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「シルフィー、顔を上げよ」

 国王様の許可が下りてようやく顔を上げる。まだだいぶ距離はあるけれど近づいたことによって薄ぼんやり判断できるようになった国王様の顔は水を与えすぎた翌日の植物みたいに歪んでいた。


 なぜか、はこの場に呼ばれた時点である程度予想できている。

 何を言われても受け入れるつもりでここへ来たのだ。私はそれだけのことをしたのだから。


 ◇◇◇

 ことの始まりは4代前の王家へとさかのぼる。

 その代の王子は今までの王子達と同じように成人の儀と同時に決められた婚約者と婚姻を結んだ。二人の仲は特別にいいというわけでもなければ、悪いというわけでもない。幼い頃から行事のたびに顔合わせをしていたものの、互いを深く知ろうともしない、ただ互いに国のため、家のために結んだ婚姻だった。けれど二人は同じ時を過ごすごとに次第に惹かれ合うようになった。

 国を良くするために日夜国政に励む国王。そんな国王に王妃は惹かれ、そしていつも側で支えてくれる王妃に国王は惹かれていったのだ。

 初めは嫁いできてくれた相手の顔を潰さないためにと第一子が生まれるまでは側妃を取らないと頑なに拒んでいた国王であったが、次第に理由はただ彼女だけを愛しているからという理由へと変わっていった。臣下や国民、はたまた国外からやってきたものたちも口を揃えて国王は愛妻家だと言った。それほどまでに彼らの夫婦仲は良かったのだ。

 昼は二人で書斎に篭って書類の処理に励み、謁見を申し入れたものの対応をし、そしてどんなに辺境の地でも国のために足を運んだ。夜は必ず同じ部屋へと戻っていった。それが王宮であってもそうでなくても必ず。

 だが、国王が40になっても一向に世継ぎは生まれなかった。

 これではいくら国王が拒否したとしても側妃をあてがうしかないと臣下たちの大半が思ったことだった。だがどうやって国王を説得するか。それに頭を悩ませていると一つの報告が城内を駆け抜けた。

『ついに王妃様が世継ぎを身篭った』――と。

 臣下の大半はそれを喜んで他の臣下や自分の使用人たちへと聞かせて回った。


 これで世継ぎは出来たのだと。


 一部ではもう何年も前から王妃を生家へ返せばいいという意見も出ていたのだ。それは王家としては当たり前のことで、今までだって世継ぎが出来ないからと家に戻されていった令嬢の例はいくつもあった。

 けれどそうしなかったのは、国王と多くの臣下、特に枢機委員会の約半数がそれを拒否していたからだ。


 国民からの好感度は?

 他国の王族からはどう思われている?

 ここ数年の成果は?


 口々にそれらしい理由を並べていたが、皆一様に国王と王妃の人柄に惚れていたからであった。

 そして吉報にあの二人の仲を引き裂くことはしなくてもいいのだと胸をなでおろした。



 数ヶ月後に無事、元気な男の子が生まれた。立派な王子になるぞと代わる代わる臣下たちは王妃と生まれたばかりの王子の元へと足を運んだ。部屋には笑顔が溢れて、そして伝染していった。

 誰もがそこにある幸せを噛み締めていた時に悲劇は起こった。

 王妃様が突然の高熱を出したのだ。すぐに駆けつけた王宮医師はそれを流行病であると国王に告げた。そしてその治療方法が未だにわかっていないことも。

 それはスクスクと元気に育っている王子の初めての誕生日を祝う前のことだった。

 感染の危険があるとすぐに王妃は王子と引き離され、王宮医師の熱心な看病も虚しく、発覚から1週と経たずに息を引き取った。


 王妃は最後に国王に手を伸ばし『私だけを愛して』と一生で一度のわがままを残してこの世を去っていった。


 愛妻家として今でも語り継がれているその時の国王は三日三晩泣き明かしたらしい。

 だが一部の貴族はそれを好機ととらえ、ここぞとばかりに自分の娘や姪を次期王妃や側妃としてあてがった。

 初めこそ断っていた国王であったがやがて臣下に押し切られる形で1人の女性を後妻として娶った。

 亡くなった王妃に似た優しい女性だった。

 国王様に寄り添うようにして隣に立った女性は初めこそ頻繁に国民に顔を見せたものの、数年もすれば建国祭にすら顔を見せなくなったという。

 国民の間では病に罹ったのだとか実は他に愛した男がいてその相手と駆け落ちしたのだとか様々な憶測が飛び交った。

 だがその事実は闇の中。

 真相は当時の国王と限られたものしか知らず、その時のことは後世の王族ですら知らないという。

 ただ確かな事実として残されているのは、その後世継ぎが産まれることはなかったということだけだった。



 残された王子は幼い頃に母親を亡くしているからか家族というものを人一倍強く欲した。

 6歳の誕生日に国王から紹介された女の子である婚約者を深く愛し、彼女と共に幸せな家庭を、そして国を作ることを望んだ。

 18で結婚できる歳になると、すぐさま婚約者と婚姻を結び、正式な家族となった。

 国王は幸せに満ちた王子の姿に、沈んでいた心を強く保つようになった。そして代々王妃の部屋としてあてがわれる部屋を彼女に与えた。隣の、国王の部屋は息子に譲り、幸せになるようにと告げ、自分は他の部屋へと移っていった。

 王子と王子妃は結婚前も結婚後も変わらず仲睦まじく暮らした。だが一向に子どもを身ごもることはなかった。

 そして結婚してから三年が経とうとしたある日、王子妃は急に具合を悪くした。

 はじめに彼女の異変に気づいたのは国王だった。

 顔色が悪いと指摘すると、王子妃は気にしないでくれと笑顔で突っぱねた。その頃、王子妃はいつも上級貴族や家から早く世継ぎを産むように急き立てられていて気が休まることはなかった。だから国王は彼女がストレスを感じて疲れているだけだとあまり深くは追求しなかった。ただ王子妃に無理はしないで休むようにとだけ告げて彼女の元を後にした。

 その数ヶ月後、王子妃の懐妊がわかった。国王も王子もそのことをたいそう喜んだ。その後、何度か王子妃が体調を崩すことはあったが数日休めば回復をしたため、誰も特に気を止めなかった。

 そして新しい世継ぎが産まれた。

 少し身体は小さいが、産声は立派なものだった。元気な男の子を抱いて、王子妃は嬉しそうに笑った。

 その数日後、王子はあることに気がついた。王子妃の唇がぶどうのように紫色に染まっていたのだ。王子妃はそれを「少し身体が冷えただけだ」といい、「一足先に寝室に戻りますね」と告げた王子妃は王子の元を去ると子どもを使用人に託して部屋にこもった。心配になった王子が王子妃の部屋を訪ねて部屋の扉をノックしたものの返事はなく、眠っているのだと思った王子はその場を去った。


 次の朝、使用人が王子妃を起こしに行くとそこには冷たくなった王子妃の姿があった。使用人はすぐに宮廷医師を呼んだものの、もう遅く、彼女は息を引き取っていた。

 王子は自分を責めた。

 彼女に苦労をかけてしまったのは自分であると。

 そんな王子の肩に手を乗せ国王は王子妃の亡くなった原因は何かと宮廷医師や研究者に調べさせた。過去に妻を病で亡くしていた国王は王子の辛さを誰よりもわかっていた。そして息子の大事な人を亡くした原因を不明で終わらせるわけにはいかないと詳しく調べさせた。

 五年にも渡る歳月をかけて導き出された答えはやはり何も変わらず『原因不明の死』だった。

 既存のどの病とも合致しなかったのだ。

 王子が最後に見た、王子妃の紫色に染まった唇。これがどうしてもわからなかったのだ。


 悲しみで気が狂った王子はそのことを告げられても言葉を返すことはなかった。


 その後、王子の姿は国民の前に一度も現れることはなかった。


 国王が40を超えて数年が経つと国民に王子の死が告げられた。

 二代続けて、王妃が病死をしたことに気味が悪いと声を上げたものもいたものの、はっきりとした理由がわからずたまたまだということで処理された。


 そして今いるたった1人の王子を城の中に閉じ込めるようにして大切に育てた。学園にも通わせず、周りの全てから隠すようにして育った王子は嫁を娶れる歳になった途端に何人もの女を当てがわれた。

 もうその時には国王は60を超えていて、いつ倒れてもおかしくなかった。国王はただ一人残されてしまう王子に一刻も早く妻を娶って欲しかったのだ。

 王子は家庭教師から教えられることしか知らなかったが、よく言えば非常に真面目で優しい性格で女達はそんな王子を慕っていた。王子も国のためと夜な夜な離宮で待つ女達の元を巡った。

 そしてそれからしばらくして1人の女が身ごもっていることが判明した。するとその女を妃として迎え入れ、国を挙げて新しい王子の誕生を祝福した。

 その後も、そして国王に即位してからも王妃となった女はもちろんのこと、他の女たちの元へも通い続けたが他に子どもができることはなかった。


 残された王子はまた先代と同じようにたくさんの女をあてがわれた。

 そして初めての女を娶ってから5年が経ち、1人の女は男の子と女の子の双子を産み、命を落とした。

 寵愛を一身に受ける女を嫉妬に狂った側妃が胸をナイフで一突きしたのだった。

 女を大切にしていた国王達は女の死をひどく嘆き、幼い頃から自分を世話してきた腰の曲がった乳母とこの世でたった一人の愛する姫以外の女性をひどく拒否するようになった。


 子どもはその唯一の信頼を置く乳母に任せ、代々王妃が使っていた部屋を子どもたちの部屋とした。子どもたちの部屋からおもちゃやベッドを持ってきては彼らが過ごしやすいように変えていった。

 だが、その2年後に双子とその乳母はとある病を患った。

 原因は全くわからず、王宮お抱えの医師たちさえお手上げ状態だった。

 そんな中、姫君だけが奇跡的に一命を取り留めた。

 だが世継ぎを失ったことに大層国は混乱した。


 また1人になってしまった――と。



 そして国王は今度こそもう立ち直ることはできなかった。

 謁見でさえ随分と距離を取り、つい立てをしてやっと話が聞けるくらいなもので、とてもではないが次の子どもは期待できなかった。

 そして姫の成人を迎えた日、自ら命を絶ったのだった。


 そして残された姫君は1人の男を夫として迎え、子を成した。元気な男の子だった。王子が歩けるようになるとすぐに王妃は2人目の子を腹に宿した。それでやっと負の連鎖は終わるのだと誰もがそう思っていた。

 だが王妃は望まれた2人目の子を産み落とすことはなかった。毒を多く含むものを口にしたのだ。王妃を診察した医師は確かにそれは毒であると断定したが、それが何の毒なのかも、王妃がどこから摂取したかもわからなかった。口にした王妃自身にも全く身に覚えがなかった。

 ただ血液から検出された結果だけがそれが毒であると証明するものとなった。

 なんとか一命はとりとめた王妃であったが、腹の子は流れてしまった。そして間も無くしてもう子どもは出来ないと医師から宣告を受けた。


 そしてその子どもが現王子だ。

 もう十数年が経った今も何故毒物が王妃の身体に入ったのかはわからず、一部の間ではある噂がたつようになった。


 王家に入る女は呪われるのだ、と。

 だがそれでも地位に目が眩んだ貴族は我こそはと娘を差し出すことをやめなかった。


 血縁を重んじる国でたった1人の王家の血筋を持った子ども。


 王妃と国王は今までのように王子に女をたくさんあてがうことも考えたがそれでは何も改善されまいと縋る思いで国王と王妃は占い師に王子の未来を占わせたのだ。

 占い師の出した答えは簡単なものだった。

 王子が学園で出会う少女と結婚すればいい。たったそれだけだった。後は今までのことを含めてその少女が全てを解決してくれると占い師は告げた。


 王宮のなかでもそのことを知っているものは数人だ。

 そのことを知っている者たちはだれも占いなんかを信じて……なんて呆れられるはずもなかった。


 **

 私はあの日、王子の仮初めの婚約者に選ばれた日にこの事実を告げられた。

 占い師の出した運命の相手の特徴も。王家の現状も。何もかもを知っているのだ。


 だから私は王子に伝えるべきだったのだ。


『あなたの気持ちはお受けできません』

 そう一言伝えるだけでよかったのに。


 王子が知らないことをいいことに私はそれを怠ったのだ。


「なぜ呼ばれたか、わかっておるな?」


 頭の先から降り注ぐ、国王様の声に身体を震わせた。覚悟は決めていたはずなのに、いざ声を聞くとそれは無残にも崩れ落ちた。いつ罰を下されるのかもわからず、ただ怯えることしかできないのだ。固まる私に国王様は言葉を続けた。


「先日わしの元へ王子がやってきた。来週のパーティーを中止するようにと頭を下げた。つい先日まではたいそう乗り気であったというのに……」

「…………」

 ああ、王子は宣言通り私を選んだのだ。

 いっときの感情を優先した。

 私のせいで。

 顔を上げてはいるものの、視線は下がる。タイルの隙間に入り込んでしまいそうなくらい熱心に地面を見つめる。

 いっそのこと本当に入って仕舞えばいいのに……。

 汚れひとつ許さないこの空間にいることが申し訳なくなる。


「別におぬしを責めているわけではあるまい。ただ……」

 私が萎縮しているのをかわいそうに感じたのか、国王様は優しい声をかけた。それはまるで植物園の、私が育てる毒草とは真逆の位置で育てられている綿花の実のように柔らかい。だがその気遣いがより私の首を締め付ける。ゆっくりと、けれど確実に酸素を奪っていくのだ。


「お主からの報告では『運命の相手』の特徴に合致する生徒が複数人、王子の元に現れたと聞く。ならばなぜ彼はその中から選ばなかったのだ?」

 国王様が口にするのは疑問。

 国王様は私を責めはしないのだと少しだけ気が軽くなる。けれどそれはほんの少しだけ。

 国王様が向ける疑問は子どもが親になぜ空は青いのかと聞くのと同じように純粋で、けれど向けられた側は困ってしまうもの。


 なんと答えればいいのだろう?

 王子が私に向けてくれた言葉を説明すればいいの?

 いや、それはできない。

 それを言うのは私が国王様、ひいては国を裏切ってしまったことを自白することになってしまうから。


 そんなことをすれば少しの間の、『運命の相手』が現れるまでの繋ぎにすらなる機会を失ってしまう。


 王子はそれまでの間、私にまやかしの愛を向けてくれる。

 それを台無しにしてしまうことだけはできなかった。


「シルフィー」

「彼女たちは皆、逃げ出したのです」

 だから言った。事実を。

 嘘はついていない。国王様に嘘を吐くなんて重罪だから。言っていないことはあるけれど……。


 運命の相手候補の少女たちは皆、口を揃えて私を『悪役令嬢』と呼んだこと。

 私がほんの少しだけ彼女たちの邪魔をしたこと。

 そして私が王子に好意を寄せていて、王子もまた私を好意的に思ってくれていること。


 これを告げたらきっと私はお役御免になってしまうから。だから余計なことは言わない。


「そう……か……」

 力が抜けたように椅子に身体を預ける国王様。その姿に心が痛む。国王様を欺く私は彼女たちが言ったように悪役令嬢なのだろうか。


 私が悪役であることを望んだ少女たちが居なくなった途端に私利私欲のために悪役になってしまった私はひどく滑稽に思えた。


「今日のところは下がってよい。また手紙を送ろう」

「失礼いたします」

 国王様は弱々しくそう告げて下がっていった。彼の目には私は写っていない。賢王と名高い国王様はすでに頭の中で次の方法を模索していることだろう。


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