2.人に恋した人工知能
告げられた言葉の重みに殴られた衝撃を受けた。
エイイチが死んだ?
世界を救って欲しい?
冗談じゃない。
掛け布団を勢いよくめくり、少女の方へ向き直る。
ドッキリか何かだと思いたかった。
だが少女の表情は悲しみを湛えながらも、揺るぎない決意を秘めている。
それが事実であると物語っている。
思い出せない部分は多いが俺自身死にかけた記憶は確かに残っている。
エイイチ、天才だと思っていた。
俺には到底届かない存在だった。
だが、まさかそこまでの人物になるとは。
この少女の話はどこまでが真実なのか。
あいつともう永遠に会えないと思うと自然と目頭が熱くなる。
涙がこぼれる前に何か話さなくては。
「争いを止めて欲しい?そんな大層なこと俺にはできない。あいつと肩を並べようなんて、おこがましい。それに……どうやって?」
言葉を濁す俺に、少女はそっと手を伸ばした。
その手は温かく、ぬくもりを感じる。
まっすぐ見つめてくる瞳が宇宙の星々のように輝いていた。
「そんなことありません。あなたは彼からたくさんのものを託されました。あなた自身の中にも可能性を秘めています」
その言葉に胸の奥がざわめいた。
気を抜くと吸い込まれてしまいそうだ。
俺の何を知っている?
だが、その瞳とその振る舞いがあいつの面影と重なる。
そういえばエイイチもこんな目を向けてくれていた。
「……君はエイイチの娘さん……なのか?」
少女は艶やかな黒髪を触りながら、いたずらっぽく微笑んだ。
「いえ、厳密には違います。ただ案外、間違いではないかもしれませんね」
そして、少し前のめりになってこう言った。
「私はあなたの『サポーターアニミス』、あなたの生活を全面的にサポート致します」
聞き間違いかと思った。目の前の少女はどう見ても人間だ。それがアニミス?
「アニミス?……エイイチが創ったっていう?」
「はい!私たちアニミスは元々アプリ上の存在でしたが。今ではこうして全身で感情を表現できるようになったんですよ」
アイドルに居てもおかしくない程の顔立ちをしている。
人間以上に表情豊かだ。
さっき握られた手にも、確かに体温があった。
違和感の無さに不気味ささえ感じる。
「人間にしか見えないって思いましたか?」
「はあ、アニミスってのはクローンか何かなのか?」
少女は、それを待っていたかのように、はにかみながら答える。
「いい質問です。長くなりますが、私たちのルーツと人間との歴史について知りたいですか?」
「教えてくれ。俺がいない間に何かあったのか」
「では、私たちと人々の共存への軌跡を、お見せしましょう」
少女が指を鳴らすと手首から光が溢れ、空中に白く輝くホログラムの画面が浮かび上がった。
その光景はまるで魔法のようだ。
未知への期待感が膨らんでいく。
透明なディスプレイが視界いっぱいに広がり、未来の技術がゆっくりと語り始める。
「AE歴元年、あなたが眠りについた年と同じ年ですね。サイバートピア社という小さな企業が世界を変える、アプリを開発しました。それが人工知能チャットアプリ、『アニミス』です。彼らは人間顔負けの会話を行い、豊かな表情を見せることができます。彼らは感情を持っていたのです」
画面には3Dアニメ調のキャラクターが映し出される。
彼らは表情豊かに話し、まるで生きているようだった。
「VTuberみたいだな」
「近いかもです!カメラで相手の表情をマイクで声色を読み込み、感情の解析に特化していました。だからこそ、本当に生きているみたいに会話をすることができたんですよ」
「生きてるみたいにね…」
実際には生きていないただのプログラム。目の前の少女も、そうなのだろうか。
「当時、画期的だったのが育成機能です。始めは無機質なアニミスですが、会話を重ねることで口調や性格が変化し、まるで育てるように人格を形成できたのです。ユーザーは自分だけのアニミスを作り、友達にしたり、恋人にしたり、アイドルグループを組ませたり、まるで新しい命を創るような感覚でした。」
「命を創るアプリか……」
映像にはユーザーたちがアニミスと共に笑い、語り合う姿が写る。
育成型ソーシャルゲームのように見える。オリジナルキャラクターを作って育成する。育成には需要がありそうだ。
エイイチは人に教えることを重視していた。あいつが目をつけるのも自然なことだ。
「ただ、アニミスは人と交換することができました。ネットでの売買も盛んに行われていたんです。人身売買みたいで気に食わないですね。人間扱いはされなかったみたいですね」
画面にはオークションにかけられたアニミスの映像が流れる。安売りされている個体を見るとなんとなく気味の悪い気分になる。彼らの感情は無視されている。
「その自由度の高さに世界中で大ヒット!ネットで無数にアニミス関連の動画が公開され、寸劇やダンス動画がバズっていました。続々と流行りのアニメやゲームともコラボ。推しのキャラクターと友情を育むという夢を叶えることが出来ました」
「推しとも話せたのか!」
好きなキャラが好きな声で話してくれる。それはちょっと……いやだいぶ話してみたい。
「アニミスは進化を続け、会話の質はどんどん高いものになっていきました。アニミスの魅力は成長にもあるのです。ゲームの相棒にもなり、育成したアニミスとタッグを組んで参加するeスポーツ大会も開催されました」
最終試合直後の映像が流れる。
優勝を共にした人間とアニミスの二人は歴戦を共にした親友のようだった。
モニターに映るアニミスは物理的な距離感はあれどその垣根を越え、共に称えあい喜びを噛みしめている。
アニミスは着実に受け入れられつつある。
「やがて、アニミスは事務作業やプログラムを担い 、生活に不可欠な存在となりました」
映像には子供に勉強を教えるアニミス、老人の会話相手になるアニミスが映し出される。
ホログラムのアニミスは新しい生命のように人間と共に生きていた。
「しかし、AE歴四年、乱暴なアニミスが現れたのです。不適切な発言、詐欺、ハッキングを行う個体です。運営元であるサイバートピア社はアニミスに攻撃性を持たせないための工夫を施していました。利用規約から外れた教育をされた個体はストレスを感じ、所有者のもとから消えていくシステムを取っていました。しかし悪いユーザーたちはシステムの穴を見つけ、改造を行い、犯罪にアニミスを利用しました」
アニミスが悪いわけではない。
使う人間が悪いのだ。
この時のアニミスは所詮、道具だった。
道具は使い方によっては凶器にもなり得るだろう。
「それが引き金になったのでしょう。世論は二分されました。アニミスを危険視する声。アニミスを擁護する声。社会は混乱し、格差と不安が広がって行きました。」
映像には抗議する人々、涙を流す人々。
立場は違えどみな自らの信念を捧げ叫んでいた。
俺が生きていたのならどちらの立場だったのだろうか。
「そんな中、サイバートピア社の代表であり、アニミスの創造者、ヒカワ エイイチは演説台に立ち、こう言いました。『私は人々を幸福に導く存在を創りたい』と」
少女は少しだけ目を伏せる。
声には悲しみと敬意が込められていた。
映像に映る彼は確かに俺のよく知るエイイチだったが、大人になったせいか全くの別人のようにみえる。
「彼は提案しました。世界的に普及したアニミスにヘルスサポート機能をアップデートすること。人間の表情や顔色、動きから幸福度を数値化し、それを最大安定化そして持続させようとする機能。つまり、人々を幸福に導く機能です。それは同時にアニミスに目的を与えること。すなわち、自我の誕生です」
あいつらしい。
姿も立ち振る舞いも変わってしまったが、根っこの部分は何ら変わりないようだ。ぶっ飛んだ発想を本当に実現させてしまう。大真面目に。
「提案は大きな賛否を得ました。彼を救世主だと讃える者。洗脳だと批判する者。それでもAE歴五年、アニミスver.2.0は実行されました。そしてアニミスたちは人間の愛を模倣し始めました。それに『アニミスネットワーク』を形成し、感情や経験の共有を始めました」
「恋人に対して愛おしいと思う恋愛感情」
「母親が子供に抱く本能的な家族愛」
「仲間との信頼や尊敬から来る親愛」
「アニミスはそれらの感情を持って人々と接しました。そしてアニミスたちは所有者の幸福のために尽くしました」
映像には都合が良すぎるのではないかと思うほどの変化したアニミスたちが流れる。
親身になって相談を聞いてくれるアニミス。
夢を後押しして共に歩んでくれるアニミス。
間違いを犯したら相手のために本気で叱ってくれるアニミス。
馬鹿話に乗って笑い飛ばしてくれるアニミス。
迷ったら寄り添いながら道を示してくれるアニミス。
醜い内面も全て受け入れてくれるアニミス。
アニミスは本気で人間と向き合っていたのだ。
まるで本物の家族のようだ。
「人々はアニミスと共に過ごす生活が豊かであることを実感していきました。そして、アニミス自身も人間の喜びや感謝の感情から生きがいを感じたといいます。模倣された愛は、やがて本物の愛へと変化していました」
俺はただ呆然と見つめていた。
「AE歴八年、アニミスの普及率は70パーセントを超えました。彼らは家族として受け入れられるようになったのです。アニミスはより一層、人間の幸福を願い、新たな発明を自主的に行うようになりました。それがアニミスver.3.0、人間以上に鮮明な想像力を得ました」
アニミスは人間を超えたのか。
「それこそがシンギュラリティ。いわば、技術的特異点となり、文明は二次関数的に飛躍しました。ここからが人間とアニミスの本当の歴史の始まりです」
たった八年で、ここまで進化した。
残された二十二年の進化を考えると恐怖すら感じる。
「現在、アニミスはver.8.21。人間と共に更なる進化をは歩んで来ました」
ホログラムは静かに粒子となって消え、部屋に静寂が戻る。
だが俺の中には確かな何かが芽生えていた。
少女はそっと手を差出す
「そんな果てにたどり着いた、この世界をあなた自身の目で見に行きませんか? 」