第3章−5
ハワードへの最後の『マンガで読む物語シリーズ』は国王の誕生日を祝う物語だ。
内容は特にない。町には花や食べ物が溢れ、人々は子供から大人まで皆が笑い歌い踊る。ただただおめでたい話だ。
今のエリシアの心境とは真逆すぎるほど真逆だが、それはそれ、これはこれだ。
これまでの4作品は描きあげた順に見せていたが、最後だけはこれにしようと以前から決めていた。
ーーーーー私にとっては悪夢だけど……新しい命は王室にとってはおめでたいこと。案外相応しかったりするかもだわ。私って天才?!
1人おどけて考えてはみたが、ただ涙が溢れてくるだけだった。
『ベルダ物語』もいよいよ最終話。
3頭の魔物を見事倒したベルダはカミユと共にアッサムの人々が待つ洞穴へ戻るが、既に人々は魔物の餌食になっていた。しかしベルダはそこで王女と出会う。
彼女と共に、魔物によって建物の半分以上を壊された王宮へと戻る。
『まだ残っている部分があります。さぁここから始めましょう』
王宮の変わり果てた姿に涙を流す王女をベルダは励ますのだった。
魔物がいなくなり、王女が王宮に戻られた。
ほどなく、様々な場所で魔物から身を隠して生きていた人々が徐々に王宮の周りに集まってきだした。
ベルダとカミユ、そして生き残った人々は王宮と王都の復興に励んだ。
王女とベルダはいつしか愛し合い2人は結ばれる。そうしてアッサムベルダ国は誕生したのだった。
『ベルダ物語』も今回は愛と結婚、というエリシアの心を抉る内容だった。
ーーーーーこれも昔描き上げたもので良かったわ。今の私では愛の言葉ひとつ、思いつくことができないもの。
『魔法学院を退学になった俺が魔女の3姉妹と出会った話』最終話。
この作品だけはリアルタイムで描いているものだ。エリシアは机に向かいペンを持った。
頭の中で『まほがく』の世界が動き出す。少しずつ意識が現実から離れていく。彼女は夢中で描き続けた。
しかし例えば大きく伸びをした瞬間、例えばチェストの上に置いたお茶を飲む瞬間、不意にラウルが心に現れてエリシアを凍りつかせる。
愛おしそうに見つめる瞳。温かく大きな手。甘い声。イタズラっぽい笑顔。力強く抱きしめてくれる腕。優しいキス。そしてせつないような苦しいような、それでいて永遠にその中で溺れていたいと願ってしまうあの狂おしい感覚。愛していると言ってくれたラウル。
ーーーーー大好きなマンガ。どんなときでも私から離れずいつもそばにあって。マンガさえあれば私は幸せだった。なのに…こんな大好きなマンガを描いているのに、どうして涙は止まってくれないの?
エリシアは心と身体がぐちゃぐちゃのまま、それでも『まほがく』を描き続けた。
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「父上、私を王家とそしてこの国から追放してください」
再び国王執務室で6人が顔を合わせた。今回は父親と息子2人はソファに座り向かい合っている。
突然のラウルの申し出に一瞬皆が黙り込んだ。
「どういうことだ」
父親がその太く低い声でラウルに問うた。
「この方法しかないと思うのです。もちろん本当に追放されると困るのですが」
そう言ってラウルがにやりと笑った。
「結局、シュルバルト父娘は私ではなく王家と結婚したいのです。それなら私が王家でなくなればいい」
「王家という後ろ盾もなければ地位もない、ただの1人の男になったラウルにあの父娘が興味を示すかどうか」
「示さないでしょうね」
ハワードの問いに即答したサヴァンに全員が驚きの目を向けた。
「申し訳ございません」
「いや、構わん。ここにいる者は遠慮なく意見を述べることを許している者だ。サヴァン、考えを述べろ」
国王が促した。
「では…今回のことは全て虚偽です。おそらく妊娠すらしていないでしょう」
「だろうな」
ライナスが同意する。
「はい。しかしそれなら彼らはラウル殿下を前にした時どうするつもりなのでしょう。無関係の者ならまだしも殿下本人にそんな嘘など通用するはずがありません」
「そうなんだ、そこだよ。結局のところ彼らは俺が何を思うかなどどうでもいいんだ。我々を追い込み結婚せざるを得なくする。結婚さえできればそれでいい。返せばそれは俺じゃなくてもいいんだ。彼らは俺と結婚したいんじゃない。王室と結婚したいんだ」
「シュルバルト侯爵の権位に対する執着は皆の知るところでございます。今回のことに関し、多くの者が侯爵に対し疑念を抱いております。私の耳にも容易に届くほどに」
「それでお前が王家から追放される、ということにするのか?」
「ああ、兄上、その通りだ」
「ラウルと結婚して王族になれるはずがとんだ計算違いだ」
ライナスもニヤリとラウルを見た。
「しかしそれでもお前と結婚すると言ったら?」
「それなら結婚してやるさ、但し俺はこの国からも追放されるけどな」
「どういう意味だ?」
ハワードはラウルの意図が掴めず質問を重ねた。
「俺は陛下のご慈悲によりイーロス島の管理の仕事をあてがわれるんだ。もちろん無給でね。大丈夫、土地はある。食料は畑を耕して自給自足だ」
「ワハハハハ!ラウル、お前、天才か!」
相変わらずライナスの声は響きわたる。しかし彼の笑いで一気に部屋の緊張が解けた。
「イーロス島って…罪人送りの島の管理をするのか?ラウルが?むちゃくちゃだな」
ハワードも破顔している。
「シュルバルトご令嬢様が耐えられるわけないな」
モルティがイヤミたっぷりに皮肉った。
「父上、たしかにバカげた提案です。でもそうでもしなければあいつらの思い通りになってしまいます」
笑いが静まり全員の目が父親に注がれる。
「猿芝居だな」
「父上…」
「しかし、やるならとことんやるぞ、ラウル。わしだって腸が煮えくり返っている。どう転んでも二度と起き上がれないようにしてやる」
「父上…ありがとうございます」
「サヴァン、とはいえ引き続きシュルバルト家の医師を探すのは怠るな」
「御意」
「医師はまだ見つからないのか?」
ハワードがサヴァンに声をかけた。
「はい。どこかに隠れているのか、隠されているのか。生きていればいいのですが…」
皆の顔が一瞬引き締まる。
「シュルバルトの娘がそれでもお前と結婚すると言ったら本当に結婚するのか?」
「ああ。イーロス島に着いたらその場で離婚して置き去りにしてきてやるけどな」
「うへ〜ラウル殿下は恐ろしいな〜」
ライナスが冷やかす。
「我々を謀り、恥をかかせてその程度なら慈悲深いことだ」
「陛下…」
「父親はわしが国王権限を発動して八つ裂きにしてやるから安心しろ」
皆が笑う中、ラウルは笑っているフリをして涙を拭った。
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「グラシア!王室から茶会の招待状だ!ついに我々も王室主催の茶会に招かれたのだ!グラシア、きっとここで殿下はお前に求婚されるおつもりだ!」
「皆の前で?まぁなんて素敵なの!注目の的だわ、何を着ていこうかしら!」
「で、でも本来ならまず関係者だけで結婚の話になるのじゃないのかしら」
「マリー、そんなことどうでもいい!人々の前で求婚されるなんて素晴らしいじゃないか!皆が見ている前で殿下が我が娘に跪くのだぞ」
「そうよ、お母様、皆羨ましがるわ!私もついに本物のお姫様になれるのよ!なんて素敵なんでしょう」
「そんなにうまくいくものかしら……」
「辛気臭い顔をするな、マリー!男なんてな、建前では立派なことを言っていても、一晩過ごせばそれで終わりだ。ラウル殿下も所詮は男だ。どうとでもなる。なんせ世界で一番美しい娘をくれてやるんだからな」
「お父様ったら、やめてください」
何ひとつやめてほしそうではない顔のグラシアが高らかに笑った。
シュルバルト侯爵家。中流ではあるが歴史ある侯爵家だ。
しかし立派な佇まいの邸宅は近づくと、ところどころ色が剥げ落ちていた。
庭園にはたくさんの花が咲き乱れているが足元の雑草は伸び放題で手が入っていないのがわかる。
黄金に縁どられた立派な玄関扉は開閉時にギギーッと大きく音が鳴り、玄関ホール正面にある大きな花瓶には不似合いな花がほんの少し生けられているだけだ。
家族3人が持つティーカップは高級品として人気のある銘柄のものだが、それぞれが違う銘柄のカップを使用している。
この邸宅を訪れた誰もがどこかちぐはぐさを感じていることを彼らは気づかない。
なぜなら彼らのドレスも装飾品も全てが一級品で揃えられているから。
見た目だけ取り繕う、それで良しとするこの家族の人間性はここかしこに現れていた。
しかし自分達では気づかない綻びは確実にこの家を、この家族を蝕んでいた。
そう、それは彼らの持つティーカップ皿に入ったヒビ割れのように。
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長い夏が終わろうとしていた。
毎年初秋に開かれる王室の茶会。
茶会は舞踏会とは違い、出席者は侯爵家の中でも高位の家柄のみというのが習わしだった。
そして本日の出席者はただの出席者ではない。証人となるべく招待されたのだった。もちろん彼らには何ひとつ知らされてはいないが。
まず客人達の注目を集めたのは思いもかけない2人の出席者だった。
1人はハワード王太子婚約者、ダカッサ王国カタリナ王女。
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「カタリナ様が来られるのか?」
驚くライナスにハワードの笑いが止まらない。
「ああ、エリシアのことを話したら、『是非私もその場に』『見届けてやります』とな。ハハハハ、ライナス、カタリナは怒らすとなかなか怖いようだ」
惚気にしか聞こえない言葉にライナスはやれやれとばかりにため息をついた。心ではハワードの明るい表情に喜びを噛みしめながら。
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カタリナはその美しさと王女としての気品ある風格でその場の空気を一変させ人々を魅了した。
隣に立つハワード王太子と微笑みながら話す様はこの国の安寧と繁栄を感じさせるものだった。
そしてカタリナとは正反対の意味で空気を一変させたのが、時の人、シュルバルト家令嬢グラシアだった。
真っ赤なドレスに身を包み、彼女はまるで客人達を見下すかのように顎を上げ胸を突き出し微笑みながら登場した。
背が低く小太りで肉づきの良い頬を真っ赤に紅潮させ、いやらしいまでの顕示欲を全身から放つ父親と共に。
「シュルバルト侯爵!シュルバルト侯爵令嬢!よく来てくれた」
人々の好奇と嫌悪の入り混じった空気をラウルの声がつんざいた。
ーーーーーあぁ同じ赤いドレスでも、これほど下品に着ることができるんだな。
報復の狼煙が上がった瞬間、ラウルの心に浮かんでいたのは、腕の中で美しく乱れる真っ赤なドレスを着たエリシアだった。