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15.出発前夜

 日勤業務も終わりへと向かう、夕方の神宿駅。招代は駅舎の会議室へ向かう。

 途中、自動販売機の前で健人の哀愁漂う背中を見つけた。

「よぉ」

 窓から差し込む夕焼けに染まった彼は、この世の終わりのような顔で挨拶をしてきた。

「珍しい」

 駅舎の乗務員区所なんて、お客様センターに配置された人間が来る部署ではない。

 彼も承知しているのか、落ち着かない様子で買ったばかりの缶コーヒーを両手で遊ばせている。

「オヤッさんの呼び出しとあっちゃ、な。逃げ道なんてねぇし……」

 怯えた野良犬と同じ目を向ける悪友。招代は同情と、少しのおかしさを覚えてしまう。

 健人の気持ちは分かる。自分も、昔は苦手意識が強かった。

「いこっか」

 大きく肩を落とす健人に、招代はポンと軽く叩く。

 逃げ場を喪った健人と並び、重苦しい空気が漏れ出すドア扉を開ける。

 多田津は、すでに待っていた。

 ホワイトボードの前で。張り付けた路線図に描いた赤いマーカーを、指でなぞる。

 今回の、遥を霊峰へ送るためのルートだ。

「遅ぇぞ」

「すいません」「おっ、お疲れ様ですっ!」

 いつにも増して近寄りがたい、ピリピリしたムード。席につくふたりの肩にも、自然と力が入ってしまう。

「揃ったな。では、予定と段取りの最終確認をする」

 余分な前置きはない。

 現場ひと筋の男らしい、刈り込まれた口調。招代は手元のメモ帳を開き、ペンを握る。

「出発は翌日の午前二時、神宿始発。通常の十両編成で、名目上は回送運転、となる予定だ」

 書き出そうとした、招代の手元が止まる。

「ずいぶん急ですね?」

「善は急げ、って言うしな」

「列車の手配は、間に合ったんですか?」

「当然だ。指令に根回しもしてある」

 多田津は腕を組んだまま、続けた。

「それだけじゃない。保線部からも、計画の了承は貰った。

 当日は、保線員も一時的に路線から離れる」

「オヤっさんっ。ちょ、ちょっとま、待ってくださいっ、」

 目を丸くした健人が身を乗り出す。

「ホントっすか?電車を一本、走らせるだけっスよね?」

「車両が簡単に動くとでも思ったか?

 各部署との連携がなきゃ、一編成だって動かすこともできねぇよ」

 多田津はホワイトボードに字を書きながら、ギロリと健人を睨みつけた。

「これは、別に今回に限ったことじゃねぇ。普段の運行だって、同じこった」

「でも。こんなスケールになるとは、思いませんでした」

 招代も、健人と同調して戸惑いを口にする。

「会社だって、かなりの負担ですよね?よく許可が取れたな、と」

「それだけ本社の連中も、切羽詰まってる証拠だ」

 助役はホワイトボードの端を太い指で叩いた。重々しい溜め息が、会議室の中で居場所を探す。

「出来る手は、神頼みでも打っておきたいんだろう。これで解決できれば、万々歳だからな」

「そういうモンっすか?」

「当たり前だろ」

 多田津が薄く笑う。疲労と重圧の間に見せた、自嘲気味な笑み。

「とにかく。深夜に走らせる列車は、この一本だけ。コイツを走らすために、他の社員も動いている」

 助役の凄みを増した眼光に、招代も生唾を飲み込む。

(一本を動かすのに、こんな大勢の人間が関わってるんだ)

 他の人の目からしたら。今からやろうとしている事は、異状に映るだろう。

 大の大人たちが、本気でひとりの死者を運ぼうとしている。

 はたから見れば。誰も乗ってない空っぽの車両を、ムダに走らせようとしているのだ。

 気が触れたと笑われても、何も言い返せない。

「いいか?ここまで来たら、途中でダメでした、止めます。なんて言えねぇからな」

 なのに。多田津の口から改めて告げられると、実感が湧く。

 ついに、出発するのだ。

 明日の深夜。特別にダイヤを組まれた列車が、彼女の魂を霊峰へ運ぶ。

 見慣れた通勤車両が、巨大な柩へと変わる。

 誰も乗っていない、止まらない電車。

 真っ暗な線路を、一編成だけが走っていく。

「運転台はオレが座る。御厨、オマエが車掌業務だ」

 師匠からの、直接の指名。

 遥を救うと決めていたし、他に彼女と話できる車掌は、心当たりすらない。

 だが、実際に名前を出されると。招代の拳が、強く握られる。

「分かりました」

「健人、お前は地上側の連絡窓口だ。出発から到着まで、指令との橋渡しを任せる」

「了解ですっ」

 健人は背筋をピンと伸ばし、真剣な眼差しで敬語を返した。普段なら茶化して、軽口のひとつくらいは出るところ。

(分かっているんだ)

 ここに居る三人だけが、関係者じゃない。

 見えない場所で、数え切れないほどの仲間たちが。この前代未聞の計画を支えてくれているのだ。

「他に、確認はあるか?」

 多田津は、ひと通りを話し終える。招代と健人は、鋭く光る上司の眼光を、真っすぐ受け止めた。

「ないなら、今日はこれで解散だ。明日の本番に備えて、しっかり体を休めておけ」

 助役が手にしたマーカーをホワイトボードのトレイに置いた。

 すべての確認が終わり、会議を切り上げようとした矢先。

 会議室の扉がノックされた。コンコン、と2回。控えめな音。

 返事を待つこともなく。わずかに開いた扉から、田澤主任の長い首がヌッと現れた。

「オヤっさん。ちょっと、いいですか?」

「助役だろうが。で、何だ?」

「御厨くんと、お話がしたいと。窓口から連絡が」

 聞き慣れた、のんびりとした場違いな口調。多田津が眉をひそめる。

「相手は?」

「一般の、女性の方だそうです。お知り合いだとか、おっしゃってるらしくて」

 招代も、助役と一瞬だけ視線を交わした。

 主任の、ぼんやりした印象に反して。規則については、かなり細かい人間だ。

 なのに、業務中に私的な面会を取り次いだ。それも部外者を駅舎の奥深く、現場の人間しか立ち入れない領域まで通す。

 普段なら、まず考えられない。

 例外は。自分が極めて重要だ、と判断した場合のみ。

 訪ねてきた人物は、すぐに顔が浮かんでいた。

「…………仕方ねぇ」

 多田津が腰に手を置き、大きくため息をついた。

「応接室に案内してくれないか?後で、オレも行く」




 多田津が応接室のドアを大きく引くと、沙織が控えめな所作でソファーに腰掛けていた。

 よそ行きの上品なシャツブラウスに、長いスカート。手に小さなハンドバッグ。

 指の関節が白くなるほど、強く握りしめられている。

「突然、申し訳ありません」

 彼女は招代、そして多田津の顔を見かけると、静かに立ち上がり頭を下げた。

 落ち着いた声。だが、揃えられた膝元と足先に、わずかに力が入っている。

 見逃さなかった招代は、思わず眉根を寄せてしまう。

「いえいえ。ご足労、痛み入ります」

 多田津は会釈を返すと、テーブルを挟んで彼女の対面に腰を下ろした。

「今日は、どういったご用件で?」

「実は……、遥のことで」

 消え入りそうな声とともに、ハンドバッグの持ち手をきつく握り直す。

「佐々木さんから、お話はうかがったのですが……。少し、気になることが」

 揺れるまつげが、青い頬に影を落とした。

「もちろん、皆さんのことは信じております」

 弁解するように言葉を継ぐ沙織の瞳が、所在なげに足元へと伏す。

 友人の命運に、余計な思惑が介在していると知り、居ても立っても居られなくなったのだろう。

 信じます、と言ってくれた人が——それでも不安になって、ここへ来た。

 彼女の身を案じて、来訪したとしても、なんらおかしくはない。

「高橋さん」

 形のない恐怖と後悔に押し潰されそうな彼女へ、多田津は正面から受け止めた。

「はい」

「早瀬さんを、高穂に。霊峰までお連れします」

 短い言葉。

 説明でも、報告でもない。ただの、告知。

 その短さの中に、多田津なりの真剣さが凝縮されていた。

「……遥は、また怖い思いをしますか?」

 沙織は、少し間を置いてから。多田津へ頼み込むように両手をきつく組み合わせた。

「この間の……あんな恐ろしい出来事が。また起きたりは、しないでしょうか?」

 囮の計画を知りながら、それでもなお親友の無事を問わずにはいられない。

 震える声が、彼女の抱える恐怖の深さを物語っていた。

「万全を期します」

 間を置かず、多田津は答えた。迷いのない力強さで。

「安全に案内できるよう、御厨が車内で片時も離れず付き添います。彼女を、独りにはさせません」

 決して目を逸らさず。今回の張本人である多田津は、一切の迷いなく言い切った。

 腹の底に抱え込んだ、罪悪感を微塵も表に出すことなく。

「本当に……信じていいのですね?」

「ご安心ください」

 襟を正し、現場の責任者として。非の打ち所がない模範解答を口にする。

 沙織は、一度だけ深く息を吸った。それから、深々と頭を下げた。

「……どうか、遥をよろしくお願いします」

 妙齢な婦人からの、必死の懇願。

 多田津はわずかに顔をそらした。バツが悪そうに、制帽のひさしに手をやる。

「では。この後の予定もありますので」

 早口で告げると、多田津は先に席を立つ。

 その際、ほんの一瞬だけ。通り過ぎる助役の目が、招代を捉える。

 後は頼む。沈黙の眼差しが、そう訴えかけていた。

「えっ?」

 オヤっさんが、席を外した。

 責任を背負う部分を、非情な汚れ役を買って出た。

 事務的な用件が終われば、余計な口は挟まずスッと身を引く。

 親友を託そうとする沙織と、寄り添う役目であるべき招代が。水入らずで言葉を交わせるように。

 不器用すぎる上司の配慮。招代は一瞬、どう言葉をつなげば良いのか迷ってしまう。

「御厨さん」

 ふたり取り残された部屋で、先に口を開いたのは、沙織だった。

 驚いてアタフタする招代を尻目に。彼女は手元を見て、静かに言葉を続ける。

「御厨さんの目から見ても。遥は無事に、霊峰までたどり着けますか?」

 死者である友を案じる、生者の強い祈り。

 招代は制服の胸元――ペンダントを隠した場所を無意識に押さえた。

「……早瀬さんの安全だけは、自分が保証します」

 なんとか、声を絞り出す。

「準備は、すでに整っています。あとは、出発するだけです」

「そう、ですか……」

 沙織の強張っていた肩の力が、ふっと抜けた。

 招代の、飾らない覚悟が伝わった。応接室にひしめいた緊張が、春の雪解けのように緩む。

 しかし。胸のつかえが、完全に拭い去れたわけではない。

 安堵の直後、潤んだ瞳が一抹の不安をのぞかせる。

「でしたら、その後……。遥は、どうなりますか?」

 とん、と。心臓を鋭く突かれる感触。

「高穂に、無事に着いたとして。彼女は独りぼっちに、なりませんか?」

 盲点だった。

 安全な場所へ移動させることだけに集中していた。その先は、まったく考えていない。

 だから、答えられない。自分の浅はかさに、喉の奥が干からびていく。

「どう……でしょうか?」

 沙織の息の詰まる質問に、招代は口ごもってしまう。

「善処、します…………」

 結局。薄っぺらな、気休めを返すだけ。

 だが。必死で取りつくろうとする招代の姿勢に、沙織は少し笑った。

「御厨さんは、正直者ですね」

 悲しい笑い方でも。目の前に座る車掌を、バカにする雰囲気でもない。

 諦めと希望が入り混じった、遠い昔の親友を懐かしむ顔。

「だから、お任せできるのかも」

 学生時代から世話の焼ける親友を、信頼できる誰かに紹介するように。

「裏表がないから。どんな形であれ、最後まで遥の味方でいてくれそうだから」

 穏やかに。晴れやかに。

 長年背負っていた重荷を、そっと誰かに託そうとしている。

「ねぇ、御厨さん」

 揃えていた足を少し崩し、沙織は自嘲気味に小首を傾げた。

「実は私。遥が霊峰に行くと聞いて、少しだけホッ、としたんです」

 口元に困ったようなシワを刻み、懺悔を告白する。

「実際、遥は死んでしまってますし。いつまでも、独りにしたくないですから」

「…………ハイ」

「だから。神様の近くへ行くなら、彼女も幸せなのかな、と。いっそ、そのまま眠っても……」

 無意識に漏れた本音にハッ、と我に返る。

「あら、ごめんなさい。私としたことが、変なことを言ってしまって」

 恥じ入ることを隠すように。沙織は唇を手で隠した。

「いえ」

 招代は、沙織から視線を外す。自分の胸の奥が、泥のように濁っていくのを感じて。

 遥には真実を隠したまま、危険地帯へ連れ出そうとしている。

 目の前の沙織に、生身の心を引き裂くような残酷な了承を強いている。

 これから行おうとする、己の罪深さに比べれば。彼女の願いなど、ひどく清らかに思えてしまう。

「謝らないでください」

 欺いている己の卑怯さを、なんとか喉の奥へ飲み込む。

 うまく微笑む自信がなかったから、顔は作らなかった。

「高橋さんが一番、彼女を想っているから。だから、当然の願いだと思います」

 招代の正直な感想に、沙織は小さく目を伏せる。

 少しの間、どちらも口を開かなかった。

 遥の話をするわけでも、計画の詳細を説明をするわけでもなく。

 互いに抱えた痛みを労るように。同じ沈黙を共有する。

「御厨さん」

 沙織の顔は、とても穏やかだった。

 泣いてはいない。でも、何かを覚悟したように。目の奥に何かが揺れていた。

「くれぐれも、遥のこと。よろしくお願いします」

「……はい」

 招代は短く答えた。それ以上は、何も言えなかった。

 買いかぶり過ぎだ、と思ったから。そんな人物じゃない。と分かっていたから。




「明日の夜。早瀬さんを、霊峰へお連れします」

 深夜。いつものベンチ前で。

「霊峰……」

 濁った瞳をきょとん、として。遥は招代を見る。

 幸いにも、ホームの空気は澄んでいた。怨霊の気配は遠い。

 あの変電所の火災騒ぎの後、原因不明のトラブルもめっきり減っている。

 嵐の前に訪れた、不気味な静寂のように。

「自分が、お守りします。決して、怖い思いはさせません」

 ことさらに、招代は安全を強調する。

 自分の免罪符にしたい気持ちが、言葉の端々に焦りとなって滲み出てしまう。

「…………」

 遥は、すぐには答えなかった。

 ベージュのコートを両手で抱え、視線を少し落とす。

 自分の手を見るでもなく、遠くを見るでもなく。生者には見えない、はるか遠くにある空白を見つめるようで。

 何分か、あるいはもっと。

 自分に落ちてきた言葉の重さをはかり終えたか。

 彼女は直立不動の招代へ、半濁した瞳を向けた。

「……分かりました」

 静かな声で。でも、聞き返したくなるほど、小さくはなかった。

 多くを語ろうとする気配は、どこにもない。

 招代は何かを続けようとして、やめた。

『危なくないですか?』

 と、聞かれた夜のことを思い出す。

 あの時、「大丈夫です」と答えたのだ。腹の底に重い氷を抱えたまま。

 今夜と、同じように。

「御厨さんを、信じます」

 初めて、遥は自分の名を呼んでくれた。

「お任せください」

 死者を騙して囮にするという残酷な事実に、招代の胸は罪悪感で完全に凍りつく。

 だけど。氷は熱で溶ける。

 招代は、熱を持っていた。

「よろしく、お願いします」

 遥は、冷たい指先でベージュのコートを力強く握りしめ、ゆっくりと頭を下げる。

 それだけで、何も言わない。

 招代も、何も言わなかった。

この小説は、執筆にAIを利用しています。

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