第九話
翌日、エリオスは城へ出仕するや否や、足早に騎士団の詰所――通称『蒼の間』に向かった。
蒼の騎士団は現在、四十人が在籍しており、二つの隊に分かれている。そのため全員が一同に揃うことは数少ないが、全員が揃ってもくつろげるだけの広さが蒼の間にはある。
また、人員は定員制なので、誰かが除隊する場合のみ補充を行う。普通、騎士は爵位を継げない次男や三男がなるものなので、どこかに婿入りするか高齢となって引退するかでなければ、除隊などしない。さらに、軍隊のように外敵と激しい交戦も滅多になく、負傷による除隊など近衛ではゼロに近い。
それなのに、この事態。定員は揃っているのに仮入隊を認めるなどとは。
そもそも入隊の予定が無い人間に仮入隊を認めただけでも、かなりの特例だ。流石のランスと言えども、それ以上の暴挙には出ないが、そのことが尚更エリオスの逆鱗を逆撫でしていた。
ランスは騎士団が本気で動揺しないよう計算したうえで、わざと少しだけ規則の隙間をぬって動く。エリオスが入隊してから、何度も繰り返されてきたことだ。それだけ場をみる能力に長けていると言いうことなのに、その生かし所が気に食わない。
(ランスを殴るランスを殴るランスをぶん殴る……!)
エリオスは怒りに任せて、バン! と蒼の間の扉を勢い良く開け放った。
「おう、お早うさん。今日は面白い知らせがあるぞ!」
「……ほう。聞かせてもらおうか」
エリオスが入室すると、そこには早番である団員たち数名とランスがいた。しかもランスはにっこにこと超イイ笑顔だ。
「なんと今日から仮入隊員が来るから。とりあえずはお前の配下におく。これ決定な」
「なっ、聞いてないですよ団長!」
「エリオス隊長の下ってことは俺らの隊じゃないですか! 急すぎますよ!」
「いい加減にしてくださいよ~!」
エリオス配下の第二部隊を皮切りに、そこにいた全員から非難が巻き起こった。彼らには誰が来るかということより、ここでランスを非難することが重要のようだ。
「突然の出来事にも対応する力を身につけろ。どうだ、上司としての思いやりに溢れたいい訓練だろ?」
「……突発にもほどがある。いいかランス、これは団員の総意だ。特に俺の」
「ん?」
「――ということで喰らえ!」
バキッ――!!
小気味いい音とともに、ランスが地に伏した。エリオスの右に、綺麗に打ち抜かれて。
突然の隊長から団長への暴挙、いや暴行現場に、部屋中がシーン……と静まり返ったものの、すぐに喝采が飛び交った。『隊長サイコー!』とか『常識って素晴らしい!』とかいったものである。
「くぉらお前らぁ! 俺はこの中で一番偉いんですけど!?」
ガバッと立ち上がったランスは赤くなった頬を押さえ、少し涙目で団員たちを睨み付けた。しかしこの場の支配者はエリオスだ。団長の威厳などどこにもない。綺麗さっぱりゴミ箱行きだ。
「常識のない奴には制裁が必要だ。なんだったらもう一発入れるぞ。みんなの賛成も取れているようだからな」
「いやいや、おかしいだろそれ!?」
そろそろと後退りするランスに、それをじりじりと追い詰めるエリオス。団長命令だ、と一言発したらこの場はすぐ収まるのに、ランスは焦りのあまりそれを完璧に失念していた。
「昨夜、父上から事の詳細は聞いている。ベルンハルト様経由の情報だ」
「げっ! っあー、誰にも話さないで下さいって頼んだのに……。昔馴染みのよしみで話しちまったんだな、まったく」
「え。隊長、そこ経由ってどういうことですか? まさか守備隊から来るとか?」
「いや、違う。仮入隊にはノルト家の次子、クルト殿が来られるということだ」
「「なにぃ~!?」」
一同から驚愕と、再びランスへの非難が巻き起こった。
「女帝の弟! 女帝の弟が来る!」
「ああ、もう駄目だ! 俺の団長の面倒さえ見ればいい平穏な日々は終わりを告げた……っ!」
「団長のろくでなしぃー!!」
エリオスからのあまりにも予想外な情報に、何人かは半泣き、いや本泣きの域だ。大の男がさめざめと泣く姿は見るに耐えない。
まさに『女帝』の凄まじさを物語る光景であろう。
クルトの姉は二つ名を女帝、美貌も地位も財産も教養も何もかも持ち合わせ、かつ二つ名にふさわしく傲慢な女性として有名だ。しかし傲慢と言っても性根が悪いわけではない。ゆえに男たちは「完璧」な美女に男の大事な何かをズタボロにされる前に、本能で逃走を図るようになっていた。
「まあ待て。ランスがろくでなしなのは当たっているが、そう悲観するな。俺は実際に会ったが、クルト殿は良い御仁だぞ」
「おいコラ。言うべきことが違うだろエリオス?」
ランスがエリオスの言葉を訂正しようと肩を強く掴んだところで、コンコン、と蒼の間の扉が小さく遠慮がちに開かれた。
「あ、あの。ズュート団長、お客様がいらしております」
扉の先にいたのは、まだ年若い侍官だ。朝っぱらから大騒ぎしている騎士たちに恐れをなしたのか――はたまた幻滅したのか、その声はだいぶ上擦っている。
「お、来たか! よし、連れてきてくれ」
「かしこまりました」
侍官がその場を辞すと、何とも言えない空気が辺りを支配する。
もうどうにもならない、という諦めが含まれている、どんよりとした空気だ。ただランスだけはニヤニヤと笑みをこぼしているが。
「さあさあ、この後はいつも通りに仕事だからな。あ、エリオスは一緒に殿下のところへご挨拶に行く。いいな?」
「は~~……。まったく、ここまで来たら仕方ない。わかった、引き受けよう」
「よし。おいお前ら、だらしねぇ格好すんな。蒼の騎士団の恥さらしは容赦無く処罰するぞ」
ランスのわずかに引き締めた語調に、騎士たちは即座に反応した。だらしなく机に足を乗せていた者、長椅子に寝転がっていた者など、それまで自由気ままに過ごしていた隊員たちもすぐに居住まいを正す。
「――失礼いたします」
そこに、まだ声変わりしていない少年の声が入り込んだ。
「ようこそ、蒼の騎士団へ。クルト殿」
そこでクルトが目にしたものは、紛れもなく国一の称号に相応しい、蒼の騎士団の姿だった。
次代の王、王太子に仕える若獅子たち。いずれは王の側に侍る騎士。
彼らは剣の腕前は勿論、その所作や人格など、すべてにおいて『最高』と認められた青年たちだ。そのため蒼の騎士団に入隊することは、騎士にとって最高の名誉である。
「お初にお目にかかります。私はクルト・フォン・ノルト。本日から一月、皆様の下で修行に励むことと相成りました。どうぞよろしくお願いいたします」
そんな騎士たちを前にしてのクルトの挨拶は、これも堂々として立派である。その姿に、団員たちの多くは驚きの表情を向ける。
まだ幼さがその面影に残る、少年騎士。その瞳はしっかりと前を見据えていた。
「団長のランスロットだ。今からお前は俺の配下だ、クルト。よって全て俺のやり方に従ってもらう。……異存は?」
「ありません」
「そうか。じゃあ今日は初日だ、直属の上司になるエリオスに説明を受けろ。それとこの後は王太子殿下のところへ向かう」
「承知しました」
「よし。では、解散! それぞれ本日の持ち場につけ!」
「「はい!」」
騎士たちは素早く二人組を作り、町へと向かう。本日も王太子の命による調査を続行するのだ。
それを見送ったランスたちは、挨拶のため王太子のもとへと向かった。
「さて、クルト。殿下とお会いするまでに質問はあるか?」
王宮の廊下を三人で進む途中、ランスがふいにクルトへ問いを投げ掛けた。
「いえ、ありません。失礼の無いよう、事前に父上や叔父上から、王太子殿下については伺っておりますので」
「そうか、それならいい」
あの夜会の頓珍漢な行動が嘘のような、流石は『四家』ノルト公の子息、と思わせる答えだった。その答えに満足したのか、ランスはニヤリと笑みをこぼす。
「ランス、今になって面倒なことをするな」
「ん? いいだろ、このくらい」
「? 何か――」
その意図に気づいたエリオスが非難するものの、当のクルトは理解していなかった。それに気づいたランスはその頓珍漢ぶりに失笑する。やはりこの少年は、一筋縄ではいかない人物だ。
「いやいや、なんでもない。さ、それよりそこが殿下の執務室だ。入るぞ」
そう言うとランスは戸惑うことなく、入室の意を伝えると、重厚な造りの扉を開けた。