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16.鎮魂の列車

 宗一が縁側に現れたのは、境内を流れる昼の静けさの中だった。

「澄生」

 社務所の前をほうきで掃き清めていた澄生に、宗一が縁側から問いかける。

「なんですか、宗一兄さん」

 兄の声にも、手の動きは止めない。石畳に薄く積もったホコリを、一定のリズムで玉砂利の底へ追いやっていく。

「裏の蔵にしまってあった輝石、見なかったか?桐箱ごと、なくなっているんだが」

「知らないよ。どこか別の場所に移したんじゃない?」

 間一髪も置かずに返す。声音に、何の変化も乗せない。

「それに。今さらあんな石、どうするの?霊力、枯れたって聞いたけど」

「ああ。だから細かく砕いて、お守りに入れてみようかと」

「なるほど。色々と、がんばるね」

「そうでもしないと。維持費ばかりがかさむからな」

 宗一は縁側の柱に寄りかかり、庭先を睨みつけた。

「家を守るにも、先立つものが必要だ。少しでも足しにできるなら、ガラクタだって使うさ」

「兄さんは、大変だね」

 澄生はようやく、掃除の手を止めた。疑いをかける長兄に、いかにも殊勝な顔を作り上げる。

「でもね。僕は知らないよ」

 涼しい顔で。少々の軽蔑も込め、肩をすくめてみせた。

 宗一は何も言わない。

 何食わぬ顔した末弟を、冷たく澄ました視線で射抜くだけ。

 的になった澄生も、胸の奥底を見せはしない。どこまでも無垢な弟を演じ切る。

 兄弟の、探り合う視線が空中で交錯する。

 が。最後には、

「そうか」

 と、宗一が小さく呟くことで決着はついた。

 実弟に対する猜疑心だけを残し、社務所の暗い廊下へ消えていく。

「器の小さいヤツ」

 澄生は、兄の背中を鼻で笑った。

 風が、杉の木立を揺らした。鳥の声が遠い。

(招代兄さんが真実を知ったら、どんな顔をするかな?)

 霊力が枯れかけた石。お守りの粉増しか使えない、用済みの石。

 だから、渡した。

 霊感を持て余し、逃げ出した中途半端な兄――招代。

 彼に、あの石が完全に力を失った抜け殻だと、見抜けはしないだろう。

 そして。あの男が役目を終えた石を信じ、勝手に自滅してくれれば。

 澄生はひとり、ほくそ笑む。

 厄介な次兄が消えてくれれば、自分の手に入るものが確実に増える。

 神社の継承。土地の名義。その他諸々の、有形財産。

 父が不治の病を患った、と分かってから。澄生の頭の中には、どうやって金目の物を持ち出すか、という計画しかない。

「なのに」

 澄生の手が止まった。

 もし。あの男が実家に戻り、後継者争いにしゃしゃり出てきたら。

 確実に、手に入るものが目減りする。

 内密に進めた話が、全部ひっくり返る。

「だったら」

 その前に。二度と、神社の敷居を跨げなくすればいい。

 聞き耳を立てた時、また厄介事に巻き込まれたのだと分かった。あの石を、きっと使うだろう。

 痛い目を見るなら、それで良し。

 あわよくば、そのまま——

 そう祈る薄い笑みを、春の境内が黙って受け取った。

 澄生は、止めたほうきを再び動かし始める。

 規則正しく。何事もなかったように。




 点呼まで、まだ少し時間がある。招代は詰め所の長椅子に腰を下ろし、膝の上に業務カバンを置いた。

 緊張していた。

 初めて乗務員室に立ち、助役の指導を受けた時と同じ。いや、それ以上の震えが指の先に現れる。

 大きく息を吸い、吐く。それでも、視線の置きどころに迷ってしまう。

 カバンの口が、少し開いていた。

 中に桐箱がある。昨日からずっと、底に隠していた。

 これが、頼みの綱。

 早瀬遥を守り抜くための、たったひとつのより所。

 窓の外に視線を動かす。

 真っ暗だった。

 室内の張り詰めた静寂を切り取るように。銀色の額縁が真っ黒い景色を飾り立てる。

 このキャンバスの先が、これから向かう場所。

 高穂山口駅、霊峰への入口。

 誰も乗らない列車を動かし、神の膝元へ。早瀬遥を送り届けるのだ。

「御厨」

 もう一度深呼吸すると、詰め所のドアが開いた。

 一分の隙もなく、制服を着込んだ多田津助役が姿を現す。

 いつもと変わらない、修羅場をくぐり抜けてきた頼もしい顔。今回だって、路線を蝕むのが何かを知った上で、業務に携わろうとしている。

「時間だ」

 腹に響く、低い声。迷いは一切ない。

 招代は勢い良く腰を上げた。

 かかとを揃え、揺るぎない立ち木となり、助役の前で背を伸ばす。

「点呼、お願いします」

「おう」

「本日の乗務、第4219行路。車掌、御厨です。睡眠十分、体調異常なし。 アルコール反応なし」

 すぐ横に据え置かれた、アルコール検知器を横目で見る。

 ディスプレイに浮かぶゼロの文字を確認すると、胸ポケットから懐中時計を取り出した。

「時計、1時32分ちょうど……整正、よし!」

 基準時計と秒単位まで合わせ、元の場所にしまう。

「では、本日の注意事項。神宿駅〜高穂山駅間、すべてが深夜の運転となる。

 また、沿線で強風の予報が出ている。風速計の指示に注意すること。以上」

 多田津が制帽のひさしをぐっと下げ、自分も足元に置いていたカバンを持ち上げる。今日は、彼も運転台に座るのだ。

「じゃあ、行くぞ」

 招代は、多田津の背中を追って詰め所を出た。




 午前1時43分。

 2番ホームに停車する臨時列車は、すでに出発の準備を終えていた。

 いつもと同じ十両編成の車体。パンタグラフを上げ、行き先表示器には「回送」の二文字が浮かぶ。

 コンプレッサーから吐き出される荒々しい息遣いが、出発を待ちわびていた。

「これが……」

 招代の口から、感嘆と緊張の入り混じった乾いた声が漏れる。

 毎日、業務で乗り込んできたのと同じ車種。扉を開け、乗客を迎えてきた、何の変哲もない通勤電車。

 なのに、今夜は違って見える。

「まるで……、違う世界へ行くみたい……」

 開け放たれた乗降口の傍らで。早瀬遥は、これから乗り込む鉄の箱を無言で見つめていた。

「お待たせしました」

 招代が横に立つと、彼女は薄く微笑んでみせる。

 初めて会った時と同じ目で、古い年代のリクルートスーツ姿。ベージュのコートは手に。

 この世との境目をぼやかして。二十数年前のあの時から、時を止めたままの姿で。

「準備はよろしいですか?」

 今日は、彼女だけが列車の乗客となる。そのために、特別ダイヤの深夜便を準備した。

 遥は、コクリ、と頷いた。

「お願いします」

 いつもより、声が固い。彼女も緊張しているのだろうか?

「では、コチラへお願いします」

 招代は現世から切り離された魂を、最後尾の車両に案内する。

 彼女に、見送りはない。

 保守点検のため、関係者以外の立ち入りが禁止されるのは仕方ないこと。

 何よりも、今夜の便の深意は極秘扱い。

 上層部が直々に。情報漏洩のため、関係者以外は立入禁止だと通達が出されている。

 よっぽど一般人に知られたくないのだろう。事故の原因を、神頼みで解決しようとする魂胆を。

(神経質、過ぎるよな)

 とばっちりを受けた、沙織の声音を思い出した。

 親友の旅立ちを見送ることすら許さない会社の保身に、下の上で苦いものを感じる。濃く煎れ過ぎたコーヒーみたいに。

「……切り替えろ」

 招代は頭を振り、胸中にくすぶる不満を追い出した。今は感傷に浸る時間ではない。

 遥を丁寧にエスコートした後、招代も乗務員室へ。

 乗降口の、扉開閉スイッチのロックを解除し、計器類に異状がないかチェックする。

 いつもと違うのは、カバンから出した桐箱を扱うことだけ。

 招代は操作盤の中央の平らな場所に、滑り止めマットを敷いた。

 その上に桐箱をしっかりと固定する。

 走行中の揺れで閉まってしまわないよう、蓋の隙間に丸めたメモ帳を挟み込んで天蓋を半開きにする。

 口を開けた箱の奥から漏れる赤い光。室内灯で満たされた乗務員室を、小さな命のともしびが彩る。

「よし」

 石の安定を指差し確認すると、壁にかかったマイクを握った。

「本日は、天凰電鉄をご利用いただき、まことにありがとうございます」

 いつもより作った放送用の声で、試験放送を始める。

「この電車は神宿始発、高穂山口直通電車となります。途中駅には止まりませんので、ご注意ください」

 マイクのスイッチを切った後、意味のない放送だ、と思わず自嘲してしまう。

 乗客はひとりだけ。他には、誰も乗り込む予定はない。

 それでも、準備の手順を省くワケにはいかない。

 招代は準備が完了したことを伝える連絡用ブザーに指をかける。

 その時だった。

 コン、コン。

 仕切扉のガラスをノックする小さな音。招代の脳裏に、中根先輩と一緒に襲われた、あの時の情景がよぎる。

「あの、御厨さん」

 ためらいがちに届く遥の声。力の入った肩が小刻みに震えている。

「どうしました?」

「あの、ですね……。胸のあたりがザワザワする、というか」

 内扉を解放した先で、遥が青白い輪郭を揺らした。

 様子が、おかしい。

「ずっと昔、あの日にも感じたような感じで。何かが、じわじわと迫ってくる気がして……」

 怯えたように視線が定まらない。周囲を恐れるように、自身を抱いて身震いする。

 「大丈夫ですよ」

 何かに怯える亡霊に、招代は穏やかな声で応じた。

「自分がついてます。それより、もうすぐ出発しますので。

 座席に腰を下ろして、リラックスしていてください」

 やさしく着席を促し、乗務員室に戻る。

 内心は、ひどくうろたえていた。

「……緑川だ」

 白い手袋の内側が湿った。皮膚の内側から、ゾワゾワした悪寒が背筋をよじ登ってくる。

 間違いない。

 二十数年前。この神宿駅で彼女の命を理不尽に奪い去った、あの狂気だ。

 姿を持たない、底知れぬ悪意が。時を経て、同じ女性を暗闇へ引きずり込もうと迫ってくる。

「落ち着け。恐れるな」

 招代は胸に手を当て、呼吸を整える。視線の先には、赤い光を脈打たせる切り札の輝石。

 大丈夫。こうして、万全の準備を整えたのだ。昔とは状況はまったく違う。

 自分自身の中で決着を付けると、運転席との連絡用である呼び出しブザーを押した。

 短信1回。運転士である多田津への、準備完了の合図。

 すると。運転士からも完了の返信が返ってきた。

 準備は、すべて整ったのだ。




 午前二時ちょうど。

 発車ベルも、アナウンスもなく。十両編成の列車が、重々しいモーター音を響かせて動き出した。

 神宿駅のホームが、後方へ流れていく。

 すぐに、漆黒に光点をちりばめた夜景に取り込まれた。

 賽は投げられた。もう、引き返せない。

 列車は地上区間を抜けると、次駅である八代の手前でトンネルへと潜り込んだ。

 外灯の光は完全に遮断され、圧倒的な暗闇が車体を包む。

 ひとつ瞬きをすると、ガラス越しに遥の様子をそっとうかがう。

 彼女は、重力さえ感じさせない透き通った姿のまま、流れる暗闇に視線を落としていた。

 何も映し出すことのない外景を、見送るように。

 窓ガラスに薄く透ける横顔が、あまりにも寂しげに見えたから。

「どうかしましたか?」

 動く気配のない横顔に心配となり、仕切り扉を少しだけ開けた。業務から少し離れ、隙間から声をかける。

「いいえ、大丈夫です。ただ……」

 遥はゆっくりと振り返り、血の通わない唇を動かした。

「お父さんに……会いたいな、って」

 静かな車内に響く、かすかな吐息。現世ではもう二度と叶わない、娘としての切実な願い。

「会えますよ。絶対に」

 まつ毛の先を揺らす遥に、招代は答えた。

 根拠は、ない。それでも、言わずにはいられなかった。

 遥は一度まぶたを閉じ、何かを振り払うようにして、本人にしか分からないほど小さく微笑んだ。

「はい」

 と、小さく呟き、再び窓の外へ静かに視線を戻す。

 招代も、何も言わない。

 それで、いい気がした。

この小説は、執筆にAIを利用しています。



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