2話「ケルベロスの影」カット15
「2人目だ」
「断る! 私は人の道に生きると誓った! 妻にあんな思いは二度とさせない」
男は野うさぎを見つけた狼のような笑みを浮かべてこう言った。
「お前、あの娘がどうなったかわかるか」
「あの娘を買ったのは邪教を信奉するゴブリンどもだ。知っているか、あそこのゴブリンどもは血生臭いことが好きでな。混血の子供は神聖なものとして崇められる。だから他所の種族から捕らえてきた雌どもを孕ませる神聖な儀式をするんだ。ゴブリンの子供の出産は大変な難産だからな、腹を切り裂いて赤子を取り出すのさ」
男の話を聞いて、彼は背筋が凍った。妻が聞いたら卒倒するだろう、より深い悲しみに沈むだろう。男は続けた。
「いいだろう、断るのなら次はお前のカミさんをもらうとしよう!」
「待て……待ってくれ」
「世の中にはゴブリンどもよりも大層ことをする連中もいるんだ」
「2人目だ、2人目を連れてくる」
男はにやつきながら、2人目の目星を教えてやった。
「マーガレット婆さんの親戚の娘がよその町から来るはずさ、そいつを任せるよ」
そう言って男は姿を消した。しかし去ったわけではない。男は彼が逃げやしないかと見張るために夜の街に紛れて息を潜めたのだ。
次の日の夜にかの娘が姿を現した時、人買い衆の男は狼の笑みを浮かべた。妻を失いたくない一心だったオルフェは喉まで出かかった絶叫を必死に飲み込んだ。意を決して娘にかける言葉を絞り出す。
「お嬢さん、道をお探しかい」
兄さんが死んで、あの娘に白い息を吹きかけられて、骨と……
オルフェは自分がどうしてこんなところにいるのか分からなくなった。目の前に銀の王冠がある。
これを手に入れて、魔物の王になったとてどうするのだ。あの人買い衆の男を殺してその次は。
考えるのはやめだ、オルフェは急いで戻った。妻はオルフェの全てだ、娘をひとり売り渡した罪を償おう。縛り首でも、我が身を孕ませて腹を引き裂くのでも何でもすればいい。
彼女を安らかに看取ることが叶うなら、その後でどうにでもなれだ!
迷いは無かった。オルフェは今、自らの罪を贖うために戻るのだ。
リサイヤのもとへ!
「オルフェ」
その頃、私とリュシャさんは暖炉の前に座って談笑していた。
「お前さんらみたいなのはここいらじゃあまり見ないんだが、まあくつろいで行ってくれよ」
森を出てすぐのところ、暖炉のある家は木こりの主人が暮らしている。私は森を出てリュシャさんに運ばれてこの家にたどり着いた。
「お前さんは前に一度来てくれたな、それで男は来たのかい」
木こりがリュシャさんに訪ねると、彼女は「ええ」と返事をした。
「いいだろう、話の続きを聞かせてやる」
リュシャさんにしかわからない話題なのだろう、木こりは続けた。
「おとぎ話の男があの後どうなったかだ、一部じゃ王になって人間を滅ぼしたとか、別の世界へ行ったなんて話もある。だが、実際はそうじゃない。断って無謀にも逃げ出したんだ、それで骨と洞窟の主人を怒らせちまった」
「それでどうなったんですか」
リュシャさんが聞くと、木こりは咳払いをしてから大仰な演技交じりに私たちに語って聞かせた。
「一つ目の頭で腕を咬まれた!! お次は逃れようとしたもう片方の腕だ!! お終いに頭を噛み砕かれた!!」
遠くの空がやや白み始め、夜明けを告げようとしていたころ、だが洞窟や鬱蒼とした森の中は深い深い影の中でいまだ光すら見えぬどころか夜のうちで最も暗い瞬間である。1人の男が、何かから死に物狂いで逃げ惑っていた。
「ひっ、ひぃぃ!! 誰か! 誰か助けて! ぎッ……ァァァアアアアア!! あッ、あふェ……ぁぁぁ、ああアアア!! ……ッ! ……ッ……ッ!!」
「はい! おつかれー☆」
リュシャさんが湯気の立つマグカップを二つ持ってきてくれた。
「ああ、経験値入ってる」
「ほんと? クエストクリアだね」
それから、私はリュシャさんが用意してくれた新しい体を眺めていた。リュシャさんがカタコンベから一人分の骨を拾ってきて、大量の金糸で全ての関節を繋いで作ってくれた体に服を着せておいてくれた。全ての骨に奇麗な模様が刻まれていて、まるで工芸品のようだった。
「すごい、奇麗だね」
「何かね、骨に刺青入れてるみたいでかっこよかったから拾ってきた。違うのが良かった?」
「いやいいよ。普段できない格好するの好きだし」
「流石に骨にはなれないもんね」
私はたくさん食べて体を動かす訓練をしたから、力をつけることができたし、骨の中へ入り込んで体を起こすことができた。
「チーズココアだって。飲む?」
「飲む」
飲んでみたが、私の不安は当たらなかった。隙間だらけの身体からは液体は飲み物は一切こぼれなかった。
「でもリュシャさん町娘の演技めちゃくちゃ上手くなかった?」
「いやいや、雅麗の骨も上手かったよ。ああ、あとごめんちょっと時間かかっちゃった。30分くらい?」
「いや20分くらい。ていうかさあ、ゴールドカーバンクルの原石が転がってたのびっくりしたんだけど」
「あごめーん、ポーチを整理してそのままにしてた」
「おい!」
リュシャさんのうっかりミスに突っ込んだが、リュシャさんは「いやいや」と言いながら手を振った。
「普通原石は気づかないよ。普段からゴールドカーバンクルに触れてないと鑑定使ってもなかなかわからないから。結構誤算だったね」
「私、銀の王冠の話をど忘れしてて、向こうから言ってくれてさあー、ああーよかったー」
「あれ忘れてたんかい!」
逆に突っ込まれた。
「それで、あの息子がリュシャさんの方向いた時に、よく隠れてたよね」
「あれね、ずっこけて尻もちついてたの」
「なあんだ! もーびっくりしてたのに」
2人で笑い合っていた。
「次はどうする? リュシャさん」
「新しい依頼は入っていないけど、雅麗は何かしたいことある?」
「他にも依頼ってあるの?」
「やってみる?」