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第2章−1

「はあ」

 ハワード・アッサムベルダは大きなため息をついた。仕事をしていても食事をしていても、こうしてお茶を飲みながら完璧に手入れされた他に類を見ない美しい王宮庭園を眺めながらも、気づけば息を吐くようにため息が出てしまう。


「ハワード、少ししたらラウルがやって来る。こないだのマンガの続きじゃないか」

 ライナスに声をかけられた。


 ラウルにモルティがいるようにハワードにはライナスがいた。こちらの2人もまた互いに唯一無二の存在だ。

 そしてこの4人はまるで兄弟のように育ち、公的な場以外では互いに敬称は付けず気安く呼び合う仲だった。


 各組み合わせのバランスは絶妙で静のハワードには動のライナス。動のラウルには静のモルティ。

 彼らの父親は完璧なマッチング能力の持ち主だった。



「ああ、あのマンガか。あれにはやられた」

 ため息をついていたハワードにフッと笑顔が戻った。

「ようやく続きが読めるな」

 ライナスも笑いながら、ハワードの空になったティーカップに新しいお茶を入れ直した。


 数週間前、突然ラウルからだと届けられたマンガはベッド横のチェストの上に置いてある。





 その日、体調が優れずベッドで書物を読んでいた彼のもとにライナスが何やら荷物を片手にやって来た。


「どうした?」

「いや、今、ラウルが来たんだ」

「ラウル?」

「ああ。お前の体調が優れないと言ったら、これを渡してくれたらいい、て」

 羊皮紙に包まれた束が手渡された。



「なんだ?」

「読んでのお楽しみらしい」

「読んでのお楽しみ?」

「ああ。マンガというものらしいぞ」

「マンガ?異国のものか?」

「わからん。留めていないから、上から順に右下の数字通り読んで欲しいのだと」

 ハワードは話しながら一番上にある束の羊皮紙を外した。

「………………」

「ヤツが言うには、とにかくハワードに読んでもらいたい。そしてもし気に入っ…た……ら……ハワード?どうした?」


「ライナス……これはなんだ?」

 ハワードの読み終わった紙を渡され、ライナスが読み始める。

 しばし2人は声も出さず紙に描かれたマンガを読んだ。



「幼い時に何度も読んだ話だな」

 紙に目を落としたままライナスが呟く。ライナスが読み終えたものを再びハワードが読み返している。

「だが、これは絵だけで書かれている。こんなものを読むのは初めてだ」

「私もだ。なんとも優しい絵だな」

 ハワードが噛みしめるように言った。

「ああ。そもそも優しい物語だが、この絵でさらに優しく温かい物語になっている気がする」

「こんな風に顔の表情を描き分けられるものなんだな」

「本当に。すごいな。なんだか急に現実のもののように感じる。引き込まれるよ。おもしろい」

「ああ、素晴らしいな。子ども達に読ませてやりたいな」

「ハワード、次は?」


 次の束を羊皮紙から取り出すと、そこには『ベルダ物語』と書かれていた。

「ベルダ物語」

「ベルダ物語?まさか…」

「まさかだ。同じく絵だけで書かれている」


 先ほどと同じように順番に読み進める。今度の沈黙は長かった。


「…………」

「…………」

「驚いたな」

「待ってくれハワード、もう一度読ませてくれ」

「私も読もう……というか、なぜここで終わる?」

「それだ。闘いが始まったところじゃないか」 

「意味がわからない。いや、これはすごいな」

「………すごい。ハハハ、おもしろいな」

 ライナスが豪快に笑う。

「ああ。ベルダがいる」

「そうだな、俺のイメージの中のベルダとは違うが」

「たしかに違う。このマンガの中のベルダだな」

「ああ」

「すごいな」

「おい、ハワード」

「なんだ?」

「俺たちはさっきから「すごい」しか言ってないぞ」

「ハハハ、たしかに」


「ハワード、それが続きなんじゃないか」

 まだ開けていない包みを指してライナスが言った。

「そうか」

 ハワードが最後の包みに手をかける。

「『魔法学院を退学になった俺が魔女の3姉妹と出会った話』?」

「なんの話だ!」




 静かに落ち着いた話し方をするハワードと正反対に、ライナスはハワードの2倍くらい声が大きい。

 ライナスは顔の造作も身体も声も全てが大きく豪快だった。



 ハワードは幼い時から身体が丈夫ではなく…とはいえ大病を患うということではなく、疲れるとすぐ熱が出てしまうという程度なのだが、熱を出すこともなく怪我だらけになりながらも外で活発に走り回るラウルと比べるとどうしても弱々しく感じられた。


 王位継承者であるということもあり、過保護すぎるほど過保護に無理をしないよう育ったハワードは色白で細く繊細な美しさを持っていた。


 見た目が秀でているのはハワードもラウルも互いに引けを取らない。ただ2人は血を分けた兄弟として似ているようで全く似ていなかった。


 2人の母親は、ハワードが8歳、ラウルが3歳の時に亡くなった。

 優しく温かくいつも静かに笑っている女性だった。

 臥せっていることが多かった母の記憶は、ベッドに潜り込みその腕の中で眠った温かさと柔らかさ、そして甘い匂いだけだ。


 美しい見た目も穏やかな性格も、ハワードは母の生き写しのようだと言われる。身体が丈夫でないことまで母親譲りだ。

 ハワードはまるでガラスを扱うように大切に育てられた。

 おとなしく温和で優しく、例えばラウルや他の子ども達が遊び回っているのを、一歩引いて微笑みながら見ているような子どもだった。


 走り回るより本を読むことを好む彼の相棒であるライナスはというと、人一倍遊びとイタズラに長けていた。しかしそれはいつも隣にハワードがいるときだった。

 ライナスなりにハワードを楽しませたい、笑わせたいという思いだったのだろう。

 そしてそれをわかっているハワードも、ライナスが侍従に怒られる時には常に彼を庇い共に叱られていた。


 ハワードは幼い時から書物を読むのが好きで、朝起きて陽が沈むまで書庫で過ごしたこともしょっちゅうだ。そしてもちろん隣にはいつもライナスがいた。


 ある時、ハワードがライナスに言ったことがある。

 私の友人として選ばれたからといってずっと一緒にいる必要はない。私は書庫にいるからお前は好きなことをしてくれていたらいい、と。


 するとライナスは大きな目を更に大きくして言った。

「ん?どういう意味だ?俺が好きでお前と一緒にいることくらいわかってるだろ?逆にお前は違うのか?俺がいると迷惑なのか?」

「いや、そういう意味じゃない」

「なら、わけのわからないことを言うな。俺はお前といると気楽だし楽しい。あっ、別にそっちの意味でお前が好きなわけじゃないぞ」

「ブッ!わかってるよ」

「あぶない、あぶない、勘違いさせたら申し訳ないからな」

「ハハハハ!ふざけるな!誰が!」


 ライナスの明るさやユーモアが、内側に籠もってしまいがちなハワードの思考と性格をどれだけ救い上げてくれただろう。

 ライナスがいなければ、自分はとっくに笑うことをやめてしまっているだろうと思うことがよくある。




 しかしそんな心強い友が側にいてなお、最近のハワードは笑うよりため息に支配されている。

 流行り病に罹患したことでまた心の古傷が痛み始めた。それは病が治ったあとも、重く暗い雲となり心に広がったまま、なかなか消えてくれない。


 古傷の原因になった出来事は2年程前に起きた。


 ライナスと共に宮廷の廊下を歩いていた時のこと。通りかかった部屋から大臣と思われる男たち数名の話し声が聞こえた。扉が開いていることに気づいていなかったのだろう。彼らの話は廊下に筒抜けだった。


「王位はラウル殿下が継承すべきなんじゃないか」


 いきなり耳に飛び込んできた言葉に足が止まった。部屋に飛び込みかけたライナスを無意識に止めた。鼓動が激しく胸を打つ。


「たしかに、ハワード殿下はお人柄は良いが、なんせ病弱すぎて」

「あれでは王位を継いだところで世継ぎが出来ないんじゃないか」 

「病弱でか?貧弱でか?」

 下卑た笑いが響いた。


 次の瞬間、ハワードの静止を振り切り部屋に乗り込んだライナスによって彼らはその場で大臣の任を解かれた。



 あまり知られていないが、ライナスとモルティには王族同様、緊急時には裁を下すことができるという権限が与えられている。

 王族と異なるのは、彼らが下した裁は後にその正否を審議され、適したものではなかったとされた場合、彼らは処罰対象となる。

 権限は与えるが、暴走や濫用は出来ないようにされている。



 ライナスがあれほど怒りに震えるのを見たのは後にも先にもあの時だけだ。

 もちろん彼がその場で下した裁は適したものであったと判断され、ライナスが処罰を受けることはなかった。むしろ大臣達には更に重い罪が言い渡されたくらいだ。


 ライナスのみならず、父である国王、ラウル、モルティ、そして側近達、ハワードに連なる多くの者が怒り狂ったその出来事は、しかし宮廷から外に出ることはなく、王族及び宮廷関係者のみが知る出来事として封印された。


 しかし、それはハワードの心に決して消えることのない傷を残した。

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