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だんちん(の)こ 

掲載日:2026/07/12

団地の空と、タワマンの空


「ねえ、君は何階に住んでるの?」


小学四年生の春。


転校してきた少年、朝倉湊は何気なくそう聞いた。


「五階!」


俺は胸を張って答えた。


団地の五階だ。


エレベーターはない。


毎日階段を駆け上がる。


息を切らしながら家に帰るのが当たり前だった。


「すごいね。僕は四十八階。」


その瞬間、教室が少しだけ静かになった。


四十八階。


俺の知らない数字だった。



初めて湊の家に遊びに行った。


駅前に建つ巨大なタワーマンション。


オートロック。


コンシェルジュ。


ホテルみたいなロビー。


エレベーターは音もなく上昇し、耳が少し痛くなった。


窓から見える景色は雲に届きそうだった。


「富士山が見えるよ。」


俺の家から見えるのは、向かいの団地だけだった。



ゲームをしていると、湊のお母さんがおやつを持ってきた。


「ピアノまであと三十分だから、それまで遊んでてね。」


「今日は英語もあるんだ。」


「明日はプログラミング。」


「土曜は水泳。」


俺は驚いた。


そんなに習い事をして、遊ぶ時間はあるのか。


「うちは全部普通だよ。」


普通。


その言葉が妙に引っかかった。



数日後。


俺も家に友達を呼ぶことになった。


「狭いね。」


誰かが悪気なく言った。


四人座ると部屋はいっぱいだった。


古いエアコンはガタガタ音を立てる。


壁は薄い。


隣のテレビの音まで聞こえる。


母さんは笑っていた。


「ごめんね、古くて。」


謝ることじゃない。


なのに、俺は初めて恥ずかしいと思ってしまった。



運動会の日。


親が応援に来る。


湊のお父さんはスーツ姿だった。


俺の父さんは来なかった。


仕事だ。


いや、本当は夜勤明けで寝ていた。


母さんは一人でビデオを撮ってくれた。


帰り道。


「お父さん、忙しいんだね。」


湊はそう言った。


悪意なんてない。


でも、その一言が妙に刺さった。



六年生になる頃には、違いはもっと増えた。


中学受験。


塾。


留学。


英検。


俺は放課後、公園でサッカーをしていた。


湊は放課後、未来を積み上げていた。



卒業式。


先生が言った。


「みんな可能性は平等です。」


俺はその言葉を信じたかった。


でも帰り道、湊は言う。


「春休みにシンガポールへ行くんだ。」


俺は母さんに聞いた。


「海外っていくらするの?」


母さんは少し困った顔をして笑った。


「テレビで見るだけでも十分だよ。」


その夜。


団地のベランダから空を見た。


同じ空。


同じ星。


でも。


俺たちは本当に同じ場所に立っているのだろうか。



高校三年。


進路希望。


湊は海外の大学。


俺は就職。


久しぶりに二人で話した。


「昔、一緒に遊んだよね。」


「ああ。」


「君ってさ、なんでもできるよな。」


俺は笑って言った。


すると湊は首を振った。


「違うよ。」


「僕は失敗できなかっただけ。」


意味が分からなかった。


「親も祖父も有名大学。会社も決まってる。期待を裏切れない。」


「自由に就職を選べる君が羨ましかった。」


俺は苦笑した。


初めて思った。


壁は一枚じゃなかった。


向こう側からも見えていたんだ。



社会人になって数年後。


俺は営業マン。


湊は外資系企業。


年収は何倍も違った。


住む場所も違う。


乗る車も違う。


見る景色も違う。


それでも、たまに飲みに行く。


別れ際、駅前で空を見上げた。


団地から見た空。


タワマンから見た空。


高さは違っても、空そのものは変わらない。


変わるのは、そこへたどり着くまでの階段の数だけなのかもしれない。


けれど、その階段を登る力さえ、生まれた場所で決まってしまうことがある。


子どもの頃の俺が感じた絶望は、本物だった。


そして大人になった今なら分かる。


あの壁は、コンクリートでできていたわけじゃない。


見えないのに、何よりも硬い。


「環境」


という名前の壁だった。

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― 新着の感想 ―
〉それでも、たまに飲みに行く。   環境を越えた2人に乾杯
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