君の記憶の中の俺
俺のことを好きだといって近付いてきた彼女は、多分きっと、俺の事は好きじゃない。
***
待ち合わせはいつも雨。
ここに降る特殊な雨に耐性のない彼女は、いつもぼんやりどこかをみている。
傘をさしていてもいなくても、その防ぎきれない細かな粒子で、いつも夢をみている。
今日の待ち合わせも、気付けば傘は足元で役立たず。
よく見ると雨水が中に溜まっている。
一体、どれ程の時間をここで待っていたのか。
待ち合わせは十四時だと言っていたから。
バイトと授業が終わってから急いで来たというのに、もう既に夢の中にいた。
「いい加減。その癖やめないと風邪ひくぞ」
俺は自分が差していた傘を彼女の上にかざす。
「深陽くん。おかえり」
焦点の合わない目で俺を見上げる春華は、俺の好きな気の緩んだ顔で笑うけれど、俺に向けてのそれじゃない。
「ほら。行くぞ」
「え?」
目の前に差し出された傘を無理矢理握らされ戸惑っている。
そうして転がって役立たずの傘を畳むと、細くてすっかり冷え切ってしまった春華の腕を掴んだ。
「いたいよ。深陽くん」
顔を顰めても知らない。
早く夢から醒めろ。
ばか。
優しくしたいのにできなくて。
さっき言った言葉の意味を伝えたいのに言えなくて。
俺はいつも何も言えない。
過去の自分に囚われて。
***
「深陽くん。ありがとう」
いつも、服も下着も全部濡れて、迎えに行くと肌が冷え切っている。
だから、俺は面倒でもいつもバスタブにお湯を張ってから迎えにいっていた。
温まった春華が出てきて、髪から落ちる水滴をふきながら、お礼を言ってきた。
いつも拭くのが適当で、乾くまでに時間がかかるものだから。俺はソファに腰掛けた春華からタオルを奪い、わしゃわしゃと頭の上で手を動かした。
「ふふふ」
「なんだよ」
「私、深陽くんにこうしてもらうの好き」
「……。そう」
俺はこれが初めてだよ。
誰と比べて言っているのかは分かっている。
春華は俺を通して深陽を見ている。
「さっきも言ったけどさ。雨の日に外出るのはいいけど、しっかり傘させよ」
「なによ。急に」
背中を向けているから顔は見えないけれど、不貞腐れて唇を噛んでいるんだろうな、というのは想像つく……位には、一緒に時間を過ごしている。
「別に雨のたびに雨に当たってるわけじゃないからいいでしょ」
やはり、傘は飾りだけか。
雨に当たってると、自ら自白した。
「お前は人前に出る仕事してるんだろ。体調崩して周りに迷惑かけちゃいけないんじゃないのか?」
「次の日仕事が休みの前の日だもん」
なら、休みの日に風邪を引いて俺と会えなくてもいいということか?
記憶の中の深陽に会えれば……。
どうしても、捻くれた答えを導き出してしまう。
俺がいるのに、そんなに俺に会いたいのか。
「それに、なんだかんだ言ってこうして来てくれるじゃない。深陽くん」
再び「うふふ」と嬉しそうに笑う春華は、窓の外を見ながら言った。
春華。
君は今、誰を見ているの?
***
春華と出会っていろいろ考えた。
春華のことだけ覚えていないなんて不思議で。
昔。
たしかに病院のベッドにいた記憶もある。
多分、高校生の頃で。
目を醒さなかった時間も結構あったみたいだけれど、そこで一部の記憶が欠落しているとか、性格が変わったなどと周りに言われる事なく、3年。
3年。
普通に過ごしてきた。
なのに、今更目の前に現れて、俺の心を掻き乱す。
俺は一体何を忘れているというのか。
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