1話「蒼の聖堂」カット4
洞窟の表側にある蒼の聖堂にたどり着いた時、1人の女が祈りのための祭壇の前にへたり込んでいた。金髪を後ろで編み込んで真っ白なワンピースを着た彼女は、アルマと面識があるようだった。
「セリエラさん。どうしたの?」
「彼が……サルートがどこにもいなくて」
セリエラはサルートを方々探して、とうとうこの聖堂に着いたと言う。
「おそらく奥の洞窟に入ってしまったのでは」
「それだけは違う、それだけは」とでも訴えるようにセリエラは悲しい視線で首をもたげてアルマを見つめた。アルマは彼女を真っ直ぐ見つめてから、真剣な面持ちで雅麗に語りかけた。
「雅麗さん、申し訳ないのだけど、私はこの方を見捨てる訳には」
「もしいるなら助けだそう。リュシャさんもきっと助けてくれる。心配要らないよ、彼女ならそう言う」
「ありがとう」
陰礼拝の聖窟。かつては教団の礼拝に使われていた洞窟であるが、いつしかその最奥には巨大な亀裂が走り、最下層より深い底には恐ろしいモンスターが棲みつき、人が寄り付くのを拒んでいる。
「安全な道があるから」
アルマは暗闇の中、目立つからと蝋燭も無しに雅麗の先導をして見せた。低級から中級のモンスターがいたが、アルマの指示は的確で、岩や物の陰に隠れてするりするりと視線をかいくぐってあっという間に二階層から三階層に移る階段まで到着した。
「少し休もう、何かクラフトできるもので必要なものがあれば作っておいて」
下層に移る階段の中ほどで、アルマは先の様子を見てくると言って雅麗のそばを離れた。聖窟の中は真っ暗で、少し離れただけですぐにアルマの姿は雅麗から見えなくなってしまう。
少し経って、雅麗は自分の手元しか見えない中、息を押し殺して保つ静寂に苛立ちを覚え。情報が得られないままでいなくてはならない枷に恐怖を掻き立てられた。ついにアルマを捜しに行こうと意を決して立ち上がろうとした瞬間、物陰から唸り声が鳴った。
魂消てしゃがみ込み、暗闇の中で息を殺してその脅威が訪れるか過ぎ去るかを待った。しかしいくら待てど唸り声は止まず、その場で鳴り続ける。次第にその唸り声は、雅麗の耳に聞き馴染のあるものだと分かった。
恐る恐る禁じられていた蝋燭に炎をともし、唸り声のする物陰を照らすと、一人の鎧を着た女がうずくまっている。さらに近寄って見ると、祭仕女アルマが自分の手の甲をナイフで貫いているのである。
「どうしたんですか、え? うわ、何やってんの!?」
アルマは喉奥から低い声を出すばかりで、雅麗の呼びかけにはすぐに返事をしなかった。
「み、雅麗?」
話を聞き出すと、どうやらこのような理由らしい。
アルマは貧しい村の出で、幼い頃から不思議な力を持っていると思われていた。赤ん坊のころ、土砂崩れのあった山道の瓦礫の中で泣き叫んでいた時、牧師をしていた父親と母親に拾われたのだった。本当の親は知らない。
一家が宣教に来ていた村の人間は彼らに冷たかった。アルマが青年になった頃、村の子どもに弟がいじめられていた時、ほんの少し強気でこずいてやったら、その子供の骨が折れてしまった。
「どうしてくれんだよ! まだ子供なんだよ! 折れちまったら二度と戻らない!」
その子の親が家に怒鳴り込んできた。牧師の母親が治癒の聖水で治すことを提案したが、「二度と関わらないでくれ」と言われて、それきりだった。
一家はさらに疎まれて、村からは完全に孤立していた。そんな状態が続いたある日のことである。村の近くにある山の中にある祠の近くで遊んでいた時、弟がうっかり祠に祀ってあった神像を壊してしまった。その日のうちに村の大人たちにど叱られて、ぶっ叩かれて家に返されたその日の次のことだった。
村人が村の外でモンスターに襲われたと、誰かが外で助けを求めて叫びながら走ってきたその声が絶叫に変わり、外を見ると狼の姿をしたモンスターが大挙して襲い掛かって来ていた……
「……それで?」
「それで……私だけ逃げて、助けを求めていた人も、弟も、家族も……置いて逃げて、無我夢中で走って、マグテリの街に」
「ピートくんと出会ったのね」
「私……私は……」
アルマはナイフを一層強く握りしめた。
「ちょっと!」
雅麗がナイフから手を離させようとしたが、固く握りしめた手はびくともしなかった。
「私は! ……わたしは、何でこんな風に扱われなくちゃならないんだって、本気であの村の人を憎んでた、呪っていた。祠は村を守っていたんだって、だから多分私が壊して、弟がうっかり壊してしまったことにして」
「どういうこと?」
「分からない、祠のことは記憶が曖昧で。何度も何度も記憶の隅に追いやって、フタをして、でも祠の近くで声が聞こえたのは覚えてる。『その祠』『魔物』『……無い』って。何度も忘れようとしたのに! あれはまた私を苛むんだ」
「わかった、落ち着いて」
「私は、ピートくんのことを愛している。でも、私は憎悪するものと同時に最愛のものを自分の手にかけた……こんな罪深い私が愛されたいと思うなんて!」
そう言ってナイフで手の甲をまた貫こうとした。
「やめてよ!」
いちプレイヤーである雅麗は、あくまでもこの仮想空間の外での生活があるわけで、そんな経験など当然したことがない、全く想定していなかったアルマの告白にかけるべき言葉の選択肢を持たない。
「落ち着いて、とにかく手の怪我を治そうよ」
アオカンザシの茎とアカギリソウの種で作った回復薬でアルマの手を治してやりながら苦し紛れに大体以下のような言葉を絞り出した。
「アルマさんの辛さがどれほどのものかはわからないけど、苦しいことはわかるよ。ピートくんはきっとそんなことは気にしない。私も気にしていない。あとはアルマさんが自分自身を許すだけだと思うよ」
アルマは片膝でひざまずき、両手を汲んで額に当てる懺悔の格好で「ありがとう」と言った。