魔の時代、終わる
世界を震わせるような哄笑が、耳を痛めつけてくる。
「ははははははっ!! 愚か! 愚か愚か愚かッ!! 貴様らは俺を倒そうなどと考えていたのか!!」
「なにがおかしい!!」
魂を押さえ付けるような声に精一杯抗い、声を張り上げる。
その声が仲間達を奮い立たせると信じ、剣を握る。
「おかしくはないさ、勇者よ。どれだけの大望だろうと、野望だろうと勝手に抱くがいい! だが、それが可能かどうかはよく確かめるべきだったなぁ! はっはっはっはっはっ!!」
体を折り曲げ、笑い続ける宿敵。
否、今まで自分が宿敵だと思っていた魔なる者の王――『魔王』の言葉に背筋が凍り付く。
「まさか、そんなバカなことがあるか……! オレたちは正しき神の光を手に入れた! 魔なるものを討ち滅ぼすに足る力を手に入れた!」
そう、長い修練の果て、数多の犠牲を刻み込んだ旅を経て、世界に仇なす魔なる者たちを倒せる力を得た。その力によって、魔王の配下たちは悉く打ち倒した。
あとは魔王本人だけ――仲間達は勝利を確信していた。
「それが勘違いだといっているんだ。バカが」
それがあっさりと否定された。
最初は強がりだと思った。
しかし、今の魔王の姿を見て、自分たちの見込みが間違っていたことを本能が断定している。
あの存在には勝てない。勝てるようにはできていない。
それこそが世界の摂理だと、自分を構成するあらゆるものが叫んでいる。
「貴様らは、ただ俺を楽しませるためだけに命を永らえた。今この瞬間、絶望に満ちた顔を俺に見せるためだけになぁっ!!」
魔王の声と共に、世界が軋む。
玉座の間の天井が吹き飛び、血の色の空が姿を見せた。
その空に、黒い点が浮かんでいる。
その一点に向かって、世界すべてが吸い込まれようとしていた。
「さあ、抗って見せろ! 万が一、億が一、俺を滅ぼせるかもしれないぞ!!」
魔王の声に応えたのは、仲間のひとりである魔法使いだった。
彼女は絶叫を上げながら、自分の身体を触媒とした極大魔法を放とうとする。
「あああああああああああっ!!」
片腕、片脚、身体が光の粒となって消えていく。
この戦いが終わったら、故郷に戻って魔法の学校を開きたいと言ってた。
「くそったれが!」
次に攻撃を始めたのは、旅の途中までは勇者と敵対していた盗賊王の末裔だった。
彼は身体に巻き付けた爆薬に火を付け、魔法へと肉薄する。
「死に晒せ、クソ野郎」
その身体が吹き飛び、炎となった身体は空へと吸い込まれていく。魔王の身体に傷ひとつ付けることなく、ただ魔法使いの目眩ましとなった。
「行くぞ」
寡黙な騎士が盾を構えて走り出す。
その背を守るように神官が走り、守りの魔法を騎士へと幾重に掛ける。
だが、魔王がひとつ指を鳴らすと、一条の黒い光が走り騎士の盾に命中する。
ちっぽけな光は、しかし騎士の盾に掛けられた神魔法を容易く貫き、騎士と神官の命を纏めて奪った。
その身体がふわりと浮き上がり、空へと吸い込まれる。
勇者。
ほんの数分前までその名に恥じない覚悟と勇気を持っていたはずの青年は、ただ絶望の眼で宿敵を見詰めるしかなかった。
「なんだ、貴様はかかってこないのか。掛かってこないと、そこの魔法使いが無駄死にするぞ」
魔王が指差した先で、魔法使いは胸から上と片腕だけが残った姿で魔王を睨み据えていた。
極大魔法はもうすぐ放たれる。
世界へと与えるダメージがあまりにも強いため、使用が禁じられていると彼は聞かされていた。
それだけの魔法ならば、或いは魔王に一矢報いることができるかもしれない。
彼はその可能性だけにすべてを掛け、叫び声を上げながら魔王へと躍りかかった。
「いいぞ、いいぞ勇者! やはり勇者と呼ばれる者との戦いは楽しいな! 連中はいつも俺のことだけを考えてくれる! 俺のためだけに生きてくれる!」
「違う! お前のためじゃない! 世界のすべての人々のためだ!!」
「――ほう? どこの世界だって?」
数多の祝福と加護が付与された剣を素手で掴みながら、魔王はぐるりと周囲へと視線を巡らせる。
「どこに、世界がある?」
「それは……」
魔王と同じように、いつの間にか消え去った壁の向こうにあるはずの世界を見る。
だが、そこにはなにもなかった。
「え……?」
あるのは、漆黒の中空に浮かぶ魔王の城と赤い空だけ。
ここまで歩んできたはずの世界は、もうそこにはなかった。
「なにを守るんだって?」
魔王の言葉に、そして今自分が知った絶望に、声が溢れた。
「うあああああああああああっ!!」
ただ、感情のままに剣を叩き付ける。
なにもかもが消え去った世界で、ただひとつの可能性を信じて剣を振るう。
この光景が目の前の魔王のせいならば、この魔王さえ倒せば世界を取り戻せるかもしれない。
「下がって!!」
背後から聞こえる魔法使いの声に、一気に飛び退る。
魔王の身体を光の奔流が飲み込んでいく様子を、床に突き刺した剣を支えにすることで見届ける。
背後を振り返れば、魔法使いの姿はもうなかった。
文字通りに、自分の存在のすべてを用いた魔法だったのだ。
彼は唯一残ったことへの憤りを押さえ込み、魔王がいるはずの場所を睨む。
「なるほど、今回の勇者達はこんな感じか」
聞こえてきた声に、力が抜けた。
「もう終わりか、つまらないなぁおい」
粉塵の中に見えた姿に、心が砕けた。
「まあ、楽しかったよ。それじゃあ、ご苦労さん」
ひらひらと友人にでも手を振るようにして、魔王は世界のすべてを飲み干した。
そしてまた、彼は旅立つ。
新たに、自分が楽しめる世界へ。