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私とひなつくんが樋代家に着いてから、凛音が来たのはそれから三十分後だった。
何故か満足した表情の白夜に、何故か酷く疲れたような凛音が気になる。
我が樋代家は広い。
チキュウだった頃の家が三つ分くらい大きくて、中に庭がある。庭に埋められているのは白百合とマリゴールド、向日葵に朝顔と紫陽花の五種類のみ。三階建てで無駄にある部屋の中ではなく、その庭に母である弓佳と【五陀】がいた。
桜木一成と名乗った桜欺は、弓佳の花の説明(という名の薀蓄)を笑顔で聞きながら、時々頷いていたり褒めていたり。奈津宮雄心と名乗った夏宮は、比波玲と名乗った緋浪と共に何かの鉢植えを運んでいる。どうやら私の家の母は、自分の娘の従者を思う存分に活用しているようだ。
「人の従者をあまり使わないでほしいね」
「あら、別にいいでしょ?」
「まあ、不満だとは思っていないがね」
苦笑で傍観していた凛音を、自分の前に出す。
「弓佳、紹介しよう。この子は凛音。私の親友だ」
「愛佳に秋名ちゃん以外の親友なんていたのねえ。――初めまして、凛音ちゃん。愛佳の母、弓佳です」
「初めまして、川島凛音です」
「可愛い名前ね」
くすっと笑う弓佳。こうやって見るとまるで女神のような優しい笑みなため、騙される人が尽きない。十三(今年で十四)の私と二歳年上の兄である蜜音を生んでいるため、年齢を聞くと冗談だと思う人も少なくない。まあ、若く美しいが故にあの完璧な父を手に入れたんだろうけど。父である藤次郎は品行方正で容姿も悪くないから、人気もあっただろうに。
「まあ、そういうことなら、私は凛音たちと部屋で話しておくから、その間も相手にして貰えばいいさ。――いいね、【五陀】」
そう言えば、雪月を見て不満げな顔をしながらも、頷く。
凛音たちを自分の部屋に案内する。私の部屋は二階に上がって階段の左側にある。その右側が、兄の蜜音の部屋である。いつも鉄の音だったり奇声だったり変な音が聞こえてくるため、とても中が気になっている今日此の頃。
部屋のドアを開けてどうぞと導くと、凛音が思わずという風に声を漏らした。決していい声ではない。勿論、げっ、とかいう悪いものでもないが。う、と漏らした声の原因は、言わずもがな私の部屋にあった。
白。白しろ白。壁も白。床も白。ベッドも机も洋服もクローゼットも小さなテーブルも白。ほとんど白と影しかない部屋に、圧倒されたのだろう。雪月の二人も中を見て唖然とした表情を浮かべている。
「愛佳……。お前は、リリス・サイナーの信者じゃないはずだが」
「間違ってないさ。ただ白が好きになってしまっただけで。さっき部屋の片づけをしてもらったと言ったろう? 全部買い換えて貰った」
「お前の親は、何をしている人なんだ?」
「警備会社の社長とその秘書」
「警備……陽白か!」
「そう」
陽白警備会社。この世で一番有名な会社。富豪からお偉いさん、大統領までが護衛を依頼する、あの、が付く会社だ。その強さから、一時のみだが【五陀】の四家よりも強いのではないかと、噂されたほど。その社長と、情報を特化しているとの秘書が親友の両親となれば、それは確かに驚くだろう。裏についている財団も認めている、とかも言われているからね。
「まあ、早くたまえ、凛音。――ああ、雪月の二人はまた会話が聞こえないところにいてくれる?」
「了解致しました」
「ほいほい。――あ、どれくらい?」
「三十分ほど」
銀髪と黒髪が姿を消す。どこに隠れているかは分かるから、本当は時間設定をしなくてもそこに行けば声をかけることができるのだが。まあ、それは私が面倒だからしないという方面で。ギリギリまで話しに集中したいしね。
白いベッドに座る。ポンポンと隣を叩くと、無言で凛音が座った。
凛音が私の髪を取る。橙色が揺れた。
「珍しいな、オレンジとは」
「まあね。――でも、白夜の銀髪の方が珍しいだろう?」
「なんでオレンジや銀髪は珍しいんだ?」
「うん?――もしかして、凛音の学校はまだそこまで進んでないのかな?」
「光西歌だ」
「ああ、納得」
五校の中で西の光西歌は、授業が遅く深くが有名だ。進む時間が遅くても、中をしっかり学びたい人がよく通る学校。まだ愛神中学校のやっている、体内変化に入ってないのだろう。
「いいかい、凛音。色彩変化が起こったのは、人間にサイナー現象が起こったからだ。サイナーが体内を狂わせ、本来なら出ない色まで出るようになった。黒髪黒目が純血と言われるのも、大体が無能力者であるラインなのも、そう言われているからだ」
「ああ」
「でも、影響と言ってもそこまででもない。ほとんどの人間が、茶髪か金髪。赤髪や青髪などのハッキリした四色だ。それが、この世界での当たり前」
「知っている」
「その中で、この髪や白夜の銀髪みたいなのが出てきたのは、やはりサイナーが関係しているのさ。力が強い証拠だよ。――または、逆に力が弱い、か」
「愛佳とあの……白夜? の力は強い方なんだろう? リリス・サイナーと〝二つの槍〟なんだから」
「ああ、そうだよ」
未だに凛音が握っている髪を引っ張り、ポニーテールに結んでいたゴムを取り、結びなおした。いった場所が人の多いところだったためか、埃っぽい。早めに風呂に入りたいものだが。いっそ凛音も一緒に入れようか。服のまま。それでひなつくんか白夜に偶然と見せかけて会い、ポロリもあるよみたいにしてみようか。その後叩かれるのは私だけど。
「――まあ、何であれ会えてよかった。愛佳はこちらの生活に慣れているか?」
「この目があれば慣れるどころか満喫できるさ」
「確かに。……私利私欲にはしってはいけんぞ」
さて。手を上げる。
「それは誰でも無理というものだよ。無欲なんてむしろ人間かどうか理性を疑うものだ。酷使するなと言えばいいんだよ。権力を振りかざしてもいいことはないとね」
「分かっているじゃないか」
満足したように笑った凛音。
先程髪を弄られたのを仕返しに、こちら側にあるツインテールの束を引っ張る。
「ところで、君は随分と無意義に過ごしてきたんじゃないのかい?――この髪じゃ、学校も真面にいけないのがこの世の現状だ」
「まあ、愛神市の中の光西歌にいるだけで、サイナーとは一応認められているからな。それでも不正が増えている一方だから、学校側には認められていないが」
「そっかあ。――じゃあ、今、凛音は独りぼっちなんだねえ」
「お前がいるなじゃいか。友達だと思ってくれていないのか?」
「いやいや思っているさ」
だけど、それじゃあ意味がない。それは、孤独なのと変わらない。
ゲームの勝利条件である凛音を見つけたからには、この期間である一ヶ月を過ぎたら私は死ぬ。私だけが友達でいると、死んだ後には友達がいないことになる。前世からの知り合いでもあるし、何よりこの世で家族の次の大事な親友に、これから寂しい思いをしてほしくない。凛音も元は皆に囲まれるようなムードメーカーなんだ。死ぬ以前に、今の状況を楽しんではいないだろう。
「まったく……、黒髪黒目がどうとかリリス・サイナーの扱いがどうとか言う前に、古くからあるイジメ問題とかに目を向けろって……」
「そう簡単にどうにかなる問題でもないだろう?」
「それはそうかもしれないかもだけど……どうもねえ」
そもそもこの世界の常識でさえ疑うものが多いのだ。殺しは見つからなければ暗黙の了解として肯定されているし。愛神市の住人以外は苗字を持たないし。目の色とかで差別は隠そうともしないし。それについて世間は当たり前だと思っているし。なのに、簡単かどうかで悩むどころか、それをいけないものだと理解しているのかさえ怪しい。
「ううん、心残りって、いやだなあ……」
「……何に心残りがあるのかは知らんが、心残りがないようにすればいいじゃないか」
あ、それだ。うん、そうだそうだ。いじめっ子殺すことにしよう。そうすれば凛音は幸せになれて僕は未練がなくなって超ハッピー!
……みたいな。
何はそもあれ、そう決めたなら早く殺さないと。死体はどうしようか。どこかに隠そうか。そもそも、隠さなくても別にいいか?
ふと、思い出す。一昨日の学校にあった、一つの死体。
一言で表すならグロテスク。両目にカッターが何本も刺されていた。刺さっているカッターの間に真新しい血がいっぱいついていて。頭蓋骨は半分くらいなくなって、中身が見えていた。引っこ抜かれた舌が死体の左手あたりに落ちていて、しかし左手も、左手と表現するのはおかしいかもしれないそれは指は一本も繋がっていなく、指がありはずの場所は針が何本も刺されていて、目線を変えてみると黒色の糸がグチャグチャに縫われていた。死体はぬいぐるみ替わりか?
―――――――――――――――あーあ。
駄目、駄目だよ駄目。こっちの世界に飲まれている。人を殺すのが、この世界の常識が、だんだん私の常識に成り代わってきている。別に、もうすぐ死ぬから価値観とか殺害とかどうでもいいっちゃ、どうでもいいんだけどさ。これ、知ったら凛音悲しむかなあ。
「……うん、気付いてしまったものはしょうがない」
「何に気付いたって?」
「人を殺しちゃダメだって、気付いたんだ」
「当たり前だろう」
少し怒った声で、凛音が言った。
私の所為で人の死に敏感になってしまった彼女は、この世界でより正義感に依存するだろう。真面なのは自分だけなのだと。周りは壊れている者ばかりだと。実際、それは正しい。自分たちがいたチキュウを基準にすると、それがそれこそが正しいのだ。だが、その常識はあくまでも前のもので、今じゃ私たちの方が狂人認定されてしまう。そもそも、これでさえも自分達の価値観でしかない。
秩序というのを一言で言うなら、「多くの価値観」である。だって、正しい秩序を知っていても、知っている人数は少なくて、また周りが理解して行動しなければそれは秩序にならない。逆に、正しくなくともそれを全員がそういうものだと理解していれば、それが秩序になる。結局は、人間の思考次第で世界あんて軽く変わってしまうのだ。それがいい方向にいけばいいが、この世界はどうだろうか。正しい方向に進んでいるとどう美化しても言えない。
――ああ、やはり、こんな世界に彼女を置いて行けない。
せめて、小さな居場所があればいい。彼女のための、居場所。それが学校でも家でも世界でも、悪くても私の墓場でもいいのだ。安らげる場所があれば、それで人間は生きていける。将来まで蔑まれようとも、愛神市で育っている過去があれば十分だ。
「やっぱり……うん、決めたからには行こう」
「どこに?」
「光西歌に」
「ああ、なんだ光西歌か。…………ん?」
「明後日にしよう」
「愛佳? 光西歌に来るのか?――って、明後日?」
「うん、そうしよう」
「お願いだから説明してくれ! どうしてそうなった!」
叫んでいる凛音の声に気付き、三十分ちょっと前ということもあって部屋に入ってきた〝二つの槍〟が、首を掴まれたまま本を読んでいる私に驚くまで。あと、三秒。




