だんちん(の)こ
団地の空と、タワマンの空
「ねえ、君は何階に住んでるの?」
小学四年生の春。
転校してきた少年、朝倉湊は何気なくそう聞いた。
「五階!」
俺は胸を張って答えた。
団地の五階だ。
エレベーターはない。
毎日階段を駆け上がる。
息を切らしながら家に帰るのが当たり前だった。
「すごいね。僕は四十八階。」
その瞬間、教室が少しだけ静かになった。
四十八階。
俺の知らない数字だった。
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初めて湊の家に遊びに行った。
駅前に建つ巨大なタワーマンション。
オートロック。
コンシェルジュ。
ホテルみたいなロビー。
エレベーターは音もなく上昇し、耳が少し痛くなった。
窓から見える景色は雲に届きそうだった。
「富士山が見えるよ。」
俺の家から見えるのは、向かいの団地だけだった。
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ゲームをしていると、湊のお母さんがおやつを持ってきた。
「ピアノまであと三十分だから、それまで遊んでてね。」
「今日は英語もあるんだ。」
「明日はプログラミング。」
「土曜は水泳。」
俺は驚いた。
そんなに習い事をして、遊ぶ時間はあるのか。
「うちは全部普通だよ。」
普通。
その言葉が妙に引っかかった。
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数日後。
俺も家に友達を呼ぶことになった。
「狭いね。」
誰かが悪気なく言った。
四人座ると部屋はいっぱいだった。
古いエアコンはガタガタ音を立てる。
壁は薄い。
隣のテレビの音まで聞こえる。
母さんは笑っていた。
「ごめんね、古くて。」
謝ることじゃない。
なのに、俺は初めて恥ずかしいと思ってしまった。
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運動会の日。
親が応援に来る。
湊のお父さんはスーツ姿だった。
俺の父さんは来なかった。
仕事だ。
いや、本当は夜勤明けで寝ていた。
母さんは一人でビデオを撮ってくれた。
帰り道。
「お父さん、忙しいんだね。」
湊はそう言った。
悪意なんてない。
でも、その一言が妙に刺さった。
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六年生になる頃には、違いはもっと増えた。
中学受験。
塾。
留学。
英検。
俺は放課後、公園でサッカーをしていた。
湊は放課後、未来を積み上げていた。
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卒業式。
先生が言った。
「みんな可能性は平等です。」
俺はその言葉を信じたかった。
でも帰り道、湊は言う。
「春休みにシンガポールへ行くんだ。」
俺は母さんに聞いた。
「海外っていくらするの?」
母さんは少し困った顔をして笑った。
「テレビで見るだけでも十分だよ。」
その夜。
団地のベランダから空を見た。
同じ空。
同じ星。
でも。
俺たちは本当に同じ場所に立っているのだろうか。
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高校三年。
進路希望。
湊は海外の大学。
俺は就職。
久しぶりに二人で話した。
「昔、一緒に遊んだよね。」
「ああ。」
「君ってさ、なんでもできるよな。」
俺は笑って言った。
すると湊は首を振った。
「違うよ。」
「僕は失敗できなかっただけ。」
意味が分からなかった。
「親も祖父も有名大学。会社も決まってる。期待を裏切れない。」
「自由に就職を選べる君が羨ましかった。」
俺は苦笑した。
初めて思った。
壁は一枚じゃなかった。
向こう側からも見えていたんだ。
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社会人になって数年後。
俺は営業マン。
湊は外資系企業。
年収は何倍も違った。
住む場所も違う。
乗る車も違う。
見る景色も違う。
それでも、たまに飲みに行く。
別れ際、駅前で空を見上げた。
団地から見た空。
タワマンから見た空。
高さは違っても、空そのものは変わらない。
変わるのは、そこへたどり着くまでの階段の数だけなのかもしれない。
けれど、その階段を登る力さえ、生まれた場所で決まってしまうことがある。
子どもの頃の俺が感じた絶望は、本物だった。
そして大人になった今なら分かる。
あの壁は、コンクリートでできていたわけじゃない。
見えないのに、何よりも硬い。
「環境」
という名前の壁だった。




