第2章−5
「なんで豚になった時しか魔法が使えないんだっっ!!」
「アハハハハ!」
「クククッ、豚限定なんだよ、ハハハハ!」
ハワードの豪華で広い部屋にライナスの叫び声とハワード、ラウル、モルティの大笑いする声が響く。
彼らに囲まれたエリシアは隣に座るラウルにくしゃくしゃと頭を撫でられている。
この日のエリシアは盆と正月が一緒に来たかのように忙しく、そして1日中緊張の連続で気を失いそうだった。
午前中、エリシアは両親と共に王宮を訪れた。
外遊から戻ったとたん溜まっていた仕事とハワードの結婚に関する取り決めに忙殺されていた国王がようやく落ち着いたということで、この日、互いの親とエリシアとラウル、5人での昼食会が開かれた。要は両家顔合わせのようなものだ。
初めて国王と間近で会うエリシアは緊張でガチガチだったが、そんな彼女に国王は優しく笑いかけてくれた。
国王は親しみやすく気軽に話をしてくれてはいたが、その堂々たる佇まいと威厳に、エリシアはまるで神を目の前にしているような気持ちになった。緊張は解けないまま、そして食事の味もわからないまま、それでもなんとか昼食会は滞りなく終わった。
その後、両親を先に帰らせ、エリシアとラウルはハワードを訪ねた。もちろんマンガを持って。
「この度はカタリナ王女とのご成婚おめでとうございます」
「ありがとう。君たちもまだ内々とはいえ、婚約おめでとう」
「ありがとう、兄上」
「ありがとうございます」
一通りの挨拶が終わると、ラウルは「さぁ」とマンガをハワードに渡すようエリシアを促した。
「おや、今日はエリシアが届けてくれたのか。ずっと楽しみにしていたものなんだ」
「よしっ、やっと続きが読めるぞ」
ライナスも喜んでいる。
「エリシアも読んでるのか?これはなかなか素晴らしいね。おもしろい。書物も好きだが、マンガはまた全然違ったおもしろさがある。例えば、そうだな、書物はゆっくり侵入してきて、じわりじわりと心の奥深くに浸透していく面白さのような気がするんだが、マンガはいきなり絵を見た途端、面白さが飛び込んでくるような気がする。まるで不法侵入だ」
「不法侵入」
「ああ、ハハハ、不法侵入されて怒るべきはずが、面白さに一気に心を支配されて気づけばどっぷりとその世界に浸っている。心躍る不法侵入だ」
ハワードはライナスからマンガの束を受け取ると、話しながらも既に目ではマンガを読み始め、言葉も途切れだした。『不法侵入』が始まったらしい。
「不法侵入か」
ライナスはハワードにマンガを渡しつつ、待てないとばかりに横から覗き込んでいる。
「マンガがこっちの心に入って来るってことだな。俺は逆をイメージしていたな。マンガが俺をそっちの世界に引っ張り込むんだ。
書物もマンガも素晴らしいことに違いはない。その素晴らしい世界に、気づいたらどっぷり引き込まれているか、或いは一瞬で引き込まれるかの違いのように思う」
「なるほどね」
ハワードとライナスがマンガを読みつつ、マンガ談義に盛り上がっている間、モルティは部屋の隅の椅子に座り、以前ハワードに渡していたマンガを遡って読み返していた。「1話から一気に読み直すんだ」と朝から意気込みを語っていただけあって、2人の会話にも耳を傾けずマンガに没頭している。
そんな彼らをラウルは嬉しそうに眺めながら、時々隣に座るエリシアに笑いかける。
「そんな風に言って頂いたのは初めてです」
エリシアが呟いた。
「そうか?私の個人的感想だからな、正しいか正しくないかは別だぞ………ん?どういう意味だ?」
ハワードが顔を上げる。
「はい?」
「そんな風に言われたのは初めて?その言い方では…まるで」
「ああ、そうなんだ」
エリシアの隣に座るラウルが得意げに答えた。
「これを描いているのはエリシアなんだ」
ライナスも顔を上げた。
ラウルの言葉が2人の耳から脳へゆっくりと伝達されていくかのような間があった。
「は?」
「はあ?」
さすがにモルティも顔をこちらへ向け吹き出して笑っている。
「どういう…」
「意味だ?」
「そのままだ。これら全てエリシアが描いてるんだ」
「ほんとか?本当に君が?」
「お、恐れながら…」
まるで怒られでもしたかのように俯いて小声で答えるエリシアにハワードとライナスが顔を見合わせる。
「エリシア様、もっと堂々としていいんですよ」
モルティが部屋の隅の椅子から立ち上がり、こちらへ歩いてきた。
「1話から通しで読むと、やっぱり面白さが違うな」
「エリシア……えーっと、知らなかったとはいえ失礼したね、君のマンガは素晴らしい。うん、素晴らしい、おもしろい。いつもありがとう」
「いえいえいえいえいえいえ!」
「ハハハハ!何回言うんだ、エリシア」
ラウルの大笑いに皆がつられて笑う。
「参ったな、そういうことか」
「ああ。実はマンガがきっかけでエリシアと知り合ってね」
「そのマンガというのが、私とラウルの…」
「モルティ、余計なことを言うな」
「いいじゃないか、殿下とライナス様はさぞかし気に入られると思うが」
「うるさいっ」
「おいおい、2人で何の話だ?私とライナスが気に入るとは?」
「何もない、兄上、何でもない。それでだ」
ラウルはモルティを睨みつつ、咳払いをして続けた。
「これは見たことがないものだし、兄上も気に入ってくれるんじゃないかと思ってね」
「そうだったのか。さすが弟だな、本当に気に入ったよ。何より楽しい。マンガを読むようになってからよく笑っている気がする。今日もそうだが、こんなに笑うのは久しぶりだよ」
「そうおっしゃって頂けると…恐縮です」
「そうだったのか…」
ライナスがエリシアにはその意味を読み切れない穏やかな笑顔で呟いた。
今日もいつも通り『マンガで読む物語シリーズ』『ベルダ物語』『魔法学院を退学になった俺が魔女の3姉妹と出会った話』の3本立てだ。
ハワードとライナスは『マンガシリーズ』を最初に読み始めた。
今回の物語は大切な友達に「ごめんね」が言えない男の子が、出会った動物達に励まされて、勇気を出して「ごめんね」を伝えに行く、というものだった。
ハワードに献上する『マンガシリーズ』の順番は特に気にしていなかった。というより、考え始めたら眠れなくなってしまいそうなので、何も考えず、描いた順番から読んでもらうことにした。
なので今回のものは特に幼い子ども向きのものとなったが、ハワードもライナスも満足してくれたようだった。
読み終えた2人の表情がとても優しいものだったことでエリシアはほんの少しだが肩の荷が下りた気がした。
さて次にハワードが手に取ったのはやはり『ベルダ物語』だった。
『ベルダ物語』第3話はベルダとカミユが2頭目の魔物と闘い、とどめを刺す場面で終わる。
そしてこの回では、なぜベルダが魔物退治をする勇者となったのか、彼の謎が明かされる。
ベルダはアッサム国の端の端にある小さな村で生まれ育った。
ある日、ベルダは父親に用を頼まれ、別の村へと出かけた。彼がいないその村を魔物が襲った。家々は潰され家族も友人も殺されてしまった。
全てを失くしたベルダは山奥に住む老人と出会い、彼の元で暮らし始めた。
魔物を倒したいというベルダに、老人は闘う術を教えた。
ベルダが言う「祖父」とはこの老人のことで、剣は彼から譲り受けたのだった。
「俺の中でのベルダはもうすっかりエリシアの描くこのベルダになったな」
「たしかに、ライナスの言う通りだ。私も全く同じだ」
「恐れ多いことです」
「エリシア、そんなに恐縮する必要はないぞ」
「ラウル殿下…」
「前に言っていたじゃないか、ベルダ物語は何度も描き直して何年もかけて描きあげたものだと」
「はい。それはその通りですが」
「それなら自信を持てばいい。エリシアがそれだけ考えて描いたものなんだから」
「うん、ラウルの言う通りだ。君のベルダでいいんだよ」
「そもそも皆が心の中でイメージしているベルダもそれぞれ違いますからね」
「俺はハワードをイメージしていたな」
モルティの言葉にライナスが答える。
「私はラウルですね」
それぞれが仕える相手をベルダに重ねていたらしい。
するとハワードが辛そうに顔を歪めて言った。
「やめてくれ、私はベルダのように強くない。決してベルダのような勇者にはなれない。彼のように強い人間ではないよ」
一瞬、間が空いた。ラウル達男性3人はハワードの言葉にどう答えるのが正解なのか、言葉に詰まった。
「ベルダは強かったんでしょうか」
エリシアが沈黙を破った。それはハワードへの言葉というより彼女の心の中にある疑問が口から突いて出たような言い方だった。
「ベルダは強い人間なのでしょうか。いや、まぁ強いんですが、それは剣の訓練をしたからで。そういう意味では強いんだとは思いますけど、人間として強いのかどうかはまた別な気がするんですよねぇ。強いけれど強くない。強くないけど強い、みたいな」
独り言のようにブツブツつぶやき始めたエリシアをラウルが止める。
「エリシア?」
「え?あっ、すみません、申し訳ありません」
「クククッ、どうした?ベルダは強い人間だと、俺も思うけど」
「エリシアは違うと?」
「はい、申し訳ありません、ハワード殿下、私は違うように思います。私はベルダが必ずしも強い人間だとは思いません」
「なぜ?」
「ベルダが強いのは強くならざるを得なかったからで」
「強くならざるを得なかった?」
「はい。大切なものを失ったから。とはいえ彼は能力として強かったわけじゃないですよね。闘う術を教えてくれた老人がいて、老人にもらった強い武器があって、その上アッサムの人々にもらった石があって、しかもカミユもいました。
皆に助けられて支えられたから闘えただけで、彼自身が強かったわけじゃないし、強い人間だったわけでもないんじゃないかと。あっ、決してベルダを貶めているわけでありません」
「うん、わかるよ、続けて」
ハワードが優しく促す。