第1章−5
ラウルの交換条件に対してエリシアに勝算がなかったわけではない。彼女は彼女なりに回避作戦を考えていたし、それで切り抜けられると多少本気で考えていた。
『殿おし』を書くにあたり、しばらくの間エリシアはラウルを観察した。結果彼の行動パターンはある程度特定できている。
彼がよく通る廊下を避け、彼がよく使用する時間のカフェは避け…そうやっていれば彼と出会うことは少ないはずだ。
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そもそもの話に戻ると、彼女は最初からラウルを主人公にしたマンガを描こうと思っていたわけではなかった。むしろ最初は別の…皆が嫌っている令嬢をモデルに書くつもりでいた。
その令嬢、シュルバルト侯爵令嬢はとにかく嫌な女だった。
気に入らない相手には悪質な嫌がらせを平気で出来る人間で、しかもその対象は女生徒にかぎられていた。
男子生徒には絶対にしない。そして必ず男子生徒のいない場所で、男子生徒にバレないようにイジメる。
とにかく胸くそが悪くなる令嬢だった。
リズやエリシアも何度かすれ違いざまに意図的にぶつかられたことがある。
エリシアはせめてマンガの中でだけでもと、彼女を悪役令嬢にし、リズに似たヒロインと王子様が結ばれるという王道のヒロイン物を書こう思った。
そしてその日からシュルバルト令嬢の観察を開始した。
元々エリシアは人々を観察するのが好きだ。何かしていてもしていなくてもいい。ただそこかしこで話したり歩いたりしている人々を見ているだけで想像力が刺激され物語のアイデアがふわりと浮かんでくる。
義務ではない学園にきちんと登校するのは大勢の人達を見たいという理由もあった。
もちろんリズ達に会いたいのが一番の理由だが。
さて、シュルバルト令嬢を観察し始めてから数日で彼女のお気に入りの男性が判明した。ラウル殿下だ。
彼女は暇さえあれば殿下に駆け寄り擦り寄り愛想を振りまく。
彼女だけではなく、ラウル殿下の周辺はほぼほぼ同じ友人で固められていた。友人というより取り巻きという言い方の方が正しい。そしてそれはだいたい男:女が2:8くらいの割合だった。
ラウルに擦り寄っているときのシュルバルト令嬢の笑顔はそこでしか見られない貴重(もちろん悪い意味で)なものだった。
ここぞとばかりにいやらしく笑顔を振りまいていた。
そしてそれはそこにいる取り巻きの皆が同じように見えた。
囲まれているラウルもそれなりに楽しげに笑っているのでまんざらでもないのだろう。
ーーーーー陽キャ。パリピ、リア充。世界が違っても、転生しても私はあっち側にはなれないわけね。
マンガのためと遠い目をしながら彼らの観察を続けていたある日、校舎間を繋ぐ渡り廊下でラウルとモルティを見つけた。
2人きりでいるのは珍しい。見るともなく見ていたエリシアはふっと違和感を覚えた。
ーーーーーんっ?殿下って、あんな顔で笑うっけ?
モルティと笑い合うラウルは、いつも取り巻きに囲まれて笑っている彼とは違って見えた。
心から楽しそうに笑っている。何か特別楽しい話をしているのかもしれない。でもやはり何かが違った。
ーーーーー特別な存在ってやつかな
その時、シュルバルト令嬢が走り寄って行くのが見えた。
ーーーーー出たっ!
そして彼女が登場した後のラウルの笑顔は先程とは違いいつもの見慣れた笑顔になっていた。
ふっ、とエリシアにイタズラ心が芽生えた。
ーーーーーその手があったか!!
エリシアの観察対象はラウルになった。
そうしてエリシア初のBLマンガ『殿下、おしおきの時間です』は誕生したのだ。
転生前にもBLマンガを書いたことはなかった。しかし読むぶんには大好きだった。
まぁマンガであればなんでも読んだし、なんでも大好きだったのだが。
なのでBLマンガに対して抵抗はなかった。むしろ一度書いてみたいと思っていたくらいだ。
出来上がった『殿下、おしおきの時間です』は見事4人の令嬢の心を掴んだ。
初めて読むBLマンガに彼女達の反応は恐ろしいまでに素直で可愛かった。
「えっ」
「うそ」
「えっ、えっ、なに?」
「キャッ、うそ~」
「キャ〜ッ、ひゃっ、ヤダ〜」
「ギャ〜〜〜〜〜っ!」
「最高っ!!」
それこそ10代の女のコの反応はどの世界でも変わらないし、どの世界でも可愛い。
エリシアは嬉しくてたまらなかった。
他の生徒たちがいない校庭の奥の奥の芝生に座り込んで、4人は『殿おし』が描かれた紙を回し合い、何度も何度も繰り返し読んでは奇声をあげ、声をひそめつつ感想を言い合っていた。
ラウルとモルティをモデルにしているとはいえ、もちろん名前も設定も変えていた。
しかしそれはバレバレというやつだ。すぐさま全員一致で『殿おし』のBLカップルはラウルとモルティだと特定された。
その時だった。
強い風が彼女らの間を通り過ぎ、芝生に置かれていた『殿おし』をはらはらとさらっていった。
「だめっっ!!」
全員が叫び、回収に立ち上がった。
そしてそのうちの1枚を追っていたエリシアの先にいたのは誰であろうラウルその人だった。
誰もいないはずの芝生に寝転がり、飛ばされてきた紙を見つめている。
ーーーーー終わった。
「これはなんだ?」
半身を起こしたラウルが紙に目を落としたまま問いかけてきた。
「えーっと、絵です?的な?」
「お前のものか?」
「あーーーっと、そんな感じです、的な?」
「お前が書いたのか?」
「えーーーっと、返していただけませんでしょうか?」
一歩彼に近づいたところで見えてしまった。
ラウルが手にしている紙、そこに描かれているのは
『殿下はいけない子ですね』
『朝からずっと私にこうされたいと思っていたのでしょう』
『ほら、もうこんなに興奮して』
『欲しいと言ってはいかがですか?』
秘めた欲情に顔を赤らめる王子を羽交い締めにした執事による怒涛の言葉責めシーン。
ーーーーー無事終了のお知らせ
「他にもあるだろ。全部持ってこい」
ーーーーー威嚇力すごっ、さすが王子だわ。
妙に冷静に感じたのが自分でおかしかった。
「は・や・く・し・ろ」
初めて顔を上げ、エリシアの目を見すえラウルが言った。
「………はい」
その様子を見ながら泣きそうになっていた4人になんとか笑いかけて彼女らから残りの紙を受け取ると、『殿おし』をラウルに渡した。
「預からせてもらう」
「えっ!殿下、それは!」
「なんだ?」
「あ…の…できましたら…お返し頂けると」
「却下」
「却下ってそんな!あっ、申し訳ございません」
「………名前は?」
「エリシア…エリシア・メイザードでございます」
「エリシア、明日の王宮での舞踏会には来る予定か」
「はい、一応そのつもりは…あっ、出禁ですか?それは全然構いません!」
「デキン?…なにを言っているのか知らぬが、明日必ず来るように」
「へ?明日…必ず」
「来るんだ」
「は、はい。で、それは…」
エリシアがマンガの返却を求めて手を差し出す。
「明日来たら考えてやろう」
宙に浮いた彼女の手を一瞥して、ラウルは早足で行ってしまった…『殿おし』を握りしめたまま。
そうして生きた心地がしないまま翌日の舞踏会を迎え、そこでエリシアは初めてのキスを奪われることとなったのだった。
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エリシアの回避作戦も虚しく、彼女がラウルと向かい合うことになったのは、舞踏会からほんの2日後のことだった。作戦を実行する間もなかった。
彼らが通う学園は4つの校舎と1つの城からなっていた。
東棟には13歳〜15歳の初学年用の教室があり、西棟は16歳〜18歳の教室。北棟は書庫があり、南棟はカフェやテラスなど生徒達のくつろぎの場所。そして少し離れて建てられた薔薇城と呼ばれる城は舞踏会用だ。
校庭には花々が咲き誇り、芝生のカーペットでは生徒達が座り込んだり寝転んだりして休み時間を過ごす。
そして中庭には噴水と温室があった。
北棟の裏には馬舎があり数頭の馬が飼われていて、生徒たちはその奥に広がる森(これも学園の敷地内なのだが)へ乗馬に行くことも許されている。
学園の入口は南北に1つずつ。そしてそれとは別に王族専用の門もあった。
その日、学園での午前中はいつもと変わらず穏やかに過ぎた。
ラウルと顔を合わせることもなかった。
昼食の時間になりエリシアとリズは学年の違うリリアナ、ターシャ、カーラと待ち合わせ、5人のお気に入りの休憩場所へ向かおうとしていた。
「エリシア・メイザード、少しよろしいかな?」
「学園長」
後ろから声をかけられ振り向く。思いがけない人物に
5人は一瞬驚くも、スカートの裾を持ち膝を折り丁寧に挨拶をした。
「私、ですか?」
「ああ。エリシア、君に少し手伝ってもらいたいことがあってね」
学園長直々に声をかけられるなど初めてのことだった。
しかもエリシア指名で何かの手伝い事があるという。訳がわからないがもちろん断るわけにもいかない。
「かしこまりました」
学園長の後をついて歩いていくエリシアを見ながら残された4人は顔を見合わせた。
学園長室は北棟書庫の2階にある。
エリシアを従えた学園長は自室の扉の前まで来ると、そこを通り過ぎ右に曲がり、薄紫のカーペットが敷かれた廊下へ。
その先には学園長室の扉よりさらに大きく重厚で見事な彫刻が施された扉がある。
ーーーーーまさか、ウソでしょ。
噂ではその存在を聞いたことがあった。それでも自分が訪ねることなど一生ないと思っていた場所だ。
学園内における王族専用の部屋。
王族と彼らが許した者のみ訪れることができる『王の間』だ。
この先に誰が待っているのか。ただ1人しかいないことはエリシアでもわかった。