第1章−7
「3種類も?違うマンガを持ってきてくれたのか」
「はい。どんなものが良いかわからなかったので。とはいえ、1つは以前に描いて子ども達に読ませていたもので、あとの2つは…」
「2つは?」
「読んでのお楽しみです」
「……お楽しみ」
「はい」
「読んでいいか?」
「もちろんです」
今日もまたモルティも加わりマンガを読んでもらうことになった。
ちなみに今日は3人共ソファに座ることで落ち着いた。
ーーーーー私もマンガが読みたいなぁ
そう思うことがよくある。
この世界には自分が描くマンガしかない。自分は描く側でしかなく、読む側になることができない。
マンガを描くことは好きだ。でも同じくらい読むのも好きだ。
漫画家などと口にするには自分はまだまだひよっこレベルにすぎないことは自分が一番よくわかっている。リリアナやターシャ達がどれだけ褒めてくれても、それは他に比較対象がないからだ。
転生前の世界に行けばもっともっと面白くて素晴らしいマンガが溢れんばかりに存在する。
皆を連れて行ってあれやこれやとオススメを読ませたい。
自分が描くこのレベルのマンガしか読ませてあげられないことに申し訳なさすら感じてしまう。
でも思う。いつか、いつか必ずこの世界でもマンガを描く人が現れると。いや、もう既にどこかにいるかもしれない。
エリシアはこの世界で出会える未知のマンガを楽しみにしている。
ただ、今、この場では自分のマンガを提供することしか出来ない。
ハワード王太子に献上するなど恐れ多いが最善を尽くしたい。
ラウルにまず読んでもらった1つ目は、エリシアが勝手に『マンガで読む物語シリーズ』と名付け、描き始めたシリーズだ。
世界が違えど国が違えど子ども達に読み聞かす物語というものは必ず存在する。それらの謂わばコミカライズだ。
そしてそれは既にいくつか作品として出来上がっていて、孤児院では子ども達に大人気のシリーズだった。
その中で王太子に献上する記念すべき第一作に選んだのは子供向きとしてはよくある物語、まさに王道モノだ。
寒い寒い冬の日、貧しい少女は森で出会った動物達が暖かくいれるよう自分のものを分け与える。
翌日、動物達から彼女へぞくぞくとお礼のプレゼントが届く、というものだ。
「へぇ、マンガにするとこんな感じになるのか」
ラウルももちろんこの話を知っていたのだろう。読み終わったとたん口を開いた。
「はい。会話など少し話を膨らませてはいますが」
「なるほど。たしかに書物で読むのとはまた違った印象を受けるな。話は同じなんだが」
ラウルの感想にモルティが頷きながら続く。
「そうですね。思い描いていたイメージが目の前にあるというのは不思議な感じです」
2人の率直な感想が聞けるのは嬉しかった。
「はい。そこに抵抗がある方もいるかと思います。でも、それはそれこれはこれで楽しむ、という感覚で読んで頂けると」
「それはそれ、これはこれか」
「はい」
「私は特に抵抗はないですね。おもしろいと思います」
「俺もないな」
今度はモルティの感想にラウルが頷きながら同意した。
「ありがとうございます。子ども達も概ね気に入ってくれているようで嬉しく思っています」
「次は…」
「こちらをどうぞ」
今回のメインの作品だ。
「ベルダ物語…か?」
「ベルダ物語ですか?あの?」
「はい」
2人は一瞬顔を見合わせた。
まずはラウルが読み始める。そして読み終わったページをモルティに渡していく。
ーーーーーまるで編集さんに読まれている時みたいだわ。
膝に置いた手に知らず力が入る。
自分の描いたものを初めて読んでもらう時にはいつも緊張する。
編集さんに読まれている時など息をするのも忘れてしまうほどで、このまま倒れてしまうんじゃないかと思ったものだ。
実際初めての連載『萌え死にです、ドS王子!』を読んでもらった時には、OKを貰い「ではこれでいきましょう」と立ち上がった加藤さんに続こうとしたのだが、足に力が入らずへなへなと椅子に倒れ込んでしまった。
リリアナ達に読ます時も緊張はするが…今ほどではない。
ラウルとモルティがどんな反応をするのかと心臓がバクバク音を立て始めている。
静まりかえった部屋には紙をめくる音だけが響く。時が流れるのが永遠のように感じる。
これだけ緊張している理由は彼らに読まれているせいだけではない。
それが『ベルダ物語』だからだ。
この国の国民であれば誰もが知っている物語。ある程度の家になれば必ず一家に一冊はある書物。なぜならそれはこの国アッサムベルダの建国物語だから。
史実なのか寓話なのか本当のところはわからない。しかし誰もが幼い頃から何度も聞かされ、何度も読み返し、折りに触れ話題になるこの物語を、エリシアがマンガにしたいと思うのはごく自然の流れだった。
そしてもう何年も前から少しずつ描き続けていた。何度も描いては直し描いては直し、ようやく自分の中で納得がいくものが出来たと思っていた矢先、ラウルにマンガの依頼を受けた。
一番に頭に浮かんだのはやはりこの物語だった。
ベルダ物語という書物は長い時の中で何人もの作家によってアレンジされ書かれているので、それを題材にすること自体は問題ないはずだ。
しかしマンガとなるとまた別だとエリシア自身も自覚していた。
原作が素晴らしいものであればあるほど、有名であればあるほど、それを絵として描くのは難しい。
計らずもモルティが言った通り、書物を読んだ時点でそれぞれ人は自分なりのイメージ世界を作り上げる。
絵で描くことはそこに切り込んでいくものだ。
イメージと違うということにまず読者からの判断が下される。
いや、そこに行き着く間もなく、イメージと違うというだけで拒否反応を起こす人もいる。
そして、そこを切り抜けたとしても次の関門が訪れる。
マンガというものはほぼ会話で成り立っている。そこが書物との大きな違いだ。
つまりマンガに起こす時点で本来なかった会話が生み出される。
転生前の世界なら、それらは原作者がいれば原作者と、担当編集者がいれば担当編集者と相談しながらアドバイスを受けながら作り上げていける。
しかし今エリシアには誰もいない。自分しかいない。全てがエリシアの独断で描かれるのだ。
気楽と思えるほど図太い神経は持ち合わせていない。それは恐ろしいことだ。
その自覚があるからこそ何度も何度も描き直し、何年もかけて推敲し続けたのだ。
ベルダ物語のマンガを献上しようと思いついた理由はもちろん建国記だからなのだが、他にもあった。
反応を見たい、と思ったのだ。
ベルダ物語のマンガが受け入れられるかどうか。指針にするには少々直球勝負すぎるが、反応が出やすいはずだ。
ーーーーー拒絶されるなら早めにされるほうが、ラウル様も別の方法を考えられる。
そしてもう1つの理由。それは誰が何と言おうとベルダ物語はバトルファンタジーものだからだ。
バトルファンタジーもののマンガは基本男性向けと分類される。
ハワード王太子はもちろん男性だ。
ーーーーーもしかすると興味を惹けるかもしれない。
『ベルダ物語』
それはまだこの国がアッサム国と呼ばれていた大昔、この国は3頭の魔物に支配されていた。
人々は凶悪な魔物によって無惨にも喰われ踏み潰され、生き延びた少数の者は岩山の洞穴にひっそりと身を隠し暮らしていた。
ある日そこに青年が現れた。
魔物と闘うべく、魔物を追ってやって来たという。
彼は勇者ベルダと名乗った。
人々は言った。
たった一人で魔物と闘うなど無謀だ。
ベルダは答えた。
自分には祖父から受け継いだ何者をも倒す剣がある。
この剣をもって必ずや魔物を倒してみせる。
人々は言った。
それならばあなたにこの石を授けましょう。
彼らはベルダに片手に握れるほどの大きさの透明な石を渡した。
人々は言った。
この石は魔物の前であなたの姿を隠してくれるでしょう。
しかし姿を隠す時間が長くなればなるほど石は消耗し小さくなり、いずれ消滅してしまいます。
どうかこの石が消える前に魔物を倒してください。
ベルダは言った。
貰うわけにはいきません。この石はいざとなった時、皆を隠してくれるもの。その為にあるはずのもの。私がもらうわけにはいきません。
人々は言った。
これがあったとして、魔物がいなくならない限り、我々は生きてはいけません。石は多少の時間稼ぎにしかならないでしょう。
それよりあなたにこれを託すことで魔物がいなくなる、そのことに賭けたい。
ベルダは人々の説得により剣と石を持ち魔物退治に向かう。
彼は死闘を繰り広げながらも、1頭、2頭と魔物退治に成功した。
魔物を前にすると真っ赤な輝きを放つその不思議な石は、けれどどんどん小さくなっていく。
そしてついに3頭目の魔物と闘いが始まった。
不思議な石が消滅するその瞬間、彼は最後の魔物にとどめを刺した。
魔物を全て退治した彼は人々のいた洞穴に戻った。しかし遅すぎた。人々は彼が勝利を治める前に魔物によって殺されていたのだった。
打ちひしがれる彼の耳にコツンと石が当たる音が聞こえた。
見ると人々が重なって倒れているその奥に岩石が積み上げられている部分がある。
彼はそこに近づき、それらの岩石を動かした。
するとその向こうは空洞の小さな部屋のようになっていて、そこに少女と、その乳母と思しき女性がいた。
少女はアッサム国の王女だった。
父である王と母の王妃は隠れることをせず人々の先頭に立ち魔物と闘った為に命を落した。
人々はせめて王女だけでもと、幼い彼女とその乳母を隠し、守ったのだった。
その後、ベルダは彼女の側で国の復興に助力した。王女とベルダはいつしか恋に落ち、結婚した。
そうしてこの国は『アッサムベルダ王国』となった。
国の紋章には剣と石がモチーフに描かれている。
転生前のエリシアが描いていたのは少女マンガで、闘いの場面は公式には描いたことがない。描き写しは数えられないほどしたが…
幼い頃、マンガが大好きで絵を描くのが大好きだった少女はマンガを見ながら毎日毎日飽きることなく、それらを描き写していた。好きな場面、驚いた場面、ワクワクと心が踊った場面、どうしたらこんなに上手に描けるのだろうかと感嘆した場面、それらを描き写すことが楽しくて楽しくて仕方なかった。
マンガの道を目指そうと決めてからもそれは続いた。
尊敬する漫画家の先生方の絵を描き写すこと。それは練習であると同時に趣味だった。電話の最中など無意識に手が描き写していることもあった。
その中で迫力ある動き、表情、闘いの表現を学んだ。
まさか異世界で、しかもこんな状況でそれが役に立つことになろうとは。
しかし実際として自分がどれだけ迫力のある絵を描けるのか。それにどんな反応が返ってくるのか。
大袈裟だと言われようが、彼女にとっては、まさに運命の時が迫っていた。