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2 事故の記憶

 十分ほど離れた駅まで、全速力で駆けていく。


 友達のえっちゃんと、駅前で毎朝待ち合わせをしているのだ。だから急がなくちゃいけない。


 私は待ち合わせに遅刻することが多かった。悪いとは思っているけど、どうしても時折発生してしまう。


 そんな私に対するえっちゃんの視線が段々と非難めいたものに変わってきているのを、私は知っていた。なので、今日こそは怒らせないようにしたいと思い、頑張って走っているところだ。


 もっと早く家を出ればいいのは分かってる。でもそうすると、春彦があからさまに寂しがる。それに根本的な原因は、別にあった。


 一番の原因は、駅前の開かずの踏切だ。というか、全部これが悪いと思っている。


 えっちゃんは駅の改札側から来るから、踏切は関係ない。だけど私の場合、駅に行くには絶対にこの踏切を渡らないといけなかった。


 これが、本当に開かないのだ。タイミングが悪いと、踏切の先にえっちゃんが見えているにも関わらず、長い時は苛々しながら十分も待たされることがある。


 やっぱりあそこの踏切は嫌い――。走りながら、思わず顔をしかめた。


 あの踏切は、以前から今に至るまで、私にとって鬼門だ。


 忘れることなんでできない三年前の事故を、息を切らしながら思い返した。



 それは、私が中学一年の夏休みの出来事だ。


 お盆前の、とある日。テレビが「今日は朝から三十度を超え、現在の気温はなんと三十五度です。熱中症には充分気を付けましょう」と人の外出する気を削ぐことを言っていたので、私は早々に外に出ないことを決めていた。


 親が仕事でいないのをいいことに、部屋をエアコンでガンガンに冷やす。コーラ片手に優雅に漫画を読み耽っていると、閉じた窓の向こうから春彦が私を呼ぶ声がした。


 暑いから開けたくない。だけど、恐らくは開けない限り春彦は私の名を呼び続ける。春彦は案外頑固なところがあるのだ。


 この炎天下で私が返事をするまで窓を開けたままなのは辛いだろう。そう思うと憐れだったので、窓を少し開けて顔を覗かせた。


 するとにこにこ笑顔の春彦が「アイス食べに行こうよ」と誘う。私は包み隠すことなく「暑いからやだ」と即座に断ると、「奢るからお願い」と言われ、「仕方ないなあ」と言いつつ奢りという話に飛びついた。


 春彦は昔から、私の扱い方を熟知している。


 駅前にあるアイスクリーム屋さんに、徒歩で向かう。テレビの情報は悲しいほどに正しく、まだ午前中だというのにあり得ないほどの暑さだった。一瞬でエアコンが効いた部屋が恋しくなり、アスファルトの照り返しに「もう嫌だ、帰りたい」と愚痴を零し続ける。


 そんな私の背中を、春彦は「あとちょっとだよ、頑張ろう小春」と押した。こいつひとりに買いに行かせればよかったと後悔しつつも、なんとか踏切前まで辿り着く。


 そこで目にしたのが、カンカンカンと警報機の音を盛大に鳴らしながら、今まさに下りてこようとしている遮断器だった。警報機に付いている矢印のランプは、左右両方とも点灯している。


 これは絶対長く待つパターンに違いない。暑い、もう待てない――。


 堪え性がないことに定評がある私は、深く考えることなく閉まりかけの踏切内に飛び込んだ。頭の中には「アイスクリーム」の文字しかなかった。財布である春彦が一緒に来なければ意味がないことも、完全に頭から抜け落ちていた。


 本当に馬鹿だったと思う。でも言い訳させてもらうなら、暑すぎて脳みそが正常な思考をしていなかったのだ。政府は外気温が三十五度を超えたら外出禁止令を出すべきだと、今でも思っている。


 アイスクリーム屋さんがある前方しか見ていなかった私は、レールの溝に片足を突っ込み、その場で盛大にすっ転んでしまった。溝にはまった足首がグキリと嫌な音を立てる。


 痛みを堪えながら抜け出ようとしても、靴とくるぶしがすっぽりはまってしまって取れない。途端、半分聞こえていなかった警報機の音がやけに大きく響き渡り、恐怖に固まる。


 すると、私のすぐ後を春彦が追ってきて、足を引っ張り始めた。でも全く抜けない。引っ張られると痛くて呻くと、春彦が泣きそうな顔になった。


 辺りは一瞬で騒然となり、あちこちから叫び声や怒鳴り声が響く。


 必死な形相で私の足を引っ張る春彦の肩越しに、電車がこちらに向かってくるのが見えた。運転手と目が合う。


 あ、こりゃだめだ――。


 緊急停止のボタンを押す人もいたけど、電車はすぐには止まれない。死を覚悟した。バラバラになっちゃったらどの瞬間まで覚えてるんだろう、なんて考えた。


 すると、普段はとても穏やかで大人しい筈の春彦が、唐突に雄叫びを上げる。勢いのまま足を無理やり引っこ抜かれ、私は激痛に叫んだ。


 泣き叫ぶだけで全く役に立たない私を火事場の馬鹿力で抱き上げた春彦は、映画のワンシーンさながら踏切の外へとダイブする。湧き上がる歓声。


 あ、もしかして助かった?


 必死で春彦にしがみつきながら、電車が目の前を通り過ぎるのをスローモーションで見た。


 そこへ運悪く突っ込んできたのが、よぼよぼのお爺さんが運転する軽自動車だったらしい。


 らしいというのは、これは後から聞かされた話だからだ。


 その時は、助かったと思った次の瞬間、ガン! という衝撃と共に意識が途切れていた。


 電車にすり潰されてバラバラになることはなかったけど、代わりに軽自動車に正面から撥ねられた。運が悪いにもほどがある。


 気が付けば、春彦と私は、何とも陰気な暗いどんよりとした川縁に立っていた。

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