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18/19

18.祓う力ではなく

 弾き返された悪霊の気配が、遠のく。

 が、完全に消えてはいない。

 散り散りになった闇が、必死にレールを蹴る車両を追いながら、再び集まり始める。

 不気味なほど滑らかに。黒い色を、より黒く。暗闇を、より暗く。

「まてえ」「おいて いくなあ」

 どこからか、声が聞こえた。

 一番濃い怨念の塊から。無数の腕が細く、長く伸びてはもがき、空を掻く。

 いくつもの節を持った腕の先端が、少しだけ後部標識灯のランプに触れる。

 かと思えば。じわじわと絡みつき、離さない。

「やめてくれよ…………」

 招代は裏切られた希望を眺めながら、うめいた。

 さっきの一撃で何かを学んだのだろう。

 真正面から突っ込めば弾かれると悟ったのだろう。少しずつ車体を侵食して取り込もうとしている。

 それをさせじ、と。操作盤の中央に置いた赤い光が、心臓の鼓動のように激しく瞬いた。

 輝石が明滅するたび、悪霊の糸ひとつひとつを溶かしていく。

 それでも、悪意の波は終わらない。

 消しても消しても。絶え間なく、虚無の底から亡者が湧き出してくる。

「……マズいっ」

 招代は最悪の結末を予感し、息を呑む。

 限界が来ている。

 石が、燃え尽きようとしている。

 光を打ち出すたび、力が弱まっていくのが。目に見えて分かった。

 ハッキリとした赤い輝きが、少しずつ濁っていく。

 浄化の筋も、見るからに細くなった。

「頼む、あと少しだけ……!」

 焦りに突き動かされ、邪魔な桐箱を取っ払う。

 丸みを帯びた光沢は健在なものの、全体が黒ずんでいた。

 心なしか、奥底から感じられた鼓動も弱まっている。

「むだだあ ぜんぶ むだなんだあ」

 暗く染まった窓の外から。車両の塗装を削り取る、凄惨な摩擦音が聞こえる。

「ぜんぶ なくなれえ」

 声のヌシを退けようと、輝石のかすかな温もりが抗う。

 その時。

 ゴトン、と。

 にぶい音をたて、輝石が真っ二つに割れた。

 境内で渡された輝きは、もうない。

 黒く濁った丸石の中央から、干からびた骨と同じ色の、白い断層が覗き込む。

「ウソ……だろ?」

 招代の顔が、絶望の色に染まるには十分。

 澄生が、裏の蔵から持ち出してきた、と。内緒で渡してくれた石。

 しめ縄と紙垂で囲まれ、手のひらにずしりと収まった石。

 滑り止めマットの上にあったハズなのに。

 もう、輝きはない。

「おいっ!なんでだよっ!」

 同じように光を失った、胸元のペンダントを握った。

 先ほどの閃光で力を使い果たしたのか。石は冷たく沈黙する。

「くたばれえ」

 裏切られた希望に喉を詰まらせる間に、悪霊の猛攻が再開された。




 窓に細かなヒビが走る。分厚い防護ガラスが、見えざる暴力の前に力尽きた。

 だが、なにもできない。クモの巣状に走る亀裂を前にして、ただ立ち尽くすだけ。

 石は、砕けた。頼みの綱のペンダントも、応えてはくれない。

 対抗できる手段はもう、ない。

「くっそぉぉっ!」

 招代は操作盤の上に転がる石の片割れをつかむと、一番近い腕に投げつける。

 しかし。破れかぶれの攻撃は窓ガラスに当たった。何の奇跡も起こさず、虚しく転がる。

「おまえも おなじだあ」

 形のない闇の奥底から、痛痒すら感じていない、小馬鹿にするような声が響く。

 コッチの番だ、とでも言うように。悪霊が動いた。

 ガラス窓が、一気に砕けた。

 冷たい何かが、全身に襲い掛かる。

 耳元のすぐそばで、声が来た。

「かえせ」

 男の声。

 若い。怒っている。

「おまえがわるい おまえのせいだ」

 別の声も。

 女の声。震えている。意味の切れ目が、どこにあるのか分からない。

「さむい ここは さむい」

 また別の声。

 老いた声。叫んでいるわけではない。それなのに、鼓膜の内側へ直接流れ込んでくる。

「だれかいますか だれかいますか だれか」

「ゆるさない ゆるさない」

「どこへいった どこへいったんだ かえってこい」

「いばしょなんか あるわけない」

「しにたく なかった」

 声が増える。声が重なる。

 男、女、子供、老人——誰の声か分からない。脈絡もない。つながりもない。

 それぞれが、それぞれの暗闇から、てんでバラバラに叫んでいる。

(多すぎる……!)

 招代は濁流のように押し寄せる絶望の数に、息をすることすら忘れた。

 元々は、緑川ひとりだったのだろう。

 だが。今はもはや、彼だけの妄執ではなかった。

 路線の底に、コンクリートの隙間に。

 長い年月をかけて積み重なった、数え切れない嘆き声の堆積(たいせき)物。

 それぞれが、それぞれの恨みを持って。それぞれの痛みを叫んでいる。

「くるしい」

「みてくれ」

「わすれないでくれ」

「きいてくれ たのむから きいてくれ」

 耳を、塞げなかった。

 圧倒的な濃度の哀鳴が、鼓膜にかじりつく。

 頬に触れた死者の吐息が、招代の体温を奪う。

 乗務員室の壁が歪んだ。天井が落ちてくる。

 世界が、黒く染まる。

 声が、声が、声が——。

「たすけろ」

 限界を迎えた脳髄の奥で、なにかが弾けた。

「うわぁぁっ!」

 絶叫しか、出せなかった。

 人間としての尊厳も。車掌としてのプライドもない。

 死にたくない。こんなところで、名もなき呪いの一部になりたくはない。

 それだけが。崩壊寸前となった招代のすべてを占める。

「うわあっ!」

 少しでも悪夢から逃れようと。しゃがみ込もうとして、できなかった。

 深夜の列車が、急激にスピードを落とす。

 慣性の法則で、背中から内壁に叩きつけられる。後頭部を強く打った。

 息をつく間もなく、獣の咆哮のような駆動音。

 足元が強引に前へと持っていかれた。今度は、腹を操作盤に思いきりぶつける。

 だが、振り回された効果はあった。

 亡霊たちも、急制動と急加速についていけなかった。

 侵入しようとしていた黒い塊は、再び距離が離れる。

(助かった……のか?)

 計器盤にしがみつきながら、招代は頭を振った。

 耳障りな呼び出しブザーが鳴っている。後方の異状を察知した多田津助役の呼び出しだろう。

(助けて、くれたんだ)

 お陰で。状況を整理できるまで、理性が回復した。

 そして、一縷の望みも生まれる。

 このまま、つかず離れず。終着駅まで到着すれば。

(オヤっさんの、狙い通りになる)

 ダメだった。

 不意に。足の裏から伝わる振動が消えた。少しずつ、床が傾き始める。

「まさか」

 もう一度、後方を見る。

 悪霊は諦めてなかった。

 黒い無数の腕は細い糸を台車の車軸に絡め、持ち上げようとしていた。




 車輪の空転する音が、床下から伝わる。

 推進力を失った巨体が、フワリと嫌な浮遊感を伴って、浮き上がり始めた。

(このままじゃあ)

 脱線する。

 最悪の事態が脳裏に浮かび、招代はブレーキ弁を強く握る。

 だが。非常手段も、効果はない。

 地面から浮き上がった車輪をいくらロックしたところで、幽鬼の持ち上げる力には逆らえないのだ。

「どうするっ?!」

 解決の糸口を探す目に、呼び出しを示すランプが赤く点滅する。

『御厨っ、大丈夫かっ!』

 スピーカーを切り替えると、多田津の太い声が弾け飛んだ。

「なっ、なんとか……。いやっ、それよりもっ!」

 傾斜する操作盤を使って踏ん張りながら。運転士に状況を説明する。

『なっ!』

 報告を受けた運転席の多田津は、事態の絶望的さに言葉を失う。

『どうするっ!何か手はあるかっ?!』

「停車してくださいっ!そうすれば、最悪の事態だけは避けられますっ!」

『分かったっ!』

 すぐさま、激しい機械の操作音が無線の向こうで荒々しく響き渡る。

 だが、その直後。

 聞こえてきたのは制動音ではなく、焦りを含んだ舌打ちだった。

『クソっ!ノッチが動かねぇ!』

「ええっ!」

 予期せぬシステムの沈黙に、招代も顔面が蒼白になる。

「それじゃっ、このまま――」

『あきらめるなっ!』

 多田津の怒号が、恐怖に飲まれかけた招代の鼓動を激しく揺さぶった。

『オレがどうにかするっ!御厨はっ、自分の職分を果たせっ!』

「オヤっさんっ……、でもっ……」

『復唱っ!』

「はいっ!自分の職分を果たしますっ!」

 反射的に。招代は背筋を伸ばしてしまう。

 それだけで、恐怖が和らいだ。心に、少し余裕ができる。

(車掌として、鉄道員として。今、できること……)

 胸の内側で何度も反芻すると、マイクを握る。

『安全のため、前方にお詰めくださいっ!』

 冷静に言えたかどうか。たとえ幽霊だとしても、乗客の安全は最優先。

 このまま横転したとしても。乗客の被害は最小限にしなければならない。

 だが。悪霊の群れも諦めなかった。

「ずるいぞ」

「おまえたちだけ たすかるなんて」

 砕けたガラス窓を乗り越え、無数のどす黒い腕が、ずるりと室内へ這い寄ってくる。

 うごめく影の先端が、招代の革靴にべっとりと触れた。

「ひっ!」

 肝を潰しつつ、招代は乗務員室に視線を巡らした。

 他に使えるものがあるか。頭の中を、素早く引っ繰り返す。

 ない。ない。ない。

 手を壁につき、傾く床に必死で耐えながら。狂ったように狭い室内を探し回る。

 計器、マイク、業務カバン——。

 業務カバン。

 カバンの中に、カンテラがある。

「あっ……」

 銀色の筒を見た瞬間、招代の脳裏にひとつの記憶がよみがえる。

 停電した神宿駅の半地下ホーム。オヤっさんは腰から外し、高々と掲げた姿。

 白色の力強い光が、重い闇を円く切り取った。

 そして。床に倒れた自分の胸元で、ペンダントが強烈な光を放った、あの夜。

(カンテラに、輝石を入れたら)

 招代はシャツのボタンに手をかけた。

 勢い良く、引きちぎるように2番目のボタンを開ける。胸元に指を差し込んで、ペンダントを掴んだ。

 実家を逃げ出した夜から、ずっと着けていた。

 眠る時、乗務中だって。肌身離さずにいた。

「ええぃっ!」

 力任せに、首から下げたペンダントをもぎ取る。

 細いチェーンが首筋に鋭い痛みを走らせ、鈍い音とともに引きちぎれた。

 カバンを引き寄せ、カンテラを取り出す。スイッチを入れると、白い円錐形の光が傾いた床を舐める。

 上蓋を開き、ペンダントを中へ落とした。

(頼む——)

 招代は、カンテラを高く掲げる。

 握りしめた取っ手に全身の願いを込め、叫び声の渦の中で目を閉じた。

 遥の顔が浮かんだ。

 沙織の顔が浮かんだ。

 多田津の背中が浮かんだ。

 澄生の照れ笑いが。健人の怒鳴り声が。

(お願いだっ!もう一回だけ、奇跡を)

 カンテラから、光が噴き出した。




 危険を示す赤色でも、安全を意味する白でもない。

 ふたつの光が混ざり合い、昇華した――生命の熱を帯びた、金色の光。

 集束した光の柱が、招代の手から一直線に。押し寄せる亡者の群れを真っ向から薙ぎ払う。

 カンテラという器が、輝石の力を一点に絞り込む。

「ああ…………」

 言葉を失った。

 のたうつ黒腕の中心を、破邪の槍が貫いた。呪いの大穴を、無残に食い破っていく。

「ひどい」

 乗務員室を侵食していた死臭が、まばゆい光の粒子に分解され、空間ごと霧散していく。

 窓の外を覆う、どろりとした闇の障壁が、焼かれてボロ布のように剥がれ落ちていく。

「いたい いたい」

 穴の中心は空洞となり、数多の呪いがその形を失った。

 わずかに緑がかった死人の燐光が、光に追いつめられて千切れ飛ぶ。

「おれは わるくない」

 声が、枯れ葉が擦れ合う音に変わった。

「だれも たすけてくれない」

「なんで なんで」

「いじめるんだ」

 思い思いに。足並みを揃える気すらなく。

 壊れた楽器が鳴り続けるような、惨めな悲鳴。

「うわっ!」

 ガシャンッ!

 浮いていた車両が支えを失い、レールの上に落下した。

 鈍い地響きを立てる重い衝撃が、招代を上下に揺さぶる。

「さむい」

 ドーナツ状に中身を焼き払われた暗闇は、細くしなびた輪へと変わった。

 それでも最後の力を振り絞り、もう一度車両に忍び込む。

「くらい」

 招代はなにもできず。正面から迫りくる、執念の塊を凝視するしかない。

「うらめしい」

 黒い腕が一本、カンテラを持った腕に指を伸ばす。

 だが。

「なんで おまえだけ」

 呪いの言葉を残して、黒い手が崩れた。

 はらはらと。細かい黒い紙片となって、煤となって空へと舞い上がる。

「あ……」

 列車は減速を始めていた。穏やかなリズムを取り戻し、遠くで滲む街灯を車窓へ映し出す 。

『御厨っ、無事かっ!応答しろっ!』

 停車するのと時を同じく。

 無線から多田津の、せっぱ詰まった地鳴りにも似た咆哮が無線から鳴り響く。

「オヤっさん」

 招代は呆然としながら、マイクを手にして呟いた。

「どうやら、終わったようです」




 状況を把握するため、車外に出ると提案したのは招代だった。

『……分かった。十分、注意しろよ』

 多田津は一瞬、却下しようとした。

 が、安全確認の必要性を十分以上に知っている。断る理由はなかった。

 代わりたいのが本音だが、彼も運転席から周囲を監視する義務がある。任せるしかない。

『いいか。少しの異変を感じたら、すぐに戻ってこい』

 上司から念を押され招代は、携帯無線機とカンテラを手にバラストの上へと降り立つ。

 黒い手に追われて気付かなかったが、車両は地上に出ていたらしい。

 点在する民家の明かりが、生者の世界を証明した。

「静かだ」

 湿気を含んだ熱気の中、そろそろとレールの上を進む。気配だけを頼りに、手にした明かりを左右に振るう。

 先ほどまでの。身の毛もよだつ感覚は、もうない。

 だが。この世には存在しない、黄泉の匂いは残っている。

「こっち、か?」

 光源を、黒いすすが散らばる枕木の先へと向けた。

「あ」

 見つけた。

 真っ直ぐに続く線路の奥。暗闇に白く浮かび上がる亡者の群れ。

 しゃがみ込み、小さく身を寄せ合って。全員が震えている。

 攻撃の意思も、怒りもない。

 ただ、光から逃れようとして、もがいている。

「ごめんなさい」

「くるしい」

「つらいの つらいの」

 おびえた声が漏れた。瞳のある空洞が、招代が照らす光源にたじろぐ。

 怒鳴り声ではない。懺悔でもない。

 行き場を失って途方に暮れる、か弱い影法師。

(この人たちも……)

 遥の顔が、招代の脳裏をよぎる。

 深夜のホームで立ち尽くしていた遥と、重なった。

 何を探しているのか分からないまま、年月だけが過ぎていった彼女が。

 だとすれば。

『御厨、どうした?』

 無線から多田津が話しかけてきた。上司の案じる声色に、現世との繋がりを実感する。

 招代は携帯無線機を口元へ寄せ、静かに息を吐いた。

「どうも、お客さまが線路内に侵入したようです」

『客?』

「はい」

 力強く、揺るぎない確信を乗せて返す。

「彼らも、霊峰までお連れします」

 業務用の声が、口から出た。

 そうしないと、いけないと思った。

「車両まで、ご案内します」

 無線を切ると、カンテラを低く持ち直す。

 悪霊であった亡霊の一団に向けるのではなく。光が足元を照らす角度に。

 まるで、行き先を示すように。

 ざわめく声が、止まった。

 それでも、迷い人はためらい動かない。

「さ、コチラへ」

 招代は一切の敵意を見せず、やさしく手招きした。

 やがて。見えない糸に引かれるように、白い影たちは動き出した。

 ゆるやかに。でも確かな意思で。光の方へ。




 迷える群衆をすべて乗せ終えると、無人の列車は再び動き出した。

 招代は遮光幕を指の背でめくり、客室をうかがう。

 亡霊たちは皆、静かに座っていた。

 席のないいく人かは、吊り革につかまって立っている。

 かつて悪霊だったものも、遥をはじめとする先客たちも。互いにその存在を静かに受け入れていた。

 今は客席の中に、それぞれの居場所を見つけている。

 誰も喋らなかった。音すら邪魔者であるかのように、物音ひとつしない。

 車内の最後尾に目が留まる。

 遥が仕切り扉の脇で、壁にもたれかかっていた。

 乗り込んでくる者たちを迎えるのと同じ場所に。

 いつの間にか、そこを自分の居場所と決めたかのように。

 目が、合う。

 遥は何も言わなかった。

 招代は遮光幕から手を離し、前を向いた。

 首の根元が、ひどく心もとない。

 ペンダントを外したから。ずっとそこにあった重みが、なくなったから。

 気づけば手が、無意識にシャツの胸元へ伸びていた。

 何もない。あるはずのものが、ない。

 首の根元が、すうすうと寒い。

 それでも列車は、止まらなかった。

この小説は、執筆にAIを利用しています。



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