9 恋愛の重さ
それから連日、私は龍と会い続けた。
龍は毎日欠かさず、校門まで迎えに来る。外壁に背中をもたれながら、静かに本を読みつつ私を待つのだ。
でも、私が所属する美術部の活動がある日も来てしまうので、さすがに何時間も待たせるのは申し訳ない。それに、連日校門に他校の高身長爽やか男子が立っているから、非常に目立つ。
悲しいけども、私には自分と龍のレベルが釣り合っていない自覚があった。校門前で合流する際、黄色いオーラに乗せられた好奇心に満ちた視線に晒されるのは、正直言ってキツい。
だからせめてと思い、部活の日は大丈夫だよ、と何度か断ってみた。
だけど。
「暗い夜道を彼女ひとりで歩かせたくないし、家に帰ってもどうせひとりなんだ。だから一緒に帰りたいよ」
寂しそうな笑顔で言われて、誰が断れるだろう。相変わらず伊達眼鏡の外側は白く光っているから、龍が善意から言ってるのが分かってしまうだけに断りづらい。
結局、それ以上断れなくて了承してしまった。
それでもやっぱり、毎回何時間も外で待たれるのは心苦しい。近くに店が何もないのが、余計に申し訳なさを助長していた。本当に何もない。全くない。
これから先は梅雨の時期だし、雨の中、他校のイケメンを何時間も待たせる田舎風眼鏡女なんて悪印象でしかないんじゃないか。その時に向けられるだろう赤いオーラを思うと、今から気が萎えた。
もう来てるかな――。
校門の方角へ、ちらちらと罪悪感を含む視線を幾度となく送る。そんな私に、注意力が散漫だ、と赤いオーラを放つ美術部部長が叱ってきた。
仰る通りでぐうの音も出ない。
描き途中のキャンバスに向き直っても、集中できない。今日はもう駄目そうだ、と片付けを始めた。
「はあ……参ったなあ」
筆を洗いながら、思わず独りごちる。
朝は変わらず、えっちゃんと待ち合わせをして一緒に登校できていた。でも、帰りは一緒に帰れない。このことが、私の中に少しずつダメージを蓄積していっていた。
現在えっちゃんは彼氏を絶賛募集中だけど、今はまだ色気よりも食い気の方が勝っている。これまではちょくちょく放課後に探検と称し二人で買い食いをしていたのに、それも出来なくなってしまった。
誘いへの断りを入れる度、眼鏡の外のオーラの青が濃くなる。申し訳なさで一杯になった。
というか、私だって行きたい。えっちゃんとくだらない話をしながら買い食いしたい。カラオケに行って大騒ぎしながら、食べて飲みまくりたかった。
龍の前では未だに借りてきた猫なので、帰宅する頃には、お腹と背中が張り付きそうなくらいお腹が空いている。
このままだと、友情にヒビが入ってしまう。あと、ただでさえ大してない胸の肉も減っちゃいそうだ。
それはかなり勘弁だった。
片付けを終えたので、部室を出る。だけど、すぐには向かう気が起こらない。待たせちゃいけないとは思いつつも、図書室に寄ったり、行きたくないのにトイレに行ったりした。
いよいよやることがなくなり、覚悟を決めて校門で爽やかに待っていた龍と合流する。
自然に手を握られ、歩く帰り道。
意を決して、龍に言ってみることにした。
「あのお、たまにはえっちゃんと放課後に交友も深めたいなあと……」
「学校で毎日会ってるんでしょ?」
にっこりと返される。確かに間違いじゃない。だから何も言い返せない。
「僕じゃ駄目かな。……一緒にいて楽しくない?」
寂しそうに微笑まれて良心が痛まないほど、私は図太くない。
「そんなことないよ! 龍くんといるの、すっごく楽しいよ!」
「本当にそう思ってくれてる?」
案外疑り深い。
「う、うん! 龍くん物知りだし優しいし! だけど……」
「だけど?」
……龍の笑顔が怖い。言おうとしていた言葉を呑み込むと、代わりの言葉を口にした。
「毎日だと、龍くんの負担にならないかなあ、なんて、あは、あはは」
笑い方が、少しわざとらしかったもしれない。最後に言った言葉が本心からじゃないことに気付かれたら、よく知らないけど拙い気がした。
「負担だなんて……小春ちゃんは優しい人なんだね」
感心した様子で微笑まれ、チクリと胸が痛む。
恋愛に関して、龍は少しばかり重い方の人間なのでは、というのがえっちゃんの意見だ。だけど、龍が初めての彼氏である私には、他と比較しようがない。
とりあえずパッと思い浮かぶ他の男といえば、春彦だ。
だがしかし。
あいつの過保護具合は、相当なものだ。幼馴染みの恋愛を事細かに報告させ、なおかつ口出しするのは、どう考えても一般レベルじゃないだろう。
あれに比べれば、龍のは一緒に帰るだけだから、お付き合いする間柄では正常値なのかもしれない。
それに、学校から駅までの道は確かに暗い。危険と言われればその通りだ。だからこれは、龍の親切心から来ているもの。なんせ龍のオーラは今も変わらず嫌になるくらい白く輝いているから、間違いはない。オーラは嘘を吐かないから。
「――小春ちゃん」
街灯と街灯の間の光が届かない場所で、龍が急に立ち止まる。くん、と手を引っ張られた後に肩を掴まれて、正面を向かされた。
龍の切長な目に街灯の明かりが映り込み、それが瞬きもせず私を見つめている。漫画のキラキラ効果が周りに浮いていてもおかしくないくらい、王子だ。
「こっち見て」
挙動不審さ丸出しで視線を彷徨わせていた私に、龍が容赦なく要求してきた。
「小春ちゃん、僕を見てよ」
龍の声が寂しそうだったので、懸命に努力して目線を龍に向ける。すると、龍がほわりと笑った。……眩しい。眩しすぎる。
なんかこれはあれか、やばくないか。私の中にある、あまり役に立ったことのない危険察知能力が、サイレンを高らかに鳴らし始めた。
――小春、これはもしかしたらあれじゃない、と。
「あ、あのー……」
沈黙に耐え切れなくて情けない声を出すと、龍は悠然と笑いながら私の伊達眼鏡を取ってしまう。途端、視界が明るい白で溢れた。オーラは暗闇でも光る。昼夜関係なしに。
「わ、眩し!」
目を覆おうとした私の手を、龍が伊達眼鏡を持つ手でパッと掴む。少しメキャッと音がしたけど、伊達眼鏡は無事かな。
龍の穏やかな声には、少しばかり緊張が含まれているように聞こえた。
「小春ちゃん、僕、今は何色してる?」
拙い。この雰囲気に呑まれちゃ危険だ。私はわざとおちゃらけた口調で答える。
「いやあ、相変わらず真っ白ですよ……て、えっ」
龍の涼やかな顔が、私の目を見つめたままゆっくりと近付いてきた。
――あ、これはやっぱりあれじゃないですかね。
頭の中のサイレンが言った。
ふう、と熱い息が鼻にかかる。
「目、閉じてよ」
「ふぁ、ふぁい……」
両手をぎゅう、とそこそこな力で掴まれた状態で、私は人生初めてのキスを経験したのだった。