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第3章−7

「体調はいかがですか?私の子どもを身籠っていると…」

 ラウルは客人達の前で、むしろわざと彼らに聞こえるようにグラシアに声をかけた。

「ええ、その通りでございます。こんな形でお伝えすることになってしまい申し訳ございません」

 彼女はしおらしく膝を折った。

「私としては君とそのような関係になった覚えはないのだが、いったい…」

「殿下!お言葉ではございますが、殿下のご記憶がどうであれ娘が殿下のお子を身籠っておりますことが何よりの証拠でございます」

 きっとこれは用意されていた答えなのだろう。無茶苦茶な言い分をシュルバルトはスラスラと顔色1つ変えず並べ立てた。


「それもどうなんだか」

 客人の中から小さな、しかし確実に疑いのこめられた言葉が聞こえた。

「なにやら!」

 シュルバルトはその声の方向を睨みつけた。

「やっかみの声もあるようですが、これは私共の医者が確認したことでございます。疑う余地などございません」



「君はそれで構わないのか?」

「それでとは?」

「私の妻になるということだ。君にとっても思いがけないこと…」

「もちろんですわ!そんなこと!殿下のお子がいるんですもの!妻になるのは当然のことです!」


「なに様のつもりだ」

 小さく呟いたハワードの手をカタリナが握った、目はグラシアを見据えたまま。

 2人の後ろではライナスが同じくシュルバルト父娘を睨みつけている。



「では私と結婚するんだね」

「はい!もちろんです。喜んでお受けいたします」

「私は君が思うような理想的な男ではないかもしれないよ」

「そんなことはございませんわ。私は殿下を誰よりもよく存じています。ずっと昔から殿下をお慕い申し上げていたんですもの」

「では、いいんだね」

「はい。殿下と添い遂げる覚悟にございます」

「では君を妻としよう」

「ありがとうございます!必ずや殿下のお役に立ち、殿下にふさわしい王子妃になりますわ」

「殿下、ありがとうございます。父親の私からも娘のことをよろしくお願い申し上げます」

 頭を下げたシュルバルトはいやらしい微笑みを浮かべ上目遣いにラウルを見た。しかし、その視線にラウルが応えることはない。


 言葉遣いもロクに知らないグラシアに対して、ラウルは跪くこともなければ、正式な求婚をしたわけでもなかった。

 しかし自分達がこの場の主役であり、そしていよいよ王族になれるのだという高揚感に浸るシュルバルト父娘は気づかない。

 ラウルが決して彼女の名前を呼ばないことにも。




「まだいたのか!とっとと出ていけっ!」

 怒号が響いた。

 その場にいた全員が頭を下げ、膝をおった。怒りを顕わにした国王が大股でラウルとシュルバルト父娘に向かってくる。

「ラウル!なにをしているのだ!」

「陛下。妻を迎えに」

「妻だと?!」

 国王はラウルの後ろで喜びと驚きが入り混じった表情のまま固まっているグラシアを睨んだ。


「なるほど、ちょうどいい。王家に恥をかかせた者同士、連れ立ってとっとと私の前から消え失せろ、不快極まりないわっ!」

「……わかりました。では荷物だけでも」

「荷物?そんなものもういらぬだろう。あそこには茶会もなければ舞踏会もない。仕事と住む家を与えてやっただけありがたく思え。家と言ってもボロ小屋だけどな」


「あ、あの恐れながら……陛下」

「なんだ貴様は!」

「シュ、シュルバルトと申します!こ、このたびラウル殿下の妃となります、む、娘の父親でございます」

「ふんっ、もはや殿下ではないし、お前の娘は妃にはならない」

「…………妃には…なら…ない…………あ、あの、恐れながら…陛下は先程から何をおっしゃっていらっしゃるのか…」


 国王がまるで虫けらでも見るかのように目を細めた。

「………ああ、まだ知らぬのか。先程、ラウルをこの王家から、そしてこの国から追放した」


「ヒィッ」

 数名の客人が小さく悲鳴を上げた。



「追…放?」

「当然だろうが!婚約者がありながら別の娘を孕ませ、それを我より先に国民が知るとは。何たる屈辱、何たる無礼!恥晒しにもほどがあるわ!

 そしてシュルバルト!お前達父娘も同罪だ。我々に恥をかかせおって。

 そうだな、ちょうど娘はラウルの妻になるのだ、それなら夫婦共々とっととイーロス島へ行け!」



「イーロス…島?」

「そうだ。お前達にお似合いの場所だ。ラウルにはイーロス島の管理の仕事をあてがってやった。まぁ給金は出ないがな。2人で畑を耕してでも生きていけ。ちなみにイーロス島から一歩たりとも出ることは許さん」


 長い沈黙だった。



「イヤよっ!!イヤだわ、お父様、私はイヤよ!」

 グラシアが気がふれたように甲高い声で叫び始めた。

「お父様!イヤよ!イーロス島なんて行きたくないわ!お父様、断って!」

「断る?君は私の妻になると言ったばかりじゃないか」

「イヤよ!ならないわ!殿下!どうしてですの?」

「シュルバルト令嬢、私はもう殿下ではない」

「聞いてないわ!そんなはずないわ!!あなたは殿下よ!私は殿下の妻になるのよ!」

「私の妻だろ」

「でもここに住むのよ、私はここに住んで、殿下の…」

「だから我々はここには住めないし、今からイーロス島に行くんだ」

「今から………?イヤよ!イヤだわ!イーロス島なんて絶対に行かないわ!」

「添い遂げる覚悟じゃなかったのか?」

「違う、イヤ、お父様!」

「殿下っ、殿下、娘は…」

「うるさいぞ!もはやこれは『殿下』でもなければ、わしの息子でもない!ただのラウルという男だ。いや、イーロス島の管理人ラウルだ」

「管理人…イーロス島の…管理人ラウル」



「では行こうか、シュルバルト令嬢」

「イヤよ!行かない!行かないわ!あなたとなんて結婚しない!」

「待ってくれ、さっきは結婚すると」

「しないわ!イーロス島の管理人となんて結婚したくないわ!私は殿下と結婚したかったのよ!私は妃になるの!」


 成り行きを見守っていた客人達がゆっくりと事の方向を捉え始めた。

 そっと鼻で笑う者、「おいおい」と小声で呟く者も出始めた。



「それは納得がいかない。君は私の子を身籠っているんだよね。それなら私と一緒に」

「殿下、娘は今が大事な時でございます。イーロス島など遠い場所。ここなら王家お抱えの医師も…」

「シュルバルトよ、何度言わすのだ。ラウルはもう王族ではない。よってこの者の子も王族とは認めん。なぜ我々の医師が診る必要があるのだ?勘違いも甚だしい。勝手に産んで勝手に暮らせ」

「勝手に……そんな…」

「王族ではない……」

 今やシュルバルト父娘の顔は一気に青ざめ、得意気ないやらしい笑みは驚愕の表情に取って代わられた。


「話はこれまでだ。早く出ていけ!」

 そう言って背を向け歩き出した国王の背中にグラシアが叫んだ。

「違います!子どもなどおりません!」

「そ、そうです、そうだ!そうなんだ!子どもなどおりません!これは……勘違いでございます!なにかの…私共の医師の勘違いでございまして」

「そうよ!あの医者が悪いんだわ!ですので陛下、私は関係ございません!イーロス島行きを命ぜられるのであればラウル様だけにしてくださいませ、どうか私はお許し下さい!」


 ついに本性が現れた。それは耳を疑うほど醜く残酷で身勝手な言い分だった。



「つまり…ラウルの子を身籠ったというのは嘘だと」

「それは……私は……医者の勘違いでございますわ!」

「勘違い。ほぉ、ではラウルとは」

「誓って何もございません!」

「結婚は…」

「いたしません!絶対に結婚なんてしません!ですのでイーロス島行きだけはお許しを…」

 隣の父親は頭が首からもげ落ちるのではないかというくらい何度も大きく頷いている。


「シュルバルト侯爵令嬢。お前の言葉にもはや嘘はないな。後で何を言おうが二度と聞かぬぞ」

「もちろんでございます、陛下!」


「ラウル!」

「はい、陛下」

「先程の私の言葉を訂正する。お前を王族に戻し、国からの追放も撤回する」

「ありがとうございます」


「………え?」


 表向き、その場さえ取り繕えられればいい。本当に大事なものが決定的に欠落している。しかしその欠落している本当に大事なものが何なのかすらもわからない父娘に、全員の目が冷たく突き刺さる。



「ここまで愚かとは…見事に自らの愚かさに足を取られたな、シュルバルト」

「ということで侯爵そしてシュルバルト令嬢、今後一切私に関わらないでもらいたい。まぁもうそんな機会さえお前達には与えられないが」

「ラウル様…?」

「お前にそのような呼び方を許した覚えはない。殿下と呼べ。『殿下』だ。好きなんだろ、この言葉が。反吐が出る!」




「陛下……我々を……謀ったと」

 ようやく事の次第を理解したらしいシュルバルトは握った拳を震わせ、声には怒りが滲んでいる。


「謀ったのは貴様らだろうが、この無礼者っ!」

 国王の罵倒に今度こそ皆が縮み上がった。

「嘘の流布で我が王子ラウルにあらぬ嫌疑をかけ、恥をかかせて結婚を迫るなど、ふざけるのもたいがいにしろ!この場で斬り刻みたいのを我慢してやっているのだ、ありがたいと思え!」

「お聞き下さいませ、陛下!」

「もう十分聞いたぞ、グラシア。先程からどれだけお前の言い分を聞いてやったと思っているのだ。お前の言葉は全てラウルを否定し、我が身を守るものだった。そしてそれはここにいる皆が聞いておる。

 皆の者、今日ここでそなたらの目で見、耳で聞いたことが全ての真実だ。覚えておけ」

 客人達が国王に頭を下げた。


「シュルバルト、お前達にはそれ相応の裁きが下される。イーロス島に行っておけば良かったと思うほどのな。覚悟しておけ」


 2人はそれでもまだ自らを擁護する言葉を叫びながら、近衛兵達に引きずられて行った。




「陛下、よろしいでしょうか?」

 いつもの落ち着いた声でラウルが国王に訊ねた。表情に柔らかさを取り戻した国王が一瞬だけ父親の顔をのぞかせ彼に頷く。


「モルティ!」

 少し離れた温室の陰からモルティとメイザード侯爵が現れた。



 ラウルはメイザード侯爵に足早に近寄り胸に手を当て頭を下げた。

「侯爵、私には後ろ暗いことは何ひとつございません、エリシアに出会った後も、出会う前も。そして私が愛し、結婚したいのはエリシアただ1人です。あらためて彼女を妻とするお許しを頂きたい」

「殿下……ありがとうございます」

「では、早速エリシアに会いに…」

「殿下、申し訳ございません。ただ今、娘は別邸に出かけておりまして」

「構わん……案内してくれ」

「は…しかし…北部キアトーマの地でございまして。今から向かいますと夜に峠を越えることとなり少々危険かと。明日ご案内申し上げます」

「そうか……では侯爵、明日夜が明ける前に、夜が明ける前だぞ、出発だ」

「かしこまりました」

 メイザードの顔から笑顔がこぼれた。




「さて、皆の者、今日は猿芝居につきあわせた。しかしどうしても聴衆が必要でな、許せ」

 客人の誰もが国王の言葉の意味を正確に理解した。

「芝居の後は宴と決まっておる。気分を変えて過ごしてくれ」


 ここからはハワードとカタリナの役目だった。

 客人達の間にするりと溶け込み、会話を始めるハワードと

「私の国で人気のあるお菓子でございます。皆様に食べて頂けたらとお持ちしました」

 そう言って微笑むカタリナ。



 人々の輪の中に加わったラウルの肩をモルティがポンッと叩く。


「終わった」

 愛する2人を引き裂いた辛く苦しい日々が今ここで終わったのだった。


 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 その日、シュルバルト家の地下室から、手足を縛られた男性が見つかった。シュルバルト家お抱えのその医師はグラシアの妊娠など確認していないし、そもそも診察すらしていないと証言した。

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