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三日月が紅い日には

作者: アント

あなたはご存知だろうか。

街の歪みに生きる、怪人の噂を。

彼に目をつけられたものは、ある条件をクリアしなければならない。

さもなくば、待つのは「死」

そしてまた一人、怪人に魅入られた者が、彼のテリトリーへと足を踏み入れた。


ぴちゃぴちゃ。

床に広がる水。

しゃっしゃっ。

床をこするデッキブラシ。

カキーン。

合わされる怪人の鎌。それは深紅に染まっていた。

染み付いた血の色と匂いが、数え切れないほどの命を刈った証であった。


冷や汗が背中を流れた。

もはやシャツは水を吸い、重たくなっている。

だがそんなことを気にしている余裕はない。

少しでも手を抜こうものなら、次の瞬間、首は胴体から切り離されるであろう。

出来ることはただ一つ。

この床を、完璧に磨き上げることだけだ。

黒ずんだタイルとタイルの間の汚れが洗剤の泡と、こする力によって少しずつ、元の白さを取り戻していく。

命がかかっていなければ、掃除というのは苦ではない。

だがこの異常と言える状態の中で、楽しめというのは無理な話だった。

聞こえるのは水の流れる音と、デッキブラシで床をこする音、そして自分の息。

心臓は緊張を表すよう、ドキドキとうるさい。

また一筋、汗が流れた。


その怪人が、いつ現れたのかは定かではない。

いつの間にか、まことしやかに流れる噂があっただけだ。


“怪人は鎌で首を刈る”


と。

命からがら逃げ帰った人の話というのを、週刊誌で読んだ時は、何を馬鹿な、と思った。

なにせその怪人というのは、オペラ座の怪人ばりのマスクをつけ、黒マントを羽織っているのだいう。

出来すぎていて笑えない。

それは口裂け女だとか、人面犬なんかと同じく、一過性の噂だろうと思った。

だから、その怪人の噂もすぐに忘れ去られるだろうと思っていた。

自分がその怪人に出くわすまでは・・・・・。


確か、夕暮れの繁華街を歩いているはずだった。

友人と別れて、駅に向かおうとしていたのだ。

その角を曲がれば、もうそこは駅。

そのはずだった。

だが実際に見たものは、古びたコンクリート校舎の廊下。

どこまでも続くような廊下で、立っている所は水飲み場の前だった。

床はかなり黒ずんでいる。

それを見て、思い出したのだ。

あの怪人の噂を。

恐る恐る振り返ると、そこにはやはり、顔上半分を覆う白いマスクをつけ、黒いマントを羽織った怪人が立っていた。


少しずつ白さを取り戻してゆく床。

鎌を研ぐ怪人。

どこまでも続く廊下。

一心不乱に磨き続けている自分。

なにもかもが非日常だった。

汗で額に髪の毛が張り付く。

が、そんなことを気にしている余裕もない。

ただ、床を磨くことだけに集中する。


どのくらいの時が経ったのだろう。

それは三十分くらいのようにも思えたし、一日以上だったようにも思えた。

だがやっと、床を磨き上げることが出来たのだ。

どこもかしこも真っ白に光っている。

これで殺されずに済む。元の日々に戻れるのだ。

そう思うと、自然と笑みがこぼれた。


しかし怪人は、黙ってある一点を指差す。

そこには、ほんのわずかではあったが、黒いシミがあった。


こ ろ さ れ る !


きらりと紅く、鎌が光った。

ゆっくりと持ち上げられる鎌。

それを見て、一目散に逃げ出す。

どこまでも続く廊下を、水に足を取られながらも、全速力で逃げた。

死にたくなかった。


後ろから怪人が追ってくるのが、気配で分かった。

怪人は音を立てずに、マントをひるがえして追ってくる。

口から言葉にならない叫び声が溢れた。

人は窮地に追い込まれると、言葉を失うのだと初めて知った。


正面の窓に、怪人の顔が映った。

その口元は歪んでいる。

笑っているのか、泣いているのかは分からない。

窓の外に紅い三日月が見えた。

それは窓に映った怪人の鎌なのだと、一瞬後に気付く。


そして、全てがブラックアウトした。

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