蓋をする度に強く残る明晰夢――〝親友〟
わたしに居場所はない。
家には親は滅多に帰ってこないし、帰ってきても聞くのは毎日学校に行っているか、授業についていけているかどうかだ。
学校でも、友達と呼べる人はいない。友達どころか、クラスメイトには見下され、教師からは嘲笑の表情しか出てこない。
それも全部、この髪の所為。
ツインテールに結んだ黒い髪を、握り潰す。くしゃくしゃになったが、気にしない。
黒髪黒目はこの世界で、純血と呼ばれる。
超能力者であるサイナーに色彩変化が起こるのは、サイナーの影響を受けたからだ。
それなら、色彩変化の起こっていない者は?
力のない、能無しのクズであるラインだ。
そう、わたしはサイナーであるのに、影響を受けていないラインの黒髪黒目――純血と呼ばれる色彩を持っていたのだ。
サイナーなのに、ラインではないのに、ラインだと蔑まれる。
力を使って、誤解を解いてもいい。
だが、結果は同じことだ。結局皆、自分のストレス発散がしたいだけなんだから。
そもそも、居場所がない学校の中では、サイナーは使用禁止となっている。校則を破れば、サイナーであっても無能力者であるラインであっても、全て無に帰るのが落ちだ。
冷えた廊下、響く足音。少し当たったりするだけで手が痛い。もう一月だが、この温度で真冬じゃないのが不思議だ。冷たい手すりに触れながら階段をおり、靴を履いていると、空きっぱなしになっている窓から風が吹く。
部活のしていない生徒が帰った後で、少しスペースの空いた駐輪場。わざと倒されているわたしの自転車。それを起こしてから鞄を籠に載せ、自転車に乗ると、思いっきりペダルをこぐ。風が当たる。寒い。気にしない。早く帰らなければ、今度は部活にいるクラスメイトに会ってしまうことになる。
わたしの家は学校に近かった。自転車で五分が近いかどうかは、自分の言い分だから、一般的にはどうか分からないけれど、少なくとも遠くはない。
少しだけ花を飾ってあるわが家の玄関につくと、定位置に自転車をとめる。鍵を余計にガチャガチャ言わせて、家に入った。
殺風景な自分の部屋は、机とベッドしかなく、床に鞄を置くと、冷凍食品を電子レンジで温める。その間光西歌の制服を脱ぎ捨て、ちょっとしてから電子レンジから取る。食べる。馴染んだ味が虚しさを引き立たせた。
食べた後は、なんとなくテレビをつけると、そのままにして二階にある自分の部屋に戻った。
友達もいない。家族もいない。そうなると話し相手がいない。
趣味もなく、好きなこともなく。そういうのを見つけようにも学生だから時間がない。曲を聞くのもいいが、パソコンは買っていない。
なんの娯楽もない日常。
生きていて楽しいのかと自問自答する日々。
そんなわたしにも、楽しみがあった。
部屋にあるベッドに寝そべって、思い出すだけでいい。
わたしこと川島凛音には、前世と思われる記憶があった。
その夢物語に最も多く出てきたのは、二人の少女。
一人は、サクラと呼ばれている少女。橙色の髪を持ち、実に愛らしい少女だ。いや、愛らしい、という表現はおかしい。絶世の、がつく美少女だった。よく笑い、逆に笑っていない時の方が珍しいくらいの明るい少女。時々アオイとも呼ばれているため、本当はどちらが名前か分からなかったが、一番多く呼ばれていたのはサクラの方だったため、きっとそっちが名前だ。
二人目は、チルハを呼ばれている少女。長い黒髪をツインテールに結んでいる猫目の女の子。よくサクラと一緒にいる、もう一人の女の子。いつも竹刀を持っていることと、強気な釣り目は、どこからどう見てもわたしだった。苗字はアカオ。赤尾しかないだろう。多分。
今日の夢は、いつもと同じ、学校から帰る途中のことだった。
帰ってから何をして遊ぼうか、と笑って話しているサクラ。
その時に決めればいいだろう、と困ったように笑うチルハ。
微笑ましい明晰夢を、手を繋いでいる二人の小さい少女を、忘れかけた笑みを浮かべて、ずっと見ていた。
それから、二十分くらいたつと、二人は家に寄ってから近くの公園に向かっていた。サクラがチルハの手を取り、引っ張って走っている。
近くにあった公園は、ブランコとジャングルジムと砂場しか無かった、小さい公園だった。木々に囲まれ、ベンチが一つある。その裏にあった〝それ〟と人影。
それを見た時のサクラの絶望の表情を、わたしは一日たりとも忘れたことは無かった。
※
冷たい体が温もりを確保しようと、無意識に布団を引っ張る。
懐かしかった。
そして、――悪寒がとまらない。
もし、わたしがあの時、遊べないなんて言っていたら。
もし、わたしがあの時、公園ではなく、別の場所を指定していたら。
もし、わたしが――――
いや、もしもを考えても仕方がない。
悪寒で震える体で丸くなり、また布団を引っ張った。
悔いてもしょうがない。
わたしは、その後悔を消し去るために。
そのために、――――わたしは転生してきたのだから。
※
静かに目を閉じる。まっくら。当たり前だ。
脳裏に移る光景。今度は前世の記憶じゃない。でも、今の記憶でもない。小説に出てくるカッコいい空間の名前なんてない。
――――そこは、ただただ真っ白な空間。
いるのはわたしと、自分を白き神と名乗った、白髪の少女。
その少女が自分を神だと言って驚かなかったのは、空間と少女がどこか現実離れしていたからだ。
神は言った。お前を転生させてやる、と。
「期限はお前が気付いてから――つまり、思い出してから一か月だ」
わたしは言った。まだ、朦朧としている意識の中。
「×××××××××××××××××」
神様としてではなく少女として、一柱は驚いた。そして、何より動揺していた。それが、どう凄いのはその時わたしは分からなかったが、今になってようやく分かった。神が動揺したのが、どれほど凄いかを。
転生したのは、リリス・サイナーが信仰対象とされている、狂っている世界。人殺しは捕まらず、誰が殺されてもそいつの知り合いは泣いたりしない。
怖い。
素直にそう思った。わたしはサクラを失ってから、――いや、〝あれ〟を見てからか、死というものに敏感だ。死体を見るたびに思い出す光景。前世の、嫌にでも振り返る忌まわしい記憶。
あの時は、サクラを庇うなんてことまで気が回らなかった幼少時代。だから余計に恐怖が増したのだろう。あの恐ろしい、サクラの、あれ。
それが、平然として起こっている世界。
しかも、わたしが生きていたあの世界の、未来。
嘘だ。
これこそが、神に会うより信じられなかったもの。
自分だけは絶対に狂わない。そう決意した。
そんなわたしを嘲笑うかのように、この世界は腐っている。知り合いの死を当たり前だと思い、友人が落ち込んでいるのは蜜の味。
そんな中の、神様のゲーム。
気が狂うかと思った。
夢から迎えに睡魔を、拒まなかった。
考えることを拒絶し、それ以上苦しまないように、そっと、記憶に蓋をした。