部下と過ごす日々[9]
前回までのあらすじ
嫁を逃がさないことに成功した
以前犬を飼っていたと言うクローヴィスは、肉屋で買った牛肉の切れ端を、手際よく湯通ししてユエンに与えた。
「明日は塊肉を買って調理してやるから、これで我慢するんだぞ」
本当は肉の塊を買いたかったのだが、仕事終わりに立ち寄った肉屋は、ほとんどの商品が売り切れ ―― 食材を冷やして保管する冷蔵庫はあるが、まだ一般家庭には普及していないので、多くの家は「昼・夜・朝」の材料を昼食前に買い、あとは調理に時間を費やす。
仕事終わりのキースと部下が立ち寄っても、食材など残っている筈がなかった。
欲しかった肉の塊を買えなかった部下は「あーそうだったー」と小声で呟き ―― キースが肉の取り置きを依頼し、切れ端を驚くほどの安値で売ってもらい帰途についたのだ。
「楽しみだな、ユエン」
食べ終えたユエンの頭をそう言いながらキースが撫でてやると「きゅ~ん」と、軍用犬には相応しくない可愛らしい鳴き声がかえってきた。
「ほんと、軍用犬らしくないなあ、ユエン」
部下の言葉にキースは全面的に同意しかない。
ユエンを迎えた生活が始まってすぐにキースは、副官のアンデルから官舎訪問希望リストを渡された。
「クローヴィス少尉が引き取った犬を見たいそうです」
司令官の官舎に護衛任務をしているという形で住んでいるため、部下は勝手に友人や知人を招くさいには手続きが必要だった。
もっとも手続きといっても、氏名や年齢、職業などを書いた紙を副官に提出 ―― 部下がキースに提出してもよかったし、アンデルも「自分で渡したらどうだ」と言ったが、卒業してすぐの生真面目な部下は「間にしっかりと人を挟みたいので、ご面倒でしょうが、お願いします」と ――
こういう生真面目なところを大佐は気に入っているのだろう、そしてせっかく気に入っているのだから、その部分を潰してはいけないと「面倒ではないよ」とアンデルは引き受けた。
アンデルから渡されたリストに目を通したキースは、思わず言葉を漏らす。
「わたしの世代では考えられないことだがな」
そこには部下の同期と在学期間が被った先輩の名が八名ほど並んでいた。
もちろん全員男 ――
キースの世代では、将来を誓い合ったわけでもない男女が、片方の家を訪れるなどあり得なかった。
「わたしの世代ですと、なんの関係もない男女が名前を呼び合っているのも驚きですよ」
キースより十歳年上のアンデルの一言に、部下も仲間内からは「イヴ」と呼ばれ、部下も顔見知りの男たちの名前を気軽に呼んでいることに気付いた。
そしてこのリストに書かれている者たちのうち、何名が部下に気があるのか?
恋愛を否定する気はないが、さりとて応援する気にもなれない。
かつて自分が結婚しようと考えた相手とは、見合いや紹介ではなく恋愛だったのにも関わらず。
そのことに気付き、自分も歳を取ったなと ―― キースらしからぬ見誤りだった。
「わたしの世代も、それはなかったな。歳を感じるな、アンデル」
「大佐はわたしより十もお若いし独身なのですから、まだまだこっち側ではありませんよ」
そんな会話を交わしたあと、部下の希望を許可し ―― 休みの日、部下と仲間たちが庭でユエンをまじえて遊んでいるのが見えた。
二十代前半から後半の士官たちは、キースからみると子供たちばかりだが、あまり微笑ましさを感じられず ――
◆◇◆◇◆◇◆
犬を飼うと一言にいっても、用意しなくてはならないものが多数ある。
部下はそれらは払い下げ品で賄うつもりらしく、同輩や先輩たちの助言や配慮でほとんどのものを揃えてきた。
「待ってろよ、ユエン。新品を作ってやるからな」
ある日の休日、朝早くから部下は払い下げ品の犬用コートを解いていた。
「なにをする気だ?」
「ユエンに新しいコートを作ってやります」
ロスカネフの冬は厳しいので、冬場は犬もコートを着用する。
軍用犬はそれ以外でも防刃用に少し厚手のベストを普段から着用していることもあり、服を着ることに抵抗がない ―― 抵抗がない犬だけが軍用犬として訓練を受けることになる。
ユエンはその気性からまったく着衣を拒否しなかったので、適性ありとされてしまったのだ。
「犬用のコートを作れるのか?」
「作ったことはありませんが、完成品を分解すればあとは簡単です。祖父が仕立て屋で習ったので、スーツ一式なら作れます。燕尾服やドレスなんかはムリですが」
裁縫は得意なのですと笑う部下に、キースの昔の恋人が重なった。
―― あれは俺よりも裁縫が苦手だったし、なによりこんなに美しくはない。比べたら失礼だろう
「スーツまでとは凄いな」
かつての恋人のことを思い出したキースだが、そんなことはおくびにも出さずに話を続ける。
「お褒めに与り光栄です。特に子供の頃から小遣い稼ぎとしてやっていた、ネーム刺繍は大得意です。ユエンのコートにも、ちゃんとEwenって刺繍いれてやるからな」
「きゅ~ん! きゅ~ん!」
「可愛いな、ユエン」
笑いながらユエンの首をわしゃわしゃと撫でる部下 ――
「コーヒーを淹れる。お前も飲むか、クローヴィス」
「小官が淹れますが」
「お前はコート作りに専念しろ。それで飲むか?」
「はい! いただきます」
首元がフリルで飾られたパステルグリーンのブラウスと、マキシ丈の青いフレアスカートの私服だというのに敬礼した部下。
敬礼した軍人の側にいるときは、きっちりとしたお座りをしなくてはいけないことを学んでいるユエンはそれをみて、しっかりと座り直した。
その姿を見てなんとも微笑ましい気分になったキースは、
「さっさと作業を進めろ」
「はい!」
そう言いコーヒーを淹れるためにキッチンへと向かう。
普段、まったくと言ってよいほど使われないダイニングテーブルで作業を開始した部下を、コーヒーを飲みながら部下の作業を眺めていたキースだが、本人の申告通り非常に手際がよくすぐに布の裁断を終えた。
「あとはコレを縫い合わせるだけ」
「二着買ってきたのか。こっちはユエンには少し大きめではないか」
コーヒが入っているマグカップを持ちながら、分解されていない犬用コートを持ち上げると、ユエンが着るのには少々大きめに感じられた。
それと非常にぼろく ――
「そっちは廃棄品です」
こんな状態になる前に払い下げておけ! と言いたくなるような代物だった。
「だろうな。これで金取ってるなんぞ言ったら、今から備品担当者をぶん殴りにいく」
払い下げ品から得る収入は大事だが、限度というものがあり、これを売るのを許したとなれば ―― 最終決定者であるキース自身の名誉にも関わる。
「ひぃー。いや、あのこれはわたしが廃棄品だからと、ムリを言ってもらってきたものでして。金は払っておりません! 1カルフォたりとも払っておりません」
「ではどうして、こんなのを?」
「ちょっと手間をかけて繕えばなんとかなりそうですし、なにより大きいのをもらってきたのは、セーターを着せた上に羽織らせたいと思ったので」
「セーター? 犬用のか?」
「はい。コートを分解したパーツがありますので、それを元に編みます。これでも小官編み物も得意なので」
そう言って握り拳で胸元を叩くのだが、その仕草は自信があるというよりは「お任せあれ!」のほうが相応しそうな仕草。
「裁縫に編み物まで得意なのか」
「はい。こう見えても繊細な作業は得意なんですよ」
「繊細な作業が苦手なようには見えないが」
「そうですか? そう言っていただけて嬉しいです」
”閣下に褒められたよー” ”イヴ良かったね、きゅ~ん”とユエンを撫でている部下を見つめるキースの眼差しは、キース自身が思っている以上に甘いものであった。