アルギスのお届け物
アルギスは高級宿屋で夜が来るのを心待ちにしていた。テーブルの上に、袋詰したパンと魔法瓶と魔法マグを用意して。
「ウフフ」
「……顔のしまりが無くなってるわよぉ」
慌てて顔を触って、表情を改めるアルギスに、肩をすくめる南の魔女。
一応護衛として、南の魔女が傍に控えているのだが、その顔には呆れてますとはっきり書かれていた。
南の魔女はアイテムポーチから魔法瓶とパンの袋を取り出し、少し迷った末にクリームパンを一つ取り出してパンの袋をアイテムポーチに戻した。
「ん、おいしい。はぁ、お茶もほっとするわぁ」
「いいんですか?寝る前に食べたら太るって」
「一個だけよぉ。寝る前にちょっと運動するから問題ないのぉ!」
「はいはい。さ、もういいかな。では念話」
『兄上〜、今よろしいですか?』
嬉々としてやんごとなきお方と念話を始めるアルギス。そして、簡易転送陣を使って、アマーリエからもらったパンなどを兄に届ける。魔法瓶の使い方など色々話して念話を終える。
『兄上、寝る前に食べると太るそうですから、朝や日中に食べてくださいね!では、おやすみなさい』
『ああ、おやすみ。良い夢を、アルギス』
アルギスと念話を終えたやんごとなきお方。届いたものを隠し扉を開けてアイテムボックスの中へ隠していく。
そして、そのまま機嫌よく眠りについたのである。
翌朝。いつものように侍従達に支度を手伝わせると、おもむろに宣う。
「今日は私室で朝食をとる。一人で食事が取れるよう準備いたせ」
「」
「給仕はいらぬ」
「……畏まりました」
やんごとなきお方の言葉に、すぐさま、私室での朝食の用意を始める侍従達。すべて用意すると、静かに待機室へと下がった。
侍従達の気配が消えたところで、やんごとなきお方は私室の扉を開けて、夜番の護衛騎士二人を部屋に招き入れる。狼人のヴォルグと竜人のドラコはやんごとなきお方が信頼する数少ない騎士である。
「どうしたんです?陛下」
「食べて良いぞ」
テーブルに用意された、量だけは多い朝食を指差してやんごとなきお方が宣う。
「え!いいんですか!いただきます!」
「おい駄狼、何が頂きますだ。それは陛下の朝食だろう。陛下?」
椅子を勝手に持ってきて、早速食べ始める同僚に苦言を呈したドラコは、仕える方の真意を尋ねる。
「ドラコ、構わん。我は食べたい物があるから代わりに食べてくれ。残すと侍医達がうるさいからな」
そういって、魔法マグと空いているパン皿にクロワッサンを取り出して置く、やんごとなきお方。
「それは?」
「宰相補には内緒だぞ」
「陛下〜、これ温い〜」
へちょりと耳を倒し、すでに食べ始めていたヴォルグが文句を言う。ドラコの方は呆れて手で顔を覆う。
「ああ、我の食事は毒味やなんやで冷めるからな。しばし待て、【いと小さき炎】」
やんごとなきお方はスープの中身を温め直してやる。かつて、弟ごと冷遇されていた時期に覚えた、生活魔法である。
「内緒はよろしいのですが、それ、かなり気になります」
ドラコは席に付きながら、やんごとなきお方の手元にある魔法マグに視線を向ける。
「王国より手に入れた。新しい魔道具だ。中身は貝を使ったスープだ。うん、うまい」
「陛下〜、そのパン、バターのいいにおいがする〜。美味しそう、一口!」
「……仕方ない。まだあるから一つやる。ドラコは?」
「では、遠慮なく」
クロワッサンを袋から取り出し、それぞれに手渡すやんごとなきお方。口止め料である。
「んん!」
サクッとした歯ざわりの後にバターの風味で口内が満たされ、耳と尻尾をピンと立てるヴォルグ。
「!これは……」
ドラコの方は目を細め、ゆっくりとクロワッサンを咀嚼し堪能する。
「初めて食べる食感であるな。なんとも贅沢な気分になる」
「陛下もう一個!」
「はぁ、あと一人一個ずつしかないからな」
袋に残った三個のクロワッサンを分ける、なんだかんだ公平な、やんごとなきお方であった。
「……もうない。もっと食べたい」
「ないからな」
そう言って、からの紙袋を逆さに振るやんごとなきお方。それを見てがっくりするヴォルグを置いて、ドラコはやんごとなきお方に質問する。
「この不思議な器は?」
「ファウランド王国バルシュティン辺境伯領からだ」
「では、速やかに情報を調達してまいります」
「任せた」
「で、パンの方は?」
「それも辺境伯領からだ。バルシュのパン屋モルシェンで手に入る」
弟からの情報を端的に話すやんごとなきお方。それに一つ、力強く頷き、立ち上がるドラコ。
「では、休暇願いをだします」
「「は?」」
「直接買ってまいります」
「いや、あのな?レシピは商業ギルドで手に入るらしい。此方のパン屋で焼かせればよかろう」
「元になるパンがなければ再現させられませんので、休みます!では、朝番と交代してまいります。休暇届に署名をお願いしますね!御前失礼」
「「……」」
かつてないほど、やる気オーラに満ち満ちた竜人をポカーンと見送った、やんごとなきお方と同僚であった。
執務室でインテリ眼鏡の宰相補に、護衛騎士の長期休暇理由を聞かれ、恋の季節が来たのだろうと逃げを打ち、部下の恋を応援してる暇があったら早く跡継ぎを作れとせっつかれ、藪蛇をだしたやんごとなきお方であった。
一ヶ月後の領都のアマーリエの実家のパン屋では。
「今日の惣菜パンは何だ?女将」
「あら、いらっしゃい。毎日飽きずに通い詰めですねぇ。領都には他にも美味しいものありますよ?」
「いや。まずここを制覇してからだ」
「そうですか?今日はカツサンドですよ。豚の肩肉を衣をつけて油で揚げて、特製ソースを付けて、うちの最高のパンに挟んでありますよ」
「あるだけ!」
「まぁ、駄目ですよ!お一人様二個までです!他のお客様も心待ちにしてるんですから」
「うう。わかった。あとは、そのシュークリームと……」
一月ほど通い詰めで、パンやお菓子を大量に買っていく竜人の話で持ちきりになったとさ。