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2話「少年の思い出」カット14

 初めての小遣いは父親からもらった金貨3枚だった。

 どうしても買いにゆきたい物があったから父親にねだったのだ。病気で床に就いている母親に花束を買うために、心優しい少年は大金を握りしめて街を走り抜けていった。


「待ちなさいよ」


 町娘のリサイヤは高飛車で、いつも小さな頭にツバの広い帽子を被っていた。しかし今日は帽子をかぶっていない。


「帽子はどうしたんだよ」と尋ねると、少女は視線を見上げて見せた。突風が彼女の帽子を吹き上げて、家の柵の上の方、彼女の背の高さでは少しばかり足らない位置に引っかかっていた。


 少年は渋々手を伸ばしたが、それでも少し足りない。彼はリサイヤより背が低かったから。


 あたりを見渡すと、折れたハシゴの破片を見つけた。それを柵に立てかけると、自分が抑えているからリサイヤに登って取るように言った。リサイヤは少し躊躇った後に意を決してハシゴに登った。


「取れた?」

「もう少し!」


 必死に手を伸ばす彼女がもう少しで届きそうというところ、柵が音を立てて折れてしまった。


「コラー!」と奥の方から声が聞こえたかと思うと、同時に「バウ!」と大柄な犬の吠える声が聞こえてきた。こちらへ駆けてくる。


「逃げろ!」


 リサイヤの手を引いて一目散に逃げ出した。町なかの知った道からよく知らない路地裏へ走り抜けてゆく。においを追って犬の足音が聞こえてくる。がむしゃらに走り抜けていったところで、小さな小屋の屋根に飛び乗った。


「わ!」


 小屋の屋根に二人の重みで穴が開いた。二人は汚らしいたい肥の中に浸かってしまった。ひどい悪臭が立ち込めて、リサイヤは思わずえずいてしまう。


「うわ! 吐くなよ!」

「ぐ……」


 少年は素早く肥溜めから這い出ると、リサイヤの方へ手を伸ばした。


「早く!」


 するとほつれていた胸ポケットの糸がほどけて、入れていた三枚の金貨が肥溜めの中に落ちてしまった。まずいと思って慌てて差し伸べた手で金貨を拾おうかと思ったが、


「バウ!」


 金貨のことは頭から消え去ってしまった。気づかないうちにリサイヤの手を引いて、母親のいる病院まで真っ直ぐに駆け抜けていった。


「おお、どうしたどうした」


 医者は、汚い格好で泣きじゃくりながらやってきた二人の子どもを不思議そうに眺めながら、少年が母親の見舞いに来たのだと察した。


「体を洗ってきなよ、服は入院用のやつがあるな。それに着替えなさい」


 馬屋にて、医者の水の魔法によって泡が溜められたタライを二つ用意されて、その間が布で仕切られた。二人は服を脱いで全身に泡をまとわせると、見る見るうちに糞汚れが落ちていった。


 着替えてから医者をたずねると、少年の母親が休んでいる部屋へ二人は案内された。


「どうしたの? あら、二人でお見舞いに来てくれたのね」


 少年の母親は笑って二人を出迎えた。少年はうつむいて、嗚咽を堪える小さな声を漏らしながらなんとか話そうとしていた。


「こっちへおいで、かわいい子」


 母親は二人を優しく抱きしめて、ありったけの愛とやさしさで包んでやった。二人の頭に優しくくちづけをしてやってから、ありがとうと言っていた。


「あなたたちが来たのがきっと効くわ。もうすっかり元気ですもの。さあ、遅くならないうちにお帰り。気を付けてね」


 そう言って、今度こそ花を買って来ると固く誓って、少年は幼馴染と一緒に医者に家まで送ってもらった。


 母親が死んでから、少年は大人になり、妻を持った。


 その頃、兄は趣味で錬金術をしていたから、興味本位でゴールドカーバンクルをもらって錬金術の練習をしたことがあった。


「ゴールドカーバンクルは柔らかい金属でね、あまり道具としては使えないが、特別な素材なんだ。これからどんな傷も縫えば跡形も無く治ってしまう金糸を錬成することができる」


 怪我にのみ有効なのかと思ったが、兄は興味深いことを言った。


「もっと細くて、癒やしの魔法を込めた金糸を作ることができれば、母さんのような病気にかかった人も治せるようになはずなんだ。どうだおまえ、やってみないか」


 それから彼は、兄から譲ってもらったゴールドカーバンクルで金糸の錬成の実験を始めた。所帯を持ってからほどなくして、若い妻は母親と同じ病気にかかったのだ。


 彼は妻のために金糸を持って行って、医者に託した。妻は少し調子を取り戻したようで、彼は自分のしたことが報われたような気がした。


 一時的にではあるが元気を取り戻した妻は、また衰弱していき、ほどなくして呟いた。


「家に帰って、そこで死にたい」


 二人でよく話し合ったと思う。医者は申し訳なさそうな顔をして、二人の帰路に付き添った。


「先生のせいじゃありません。私たちでよく話し合ったのですから、気に病まないでくださいね」

「しかし、いや、達者で」


 二人は残された時間、幸せに過ごした。やがて妻は永い眠りについた。死んでしまったのではない、まだ鼓動も呼吸もあった。しかし、彼はある日の妻が苦しそうに咳き込んでいるのを見つけてしまった。


 大丈夫かと呼びかけるも起きる様子がない。彼は妻に安らかに死んでほしかった。その一心で再び金糸を持って喉奥に伝わらせると、魔法でその症状を抑えてやった。


 病症が落ち着いてから休んでいると、ベッドの方から自分を呼ぶ声が聞こえてきた。


「あなた、ありがとう」


 一時の目覚めだったのかもしれない。しかし、二人にとってはまた少し時間ができたと喜び合った。

 ほどなくして妻は意識を失い、そのたびに金糸で治した。


 彼は、もしかしたら妻の病気を完全に治せるのではないかと思い始めて、昼夜その研究に没頭した。しかし、結局治せないまま、ゴールドカーバンクルは底を突いた。


 兄からは少し休むように言われて、研究は少しの間中断した。すると、妻の寝ている部屋から激しく咳き込む音が聞こえてきたのである。


 どうしたことかと妻の様子を見に行くと、ベッドの上で彼女が泡を吹いていた。


「待て、待て待て待て待ってくれ!」


 慌てて口周りを拭いてやって、気を失って症状が落ち着くまでどぎまぎしながら彼女の手を握り、神に祈った。


 兄から病院に彼女を戻すように言われたが、その言いつけを聞く気にはならなかった。妻はこの様子で、激しい咳を何度も繰り返した。


 そんな生活が苦痛で、それでもヤギの乳で小麦を煮て口に含ませてやると彼女はかすかな意識でそれを飲み込むので、彼は自宅でずっとそれを続けた。


 彼はいっそ死んでしまいたかった。妻を看取ることがまた怖かったから、酒を浴びるように飲んで、死んだように生きてゆくのだと自分に言い聞かせて過ごしていくうちに、彼の評判は日増しに落ちていった。


「来たぜ、飲んだくれだ」


 酒場の人間は彼の事情を知らなかったから彼のことを疎んだ。そんな中、フードをかぶったよそ者の男が、酒を片手に彼に話しかけた。


「何だってそんなことをしているんだい」


 妻のことを彼は話す気なんてさらさらなかったが、酒で気が緩んだのか、気の良い男を信頼できる人間だと勘違いしたのだ。


「ゴールドカーバンクルが必要なのか?」


 男は笑った。


「ああ持ってるよ。あげてもいいが、ただってわけにゃあ行かない、貴重なものだからな。ひとつ仕事を引き受けてくれないか」


 妻を失いかけた男にとって、この上ない提案だった。


「何をすればいい?」

「人を1人、紹介してくれ。そうさな、若くて健康な娘がいい」


 彼はその不思議な誘いに乗って、別の夜に酒場で恋人と喧嘩をして別れたばかりの娘が一人で酒を煽っているのに気が付いた。千鳥足の彼女は、注意をする店主に「家が近いから」と店を出て町の路地裏にふらりふらりと立ち入っていった。


 彼女の跡をつけて追いつくと、だいぶ酔っていたらしかったから、道を案内すると言ったら、彼女はたやすく足取りを彼に頼った。


 そうやって実に都合よく男に娘を引き渡すことができた。すると男は図多袋を娘に被せて縄でぐるぐるにふん縛って馬車にぶち込むと、彼に礼を言った。


「ほら、約束の」


 そう言って袋いっぱいのゴールドカーバンクルを渡してきた。


「薬はよく効いたようだな。うまく酒に仕込んだじゃないか」

「紹介って……?」

「お前が知ることじゃないが、また後で教えてやるよ。縁があればな」


 男はそのまま立ち去ってしまった。


 だらだらと妻の命を引き延ばし、また辛い思いを長引かせた。妻はこれっぽっちも不満を言わなかったのが、彼にとっては余計に辛かった。


 だが罪悪感から彼は妻の前で連れ去られた娘のことをうっかり呟いてしまって、妻にそのことをとがめられた。


「あの子にどんな事があるかわかったものじゃない! あぁぁ……! そんなことでながらえちまったのか! 私は!!」


 彼にとって妻以外の女性は考えられなかった、侮蔑の視線が彼は美しいとすら思った。その瞳の中の清い光が、自らの裏切りによるものだと実感すると、この上なく胸が痛くなった。


 妻の激情が落ち着いてから、彼は蔑まれながら話をつけて、診療所で彼女を看取ると約束した。


 再びあの男が現れた。

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