軽い腸炎と診察されてヤブ医者から追放を受けたが、別の病院で胆石だと言われても今更もう遅い~酒飲みのじゃロリなろう作家のファンタジー入院~
軽い腸炎と診察されてヤブ医者から追放を受けたが、別の病院で胆石だと言われても今更もう遅い
カレーちゃんは毎日酒を飲んでいた。
カレーちゃんとは、なろう作家の名前である。戸籍上は明治生まれになっているが見た目は十代の少女という戸籍乗っ取り的なエビデンスを感じる風貌をしている、不老の吸血鬼めいた妖怪だ。ファンタジーな存在なのに普通に現代を生きるなろう作家の少女は恒常的に酒を飲む。
明治生まれなので年金生活者であり、それ以外にも書籍化(打ち切りされたが)を食らった小説の印税などを使って、七畳一間のアパート生活をしながら貯金を酒と飲食物(主にカレーだ)へと溶かしていく日々で。
カレーちゃんはその日も酒を飲んでいた。殺風景な部屋で、楽なモンペ姿をした金髪のケモミミ少女が透明なコップを口に運んでいる。
「ういー焼酎は紙パックの甲乙混和麦焼酎に限るのうー安い上に味がついておらんから不味くない!」
などと言いながら安酒をカパカパと飲む。一人しか居ないのに喋るのは長いこと一人暮らしをしていて寂しさからついた癖である。
コップに注ぐのは1.8リットルで798円の麦焼酎。アルコール度数は25度。彼女のお気に入りの銘柄である。
マイナス方向に酒飲みが極まってくると、値段とアルコール度数を計算して100mlあたりどれぐらいのアルコールが幾らで買えるか、で酒を選びがちになる。カレーちゃんもまさにそれだった。
この麦焼酎の場合、値段を約800円と仮定すると、
800÷1800=約0.444
100mlあたり約44円
44円あたり含まれるアルコール25ml
100円あたり含まれるアルコール約57ml
と、なる。
これが缶ビール350ml、度数6%、200円と比較すると100mlあたり約57円。57円に含まれるアルコールが6ml。100円で摂取できるアルコールが10.5ml。
麦焼酎の方がアルコール値段的に5倍もお得になるという考えである!
この計算式を使い出すと末期だと言われている。
安酒でももっとコスパのいい怪しげな安ウイスキーなども存在しているのだが、ウイスキーは安いと露骨に体に毒めいた味がしてくる。安い芋焼酎は異様な臭いがあったりする。
だがこの麦焼酎は無味! 水を飲んでいるような感覚ですっと飲めてしまうのだ。水割りにお湯割り、炭酸割りにお茶割りなど好きに飲んでも平気なのであった。
どうでもいいアル中の理論はともかく。
カレーちゃんは御年140を超えている後期高齢者である。だがまあ、戸籍制度を悪用しているが如く不老なのに年金を貰っているため、悠々自適に酒を飲みつつ気楽な日常を送っていた。
なお戸籍自体は違法な戸籍乗っ取りや、怪しげな催眠術などを使って作ったのではなく、単に明治時代に戸籍制度が出来たとき妖怪なのに滑り込んで戸籍を合法的に得ただけであった。度々調査を受けているが、今の所は法的に問題はない。
酒好きなのは吸血鬼だからというところもあるだろう。なにせ血液と酒はよく似ているため、代用しても吸血鬼的にセーフなのだ。主に液体であるというところが似ている。
「酒のつまみは……じゃがいものカレー炒め! ぬふふ……カレー粉にはウコンが入っておるから健康的にセーフになるって寸法なのじゃ」
のじゃのじゃとした口調で一人言を呟きつつ、自作したつまみを肴に酒を飲む。冷凍のフライドポテトをカレー粉で炒めたものをつまみに、安酒を飲んで一人暮らしをしている年金生活者というと非常に寂しいものを感じなくもない。一応カレーちゃんはなろう作家として活動しているので、まったく他人と付き合いがないわけではないけれども。
一日に飲む酒は約5合。気分が乗れば8合。毎日記憶が抜けるまで飲んでカレーちゃんは幸せに暮らしていた。
だが……
「うぐっ! 脇腹に刺すような痛みが……!」
カレーちゃんは手で右あばらの下あたりを押さえた。
突然の激痛──ではない。実のところここ一年ぐらいじわじわと痛みを感じていた。
時折、脂っこいカツカレーを食べた後や、こうして酒を飲んでいるときにその痛みは突如10倍ぐらいに膨れ上がるのだ。
カレーちゃんは冷や汗を掻きながら腹を押さえてうずくまる。
「じっとしてれば痛みは去るのじゃ……」
そう唱えて内臓から上がった悲鳴を封殺しようとする。一部分に掛かる強い痛みに耐えていると、他の部位が痛むのも感じてくる。
鳩尾が棒で突かれているように痛い。下腹が鷲掴みにされているように痛い。背中が打ち付けたように痛い。首から肩が酷い肩こりになっているように痛い。
カレーちゃんは吸血鬼の肉体を持っているが、多少死ににくいというだけで極端に再生能力が高かったり、内臓疾患が勝手に治ったりはしない。古来より肝硬変が勝手に治った吸血鬼という存在は耳にしない程度に、普通吸血鬼も内臓をやったら治らないのだ。
暫く目をつぶって堪えて、やっとカレーちゃんは一息ついた。
「ふぃー、痛かった。いや、今もまだチクチクするのじゃが……徐々に痛みの発作が強くなってきてる気がするのう……まあ飲んで誤魔化せばいいか」
カレーちゃんは現実から目を逸らすように再び酒を重ねだした。
アルコールが脳を誤魔化して痛みが麻痺し、飲酒によって多少はマシになる。しかしながら痛みも飲酒中の出来事なので、さっきのうずくまるような痛さはアルコールで軽減されてもそれほど感じるという強さだったのだが……
近頃は飲まずに布団に入ると、内臓の痛みで寝付けないので飲み直すぐらいであった。
その日も痛みを感じぬまま気絶するように酒に溺れて眠りについた……
******
「いや、病院行きなさいな」
カレーちゃん唯一の友人、住んでいるアパート『メゾンドビヨンド』の大家であるドリル子は一言でそう切り捨てた。
ドリル子は二十代の女性である。仕事はアパート経営の家賃収入と、様々な土木作業に使える免許を持っているので建築・解体系の現場仕事をやっている。見た目は銀髪をしている外国人のお嬢様といった感じなのだがワイルドな生き方である。服装も毎日作業着を着ていた。
二人は同じアパートに住んでいて、大学時代からの友人であるのだから時折一緒に飲んだり部屋に遊びにいったりする。その日もドリル茶という怪しげな飲料を開発したというのでアフタヌーンティーに誘われて菓子目当てに行ったのだが、あいも変わらず内臓の痛みが酷いとカレーちゃんがこぼしたらそう告げられたのだ。
当たり前である。
内臓のあちこちが痛いと思わず他人に泣き言をいう者が健康であるはずがない。
「そもそもカレーちゃん、健康診断受けてますの? 毎年、高齢者向けにやっていますでしょう?」
「高齢者向けの健康診断は好かん。だって会場にいったら完全に迷い込んだ対象外の女の子だと思われて説明がめんどいしのう。地元でもないから」
「まあ、見た目はそうですけれど」
完全に見た目は十代の少女なのだ。服装こそモンペ姿だが。不老の妖怪吸血鬼なのにいっぱしの国民の如くサービスを受けると奇異な目で見られるのである。顔見知りでない店だと酒を買うのも止められるぐらいだった。それでも身分証明のためにあれこれ手を尽くしているのだが。
ドリル子は呆れたようにドリル茶(健康)を口にしながら言う。ドリル茶はドリルを溶かし込んだような味がした。
「お酒飲んで頭痛くなるとか、胃が痛くなるとかまあわかりますけれど脇腹が痛いとか背中が痛いとかヤバいですわよ」
「そ、そうかのう? でもお主も酒飲んでそうなったわけじゃなかろう?」
「わたくしは別にそこまで飲みませんけれど……そのタブレットで『酒 背中痛い 症状』でググってみるといいですわ」
「怖いページがやたら引っかかるのじゃ!」
カレーちゃんがページを開く勇気さえ沸かないような検索結果に目を閉じる。体の不調に関して、ネットで検索するともはや死ぬ手前のような重病の兆候だと言われていることが多い。
「とにかく診察に行ったらどうかしら……カレーちゃんって保険証持ってますの?」
「モチのロンじゃ。なにせ年不相応な見た目じゃから年齢確認、個人証明できるものはなるべくちゃんと取ることにしておる。むかーし、うっかり身分証を全ロストして凄まじく取り直すのに苦労してのう……」
「百歳以上の吸血鬼も気にするのですわね……」
「戸籍ちゃんとしておかんと年金も貰えんからのう……儂自身は一回も年金を支払ったことはないのじゃが」
なにせ戸籍上は明治生まれなので、年金制度が始まった頃には受給資格を持つ年齢になっていたのだ。殆どタダ乗りである。
体自体は若いのだから働いてもいいはずだが、カレーちゃんは年金にあぐらを掻いて自堕落に過ごしたり、大学でキャンパスライフを送ったりしていた。今はその学費返済に毎月口座から預金がギュンギュン減っていっている最中なのだが。
「病院かぁーなんかあんまり行きたい場所ではないのう」
「そうですの?」
「ここの病院ではないが前に一回、腹痛で入院したときに監禁されてナチスから人体実験を受けそうになってのう。不老不死の研究とかで。ブラジルでのことじゃが」
「物騒な地域と日本を一緒にしないでくださる?」
カレーちゃんは一時期──昭和初期から中期頃、南米に移住していたことがあるのだ。そこでナチスに追われて住処を失い、現地でチュパカブラ生活を送っていて南米のプロレスラーが渡日する際に荷物に紛れて日本に帰ってきた。
その時に身分証がまったく無い状態で、かつての知り合いのツテを使って戸籍を元に戻すまで苦労したので、カレーちゃんは二度と海外に行こうとしない。
「……じゃがここ最近、酒を飲んでいて不安になるのも確かじゃのう。こんなに調子が悪いのは儂が若い頃、バーで売られていたホルマリンとメチルのカクテルを飲んだとき以来じゃ」
「そんな危険物がいつ売られてましたの」
「はて、大正じゃったか昭和じゃったか……殺人焼酎とか呼ばれていたやつ。毎年何百人も死んでおったが、当時はアレがハイカラでのう」
「よく平気でしたわね……余計不安になってきましたわ。軽トラで送るから病院行きますわよ!」
「うーみゅ、診察時間は基本午前じゃろ? じゃから明日……」
「なら明日までお酒は抜きですわね」
「げーっ!」
カレーちゃんは汚い悲鳴を上げた。やぶ蛇である。
内科の診察をするのに採血や検尿も行う可能性があるため、前日からどか食いしたり飲酒したりすることは厳禁である。
病院に誘った手前、ドリル子は夜までカレーちゃんを見張って酒を飲まないように部屋に泊まり込み、二人でミスタードリラーを延々とプレイして夜を過ごした。カレーちゃんが脇腹の痛みを訴えて眠れないと言い出したためだ。もはや彼女は鎮痛剤が無いと眠ることができない。
時折痛みにうめき声を上げるカレーちゃんに若干リアルな焦りを感じつつ、翌日にドリル子は渋るカレーちゃんをトラックの助手席に乗せて病院に連れて行った。
二人の住んでいる町は田舎である。村とまでは言わないが、チェーン店が存在しない程度に田舎だ。そんな田舎でも病院は一応ある。大きめの総合病院が一つ。小さい病院・診療所が三つ程度だ。
医者嫌いのカレーちゃんはもとより、ドリル子も体が頑丈な方なので病院にはとんと縁がなく、どこが良いとも知らない。なので単純に総合病院に行けば大丈夫だろうとそちらへ向かった。
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例え人口が少なくとも病院の需要は田舎にも存在する。カレーちゃん達が住む日本の辺境にも周辺にある建物の中で最も大きな建造物である病院(といっても、大きさの比較対象になるのが学校程度なのだが)があった。
カレーちゃんが入るのは初めてである。付き添いのドリル子は椎茸の原木にドリルで穴を開けるバイトに行ってしまった。終わったら電話をするようにと告げて。
初診受付で保険証を提示すると、生年月日の明治生まれというところで相手の顔が凄まじく訝しがるようになり、金髪少女であるカレーちゃんをまじまじと見てくる。
その反応も慣れたもので、カレーちゃんは顔写真付きのマイナンバーカードと原付きバイクの免許証を出して納得させる。一つ偽造するならまだしも、全部偽造してくる者はそう居ないだろう。
内科前の待合室では既に三十人ぐらい人が集っている。概ね9割は老人だ。カレーちゃんは座る場所を探しながら、暇を潰そうと雑誌置き場を見た。だが院内感染を警戒してか新聞すら置いていない中、ピカピカに磨かれたその病院の会長を褒め称える冊子だけが何冊も置かれている。げんなりしつつ手に取る。『この病院は正義で運営されています!』『医者こそ正義!』『逆説的に医者以外は大抵悪』などと印象的な文字が並んでいる。
もちろんこの病院を利用する人らがそんな怪しげな思想に洗脳されているわけではないのだが、入院もできる大きな病院というのはこの田舎だとここぐらいしかないのだ。他の小さな病院では対応しきれない。
待合室で暫く待っていると、看護師がやってきて簡単な問診を始めた。
「華麗山さーん、華麗山カレーさーん」
「あっはいなのじゃ」
「え? ……えーと、生年月日をいいですか?」
病院では患者の取り違えを防止するために、相手の名前と生年月日を確認するようにしている──のだが、やはりカレーちゃんの見た目と年齢のギャップに不信感を持っているようだった。
やはり慣れているカレーちゃんは身分証明証を出しつつそれに答えて、問診を始める。
「今日はどうされたんですか?」
「ううむ、腹が痛くてのう。脇腹とか。鳩尾とか。背中とか」
「どれぐらい前から痛いんですか?」
「半年……ぐらいかのう」
「お熱はあります?」
「体温計持っとらん……」
というので体温と血圧を測定してから、血液検査へと移る。
暫く検査結果を待つ間、水分補給の点滴をされた。カレーちゃんは自分の血液がナチスの研究に使われていないことを祈りつつ、小一時間ほど待つと内科の医者に名前を呼ばれた。
「華麗山カレーさーん」
「のじゃー」
適当に返事をして診察室に入る。医者は禿頭の若い男だった。まるで坊主のようだと思ったが、病院に坊主が居ては縁起が悪い。
医者は手元にあるカレーちゃんの血液検査の紙に目を落としたまま「はいこんにちわ」と義務的に告げる。カレーちゃんは椅子に座った。
「えーまず、検査結果ですが……γ-GTPの値がちょっと悪いですね」
「? 儂のγ-GTPの値が悪いって……低すぎってことじゃよな?」
カレーちゃんは彼女が時々書く小説の主人公のようにすっとぼけた。本当はSランクだけど無自覚だからDランクとかそんな感じだ。
「いえ、高すぎです。266もありますね。標準値が49までなので……」
Sランク認定された。ざっと並のGTP能力者の5倍の能力を持っている。
γ-GTPは正式名称を「γグルタミルトランスペプチダーゼ」といって、まあ凄まじく大雑把に言うと肝臓に負担が掛かると肝臓の細胞が死んでこの物質が血液中に流れ出す。つまり高ければ高いほど肝臓が死にかけている。
カレーちゃんの肝臓は常人の上限の更に5倍死にかけている。
「あとコレステロール値と中性脂肪が高いですね……食生活はどうですか?」
「ま、毎日カレーを食べておるが……」
「バランス良く食べてください」
「カレーはスパイスの利いた肉野菜のスープみたいなところもあるし……そ、それより腹痛は?」
「ふむ」
医者はぷにぷにとカレーちゃんの中性脂肪が多い腹を突いた。
「うぐっ」
と、痛みが走ってカレーちゃんは身をよじる。
医者は頷く。
「恐らく軽い腸炎を起こしているのでしょう。薬を出しておきますからそれを飲んでください。痛み止めも」
「は? え、えーとそれだけかの」
「あとはお酒を控えて、食生活に気をつけてください。それではお大事に」
──そう言われてカレーちゃんは診察室から出て、受付で薬を貰ってドリル子に連絡をした。
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「なんとも問題はなかったわい! ただの腸炎じゃって! よっしゃ!」
軽トラの助手席に乗せられたカレーちゃんは、杞憂で病院に連れてきたドリル子にそう言った。鬼の首を取ったように、自分が健康で正しかったのだと言わんばかりに。
だがそれを告げられたドリル子はまったく浮かない顔であった。
あれだけ毎日酒を飲みまくっている女が。検査結果が常人の五倍も数値に現れているのに。しかも腸どころか脇腹だの背中だの痛がっている状況で。
ただの腸炎。
渡された薬は漢方薬。
エコー検査だの内視鏡だのそういったものはまったくせずに診断されたのだ。
「逆に超不安ですわそれ……」
「うみゅ? 医者の太鼓判が押されているのじゃから今日は祝杯でもイタタタタ……急に挿し込みの痛みが……」
「やっぱりおかしいですわよ!」
「大丈夫じゃって! ドリル子さんは心配性じゃのう。儂はお主らじぇいじゃくな人間とは違う──闇の吸血鬼じゃ!」
「『脆弱』を噛みましたわ……この吸血鬼だっさ……」
「うるさいのう」
顔を赤らめているのは羞恥か普段飲んでいる酒のせいでデフォルトの顔色に設定されているのか。
とにかくカレーちゃんは「軽い腸炎」だという診断を受けて、これはほぼ気にしないで大丈夫だな、と思い込んでしまった。
軽い腸炎程度なら禁酒するまでもないな、と。
ちょっと今度から野菜を多めにカレーに入れて作ろうかな、ぐらいの考えである。
病院で渡された漢方薬・ビオフェルミンをつまみに酒をかっ食らう少女の生活は続いた。
毎日安酒。自分の肝臓に恨みでもあるのかという甲乙混和の蒸留酒。アルコール検知器を向けたら昼間でも引っかかりそうな、分解能力を越えた飲酒量。
痛みも酒で緩和させて送る日々。
限界が来るのは割と早かった。
「ぐ……う、うううう……痛いのじゃ……」
あまりの痛さに目覚めた、昼に近い朝。もはやどこが痛いのか、頭がぼんやりしているせいで判別もつかない。
痛み止めの薬を煮込んだカレーを食べようとしたが吐き気を催しトイレに吐瀉した。
喋っている感覚は無いのに、半開きになった口から「うー」とか「あー」とかうめき声が漏れる。
これは不味い。さすがのカレーちゃんもそう思った。ヴァンパイアハンターに襲われてサルモネラ菌入りの聖水をぶっかけられたとき並の気分の悪さだ。
どうにかして這うようにアパートの外に出て、階段をホラー映画のように四つん這いで降りて大家であるドリル子の部屋にたどり着く。
ドアノブに捕まって立ち上がり、部屋に入る。不用心なことに鍵は閉めていない。田舎だからそうそう物騒なことは起きないためである。
部屋に入ると台所で昼食の準備なのか猟奇的な儀式なのか、鶏むね肉にドリルで穴を開けているドリル子が居た。
「あら? カレーちゃんどうしましたの──って顔色がマダラ色ですわよ!? 青と赤の!」
「う、うううう、うーうー!」
「なにを上遠野浩平の小説みたいなうめき声を……って喋れませんの!?」
ドリル子に事情を説明しようとしたのだが、言葉が茫洋として頭に浮かんでこないためうめき声を上げることになった。オマケに涙がボロボロこぼれてきた。その間も常に体中が痛くて、その痛みさえも脳が麻痺しているように漠然としか感じられなかった。
そんなカレーちゃんの様子にドリル子は軽く引いた。正直怖かった。そしてすぐに決断した。
「病院行きますわよ! 歩けますの!?」
「うあー」
「ええい、面倒ですわね!」
生まれたての仔チュパカブラのようにプルプルと震えるカレーちゃんを抱き上げて車まで運ぶ。
「あううう(イケメン行動じゃのう)」
軽口を叩こうとしたカレーちゃんだが、口の中が麻痺したように動かず言葉にならなかった。
手が震えてシートベルトもまともに閉められないので手伝ってやり、軽トラを走らせる。行き先はこの前の総合病院ではなく、近場の小さな病院の方だった。
その間もカレーちゃんは行動に思考がついていかず、うつろな目で外を見続けていた。既に頭の中は混濁していて、自分はどこに向かっているのかすら判別できないようだ。
アパート『メゾンドビヨンド』からそう遠くないところにある小さな病院『阿井宮病院』の駐車場に車を止めた。
カレーちゃんに肩を貸しながら降ろして一緒に病院に入る。この状態のカレーちゃんではまともに受け答えもできないとドリル子は思ったので、そのまま受付へ。待合室には5~6人の客が座っていて、いかにも重病めいたカレーちゃんの様子を見てぎょっとしていた。
受付をやっている年配の女性にドリル子は言う。
「この子がアルコール中毒やら腹痛やらでヤバいんですけれど診察お願いしますわ!」
「うう」
カレーちゃんのただならぬ様相に受付の女性は看護師を呼んで、
「すぐに先生に診せさせる準備をするように伝えて」
と、告げてから待合室にいる病院の常連とも言える、定期検診などでやってきた老人らに言う。
「すみませんけど、急患ですから順番先にしますけど大丈夫ですか?」
「おお、いいよいいよ。その子を早く見てやってくれ」
「私なんか毎日来とるし、急ぎじゃないから」
待合室の者たちも、見た目は少女で明らかにヤバそうな状態のカレーちゃんに順番を譲ることに異論は無いようだった。
すぐさま奥の診察室にドリル子と一緒に向かうカレーちゃん。
「カレーちゃん、顔色がゲーミングPCみたいになっていますわ……」
「あうあう」
診察室では五十歳前後ぐらいか、白髪でがっしりとした医者が待っていた。異様に目つきが鋭く、カレーちゃんはおどおどとして目を背ける。
「今日はどうされました?」
「……本人が喋れないようなので、わたくしが出来る限りは説明しますわ。同居もしてない友人ですから、多少わからないことが多いですけれど」
と、ドリル子は医者にこれまでの経緯を説明する。なんとなく腹痛があちこちから襲ってきたこと。病院に行くと血液検査で一部の数値に異常が見られたこと。軽い腸炎と診断されて整腸剤や漢方薬を渡されたこと。本人はどうやらそれで安心してまた酒を飲みまくっていたこと。
聞いた内容を医者は手元の紙にサラサラと簡潔に纏めていく。
「ではお腹を出してください」
「ほらカレーちゃん、帯をほどきますわよ」
「あうー」
そういえば前の病院では帯の上からつつかれたな、と思いながら、されるがままにドリル子から和服の帯を解かれる。
ぷにっとした油断した腹が露わになり、脇腹、下っ腹、背中などを医者が触る。指で押される度に内臓をDirectで触れられているような痛みが走り、よだれが口から溢れるほどだった。
「……肌の上からでもわかるぐらい腫れてますね。これ見逃したら医者じゃないです」
あのハゲめ。カレーちゃんは前の病院の医者を思った。まあ、その時から更に症状は悪化している可能性は高いが。
「エコー検査しますのでエコー室へどうぞ」
体内をスキャンされたら吸血ふくろとか見られないだろうか。あるのかどうか知らないけど。そんなことを思いながらカレーちゃんはお腹の中を調べられた。
なすがままにされながらカレーちゃんはこの期に及んで、
(なにも無いでくれ)
とか、
(なにかの間違いじゃった、別にこれといった治療は必要ないと言ってくれ)
などと考えていたのだ。もう遅い。
******
急性膵炎と胆石。その他アルコール依存症による臓器不全の兆候・精神障害。診察の結果はそれだった。
カレーちゃんは目付きの悪い医者の脅すような説明を呆けたように聞いていた。
とにかく胆石が胆嚢のみならず肝臓、膵臓にまで負担を掛けていて危険なこと。胆汁の成分が凝固して発生する胆石は胆管を通して各臓器に影響を及ぼし、激痛を走らせるのだ。しかもこのままだと血液系まで症状が広がり重症化すること。
早期に手術、そして入院が必要だと告げて予定を立てるように言われたがカレーちゃんはボケーッとしていたので、ドリル子さんが代わりに、
「どうせ彼女は仕事もしておりませんし、年金生活で暇してる子ですから今からでもいいですわ。着替えとか必要なものは取ってきますもの」
と、保護者めいて許可を出した。その日のうちに緊急手術である。腹を掻っ捌かれるなんてナチス以来だ。
カレーちゃんは現実味が無いような状況の進行に、やはりアルコールで脳をやられているので心がついていかない。
今からでも「嘘でしたー!」って誰か言わないかなと逃避している。
ストレッチャーに乗せられているカレーちゃんはどうしてこうなったのか、一応考えてみた。
どう考えても安酒をガボガボ毎日飲みまくって内臓と精神をセルフネグレストしまくっていたのが悪いのだが。
それを今更言っても、もう遅い。
いや、もうひょっとしたら医者から酒も今後永久に飲まないようにと止められるかもしれない。
カレーちゃんの場合何百年生きるか本人も知らないぐらいの寿命がある妖怪なのに、二度と酒が飲めない!
後悔に涙をしていると、カレーちゃんの脳内に語りかけてくる声があった。
『どうじゃ……これが最悪の未来じゃ……』
「こ、この声は?」
『儂は未来のカレーちゃん……過去の儂が後悔する人生を送らぬように、未来からようじゅちゅでビジョンを送ってきたのじゃ……決して同じ道を進まぬようにのう……』
「妖術な。儂そんな能力あったか? っていうかもう遅いわ! なに今更語りかけて来とるんじゃ!」
『安心するのじゃ……今の状況はいわば幻術……少し過去のお主が見ている夢のようなものじゃ……術を解けば、まだ内臓がマシな状態の過去に戻ることができる……まだ遅くないのじゃよ……』
「ほ、本当かえ?」
『その過去では決して膵臓などを壊さぬように……節制して生活するのじゃよ……それでは儂よ、未来を頼むぞ……!』
「うむ! 次は絶対に、医者の厄介になったりせんのじゃー!」
ストレッチャーの上でうわ言を呟いているカレーちゃんを見ながら不安げに医者はドリル子に聞いた。
「……なにを唱えているのですかな、この患者は」
「酒のやりすぎで幻覚でも見ているのではないかしら」
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「はっ……過去に……戻れた!?」
「意味はわかりませんけれど戻れてませんわよ」
病室で目覚めたカレーちゃんが起き抜けにそう言ったが、白けた声でドリル子が応える。
入院着を纏い点滴を腕に付けてベッドに寝かされているカレーちゃん。腹には包帯が巻かれているが、手術痕は既に塞がっている。大きく開腹して中の胆石を取り除くのではなく、小さく切った部分から内視鏡を差し込んで取り除く方法を取ったため、傷口も小さいし治りも早い。
カレーちゃんは目を見開きつつ、点滴の刺さっていない手を天井に向けて感慨深そうに呟く。
「恐ろしい未来じゃった……あのような結末にならぬように、今を生きる儂は自分を省みなくてはならぬのう」
「結末もクソも胆嚢を切除されましたわよ」
「とりあえず健康に気を使って、酒は控えて野菜たっぷりのカレー雑炊を食おう」
「膵臓炎が治るまで絶飲食ですわ」
「……」
「あと一応言っておきますけれど『お酒は控える』ってのは『控えめに飲むのはセーフ』って意味じゃありませんことよ」
「うだー!」
カレーちゃんが牙をむき出しにして唸った。
現実は変えられない。どうあってもカレーちゃんの体が飲酒によってボロボロになり手術まで受けてしまったことは取り返しがつかないことだ。今更夢だったにはできない。
パーティから追放した元仲間たちが酷い目に合うように、内臓をいじめ抜いたカレーちゃんは酷い目に合うのだ。
「大体なんじゃ! 儂は吸血鬼じゃぞ! ナイトウォーカー! ノーライフキング! なのに胆石で手術ってどういうことじゃ! 胆石になった吸血鬼っておるのか!?」
「そもそもカレーちゃんに吸血鬼要素が薄すぎてさっぱりそんな感じしませんもの。日向ぼっこするし。ニンニク食べるし。吸血鬼要素ありますの?」
「チュパカブラと会話できるのじゃ」
「チュパカブラと会話する吸血鬼も知りませんわよ……」
「吸血鬼……はっ」
カレーちゃんはふと思いついたように言う。
「そうじゃった。儂吸血鬼なんじゃから、生き血とか飲んだらなんか回復するのじゃ。たしか」
「そんな取ってつけたように」
「最近全然血とか飲まんでカレーばっかり飲んでるから回復力が落ちてたのじゃ」
「どれぐらい血を飲んでませんの?」
「うーん……60年ぐらい前は南米で牛や山羊の生き血をよく啜っておったが……その後、南米の怪奇系レスラー団体に『チュパカブラガール』としてショーに出されたときにパフォーマンスで相手レスラーの生き血を啜ったことが……日本に帰ってきて生レバーが売っておる頃はよく食べていたが、最近は全然……」
「もうカレーちゃん、南米の妖怪ですわよね経歴が」
普段は血の代用品としてカレーなどを摂取している。血とは水分、タンパク質、脂質、塩分が主な成分であり、カレーと似通っているため代用品になるのだ。
しかしながら本来は生き血を啜り、生命を得る恐るべき種族。幾ら代用品で命を永らえていたとしても、本来の血を飲まねば吸血鬼としての回復力は発揮されない──カレーちゃんの主張はそうなる。
「よしドリル子さん。血をおくれ。飲むから」
「嫌ですわよ。普通に」
露骨に渋面を作って断られた。
「友達じゃろ!?」
「友達に血をあげる習慣って日本で聞いたことありませんわ」
「儂の体を想って!」
「事故で怪我したとかなら同情しますけれど、カレーちゃんが内臓ぶっ壊したのって完全に自業自得ですわよね」
「うー!」
安易な方法で回復しようとするカレーちゃんを拒むドリル子。
生きるか死ぬかの状況ならまだしも、手術もひとまず終えて後は安静にしていればある程度治る体なのだ。もし血を飲んで全快するというのが本当でも与える意味はほぼ無い。
むしろあっさりそんな吸血で治ったら調子に乗ってまた酒を飲みだす可能性が高い。
「ま、とにかく一週間ぐらいは飲み食い禁止の点滴生活らしいですわ」
「なにー!? い、一週間も!? 飲み食いって……水もか!?」
「水も駄目みたいですわね。そんな状態で血液なんて飲ませたら医者から叩き出されますわよ。それじゃ、カレーちゃん。大人しく療養生活を送るのですわ。お暇でしたらノートパソコンでも持ってきますから執筆でもしたらどうかしら。作家なのだから」
「うぐー!」
こうしてカレーちゃんの膵炎治療のための入院生活が始まったが、最初の一週間がまさに地獄の苦しみだった。
腹痛は大分収まっているのだが、自律神経がアルコールでやられているために体が震える上に、夜になると酒を求めて口の中がよだれで溢れた。心臓がバクバクと鳴り、ちっとも眠たくならないまま朝方までまんじりともできずにベッドで転がり──しかも点滴で繋がれているのであまり動くこともできずに、拷問のようだと感じた。
二日目はとてつもない乾きが訪れた。一日目であれほど溢れたよだれは枯れ果てて、だというのに口は酒や水分を求めてチュパカブラめいた長い舌が口腔内でうねる。眠れなかった。膵炎は水を経口摂取したら膵臓が動き出してしまうので、炎症がよくなるまで膵臓の働きをなるべく押さえて自己治癒させる必要があるのだ。
三日目は眠気の限界から気絶しては目覚め、まどろみ、水を求めて呻いた。脱水症状にならないように点滴を打たれているから死ぬわけではないのに、カレーちゃんは己の体が砂漠になったかに感じた。なお水を飲まないようにトイレには近づけさせないため、管を差し込んで寝たまま排泄させられている。
四日目はドリル子の持ち込んできたノートパソコンで気を逸らそうとしていた。幸い院内はWi-Fiがつながるのでインターネットができる。Twitterに書き込みをした。
カレーちゃん@ Fランなろう作家 @currychang
入院なう。
酒で胆石になり胆嚢摘出。
膵臓ヤって絶飲食で一週間。
だから退院するまで現在連載中の小説の更新はナシです。
よし。入院にかこつけて、ネタが浮かばずに書いていなかった連載中のなろう小説を合法的に休む宣言。少し気が楽になった。
というか実際そもそも書いていられる状態ではない。
返信欄にコメントが多数つく。主にカレーちゃんが書いている小説の読者たちだ。
『いつかそうなると思っていました』
『死ぬ前に完結しろ(お体を一番に考えてご自愛ください)』
『もっと野菜食べたほうがいいですよ』
『なろう作家よく死ぬ』
『本当はSだが面倒くさいことになるのでD』
『あれ? 俺また臓器かヤっちゃいました?』
『なにって……ただ自堕落な生活をしたら肝臓が死んだだけだが?』
『胆嚢はこの体内から追放だ!』
コメント欄で大喜利が始まっていた。カレーちゃんは他人事だと思いやがってと恨めしそうにしながらページを閉じる。
またこの日、ノートパソコン以外にドリル子が持ち込んできたドリルを握らせて安心させようとしてくる。病室にドリルを持ち込んだことでしこたま叱られた。
五日目は嫌な汗が全身から吹き出てきた。喉は乾いているというのに汗は出まくる。看護師に二回、ドリル子に一回体を拭いてもらう。目を閉じても全然眠れずに、何度も時計を見ては「まだこれだけしか時間が経過しとらんのか……」と愕然とする。
六日目。痛みが再発してのたうち回る──気がしたが、検査の結果、幻痛だった。精神的なものだ。色々と限界が来たカレーちゃんは発狂しかけてパンツ一枚で歌い出したが、再びドリル子が持ち込んだドリルで心の平静を取り戻させようとしてきて、二人してまた叱られて泣いた。
そして七日目。
再検査をしてとうとう水を飲む許可が得た。
口を潤す程度の量の常温の水。カレーちゃんは泣いた。これほど美味い水を飲んだのはキリンの『ポストウォーター』が発売されたとき以来の感動だった。あれ大好物だったのになんで販売停止になったのじゃろう。
酒で体を壊して散々痛い目にあった挙げ句、絶飲食で拷問のように精神を責められての救いの水。
もう酒なんて要らない、水さえあればと思うには充分の味であったようだ。
それからも流動食を食べられるようになるまで暫く入院が続いた。カレーちゃんはほぼ無職であるものの、後期高齢者なので自己負担は1割で済むため支払いはどうにかなったが。
兎にも角にも自分の飲酒量をコントロールできないがために、地獄のような日々を送るハメになったのだ。
入院しながらカレーちゃんはパソコンでテキストファイルを起ち上げて文章を綴り始めた。
「なにを書いていますの?」
「うむ。儂はかなり酷い目にあったからのう。こんな辛い思いをする者を思いとどまらせるような酒の怖さをテーマにした小説でも書いて、一人でも救えればと思って」
これでもなろう作家である。一応は隙間産業的なマニアック系読者がついていて、メジャーになりきれない微妙な人気があったりもする。そんなカレーちゃんである。
彼女の小説家みたいな言葉にドリル子は感心したように言った。
「まあ……菩薩のように穏やかな目標ですわね。普段は歴史や神話を愚弄してるみたいな小説を書いているのに……」
「別に愚弄はしておらんぞ!?」
悪気は無いのだ。
「他の犠牲者を救わねば! みたいに思っていらっしゃるけれど、正直カレーちゃんみたいな紙パックの安焼酎をお腹痛くなるまで飲み続けるバカ酒飲みなんてなろう読者に居ますの?」
「居るじゃろ! 多分! 2~3人ぐらいは!」
想像である。それはともかく、カレーちゃんは真面目な目的で小説を書き始めたが、まあ恐らくはいつもどおりトンチキな内容になるだろう。
しかしながらそれでも。
『もう遅い』と言われる前に、引き返せる道を誰かが示してくれれば。
『追放だ!』と胆嚢を追い出す前に、お互いの事情を理解しあって慈しめば。
『今更』と後悔しなくてもいい未来があったかもしれない。
カレーちゃんは過去の自分を説き伏せるように、酒の怖さを記した小説を書くのであった。病院を追放され、体内から臓器を追放してしまった者として。ざまぁ系の被害者にして加害者。それでも、まだ遅くない。救われる道は残っていると信じて。
今日も彼女は書き続けている。
「投稿なのじゃー!」
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『胃切開居酒屋【飲む】』 作者:カレーちゃん
感想
パクリはヤバいって!
感想
タイトル見てから作者名余裕でした
感想
飲むな
感想
飲んどる場合かァーッ!
感想
お前が切ったのは胃じゃなくて胆嚢だろ
※この物語はフィクションです
評価をいただければカレーちゃんが喜びます!
カレーちゃんの別の話(連載)はこちら
https://ncode.syosetu.com/n0688gn/
「獣耳吸血鬼少女の売れないなろう作家が自作品を電子書籍にするようです」