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愛神市の中で愛神中学校の次に有名なのが、西のアレイル・レートシンス像がある光西歌である。光西歌の授業は広く深く。詳しく内容を理解していくことで、今の偏差値を保っている。だが、深く学ぶことで、勿論それ相当の時間を消費することになる。他の学校と同じでは在学中に勉強が終わらないため、光西歌は週に六日登校制、つまりは日曜日も学校がある。その光西歌に、凛音が通っているわけで。前にイジメをなくそう的な決意をした私は、現在学校の中にいる。
光西歌の、校舎内に。
いやあ、侵入する時は楽しかった。力を使わないで誰にもばれないように、如何に入ろうか考えていた時も凄く楽しかった。本当は門前の守衛を眠らせて行こうかと思ったけど、そうすると眠った守衛を発見した人が警告だ、って放送代わりに脳電波(この場合脳電、つまり頭の中で買っている電話の電波のこと)を使って知らせるかもしれない。個人の脳電に通信することはアドレスがないと不可能だけど、光西歌のアドレスに通信したら全生徒に送れることができる。それを使われると厄介なわけで。
でもそんなことで侵入やめようなんてことは有り得ない。有り得ないんだ。だから、あんまり使いたくないリリス・サイナーの加護(自分のサイナー)を使って、〝樋代愛佳が光西歌にいることは当たり前であること〟を命令した。更に〝そこにいて当たり前なため、誰も疑問に思わないし視界にいれることもないように〟命じる。というわけで、同じリリス・サイナーの加護(でも第一加護者の私ほど協力なものではない。あくまで、サイナーの目覚めていない体に加護をあげてラインにしないため)を貰っているらしい凛音には私がいることを理解させる設定もつけ、堂々と侵入中(あれ、これって侵入なのかな)。
別に権力を使って入ってもよかったけど、それじゃあ面白くないし。うん、まあ、私も楽しい方がいいしね?
今いるのは、光西歌の客間(この世界では招待室と呼ばれている)。そこには光西歌の理事長と愛神の理事長、そして二校の校長、私の五人がいる。尋常じゃなく震えているのが光西歌の校長。部屋の隅でブツブツ何かを呟いているのは光西歌の理事長。冷や汗を掻きながらソファで引きつり笑いをしているのは愛神の理事長。満面の笑みで要件を伺っているのが、愛神の校長である。流石校長、金目を前に怯えない。そして他の三人は、過去のリリス・サイナーか金目に何かされたのか? 凄く気になるところである。
「――川島凛音、ね。彼女は知り合いですかな?」
「数少ない親友なんだ。一緒にいたくてねえ。聞いてくれるかい、私の我儘を」
「一応彼女の御両親に許可を取りましょうか。こちらとしては生徒が増えて嬉しいね。――まあ、許可を取る意味もないだろうけど」
「本音がただ漏れだよ、校長。それなら、私は少し光西歌の中を見てくる。――その間、手続き宜しくね」
え、まさか明日から転入ですかね?
愛神の校長が言った。
当たり前じゃあないか。ちゃんと凛音の転校手続きしておいてくれたまえよ。
私が笑う。
客間を出ると談笑している生徒がいた。行き成りドアから出てきた私に驚いたが、すぐに興味を失い去って行く。客間で話す前には授業中だったが、どうやら今は休み時間らしい。廊下には時計がないため、そこらへんの教室に入って時間を確かめると、丁度三時間目が終わったあたりだ。あと一時間で昼休み。そこで凛音に会いに行けばいいか。
じゃあ、その間どうしよう?
客間に戻って話し相手になってもらってもいいが、そこは流石に自重しよう。彼らも忙しいのである。早く学校に戻らなければならない愛神中学校の二人もいる。だがグルグルと光西歌を回っても、初めてきたとはいえ学校だ。何か娯楽になるものがあるとは思えない。一時間程度だし、小さなことでもいいから娯楽があれば……。
廊下の大きな窓から外を見る。中庭の大きな桜が散っていくところ、一人の生徒が木の根元に座って本を読んでいる。スポーツマンのように短く切られた赤い髪が目立つ。顔は本を見ているため俯いていて、よく見えない。これで美少年とかだったら、まるで少女漫画のようだ。透明な壁を全開にして、窓を跨ぎ外へ出る。近づいてくる気配に、赤髪が顔を上げた。隣に座る。
「やあ、少年。何の本を読んでいるの?」
「……………………取り敢えず、オレ、お前より年上だと思うぞ」
「ほうほう、そこにツッコんできたか。なら君は三年というわけだね、名前は?」
「……ええっと、そういうのは自分から名乗るんじゃないのか?」
「うん?――ああ、これは失礼。この目だと相手から名乗ってくる方が多くて、つい忘れてしまったよ」
自分の目の横をトントン、と叩く。
「私は樋代愛佳だ。君は?」
「市来真桐。金目はこの学校にいなかったはずだけど……」
「ちょっと知り合いに会いに来たんだ」
「ふうん」
金目を見て初対面でも敬語を使わない彼は、どうも少し対話が苦手らしい。話しかけた時驚いて目を瞬かせていた上に、今はどう接していいか分からず無愛想になっている。これは予想などではなく、彼の心を読んだからだ。ずっと読みっぱなしでもプライバシーが可哀想なので、時々読んでいるだけだけども。
「君は、どうやら授業に出るつもりではないようだけど」
教室が遠い中庭で、時間の少ない休み時間で本を読みに来ているとは、そういうことだ。
市来真桐と名乗った彼は、顔を歪ませる。
「次は理科なんだ……」
「苦手なのかい?」
「苦手、っていうか……意味不明。どうしてそうなるかの過程が分からない」
「嫌いでもなく?」
「そうだな、嫌いってはわけじゃないんだ。少し、理解が出来ないだけであって」
「教科書の文字と実験の結果だけ丸暗記すればいいさ」
「それで理解が出来れば楽だけどね」
目を逸らして溜息混じりに言うが、本心は違う。
――『本当は出来るしね』。
表情に出さないまま、嘘をついている。これは嘘つきの目だね。ずっとと言っても過言じゃないくらい、いつも嘘をついている。手慣れならぬ、口慣れって?
アハハ、面白くない。
「――ねえ。君はさ、今幸せかい?」
何気ない問い。
「理科がなければ、幸せかなあ……」
『仕事がなければ、幸せだよ。当人さん』
呟く声に響く声。それは間違いなく、目の前の少年の声。
仕事。少年の歳からして、何かをそう称するのはおかしいよねえ。しかも、私が当人だと。そうなると、真桐は政府の人間かな? 偶然で凄いアタリを引いたね。考えられるのは、〝反女王派〟の監視。それか【五陀】の部下か。
「……出てきなさい、私の【五陀】」
取り敢えず、お仲間(仮)を出してみた。今日も監視宜しくストーカーは健全である。ひなつくんはいつも通りだけど、白夜は今日スーツを着ている。珍しい。
真桐の浮かべている表情は驚き。だけど、やっぱりも嘘のようだ。彼は【五陀】の部下でも〝反女王派〟の監視でもないようで。それでも、私がリリス・サイナーであることは知っているようで。
「ひなつくん、凛音のクラスどこだったか忘れたから、ちょっと調べてきてくれる?」
「はい」
「白夜、ううん、君はいいや、そのまま護衛務めてくれ」
「ほいほい」
呼び出してしまったため無理矢理要件を作って退場させる。
その間、真桐は本を読んでいた。ううん、神経が図太いね。リリス・サイナーの信者だったら、それの傍に仕える【五陀】を尊敬しているはずだけど。【五陀】が出てもまったく表情が動かない。私が話しかけた方が驚くのか。金目には反応しなかったのに?
凛音の様子を見に来た日。偶然、その時間に。偶然、この中庭にいて。偶然、本を読んでいて。それが偶然、一般人ではなさそうで。偶然、アタリだったようで。――ちょっと、偶然というには奇跡に近いね。こんな娯楽に会えるなんて。まあ助かった。真桐と話して、一時間を過ごそうか。
「真桐くん」
「何?」
「驚かないんだね」
「……お前がリリス・サイナーだってことに?」
「うん」
「だって、オレ、金目にさえ驚かないんだぜ?――だから、リリス・サイナーがどうとか言われても、ぶっちゃけ信仰心とかないし……」
「あはははははははははははははッ! あははははッ! あははははははははは!」
え、と真桐が声を漏らす。爆笑し出した私を何コイツ的な目で見てくるものだから、余計に面白い。
理解、していないわけではないだろう。不敬罪というものが今この世にあると言うのに、その一般常識を知っているだろうに、この少年はそれでも敬語を使っていない。むしろ間接的に貴女を尊敬していませんと言ったのだ。不敬罪でおつりが返ってくるほどの言葉である。
だが、死にたがりではない。生死をどうでもいいように思っているわけでもなく、死にたがりでもないなら、死を恐怖に思っているわけでもないようだ。ただ純粋に、本音を口にした。ただ、それだけ。言ってしまえば、罪の重さを理解していないだけ。不敬罪なんてありえないだと思っているだけなのだが……。
それが、異常だ。
この世界の人間は、洗脳されているかのように、それが恐ろしいものだと思っているのに。
実際、死ぬことは恐ろしいだろう。だが、誰も彼もが恐ろしく思っているわけではない。百人中百人が死にたくないと喚いても、千人中五人は死んでもいいと思っている人がいるかもしれない。
だが、それはこの世界では有り得ない。
それがどれほど異常か。
されているかのように、ではなくされている、の方が正しいかもしれない。でも、洗脳している方は無意識であり、故意ではない。純粋に神を信じて、無邪気にその素晴らしさを子供に伝える。――そして、洗脳する。
小さな頃からそれが当たり前なのだと思い、それを否定することはない。それがこの世界の常識だと言うのに、普通に生きてきただろう真桐は、それがどうしたのだと言わんばかりに、それは違うと言ってみせた。そう、態度で表して見せたのである。
「驚いたな……」
まさか、正常者がいたなんて。しかも、それにずっと気付かなかっただなんて。
〝反女王派〟は勿論、この世界にもリリス・サイナーを信仰していない人間はいるのだ。目の前の少年がそうだったように。
どうして気付かなかったんだろう?
「――愛佳?」
「うん?……ああ、ごめんねえ。何か言っていたかな?」
「いや、言ってないけどさ。またボーッとしてたから」
「そうかい。――ああ、私は今からちょっと考え事するからさ。もう本読んでてもいいよ。さっきから読みたかったんだろう?」
「知ってたのか。まあいいけど。なら、そうさせてもらう」
本を開ける彼を見て、視線を逸らす。流石に、彼も〝反女王派〟じゃないかと疑うのは、考えすぎだろうな。
木の根元に座っているため、頭を幹に預けると自然に桜が見えてくる。桜の木を見上げる形になると、その木に白夜がいた。どうやら、木の上に登って隠れていたらしい。
花弁が一枚、顔に落ちてきた。自分がどうこうする前に、戻ってきたひなつくんが取ってくれた。報告もちゃんと忘れずに。
授業が終わるまで、後二十分近くある。真桐に言ったように、思考することにした。
先程まで考えていた、目の前の少年の正常さ、または異常性のことではなく、私自身のことについて。
どうして、私はこの世界の人間全てが壊れていると思ったのだろう。どうして、正常者がいないだなんて思ったんだろう。〝反女王派〟の知識が無かったわけではないのに。
――どうして、私は他人に殺されなければいけないなんて思ったんだったか?
どうして、私は、――この力を使って、本当に自殺しなかった?
私、私は……………………何か、忘れていないか?
桜が一つ、また散った。




