サウナバトル
定期短編小説第三弾。
コメディなので気軽に読んでおくれやす。
――サウナバトル。
それはサウナを利用する者ならば、暗黙とも言える戦い。
ルールは至ってシンプル。サウナに入り、最後まで残っていた者が勝者となる。
サウナに入るタイミングは自由。逃げるも自由。だが、サウナを出た瞬間、敗者となってしまう。
サウナを好む人間にとって、他人より長くサウナに入ろうとするのは、己との戦いでもある。健康のため? ダイエットのため? いいや、そんな綺麗事じゃない。サウナバトルは脱水症状もありえる危険な戦いだ。
なのになぜ、彼らはサウナバトルに挑み続けるのか。その答えも至ってシンプル。
彼らにとってサウナとは、己のテリトリーだからだ。
「……ああ、やっぱ久しぶりのサウナは気持ちーな」
仕事上がりに立ち寄ったサウナにて。サウナ歴三年の佐々木は、数週間ぶりのサウナを堪能していた。
ここ最近は、帰りも遅く、唯一の趣味であるサウナに通うことが出来なかった。
しかし、今日は珍しく定時に仕事が片付き、こうして久しぶりのリラックスタイムを味わっているのである。
佐々木は貸出のタオルで額に流れる汗を拭う。
「ここ最近は食生活も崩れてたし、今日はいっちょ過去最高記録に挑戦しますか!」
サウナ愛好者は、誰しも自身のサウナ滞在の最高記録を持っている。佐々木の過去の最高記録は、二十二分四十五秒だ。
それにしても、と佐々木は六畳ほどのサウナルームを見渡す。
ここのサウナはオフィスビルが周囲に密集していることもあり、佐々木が通い始めた頃は、毎日会社帰りらしきサウナ愛好者が集っていたのだが。
どういうわけか、今日は佐々木一人だけである。
まあ、そういう日もあるか。せっかくのプライベートサウナ状態だ、今を楽しもう。
タオルを首から下げ、ゆっくりと腕を胸の前で組む。これが佐々木のサウナスタイルである。
さあ、今日はどこまでタイムを伸ばせるか。
自分自身との戦いのゴングが頭の中で鳴る――。
と、その瞬間。
「よお、兄ちゃん。見ない顔だな」
その声に顔を上げれば、そこには二つのタオルを両肩から下げた男が立っていた。
「……どうも」
佐々木が渋面で返す。
せっかくのプライベートサウナを邪魔された気分だ。
「へへ、ここ失礼するぜ」
あろうことか、新しく入ってきた男は、佐々木の後ろに腰掛けた。背中にただならぬプレッシャーを感じる。
――この男、出来る。
「兄ちゃん、ここのサウナは初めてか?」
「いえ……。会社が近くにあるので、よく通っていたのですが、ここ最近は仕事が忙しくて……」
「ほう、そいつは大変だな。ま、俺は最近ここに通い始めた者だけど、ちとよろしくな」
「……はい」
サウナは孤高の男の場所だ。おしゃべりな男は好まない佐々木にとって、この男はあまり好印象ではなかった。
佐々木は改めて神経を集中させ、サウナに挑む。汗が滝のように流れ出し、足を伝って床に染みを作っては、すぐに蒸発する。
やがて佐々木がサウナルームに入ってから、十分が経過する頃。背後の男が「なあ、兄ちゃん」と涼しげな声を掛けてきた。
「このサウナ、人が少ないと思わないか?」
「……ええ。そう言われると、確かに少ないですね」
話しかけるな。そう言いたい佐々木だが、男と同じことを思っていたため、つい同意してしまう。
「へっへっへ。そりゃそうだろうな」
下卑た男の笑い声。
佐々木は首を傾げる。何がおかしいんだ?
「ここの常連客は、もうこのサウナには来ねえよ」
「……なんだって?」
佐々木が振り返る。男は口元を歪ませて笑う。
「ここのサウナ愛好者は、俺にサウナバトルを挑んで負けた。サウナバトルに負けた人間は、二度と同じサウナには入れない。そりゃそうだろうよ、自分より長くサウナに入れる奴と一緒にサウナに入るのなんて、惨めだしなぁ!」
「……まさか」
「そのまさかさ。俺はここのサウナ愛好者、全員にサウナバトルで勝った。残すは兄ちゃんだけだ」
なんてことだ。佐々木がいない内に、そんなことになっていたとは。
あのサウナでプリンを食べていた、『プリンアラモード吉田』や、サウナで筋トレをしていた『マッスル村田』、サウナ歴五十五年の『サウナ仙人、武藤(75)』までもが、この男に負けたというわけか!
サウナを愛する仲間達の顔を思い浮かべる佐々木。
悔しい。ギリっと奥歯を噛み締める。
「どうする? 兄ちゃん、この場で負けを認めるのなら、時間帯をずらして、ここのサウナを使用することを認めてやるぜ?」
「……ぬかせ」
佐々木は立ち上がり、背後の男を睨みつける。
「貴様のような男に、神聖なるサウナに入る資格はない! いいだろう、勝負だ」
「威勢がいいな、兄ちゃん。このサウナのように暑苦しい若者だぜ。いいぜ、勝負だ! ただし――」
男は肩に下げたタオルを額に巻いた。これは、まさか……。
「俺は手加減のできねえ男だからな。本気で挑ませてもらうぜ?」
――ハチマキスタイル。サウナ愛好者では、王道のスタイルだ。
タオルをハチマキのように額に巻くことで、額から流れる汗を瞬時に吸収させる。ただし、このスタイルには一つの欠点が存在する。それは……。
「ハチマキスタイルか……。初心者なら誰しも通る道だが、残念だったな。ハチマキスタイルは、額の汗を拭うことが出来る反面、男のプライベートポジション、つまりはチンチンを隠すことは出来なくなってしまうぞ!」
サウナは裸の付き合いではあるが、最低限のマナーとしてチンチンを隠す。その理由として、自分のチンチンと他人のチンチンのサイズが気になってしまい、サウナに集中できなくなってしまうからである。
事実、佐々木も汗を拭う以外は、タオルを腰に巻いている。
ハチマキスタイルをすれば、チンチンを隠すタオルがなくなってしまうのである。
佐々木の指摘に、男は不敵な笑みを浮かべる。
「この俺が、そんな初歩的なミスを犯すと思うか? よく見てみろよ、兄ちゃん」
「何?」
佐々木が男の肩を見る。そこにはもう一つタオルがあった。……まさか。
「貴様、二刀流の使い手か! ……お前、もしかして」
佐々木は思い出していた。あの噂を。
サウナ愛好者ならば、一度は聞いたことのある名前。
――タオル二刀流の男。
通常、タオルは一つしか持たない。だが、稀にタオルを二つ使用する強者がいる。
佐々木はただの噂だと思っていた。二つもタオルを何に使うのだと。
そんな男は存在しない……そう思っていた。
「お前、まさか『二刀流の宮本』か!」
「ほほう。俺のことを知っているとは嬉しいぜ」
目の前に伝説の男がいる。もしかしたら勝てないかもしれない。
だが、佐々木はやらねばならないと思った。
なぜなら、俺はサウナが好きだから。
「よし、勝負だ宮本! 俺は絶対にお前より後にサウナから出てやる!」
「吠え面かくなよ、兄ちゃん。へっへっへ」
こうしてサウナバトルが幕を開けた。
そして月日は流れた。
「ねえねえ、そのサウナバトルは結局どうなったの?」
眩しい日差しが照らす縁側で、少年が祖父の袖を引っ張る。
「そうじゃのう。それはそれは、凄まじいサウナバトルじゃったのう」
「で、で? どっちが勝ったの? 宮本? それとも佐々木?」
「勝ったのは――」
「お昼、出来ましたよー」
背後の台所から聞こえてくる少年の母親の声。
祖父は「ふむ」とすっかり白くなった髭を撫でる。
「続きはお昼を食べてからじゃな」
「ええー!」
不満そうな孫の声。
「まあまあ。ほら、手を洗って来なさい」
「むう。じゃあ、ゴハン食べたら聞かせてよね!」
「おお、約束じゃ」
少年が手を洗いに走り出していく。その後ろ姿を見送った祖父は、「勝負の結果、か」と天を仰いだ。
「あの時のサウナバトルには、勝ち負け以上の価値があったよな、宮本」
笑った佐々木の笑顔は、あの日のサウナと同じような輝きがあった。