祝福に潜む嘲笑――〝親友〟
自分を呼ぶ声で、目を開けた。急かしているその声は、怒っているようだった。
見えるは白。白、白。白い髪に白い服に白い肌。
そして、金色の目。彼女なのだと、三日月に歪む口が語っていた。
やあやあ、どうやら毎日が憂鬱のようだな。
まあそれが蔑まれることを、己は知っていたが。
いいじゃないか。どうせ、狂い者だと思っているのだろう。
彼女が囃す。
もう、始まったよ。先程、あの人間が思い出した。
お前も行動したまえ。楽しみしているさ。
彼女が笑顔で謳う。
お前ならきっと、見つけられるさ。――親友、なんだろう?
心の籠っていない言葉に、憤りを感じる。
恩人が故に当てられない激情をどうするべきか。
そして――――――目が覚めた。
目を開けて、初めて夢を見ていたことに気付く。
夢はずっと、前世の記憶でしかなかった。あれも自然な夢ではないけれど。
白い少女、例えばリリス・サイナーと呼ばれる白き神は、笑っていた。
始まるよ、と。
休みの日。やることのない困った日。
趣味がないわたしにとって、休日もただいらない時間だった。
今までなら勉強して暇を潰していたが、今日はそうもいかない。
ゲームが始まった。そう、彼女が言った。
そうなると、このゲームの対象であるサクラが思い出したということだ。
ゲームの内容は予め頭の中に入っている。この記憶が前世のものだと分かる前から、この脳に刻み込まれているのだ。
親友を探し、名を呼び、一定の時間だけ動かないようにさせれば、それで終わり。その動かない内に、見つけた証拠として〝ヴィンコラーレ〟というものを力で刻む。束縛を意味するそれは、体に刻み込むのではなく魂にするもので、言われなければ刻み込まれたことに気付かないという。
彼女は親友探しのゲームだと言っていたこれ。
期限は一ヶ月だと、わたしは知っている。
早く見つけなければ、早く勝たなければ。私が、死んだ意味がなくなる。
ベッドから起きると支度を始める。
まずはリリス・サイナーについて調べなければ。
娯楽にも仕草にも策にも癖はある。ゲームのヒントになるかもしれない。
カラーコンタクトがなくなったこの世界で、黒目は隠せない。この黒髪だけでも隠せないものか。カツラもない。あっても、わたしが買うのはどういった目で見られるのだろうか。祖父へのプレゼントだと思えばいいが。
クローゼットの中を見ると、大きめの物を買ったフードがついた服を見つける。これだ。迷いなく着て、調べものならここへ行け、と言われる中央公民館へ向かった。
※
歴史でもいいが、まずは神話についてだろうか。
本に囲まれた空間の中、心の中で呟く。
「多いな……」
流石と言うべきか、中央公民館は本や資料の数が多い。特に信仰しているリリス・サイナーについて調べようとなると、数は千を超える。予想はしていたが、歴史や神話、サイナーについての本は二階を全て使われていた。
厳しい条件で選んでも、神話コーナーで十数冊ほど。その中から三冊取って、机へと行く。珍しく、誰も座っていなかった。
一時間、だろうか。ずっと本に集中していた。
ずっと下を向いていたため、首が痛い。
それに、さっきから思っていたが、何だか騒がしい。音一つが響いた、あの沈黙が今はない。何かあったのだろうか。
「あれ……凛?」
そんな時に、聞き覚えのある声。自分を愛称で呼ぶのは、この世で一人しかいない。振り返ると、案の定覚えのある茶髪。
「悠馬……」
「よお、調べもん?」
純血であるわたしを見下さないこいつは、わたしの幼馴染の越智悠馬だ。
家が隣でそれなりに親しいが、人気者が故に休日などは会えなかった。最後にあったのは、確か一か月前だった気がする。元々親の付き合いがあってこその関係だったため、最近は特に会っていなかった。
「リリス・サイナーについて少し、な。お前はどうした?」
「本返しに来た。今から帰るとこ」
そう言われて悠馬の手元を見ると、小説が二冊と漫画が一冊。
これは本気で驚いた。
「まさかお前が小説を読むとは。世の中珍しいこともあるものだ」
「うっせー! 俺だって普段は読まねえけどよ、勧められたからには無視できねえだろ」
人気者の悠馬らしい答えだ。前と何ら変わってないことに安心する。そして、久しぶりに人と会話していることに気付き、それからまた驚く。声が出来くなるのを恐れて、独り言も無意識に多くなった気がする。このままでは、サクラに会った時に笑顔を見せられるのは心配だ。どうにかしないと。
心の中で小さな決意をしている間に、悠馬が小さく声を漏らした。我に返って彼の顔を見ると、大きく右を向いて目を見開いている。何事かと思いその視線の先を辿る。悠馬が見ている何かを見つけ、三秒後。その派手な色の長髪が、目に焼き付いた。
――金色の混じった橙色の長髪。
――黒かった目は今では崇拝される輝きの金に。
――誰もが魅了される美貌。皮肉に歪められた口。
覚えている。わたしは、彼女を知っている。ずっとずっと、心の中で頭の中で、わたしの名前を呼び続けた親友。忘れようはずもない。
サクラ。アオイサクラ。ずっと会いたかった。
呼び止めようとした悠馬の声が聞こえたが、ノイズのように遠く感じた。この場を離れて他のコーナーか、それとも一階に行こうとしているサクラを追う。行き成り走り出したわたしを見て驚いた人が何人もいたが、純血だと分かるとすぐに目を逸らした。
彼女が止まったのは、一階に行く階段の隣にある歴史コーナーのところにあるイス。
今だ。声をかけるなら、今。
声をだそうと口を動かした瞬間だった。
視界が回ったのと、急な暗転。
逆さになったまま、開いた口が塞がらない。
足を誰かが掴んでいる。顔は見えないが、その掴んでいる手は明らかに男。
頭に血がのぼる。怒りからではなく、真っ逆さまだから。
何度も言うが、今わたしは真っ逆さまだ。
誰かがわたしの足を持って、高くあげているから。ついで言えば、やることもなくブラブラと揺れているのが現在である。
「なあ――」
低い声が足元(だが決して床ではない)から聞こえた。
「お前、今何しようとしてた?」
ただ声をかけようとしただけで、わたしは別に怪しいことなどしていない。なのに、どうしてそんなことを聞かれるのだろうか。そもそも、サクラに声をかけることに、この男に何の関係があるのか。
小さな怒りと困惑。
このままの体制は嫌だと、体を捻り、左足を掴んでいる手を掴まれていない右足で思いっきり蹴った。そうなると思ってなかったのか、そこまで力を入れていなかったため、そこで足が解放されたのは驚きからだろう。バク転して上手く着地し、そこでようやく男の顔が見えた。
白に近い銀髪。
こちらを見下している赤と青のコントラスト。
そして、――肩にかけている槍の黒いホルダー。上の方に縫い付けられている紋章が表すのは、死の黒。見たことがある。いや、見たことがないのは逆におかしいのだ。
「――〝二つの槍〟!」
世界の女王であり、人類最強のリリス・サイナー。それを守護する四家の【五陀】。その中の雪月から選ばれる、国の宝。死神セプリアドゥー・ドゥーウェンと、癒しの神コンライト・アモーレが、それぞれに直接に力を入れた神器。必然、その神の力を使えるようになる。
その、〝二つの槍〟がどうして、どうしてこんなところに――!
そいつはニヤリと笑う。蒼の片目だけが細くなる。くしゃりと笑った、まるで無邪気なそれ。
「そ。俺が雪月の死槍。――で、結局何の用だ?」
「お前に答える必要性が見当たらない」
「なに、お前も察しやがれ。――あそこに座ってるのが、誰だか分かってんのか?」
「は……?」
そう言われて、サクラの方を見る。これだけ騒げば誰か気付くかと思えば、ここは丁度死角になっていて、彼女からも他の客こちらが見えない。その前に本を読んでいることで、彼女が気付くことはない。だが、彼女は顔を上げた。わたしの方を見てはいない。当たり前だ。――だが、それで十分。それで、その目が何色だったか思い出させるのには、十分。
――金色の目。それは、この世界で崇拝される目。
だが、それだけでは【五陀】の雪月がいる理由にはならない。四家は、【五陀】は、〝二つの槍〟は、人類最強のサイナー――リリス・サイナーにのみ、仕えるのだから。まるで守るように、この男がサクラを気にかけていることは……。
「――――――――あ、」
「分かったかよ。――アイツは、リリス・サイナーだ。今、近づけるわけにはいかねえ」
それは結局、彼女が本を読んでいる最中だから、と。
随分と小さなことだが、彼にとってサクラは主君だ。何かに集中している今、それの妨げになることは頂けないのだろう。そもそも、わたしをラインだと思っているこの男としては、普通に話したくないとも思っているのだろうから。
「あれが終われば、話せるか?」
「それを決めるのはアイツだ」
顎でサクラを示す。
なんだろう……その、【五陀】にしてか敬意が見られないというか……。
…………まあ、それはいい。今はサクラのことを考えておけばいいんだ。
「アイツが出るのは一時間くらい後だろ。話したかったら、アイツが図書館を出た五分後にドアのところで待て。会わせてやる」
そう言って、その男が背を向けた。名前を知らないと気付いたのはその二分後。
男が言った通りに、サクラが図書館から出たのが一時間十分後。
そして――――疑問に思ったのが移動している十秒後。
去り際、あの男の表情。
悪戯が成功したかのような、しかし獲物を見つけた肉食動物のような、ギラギラといっそ無邪気な目。
一瞬こちらを見た、その目。微かな嘲笑と暗いナニカに――ゾッと、した。




