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「シルフィー=ロクサーヌ、ただ今参上いたしました」
重く閉ざされたドア。私よりもはるかに背の高いがっしりとした体格のいい衛兵が二人。着慣れていないドレスの端をちょこんとつまみ、膝を少しだけ曲げてから頭をペコリと下げる。
「お待ちしておりました」
私から見て右側に立つ男はそれだけ告げドアに手をかける。それを見て、左の男も遅れて真似をする。
ドアが完全に開け放たれると中央の玉座に深く腰掛ける初老の男が一人。彼こそがこの国の国王、ルークス=シルファニア様だ。
前を見据え背筋を伸ばす。王子に何度も言われた『女性らしさ』というものを意識しながらいつもの半分くらいの歩幅で歩きだす。着慣れていないドレスにプラスしてヒールなんかを履いているせいかどうも歩きづらいし、なかなか前に進まない。縮まらない国王様との距離にイラつきつつも表情は変えずに歩き続ける。
ゆっくり、ゆっくり。
確実に近づいてはいる。もともとドアから玉座へは距離があるのだ。
誰も急かしはしない。
ゆっくり、ゆっくりと。
厳かに。女性らしく。
玉座に上る段へ残すところ数メートルまで近づいてから立ち止まり、先ほど衛兵たちに向けたのと同じように挨拶をする。違うのは先ほどよりもお辞儀が深いこと。そしていいと言われるまで頭をあげないこと。
これが正しいのかと聞かれれば、答えに詰まってしまうのだがそこは多めに見てほしい。なんせ当家は地位自体そんなに高くはない。普通ならば私のような者はよっぽどのことをしない限り死ぬまでこんな近距離で国王様の顔を見ることもない。
それでも以前、一度だけ謁見を許されたときは幼少期の、王子との婚約を結ぶ数日前の意思確認で一度しただけ。それ以外は謁見というよりは食事会や夜会、お茶会などでお会いしたためここまでかしこまったことなど一度もない。
唯一ともいえる謁見は幼少期の、お父様の後ろに隠れながらぺこりと頭を下げただけの、子どもだからこそ許される無礼な態度だったからカウントはしない。
その他に何かあったときは使者の方に手紙を渡して届けてもらった。一か月ほど前に国王様から薦められた見合いの話も留学先の確認についても送られた手紙に書かれていたことだった。
だから私は礼儀作法はてんでなっていなくても手紙を書くのはきっとどこかの公爵家のご子息よりも慣れているといっても過言ではないほどまでになった。おかげでその経験は学校に提出する論文を書く際に少しだけ役に立っていたりする。
お父様もお母様も礼儀作法を私に習わせなかったわけではない。学園に通うほかにも何人もの家庭教師をつけてくれて、その中にはもちろん礼儀作法を教えてくれる先生もいたのだ。それをしっかりと身につけなかったのは私が王子の仮初の婚約者だから、という理由で真面目に受けてこなかったからだ。王子への気持ちを理解してからは、受けることすら馬鹿らしくなって逃げ出した。
その結果がこのありさま。
マナーは身につかなかった代わりに、必要に駆られて身につけた目上の人に対する手紙の書き方と鍛えられた逃げ足の速さが身についた。
今になってもう少し真面目に取り組んでも良かったのではないかなんて思ってももう遅い。それに『家庭教師から逃げた』という過去があるからこそ今の私がある。
あの逃げた日々があったこそ私は植物園へたどり着けた。
毒草に興味が持てた。
そして『毒草』という、打ち込めるものがあったからこそ悪役令嬢と呼ばれるような人にならずに済んだ。
◇ ◇ ◇
私は家庭教師、特にマナーの勉強が嫌で嫌で仕方がなくて逃げ出した。それはもう窓から家庭教師の顔を見た途端に逃げ出すほどには。
けれども自分だけで行ける場所なんて限られていて、たどり着いたのは植物園だった。
国の保有する学園の敷地内にあることから安全性ならどこよりも保証されていたし、何より居場所がわかるということから父も家庭教師もいつしか私を探さなくなった。そしてその家庭教師は私に指導することをやめ、妹たちへの教育を続けた。
それが申し訳なくて、あとで謝りに行くと
「お嬢様はやりたいことをおやりになるときが一番輝いているのです。私たち教師はお嬢様たちが輝いている姿を見るのが一番の幸せなのです」
といつも逃げてばかりの私に微笑みかけてくれた。
それが嬉しくて私は植物園に居座り続けた。時たまに王子が私の様子を見に来ては好物のマカロンを持ってきてくれることが嬉しくて、という理由もあるけれど。
いつの間にか私の中に合った、「動植物のことがもっと知りたい」という願望は少しずつ変化していった。
初めは植物園にある、綺麗な色の花々にひかれた。入ってすぐに目について、誰もを魅了するその姿に私も魅了された。温度管理がきっちりとされており、枯れることのないその花を見上げて首が痛くなったこともあった。
けれど次第に私の興味の対象は変わった。
植物園の奥の、ビニールで囲まれた小屋の中にある草。
そこは鍵がかかっていて私では入ることが出来なかった。ずっとビニールを隔ててみていた。入り口にある花とは違って華やかではなくて、形は違うのに色は同じ。何回見に来ても変わることのない見た目。それでも楽しかった。見ていれば時間を忘れられた。
ある日、いつもはかけてある鍵が床に落っこちていて警備員さんに届けてあげようとそれを拾った。
届けるつもりだった……。けれど、いつもはビニールを隔ててしか見ることのできなかったそれらをもっと近くで見ることが出来ると思うと私は足を進めていた。手には南京錠。そして手汗でびっしょりと湿っていた。
ビニールを抜けるとそこには一面の緑。色は少しずつ違って、濃かったり薄かったり。所々に違う色を潜ませていた草もあった。
ビニールで隔たれている時ではわからなかったこと。手を伸ばして触れてみたかった。私を魅了するものを。
触れて、私はそこで意識を失った。
目覚めた時に目に入ったのはお父様の顔。額には何かの跡が曲線で残っていて。それを告げるよりも早くお父様は私を抱きしめた。
「よかった、よかった」
何度も繰り返しては私の肩を涙で濡らした。私はどうすればいいのかわからなくてお父様を受け入れていると、ドアからはお母さまもやって来て、お父様と同じように私を抱きしめた。
それが私の初めての毒草との出会いだった。
そして私はその日を境に『毒草』に興味を持つようになった。
お父様に頼み込んで毒草の世話をさせてもらうことにした。初めは難色を示したがいずれしぶしぶ許可をしてくれた。
そして小さな声で言った。
「お前は『毒』に関わる運命なのだな」--と。
お父様の言葉の意味はその時はよくわからなかった。
けれど私は毒草に触れるよりも前に『毒』というものに2度ほど侵されていた。
あの日が初めてではなかったのだ。
一度目は食事に毒を盛られた時。
こんな地位の高くもない貴族に毒なんて盛ったって仕方がないのに、何を思ったのかどこかの貴族に指示された使用人が私の皿に毒を盛ったのだ。
幸い毒を盛られていたのは私の皿だけで、指示されていた使用人もとい間者は入れる直前に少しだけ良心が痛んだらしく量はごく少量だった。
おかげで私は一晩微熱を出しただけで済んだ。
そして二度目は王子との初めての顔合わせ前。
初めて来た大きなお城の長い廊下に落ちていた袋を拾った。お父様に教えようとしてもお父様はとても緊張していたようで額にはびっしょりと汗をかいていたし、私の手をにぎる手もつるっと滑ってしまいそうなほどにびっしょりと濡れていた。
「お父さま、大丈夫?」
「あ、ああ。だ、大丈夫、大丈夫。怖くない、大丈夫……………………」
初めは確かに私に返事をしたものだったけれど、途中からお父様は自分に言い聞かせるような言葉を続け、次第にその声は小さくなって私の耳には届かなくなっていた。お父様の手を握る手とは反対の手で袋を持ちながら、後ででいいや、そう思い足を進めた。
「こちらでお待ちください」
案内された部屋でお父様は一番手前の席に腰の前で止まって、糸でも切れたみたいにポスっと椅子に落ちて行った。それに続いて私もお父様の隣に行って椅子の上に落ちる。私の屋敷の椅子とちょっと違って身体が少し浮き上がった。それが楽しくて拾った袋を前で抱えて何度もはねた。
跳ねて遊んでいるとだんだん目の前に見えるものが少なくなっていった。その代わりに目の前は徐々に白へと変わっていく。
「待たせたな」
誰かの声が聞こえた時、すでに私の頭はふわふわしていて、目の前が白一色へと染まりそうになっていた。意識を手放し、自分も白の一部になってしまいそうになった時、目の前には綺麗な髪をした男の子がいた。金色の絹のような髪を持つ男の子の口はかすかに動いていたけれど、何を言っているのかは分からなかった。そしてその男の子が王子だとわかった今でも教えてはくれない。
それが私と王子の出会い。
期間の決まった、仮初めの婚約者だからって思っていたけれど、今思い返せば初めて会ったときにはすでに惹かれていたのかもしれない。
だがそんなことは関係ない。
私は仮初めの婚約者で、王子と会う前に既に国王様との約束は交わしていた。
もう取り消すことなんてできはしない。
そうそれがもう何年も経っていて、王子が私を愛していると言ってくれていても。