Mystery and Black
ロザリアが窮地に陥っている頃、一人の死神が“死ノ城”の監獄を訪れていた。
彼は檻の側の椅子に腰掛けて本を読んでいる。それを十五分ほど前から睨むように見ていたアスモデウスはとうとう我慢出来なくなって「あのなあんた!」と声を発した。
「ん? なんだ? 腹でも減ったか」
「違う。一つ訊かせてもらうが、何しに来たんだ」
「暇潰し」
「ひまつぶし?」
これは新手の嫌がらせだろうか。こちとら何もない檻の中で死ぬほど暇を持て余しているのだが。
「本が読みたきゃ図書館行けよ」
「あ」
「何その『思いつかなかった』みたいな反応っ! ていうか何でわざわざここに持ってくるんだよ!? 自室で読め!」
なんだろう……この手のかかる子供感は。あれ、でも明らかこいつの方が外見からして俺より年上だよな。それとも死神って、みんなこう……なんかズレてんのか?
「まあでもここの殺風景さは俺よりお前の方がお似合いかもな。部屋も頭がおかしくなるくらい何もかも真っ黒みたいだし」
部屋が真っ黒な死神と聞いたら一人しか思い浮かばないだろう。まず、黒に対する執着が半端ない。
それにしてもこいつ、本なんか読むのか。帝王学とか? あ、もしやファンタジー系? やっべえ想像しただけで腹痛え。よし、訊いてやろう。
「ビスマスさーん、何の本読んでんすかー? ラノベっすかー?」
「…………」
え!? マジでラノベ!? やめてくれさっきから笑い堪えすぎて腹筋痛えのにこのままじゃ肋骨折れるわ!
「ふっ……え、えと? 意外な趣味デスね」
「……ジャンルが分からん。見てくれ」
「へ?」
真顔のまま本を寄越してきた。なんだてっきりラノベ読んでたのを見破られたと思ったのにつまんねえ。さぞ良いネタに出来そうだったのに。
とりあえず表紙を見たりめくったりしてみたがどこにもジャンルは書かれていない。
「アルファ・ランドールなんて変わった名前だな。てか、これタイトル何だよ。『機械虫パラポネラ』? わけわかんねえ」
「作者が変わった奴なんだろうな」
話題が尽きたと思った時、「ギルバートはどうなった?」とアスモデウスが切り出す。
「魂、狩れたのか?」
「ああ、だがアルネが少々取り乱してしまってな。あいつには無理だと思ってたから俺がやったよ」
「取り乱したって、あの主席死神が?」
「殺された自分の兄と重ねたんだよ」
「兄……えっと確かデスプレイグとかいう名の」
「そう」
そこからビスマスは考え込むような仕草をした後、思い出したように手を打った。
「そうだそういえば――デスプレイグを殺したの、俺なんだよ」
「は……え? はあ!?」
こいつ今さらりと何て言った!?
我に返ったアスモデウスが問い詰める前にビスマスは語りだす。
「哀れな奴だったよ。俺に敵うわけがないのに。アルネは可愛げがあったがあいつは――つまらなかった。毒の剣で貫かれても悲鳴すらあげない」
「何でそんなこと……」
狼狽えた様子のアスモデウスをビスマスは凝視していたがやがて笑い出した。
「なに笑ってんだよ!」
「だって……くくっ……悪魔がそんな反応するなよ。こんなことお前らは平気だろうが。言っとくが、ギルバートのよりははるかに軽いと思うぞ。少なくとも手足引き千切ったり内臓持ってくようなことはしてないからな」
思いの外黙り込んだアスモデウスを見てビスマスはようやく笑うのをやめた。
「俺が殺したってこと、アルネは知らないがな。あいつは今でも可愛い後輩のままだよ。無知でいてくれた方が可愛げがある。俺より知りすぎるなんて生意気だからさ、そうなったらあいつも殺すつもりだよ」
「お前、何なんだよ……」
「引いてるのか? おかしいな、これでは悪魔の方がまともに見える」
「うるせえな! だいたいお前、気味悪いんだよ! もう少し他の奴みたいに普通にしてくれた方が助かるのに摑みどころなさすぎて気持ち悪い!」
「そりゃ、褒め言葉をどうも」
「あんたは異常だな」
「ああ。だが俺みたいなのは人間でもいるだろう。そうだな、今日人間界の街で見た女は偶然事故を目撃してな。試しにそいつの心を読んでみたら……まあ、よほど日常に退屈してたのだろう。『残念だった』だそうだ。それが果たして『事故を目撃したこと』なのか、それともどうしてもっと近くでよく見れなか――」
「もういい。気分が悪いから帰れ」
「……はいはい。じゃあ何かあったらアルネにでも言え」
「待て」
部屋を出て行きかけたビスマスをアスモデウスは呼び戻す。
「あのロザリアという子――」
「可愛いだろう。飼い慣らそうと思ってな」
「…………」
「あの小ネズミがどうかしたか? まあお前に少女愛好の気質があるか知らんが襲うのはやめておけ。捕まって速攻狩られるのがオチだ。あ、ちなみに狩るのは俺だが」
「あのな、いつから俺は少女愛好者になったんだ? てかあんたが狩るのかよ!」
「当然だ。人間だってペットを傷つけられたら怒るだろうが。だが最近はどうも飼い主の方がペットをサンドバッグにしている事例が多いのは何故だ? 人間の風習か何かか?」
「い、いや知らん。てかそれより! あんたに訊きたかったのはあの子は……」
彼はそこで言い淀む。ビスマスは僅かに首を傾げて言葉を待っている。
「……何だっけ。割と重要なこと訊こうとしてた気がするんだが」
「そうか、思い出したら言ってくれ。俺はやることがあるので」
「あ」
ビスマスはそれ以上返答を待たずに部屋を出て後ろ手で扉を閉めると薄く笑い、長い廊下を歩き始めた。
――本当はアスモデウスが何を訊こうとしていたのかはとうに分かっていた。
「鋭いなぁ」
能力故、なのだろう。悪魔は死神が気づかないようなことをいとも簡単に見破ってしまう。『あの術』が彼らに効かなかったのが最大の理由だった。面倒な仕組みだ。
「ロザリア……気配がしないということはこの城にはいないな。おおかたトワルとかいう悪魔のガキにでもそそのかされたか。まあいい」
どうせすぐに見つかるだろう。子供を探すことなど星の数を数えるのと同じくらい容易い。
*
「さて……」
自室に戻るとビスマスは机の上に置かれたチラシを手に取る。上の方に『我らの救世主』と書かれており、その下には教祖と思われる人間。
これは暇つぶしに人間界の東京という場所に行ってみた時、何らかの宗教団体関係者から渡された物だった。明らかに洗脳されたようなあの信者共の様子からも分かるように邪教の類なのだろう。
桐生嗣巷という人間は表向きはごく普通のビジネスマンで、宗教を作ったのはただの暇潰しだったと聞く。本業である程度は稼げるのだから彼にとってはその程度なのだろう。多くの信者を精神錯乱させたり狂わせたりしたのもこの教祖にとっては所詮『暇潰し』にすぎない。
ようやく写真の下に書かれた彼の名である『桐生嗣巷』という文字に目がいく。なにせ『救世主』で『メシア』と読ませる日本独特の手法に注意をひきつけられていたせいで名前まで認識していなかった。
「『キリュウツツジ』と読むのか。宗教時の改名でもなくこれで本名とは……」
幼少期は自分の名前の画数が多くて書くのが面倒くさかっただろうなどとどうでもいいことを考えた後、ふと思い出す。そういえばこの嗣巷という男はデスプレイグのお気に入りだったと。友人関係ではない、ただ互いに暇を潰せる相手と思っていたのだとあいつは笑っていた。だが、嗣巷がデスプレイグに会うことはもうない。それに……。
「この教祖、おそらく近いうちに死ぬな。一年後あたりか。今は四十七だから、四十八になった時かな」
まだ決まったわけではない。今までも、三年後に死ぬ予定の人間が生き方一つ変えただけで十年後まで延びたこともある。逆も然り。一つ分かるのはこのまま教祖を続けていれば一年後には死ぬということだ。つまり、誰かに殺される。
彼には妻と中学生の娘が居るらしい。だが離婚してから一度も会っていないようなのでその二人がとばっちりをくらうことはないだろう。
遺す人間と遺される人間では――どちらが苦しいのだろう。
「妻子持ちのくせに……」
思いの外、呟いた声が沈んでいたことに気づいて拍子抜けする。こんな感情は何年ぶりだろうか。それでも『助けてやりたい』なんて馬鹿なことは考えていない。むしろ死ぬべき人間なのだから。
可哀想なのは娘の方だ。まだ父親を愛して……可哀想? 余計なことは考えなくていい。
「いっそ父親の存在なんて忘れてしまえば――どんなに楽だろう」