表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

分我羅「者」?いえ「人」

作者: take 0

「分」「我」「羅」ときて「者」で何故か

全く進めなくなってしまいました。最初は

「者は物体のモノではなく、人間=者なの

です」で文章が続くハズだっのですが。

で、「ブンガラッダー」の宛字ならば、

その動詞形「ブンガラッド」で「分我羅

人」でも良かろうとしたら繋がりました!

「人」とは「生命の中でも人類ヒト科」に

属する生き物で、物理的な「肉」の観点も

含め、その主体は「心」にある。(行動を

決めるのは脊髄反射以外は大体が自分の

思考や嗜好や感情、知識で状況を判断した

結果、つまり是非はともあれ心が選択した

解によって動いている)

「人の心」とは?ここで「我=自の分」を

思い出すと、我々が心と思い込んでいる

ソレは「現時点における自の分」であり、

決して「素の」「ヒトの心」ではない。

なら「分我羅」の視点でいう「人の心」

とは?羅は世界との密なる関わり、我は

関わりにより創られる個人、そして分は

永遠無限にして不滅の「世界」から我が

羅の関係を持つ範囲を時空軸で切りわけた

一部、つまり「分我羅」に染まる前の心

こそ「素の心」なのだ。それは「分我羅」

以前、永遠無限にして不滅の世界そのもの

の心だろう。確かに世界自体には心のモト

となる感覚も感情も生命も無いが、ならば

「在りよう」と解釈して考える。世界とは

時間と空間から「間」を外した「時と空」

なのだ。宇宙が消滅しても、そこに新たな

空がある、時は必ず流れている。そんな

存在の「在りよう=心の在り方」。私達の

心は源流に登れば「永久無限にして不滅の

在る」なのだ。

「在る」「ここ=現在に在り、そこ=過去と

永劫の未来に在り続ける」この世界に存在

する者として、まずは「無」ではなく、

「在る」を自身の心の基礎としてみよう。

何のこっちゃネン?だ~から「消えたり、

無くしたり、壊したり」そんなイメージは

全部アナタの「分我羅」の負の要素が思い

込ませているモノで、我々の本性は「永久

不滅の在る=自の分を容認する=自棄(ヤケ

)にならない」というコト。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] あらためて思いましたが、『分我』という表現は意義深いとおもいます。
2019/12/17 22:33 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ