青色と黒色と白色
イル・モンド・ディ・ニエンテ。二つの意味を持つ、世界の名前だ。
理由の内一つは、虚無の世界。
もう一つの理由は、存在意義のある人間の総称。
矛盾した名を持った世界は、今日も快楽に狂っていた。
そんな狂った世界があれば、そんな世界の神様も狂っていた。
ただただ、真っ白な空間。影のない、張り付けた絵のような、その場所。目を凝らしても、どうしてかその空間の奥や底は見つからない。
そこにいたのは、白に包まれた少女だった。
白い髪。地べたにつくほど長く、動くたびに空気と戯れている。
白い服、純白のドレス。白い靴に、首には白いリボン。まるで首輪のように、枷のように結ばれていた。
白い空間の中、そこまで白に包まれていると、少女はまるで絵の中に取り込まれたように見えた。
だが、それは顔を見れば間違いだと気付く。
少女の目は輝いていた。猛禽を思わせる、金色に。
その金目は、神の目と言われる、崇拝対象の証。
少女はじっと前を見ていた。
その視線の先には、何もない。見えるのは影のない絵の白。
そんな少女を呼ぶ、一つの声があった。
「女王」
「……やあ、レイメル」
声の主は、青い目を持った、少女と並ぶほどの美貌の持ち主だった。
胸あたりまである薄い青の髪は、その姿全てが、世界に祝福されていることを表している。長い睫毛に縁どられた目は、彼が女王と呼んだ少女を映している。
青色の彼は言った。
「よく狂わないね」と、呆れを含んだ声で。
少女は静かに笑う。無邪気な笑顔でもなく、真っ黒な邪気を含んだ笑みでもない。
ただ、口角をつり上げて目を細めただけの、張り付けた笑顔。
「それは、この空間について言っているのか、レイメル」
「それ以外の何を言うものか。女王、ここは窮屈だ。リリス・サイナーのいる場所とは思えない。そんなに人間が気になるなら、見てくればいいんだ」
「気になる、ねえ……」
少女が笑みを消す。
青色が途端、笑顔になった。
「女王、あの笑顔はよくない」
「ようよう、なんだかディーと似たようなことを言うじゃないか」
青色は、ディーと呼ばれた、ここにいない神と一緒にされ、睨み少女に抗議した。少女は愉快そうに、また、同じ張り付けた笑みを浮かべただけだったが。
少女が、青色に問いかけた。
「賭けてみないか、レイメル」
「何をだ、女王?」
――人間を使ったゲームのことさ。
少女は囁くように言って、また影のない白をじっと見つけた。
その内、一つのノイズが現れる。
ザザザ、と砂嵐と共に現れたノイズは、黒い霧に包まれている。丸い鏡のように輝いたものになると、その鏡のようなものが大きくなり、そして何かを映した。
映したのは少女と青色ではなく、一人の人間だ。
眩しいものを見たかのように、映った人間を見て、少女は目を細めた。
橙色の髪をした人間が動くたびに、手足が反応する。
――どうしてだろうか。
少女が呟いた。
「あの人間は己と同じような運命を辿ってきた。力は断然、己が上よ。何故に、あのように笑えるものか」
「あのように?」
「自害の塊が故か、全てを諦めているように見せて、その内は誰よりも全てを望む」
「あれが、あの人間が、か?」
「そうだ。死にたいと思っているほどに絶望を味わったくせに、まるでそれを知らないかのように振る舞う」
目線を人間から動かさないまま、淡々と言った。
その言葉に哀しみもなければ、憎悪も憧憬もない。
ただ、疑問に思ったことを口に出している。
――狡いじゃないか。
――絶望したのは、己も同じ。
――何が、何が違うというものか。
青色は、その小さな声に問うた。
「女王は、あの人間を殺したいのか?」
少女は首を横に振る。
「なに、そこまでは気にしてはない。ただ、本当にどうだろう、と。もし、己が人間ならば、そう思っていただろう。どうして、結末が違うのだと」
「女王、それは」
「知っているさ。残された道や性格が違えば、同じではないのは何もおかしくない。だが、考えれば考えるほど、思うんだ。神になる人間として進む道と、人間がそのまま進んでいく道。ただそれだけで、同じような性格をしているくせに、あの人間は己のように愚かではない。ただどうしても醜いだけで。――なんだが、不条理ではないか?」
「…………でも、そんな世界を創ったのも、女王、アナタだ」
「そうだっただろうか」
またその声は、問いかけるものではなく、ただ呟いたような声音だった。
少女は、まるで青色をここにいないもののように接している。
それでも、青色はその空間から離れようとはしない。
まるで、それが当たり前なように、なんでもないと無表情でいる。
「女王」
「どうしたのか、お前よ」
「女王は、結局どうしたいんだ、その人間を」
「どうもしない」
「そのわりには、結構に気にかけているようだ」
少女は、何度か瞬く。
「知っているか、アレイル。そういうのはな、人間ではストーカーと言うらしいぞ」
「……人間ではないから、関係ないではないか」
「そうかい」
「ああ、そうさ」
沈黙。
暫くした後、口を開いたのは少女のほうだった。
「レイメル、話がそれていたようだ」
「うん? ……なんだったかな」
「賭けをしようという、話だったかな」
「そうだったような気もするよ、女王。――近頃、女王はボンヤリしているよ」
「そう、そうなんだ。己は、きっとそれは、娯楽がないが故だと思うているのだ」
「そうだね」
青色は少女のふざけた言葉にも、無表情で肯定した。
少女はノイズに映っている人間を指さし、その後自分を指で示した。
「あの人間と、己。ゲームをすれば、どちらが勝つであろうな?」
「悩まずとも決まっている。神である女王しかない」
「そうであろうか。あの人間は、己と同じ性格をしているぞ」
「力の差が歴然だ」
「そうか。それならば、ゲームに関しては一切力を使わないようにしようではないか」
「……何?」
青色の彼は純粋に驚いた。
今までの無表情が崩れる。
それまでに、少女が発した言葉が、有り得ないものだったのだ。
「まあ、……本人がそういうなら、いいじゃないか?」
「ふふ、お前は、己の言葉に肯定しかしないな。まあいい。――賭けは、己が勝つでいいのだな?」
「そうだよ」
少女は笑った。張り付けた笑みではなく、無邪気に笑ったのだ。
青色はそれを見ながら、人間らしく溜息をついた。
そして、今から自分を苛むだろう苦労を思い、顔を歪めたのだった。
快楽主義者の女王が、ゲームを始めると言った。
それがどういう意味を表すか分からないほど、青色は未熟ではない。
「――リリス・サイナー」
ふと、少女の名前が聞こえた。
少女が振り返ると、そこには白い少女と対した黒で包まれた神がいた。
さきほど、少女がディーと呼んでいた彼は、死の神セプリアドゥー・ドゥーウェン。
男なのだが、女のように腰まである髪。白装束を着ていた彼女とこれまた対している、黒の服。目も髪も、闇を表されている黒だった。
名前を呼ばれた白の少女は、その声にむっと眉間に皺を寄せる。
吐き捨てるように放った言葉は、今まで彼女が放った言葉のどれよりも、感情が籠っていた。
リリスは女王、サイナーは超能力者の意味を持っていて、少女はそれが何よりも嫌いなのだ。
まるで、神になる自分のためだけに、用意されたと言える忌むべきもの。
「その名前で呼ぶなと言っているだろう、ディー」
「ならお前もそれで呼ぶな」
自分の願いを聞いてくれない彼に、少女は少しだけ睨む。
そして、青色の彼へと問うた言葉を、彼にも放った。
「この人間と己、ゲームをしたらどちらが勝つか」
「人間だな」
黒は、即答した。
神と人間を本気で比べているとは思えない。
「相変わらずだな」
「嫌ならば聞くな」
「そうではないんだよ、黒いの」
少女は、また影のない白をじっと見だす。
まるで、その先の何かを見ているようだ。
「じゃあ。レイメルは己。ディーは人間でいいな」
「ああ」
「……」
「なら、早く行動を起こさねば……」
そして少女――最高神リリス・サイナーは、その場からいなくなったのだ。