Raven and Locust
*
……死ぬかと思った。
ロザリアは殺意を剥き出しにしてこちらを睨みつける白髪の男を呆然と見つめる。
先程、紫髪の悪魔――マモンというらしい――に捕まり、半ば引きずられるように歩いていたところ突然目の前にナイフが数本飛んできたのだ。
「アバドン……またお前か、このバッタ野郎」
「ころス」
直後、私は地面の上に転がっていた。すぐにマモンが自分を突き飛ばしたのだと気づく。
座り込むロザリアをよそに二人は戦闘を開始した。
「ヒャハハハハッ なんだなんだそのザマはよぉッ! 遅えんだよクソ鳥がッ!」
「お前……!」
二人は武器を持っていない。にもかかわらずマモンが手をかざせば次々と壁が出現し、アバドンが片手で空を切ればそれは一瞬で崩壊する。
「同罪ダ……お前の女とガキも……全部壊しテやるッ!! アハはははッ 殺す殺す殺すッ!」
完全に正気を失っている。普通の人間でさえ危険な状態なのだから悪魔の場合は――
「死ねえええッ!!」
ひときわ大きな音が響き、壁の残骸が降ってくる。ロザリアは思わず頭を抱えて目を瞑った。
「なんだ……お前……」
目を開けて恐る恐る顔をあげ、息をのむ。アバドンがすぐ目の前に立っていた。
「人間、か……」
「あ……は、い……えっと……」
ひょっとして、助けてくれたのだろうか。
「そうか……人間ってさぁ……簡単に壊せるよな?」
「え……?」
いつの間にか彼は手に黒い剣を握っていた。その切っ先を笑ってロザリアの首筋に突きつけている。確実に自分を殺す気だ。ここで動けば首が切れる。逃げようとしても助からない。
その時、アバドンがよろめいて数歩後ろへ下がったかと思うと膝をつく。彼の右目にはナイフが刺さっていた。
「あ゛あ゛ぁ゛ッ……! くっそ……てめえ゛……!」
まさかと思い、振り返ると離れた場所でほとんど無傷のマモンがこちらに手を翳している。慌ててロザリアが視線をもどすとそこには既にアバドンの姿はなかった。
「他の奴に絡まれても面倒だ。はやく来い」
「は、はい」
どこに連れて行くのかと聞こうと思ったがなかなか声を出す勇気が出ない。さっきの悪魔のことも知りたかったが興味本位で訊いていいものだとは思えなかった。
「さっき襲ってきた悪魔はアバドン。俺を憎んでる」
「え?」
「お前の考えてることは大体分かる。とばっちりとはいえ、自分を殺そうとした奴を気にするなというほうが難しいからな」
頷きながらもロザリアはどこか複雑な気持ちを抱く。本当は殺す気はなかったんじゃないか、そう信じたかった。
「あいつはさ、見た通りイカれちまってるよ。愛した女を殺されたばかりか、息子まで奪われた。同じ悪魔によってな」
「仲間に……?」
「仲間、みたいなものなのかな。種族は同じだけど、階級とかも分かれるし。それでアバドンの家族を奪った悪魔ってのが、俺の部下だった」
「!」
どういうこと……?
「勿論俺は一言もそんなことを命じてはいない。すべてあいつの独断でやったことだ。奴を問い詰めたりもした。そうしたら何て返したか。『殺したかったから殺しただけだ』。どこの通り魔の発言だ」
マモンの声は淡々としていたが、怒っていることは伝わる。彼の持つナイフの刃先がだんだんと炎をまといはじめたのも偶然とは思えなかった。
「その悪魔は……」
「致命傷を与えたつもりだったが逃げられた。今も探している」
話しているうちに城の前に到着した。間違いなくここへ来た時に見た城だ。
マモンは足を止め、抑えていた何かを吐き出すような声で言い放つ。
「俺の親友の人生を壊し、あんな風に狂わせた罪は重い。もし見つけたら生きたまま五臓六腑引きずり出してやる」
ぎい、と音がしてそれまで落ち着きがなく周囲を見渡していたロザリアが正面を向くと玄関の扉が開いている。今立っている場所からそこまでは距離があり、前に立つマモンは勿論手も触れていない。不安そうに扉を見つめるロザリアに彼は前方を向いたまま『ついて来い』と人指し指を曲げて合図した。
黒い外観と比べると中は意外に明るく、パッと見た限りではこれが地獄にあるとは思えなかった。だがそれも書類を手に目の前を通過した悪魔が右奥の部屋に入った途端、扉が燃え上がり、その部屋自体が消えてなくなったのを見るまでだった。
「あ、ちなみにあの部屋はあいつしか使えないんだ。だから他の奴が入る前にああして燃えてまた別の場所に移るようになってる」
「そうなんですか」
彼はそれからもロザリアが質問をする前に城の構造などを分かりやすく説明してくれた。
「さっきは乱暴にして悪かった。てっきり罪人かと思ってたからまさか生きた人間とは思ってなかったよ」
「い、いえ……」
仮にもし死んだら親殺しの自分なんて地獄行き確定だろう。
「お前、その手足の痣は誰かにつけられたものか?」
「……転びました」
「よく使われる常套句だな。……まあいい。そういえばどこから迷い込んだんだ?」
「えっと、しにが……」
み、と続けようとして言い淀む。
これはどう説明するべきだろうか。仮に死神が人間を拾うことが日常茶飯事であるなら話は別だが、そうでなければ当然疑問を抱かれるだろう。もしも拾われた経緯を知られたら私はどうなるのだろう。生きたまま炎に焼かれる?
だがマモンはそれ以上追求せずに「行こう」とロザリアの手を引いた。
「どうせ調べればわかる」
一瞬でも安堵した矢先のその言葉にロザリアの顔から血の気が引いた。彼はちらりとこちらを振り返ったが再び前方を見る。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
横顔を見上げてもマスクに隠されているせいで表情は分からなかったが、おそらく嗤っているのだろう。心配するような内容とは裏腹にその声はどこか面白がっているようにも聞こえた。そしてそう言いつつ、掴む手に一層強く力が込められたのを感じた。まるで『逃がさない』とでもいうかのように。
調べればわかるなら今すぐに告白しても同じだ。自分から言ってしまえば少しは罪が軽くなるだろうか。いやありえない。何馬鹿なこと考えてるんだ。人殺しの罪が軽くなるわけがない。ましてや親殺しなんて。
「ロザリア」
「は、はい?」
「……いや。なんでもない」
なんでもなくはないことはすぐにわかった。明らかに笑いを堪えているように見える。何がおかしいのだろう。私は何も言ってないのに。
……待って。私はまだ名乗っていないはず。彼は何故私の名前を知っているのか。
「くくっ……あははははっ」
「え!?」
マモンはとうとう足を止めて笑い出した。呆然とするロザリアを再度振り返ると彼は我慢出来ないと思ったのかこう言った。
「お前なぁ……考えてることだだ漏れなんだよ。『親殺し』だって?」
「!」
「しかも『自分から言えば罪が軽くなるかもしれない』なんて、悪戯したガキじゃねえんだからよ」
「あ、え……」
勿論、一瞬はそう思ったが言えるわけがない。最悪だ。
「まあ、『親殺しの罪が軽くなるわけがない』な。それ聞く前はてっきりイカれてんのかと思ったぜ。それより、お前の心を読まなくとも結果は似たようなものだ。何故って? 会った瞬間からお前のことは全部わかってたからだよ」
最初からな、とこちらに向けられた目はあまりにも冷たく残虐なもので、身体が震えるのを自分ではどうしようもできなかった。