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数年前、中学の同窓会があった。
私は1年から3年までずっと1組で、3年間同じ担任の先生だった。私の中学時代は人を笑かすのが大好きで、いつも冗談を言い、ふざけてばかりの調子のりだった。
将来は人を笑顔にする仕事がしたいので、吉本興業に行くのが夢だった。私は、吉本新喜劇にでる夢はまだ諦めていない。
高校生になっても吉本興業に行きたい夢は変わっていなかった。
高校の先生にも夢を伝えていた。高校でも相変わらず調子にのってふざけてばかりいた。
高校ではボクシング部に所属していた。ボクシング部の1つ上には、元世界チャンピオンの佐藤修さんがいた。練習でスパークリングをしていただいたことは、今では自慢話だが、当時はスパーリングは痛くて怖くて辛かった。
高校でも調子にのる性格のままだったので、どちらかと言うと悪い方の生徒だったと思う。
しかし、そんな私に対しても先生は当たり前だけど、ちゃんとしてくれた。
2年生の時、先生が吉本興業の養成所の申込用紙を見せてくれた。わざわざ私のために取り寄せてくれた。
「あと1年、卒業するまでコレは先生が預かっておく。」
今渡すと、私が学校を辞めてすぐに行くとわかっていたからだ。
しかし人生はいろんな出来事がある。
ちゃんと卒業して養成所に行くぞ!と
心に誓い、2年生の冬休みが終わってすぐ、修学旅行の出発日にあれがあった。
阪神淡路大震災だ。
私の住んでる所は、神戸市長田区。
被災地のど真ん中だった。
高校2年生の私は、あの日、あの瞬間、長田区の小さな家のベッドで寝ていた。
修学旅行の出発日だったので、起きていた。
だけど寒かったので布団からなかなか出れないでいた。ぼーっと壁に掛けてある時計を眺めていた。
その時、
ゴォーと音がし、眺めていた時計の下にあるテレビが宙に浮いた。
何が起こったかわからないが、怖くて布団に潜った。それから凄まじい揺れに襲われた。
20秒くらいは揺れていたと思う。
私は2階の部屋で弟と寝ていた。二段ベッドで私が下だ。
両親は一階で寝ていた。
揺れがおさまってすぐ、下の部屋から「大丈夫か?」とオヤジの声が聞こえた。
心臓がバクバクしていたが「大丈夫」と答えた。
私の家は瓦は全て落ちたが、家はなんとか無事だった。
家具は全てぐちゃぐちゃに倒れて、いろんなものが散乱していた。
今思えば、二段ベッドが無事だったのが不思議だ。
何が起こったかわからないまま一階に家族4人集まった。
オヤジはおばあちゃんの家を見にすぐに家を出た。
私も家から出て辺りを見渡した。しかし、辺りはまだ暗い上に煙のようなもので真っ白だった。
あの煙は、潰れた家や落ちた瓦の砂ぼこりだったのだと思う。
家の中にもどった。
そのうち、外で「大丈夫かぁ」とか「おーい」とか声が聞こえた。
薄明かるくなってから、近所の小学校に向かった。家から徒歩2分ほどでいける。体育館や運動場に人が集まっていた。
あの時の私はバカだったので、長田区だけに何かが起こったのだと思った。楽しみにしていた修学旅行に私だけおいていかれると思い、駅を目指して歩いた。
ほとんどの家が傾いたり、一階がなかった。国道2号線に到着したとき、上にあるはずの高速道路が落ちているのが見えた。
新長田駅に到着した。
階段を上がった所に改札があったはずだが、階段も改札もなくなりホームが崩れ落ちていた。
諦めて戻る時には、来た道が炎に包まれていた。
避難所や仮設住宅での生活も経験した。
その頃、父親は土木関係の仕事をしていたので多忙だった。震災で何もなくなった街を見て、私も早く働かないといけないと思った。
復興は早かった。どんどん元気になっていく神戸と同じように、私も高校3年生を元気に過ごした。
卒業前、母親に
「卒業したら、お父さんの仕事手伝ってくれへん?」
と言われた。
私は、「吉本の養成所に行きたい」と言えなかった。
養成所に行くのにもお金が必要だったから。
私は勉強が嫌いで、高校に高いお金を払わせて、通わせてもらったのに、養成所に行きたいなんて言えなかった。
だから、自分でお金をためてから養成所に行こうと思い、
「1年か2年だけな」
と返事した。
親父と私は、見た目も性格もよく似ていた。
似ていたので、よくケンカした。
お互い引かなかった。
半年ほどで私は家出をした。
家出をした時、生きていくために働かないと駄目なので、養成所を諦めた。
それから、笑顔とは関係のない仕事をした。
ただ 生きていくために働いた。
でも、ずっと夢は諦めないで心の中に閉まっていた。
私がカメラにハマってカメラマンになり、写真家を目指している理由は、カメラを構えると、笑顔でカメラを見てくれる。カメラを構えて少し冗談を言うと、すっごい笑顔をしてくれる。
そして、笑顔は写真として残せる。
写真を見て笑顔になる人もいる。
カメラは笑顔の量産機だ。
吉本に行きたかったのは、笑いが好きで、笑顔が好きだからだった。
私の夢を叶えてくれる魔法の機械だ。
話がそれたので話を戻そう。
同窓会には、中学3年間担任をしていただいた先生もきていた。昔は怖くてうるさいだけだったけど、当時の思い出話や近情報告などで大いに盛り上がった。
楽しい宴も終わり、店の前からタクシーで帰る先生を見送る。
その時、先生が私にメモを手渡してきた。
「この人の写真集1回見てみ」と。
メモには「土門拳 筑豊のこどもたち 」と書かれていた。
このメモが、鬼の話の始まりとなったのに気がついたのは数年後だった。
大きな拍手で音楽会は幕を閉じた。