6.貴殿の胃は儂が守る!
俺が天界へやってきてから80年目。
「甘い! 戦闘中に一々考え事をするな! 無意識で最善を選べるように反復が大事だ、鍛錬を少しでもサボれば身に付くものも身に付かんぞ!!」
「ぐぅ……はい!」
なんだか最近、メルイテンス様の鍛錬が以前までより激しく厳しい。
「ふぅむ……クロ、ここを見よ」
「はい」
「数ミリ歪んでおるじゃろ? 地上の職人ならばこれでも許されるかも知れんが、お前は儂の弟子みたいなもんじゃ。儂の弟子にそれが許されると思うか?」
「……思いません」
「うむ。鍛冶場も工房もいつでも空けておる、素材も好きに使うがええ。じゃが、いくら使えるからと無駄に造るだけでは素材に失礼じゃ。分かるな?」
「……はい!」
エソボンデス様も最近なんだか厳しくなってきた。前は褒めてくれていたのに、パッと見じゃ分からない細かい所まで指摘されてしまう。
「……違う。そこは前に教えた」
「え? えっと……錬金術の≪分解≫の魔法陣、ですよね……?」
「そうじゃない……陣のここに、歪みがある……」
「え、でもちゃんと発動して……」
「完璧じゃない……やり直し」
「は、はい……」
なんだろう? エルミネンタス様まで厳しくなってるぞ?
「それでは、今までに教えた植物に関して……そうですね。ミラルバ地方特有の植物を五十種類挙げて下さい」
「ええっ?」
一つの地方でそんなに特有の植物なんてあった!? 比較的優しいフェイファラリア様まで厳しくなってる!
これは一体どういう事なんだろうか……いや、別にそれが嫌だというわけではない。厳しく指導してくれているという事は、自分の技術を余す所なく俺に教えてくれようとしている事の証明に他ならないのだから、むしろ嬉しく思う。
だが、今まで俺に指導して下さる神々はどちらかと言えばかなり優しく指導して下さっていた。それが急になんで……厳しいには厳しいが、むしろそれ以上に指導する側の焦りみたいなものを感じている。
まるで優しく指導していたが、自分の知識を俺に身に着けさせるには間に合わないから一気に厳しくするしかなくなったみたいな……いや、流石に考えすぎか。
地上行きを視野に入れ始めたと言っても、まだ行く日が決まったわけでもないし直ぐに行くというわけでもないしな。
あと、最近なんだか神々が俺を抜きにしてこそこそと集会を開いていらっしゃるようなのだ。
最初は気付かなかったんだが、最近地上に連れて行くのがいつもハルフィ様ばかりだし……何より違和感を感じたのが、ハルフィ様がいつもより女性に粉を掛けず俺にばかり話しかけて気を引こうとしているのだ。怪しいことこの上ない。
そこで俺に秘密にしていることがあるのかと鎌をかけてみたら、ハルフィ様が慌てていたので間違いないだろう。
まあ、俺一人だけ人間なので神々の集会から俺が省かれたからって何かを思う事はないのだが……神々は優しいからな。俺がのけ者にされたと気にしないように気を遣って下さったのかな。
それはそれで嬉しいが、俺は別に気にしないのに。
そして神々を労わる時間が激減した。
というのも、指導して下さる方々が厳しくなると同じくして遊びに誘われる回数が爆増したのである。
酒盛りなんて3日に1回はしている気がするし、2日のうち1日は地上に連れて行かれる。お茶会なんて毎日である。
……うん。どうしたの!?
み、皆様、遊びに飢えてらっしゃったのかな……。
む? そうか! ならば次の神々への感謝を思い付いたぞ! 早速エソボンデス様の工房をお借りして色々造ろう!!
◇◆◇◆◇
日本からミリトリアへとやってきたアマテラスは、未だかつてないほどの不機嫌さを持って周囲に威圧とも呼べるオーラを放っていた。
もちろん日本だけでなく北欧の神々等も一緒に来ているのだが、他の神々もアマテラスと同じくあまり機嫌が良いとはとても言えない様子である。
一人、後方でツクヨミだけが脂汗をかきながら胃を押さえていた。
アマテラスはまだ良い。だが弟であるスサノオが問題であった。
今回は土産としてではなく、武器として持ち込んだ天叢雲剣を肩に掛け周囲に威圧を放ちまくっている。下手をすると、自分の意見が通らなければ暴れまわるだろう。
無論、そんな事をすれば世界間の神々の戦争に発展しかねない。そうなれば下手をするとどちらかの世界が消滅するまで争う事もありうる。
これを自分が止めなければいけないのか……と、ツクヨミは自分の胃の終わりを悟った。
「……ようこそいらっしゃいました」
戦場に赴くような面立ちで現れた地球の神々を迎え、こちらも決戦に赴くかのような表情で告げ、エストリアスは地球の面々に席を薦める。
ミリトリアの神々は既に着席しており、席を薦められた地球の神々が静かに座った。
「して……妾達を呼び出した内容だが、誠か?」
静かな始まり、口火を切ったのはアマテラス。エストリアスはそれに答えるように頷く。
「ええ。クロが……いよいよ地上行きを考え始めました」
「思い違いではあるまいな?」
「はい。クロがここ数十年、精力的に私達の仕事の効率化や労いに動いていますので……間違いはないかと」
「……ふむ」
「俺は反対だぞ! んなことしたら俺達が黒に会えなくなっちまう!」
「無礼だぞ、座れ須佐之男!」
席から立ちあがったスサノオを即座に抑え込むツクヨミ。
「ぐ……!」
相手は最高神である。アマテラスの弟神といえど、スサノオとツクヨミは立場的には下だ。出だしから暴走気味の弟にツクヨミは眩暈がする思いだった。
「元々、黒の魂を譲渡した時の条件だったからな……顔だけで判断されぬ人生をやり直す。それに否はない」
いくら不機嫌であろうと、普段は厄介なツンデレであろうとも、そこは最高神である。アマテラスには分別もあるし、簡単に契約をなかった事にしたりもしない。
無論、気に入った人間に会えなくなるという寂しさはあるが……クロ本人にも決して素直に言わないだろうが。
「まあ、待て」
そこに厳かな男の声が響く。
「親父?」
トールが今声に出したように、トールの父神でもある北欧の最高神であるオーディンであった。
「そもそも、儂等はクロの魂の譲渡に関わっておらんのだが? アマテラスが知らぬ間に勝手に契約をしておっただけでのう……」
「何を言う、オーディンよ。黒は日本人なのだから妾の裁量で構わぬだろうが? そも、妾が先に黒を見守っておったのに、黒の信心が心地よいからと後から湧いて出ただけであろうに」
「そのような言い方はないだろう……儂等とてクロを気に入っておるのは同じなのだ」
「では何が言いたい?」
「なに……エストリアス殿よ」
顎髭をいじりながら、ちらりと勿体ぶったようにエストリアスを見るオーディン。
「……なんでしょう?」
「条件は一つでなければならんか? アマテラスだけでなく、儂からも条件を付け足したいと思うのだが……」
「それは……」
エストリアスは思わず言い淀む。
ミリトリアは神々と人々の繋がりがあり、神が地上に関わる事もある為に信心は全て存在する神に絞られる。
しかし地球はそうではない。かの神々は、概念がそのまま神になったようなものなのだ。
地球は神が人間に関わったりはしない。それは魔物という驚異がなく、種族も人間のみということもあるだろうが……問題はそこではない。
概念が神と化すというのはどういうことかと言えば、神々がかなり多様化しているということだ。現に最高神が1柱のミリトリアと違い、複数の最高神が存在している。
その中で条件を付け足すことを許容すれば、際限なく条件を付け足されクロの魂を譲り受けること自体が無効になりかねない。
「なに、儂も馬鹿ではない。貴女の危惧するところも分かるつもりだ」
「……では?」
「地球の神の数だけ条件を増やしたりなどと、子供の理屈のような事は言わんよ。恐らく殆どの者が納得する条件……いや、提案があるのだが、どうだろう?」
オーディンの言葉にしばし顎に手を当てて考えてから、悪くないと思ったのかエストリアスもうなずいた。
「……仰ってみて下さい」
「それでは――まず前提としてなのだが、儂等地球の神は概念や自然との結びつきが強く地球を離れられん。現にこの世界に来ているのも、分体……アマテラスの国の言葉で言えば写し身だ。この世界で分かりやすく言うと、遠くから操っておるゴーレムと言った所か?」
「それは以前に聞いた事がありますね」
「うむ。しかし、この分体も手間でな……こちらに遊びに来る度に創り直すのは疲れるのだ。どうだろう? 儂等の分体をこちらに住まわせてもらえないだろうか? 無論、普段は地球でやる事もある為、分体を休止する間に置いておく場所をもらえるだけでもありがたいのだが……」
「……別世界の神をこちらの天界に、ですか……」
少し考えた後で、エストリアスは自分の中での考えが纏まったのか逆にこちらから質問を投げ掛ける。
「提案、と仰るのであればそれに対してこちらからの条件を付けも?」
「構わん。分体がこちらにあればクロが地上に行っても、この世界の天界からなら儂等も様子を見る事が可能になる――条件を付けられたとて誰も否とは言わんだろうさ」
「それでは、こちらの世界に住むに当たって守って頂きたい事は2つ。ミリトリアの生命に干渉しない、つまり勝手に傷付けない事。次に、信心が分散しないようにこちらの世界で神と名乗らない事です。……いかがですか?」
「うむ、そこはむしろ世界間の最低限の礼儀でもあるだろうな。無論、破ったりはしないし納得もするとも」
そこで契約は本決まりと見たのか、エストリアスとオーディンは固く握手をした。
「ほう……戦争馬鹿にしては良い提案をするではないか」
「君は本当に口が悪いな……言ったではないか? 儂等だってクロには会いたいし、もっと様子を見たいのだ。たまにしか遊びに来られない今は不満なのだよ」
「それに関しては相違ない」
そこで話は一段落、今後地球の神々が分体を置く為にどうするかを雑談を交えながらお茶会と言っていい雰囲気で語り出す。
オーディンは分体とは言えこれからもクロの近くにいられると上機嫌で、アマテラスもオーディンのファインプレーに気分は上々。地球の面々に関しては概ね機嫌が直る提案だったようだ。
そして、アマテラスと口喧嘩のような応酬をしながらも今後を考えてかどこか楽しそうなオーディンを見つめる者がいた。
「オーディン様……!」
今や自分の姉であり自国の最高神でもあるアマテラス以上に他国の最高神を崇め始めたのは、自分の胃痛を軽やかに回避してくれたオーディンを救世主の如くキラキラとした目で見つめるツクヨミであった。