今生
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稚拙な文章ではございますが、以降も読んでいただけると幸いです。
人生とは儚いものである。いや、人生が儚いのではなく人間が脆いというのが正しいのかもしれない。なにせ打ち所が悪ければ頭を軽くぶつけただけでもすぐ死んでしまうのだから。もしかしたら、進化する前の生物のほうが強い生物であったかもしれない。
齢弱冠29年、ヒトとしての盛りを過ぎ残るは老いを感じていくだけの人生となっていた俺、唐田修三は出勤途中に駅のホームで混雑時のもみ合いにより線路へと落ちてしまい、あっけなく高速で迫ってきた鉄塊によって死んでしまった。
小都市と言えばよいのか小田舎と言えばいいのか、中途半端に人口密度の高い首都圏近郊のベッドタウンにある駅のホームには線路への侵入を拒む柵などない。もしあるとすれば俺がいた時刻、早朝の自然と出来上がる肉塊による壁のみである。
しかし壁の先兵となってしまうと後ろからのプレッシャーによってあっけなく路傍に転がる石と同様、誰もが見ようともしないあられもない姿の骸へとなり下がる。まぁ、簡単に言うと俺は見るも無残な姿で死んだってことなんだけど…。
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さて、色々と言ったがなぜ死んだはずなのに回想にふけっているかというと、どうやら新たな生を得ているようだからだ。いや新たな生を得た、という表現は正しくなかったかもしれないな。前世を思い出したというのが正しい表現だ。
思い出した時のことを表現をすると長い夢を見ているような感覚だった。まあ実際に夢を見て思い出したのではあるが、あまりに明瞭で正確すぎる夢であったのは間違いない。そしてさらに朧気にしか覚えていないのではなく、次々と色々なことを思い出していきその日一日で自分が何者かというのを全て思い出した。
どのような親元で育ち、どのような環境を経て成長し、恋をし、学び、朽ち果てていったか。その全てが自分が経験したものだというのがなぜか不思議と感じ取れた。
かと言って新生後の記憶がなくなったわけではない。俺がどのように今生を過ごしてきたか、というのは損なうことはなく記憶を取り戻した後も無難に毎日を過ごしている。もちろん前世の話は誰にもしていない。
それとなく見聞や文献によって前世持ちについて探ってみたけれど、それらしき痕跡はない。ということは、自分と同じような境遇に陥ったものがいたとしてそれを隠して過ごしていた、またはいるのだろう。それか本当に前世持ちはこの世で俺一人だけか。
しかし、日本で暮らしていた時でもオカルトや都市伝説の類として前世の記憶があるという話は時折耳にした。昔は鼻で笑っていたが、実際自分が同じ立場に立たされると信じざるを得ないのだから『百聞は一見に如かず』とはよく言ったものだと感心せざるを得ない。
まあということは、だ。地球でも前世の話を聞いていたのだからこの世界こそ俺一人というのはあり得ない話だと断言してしまってもよいだろう。なにせここは『剣と魔法の世界』。
――所謂ファンタジーワールドなのだから。
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