第1章−11
正直なことを言うとエリシアは自分がそれなりの見た目であることはわかっている。
なぜなら今の自分の顔は、転生前に読んだマンガや自分が描いていたマンガにおいて、間違いなくヒロインでしかない顔、だからだ。
こんな顔だったらいいのにと理想と夢を捏ねて丸めて詰め込んだようなヒロイン顔。
豊かに艶めく銀髪。小さい顔に少し垂れ気味の大きな瞳。ぷっくりと柔らかそうなピンクの口唇。スーッと筆で書いたような形の良い小さな鼻。全体として幼い少女を思わせる柔和な顔だが、丸みのある広い額に聡明さが滲み出る。
転生前の記憶を持つ彼女は時に鏡に映るエリシア・メイザードをまるで他人のように、映画やテレビの中の人物のように客観的に見てしまうことがある。
ーーーーーかわいいなぁ。肌も色白ツルツル柔らか〜。こんな生き物いるんだなぁ。
それは自分であって自分でないような不思議な感覚だ。
かと言って転生前の自分こそ自分だと思うかと言われても少し違う。
両方自分であって、両方自分でない。
どれだけ可愛くてもドヤ顔出来ないのはそんな不思議な感覚のせいかもしれない。
エリシアの童顔は母親譲り。そしてザ・美人なリリアナは父親似で、エリシアとは反対に目も鼻も口も全てのパーツが大きくくっきりとしてとにかく華やかで目立つ。
ちなみに兄のエドモンドは母親似で、男性にしては柔らかく甘い顔をしていた。性格も妹2人よりずっと穏やかで、結果、2人には常に少々押され気味だがそれすらも苦笑いしながら受け入れる優しい兄だ。
さて、そんなヒロイン顔にも関わらずエリシアは自分が異性に好きになられることなど絶対ない、と思っている。異性との色々などもはや自分には縁遠いものと意識から除外していると言ってもいい。
なぜそこまで強くそう思うのか。根拠は転生前に遡る。
転生前、彼女には妹がいた。姉妹仲は良好。彼女のマンガの1番のファンだった。
リリアナにしろ、当時の妹にしろ、つくづく自分は姉妹に恵まれている幸せな人間だと思う。
ある時、妹が笑いながら、携帯で撮った動画を見せてきた。
そこにはトイレから自分の部屋までブツブツと独り言を言いながら歩き、机に向かったかと思えば、1人笑ったり頭を抱えて唸ったりしながらマンガを描く自分がいた。
途中、妹が撮影しながら声をかけるが返事ひとつしない。
驚いた。まさかマンガを描いている時の自分がここまで奇妙な振る舞いをしていたとは。
集中するタイプだとは思っていたが、ここまで周りが見えなくなっているなんて思いもしなかった。
通りで誰も近づいて来ないはずだ。
学生時代からマンガを描いていたのだ。きっと自分の奇行は学校でも遺憾なく発揮されていただろう。
異性はもちろん同性の同級生達からも常にある一定の距離を置かれているように感じていたのはきっとこのせいだ。
なるほど、これでは致し方ない。「こわっ!」妹と大笑いした。しかしそれだけだ。知らなかった自分の姿を知ったところで彼女は自分の中の何かを変えるつもりはなかった。
自分がどう見えるか、どう見られるかよりマンガの方が大事だった。マンガを読むこと、そして描くことの楽しさは他の何をも凌駕した。
恋愛に悩むよりマンガのストーリーに悩む方が何倍も価値があるように思えた。
そして転生後。リリアナやリズ達から聞く限り、自分は転生前と全く変わっておらず、マンガのことを考え始めると相変わらず周りを遮断し、ずっとブツブツと独り言を呟いているらしい。
多少顔がかわいいからと言って、いや、むしろかわいいからこそそれらはより奇怪なものとなって人々の目に映っていることだろう。
よって自分に近づこうとする異性はいないだろうし、言い寄られるなど無縁。自分に向けられる目は、おしなべて奇異なものを見る目なのだと思っていた。
そしてそんな奇異な目など全く気にならない、という意識もまた、転生前と全く変わっていない。
なのに、なのに…
ーーーーー第二王子よ!ラウル殿下よ!彼が私を好きですって?!
ーーーーーあの陽キャでパリピなリア充王子が?!
ーーーーー女性との噂が絶えない王子が?!
ーーーーーいや、ないわ。ないない。
そして彼女なりに出した結論は
ーーーーーからかわれてるんだ。
ーーーーーきっと友達と賭けでもしてるのよ。陰キャな私を落として笑い物にするに違いない。
ーーーーーあぶないあぶない、危うく本気にするところだったわ。乱されちゃダメ!
ーーーーー忘れよう。そうよ!今はマンガ!
ーーーーーハワード王太子が続きを読みたいと言って下さった!なんと光栄なことだろう。嬉しい〜!!夢のようだわ。最後まで面白いと思ってもらえるものを描かなきゃ!
彼女はどんなことがあっても、マンガのことを考えると冷静になれた。
マンガの世界にいれば安心できた。自分が自分でいられた。
マンガの世界は彼女にとって追い求める場所であると同時に逃げこむ場所でもあったのだ。
校舎に戻りリリアナ達にハワード王太子の話をすると4人は大喜びしてくれた。
そんな彼女らに、次のマンガを渡す4日後まで部屋に籠もるからと言い残し、その日は帰宅することにした。
意気揚々とハワード王太子の話をする彼女の顔を何か言いた気に見つめる4人を気にも留めず、エリシアはそのまま校門に向かった。
「どういうこと?」
「なにもなかったの?」
「まさか。だって殿下が…」
「『メイザード家に総攻撃されたら大変だからな』ておっしゃったわ」
「『ちゃんと大切にするよ』ともね」
「なにもなかったなんてことある?」
「でもエリシアは…」
「いつもと変わらない」
「どういうこと?」
廊下の隅で集まりささやくような小声で話してはいるが、ラウルの発言の興奮が冷めやらない4人はそれぞれ好きなように話し好きなように答え、もはや誰が何を言ったかわからないくらいその場に言葉が溢れかえっていた。
「殿下はあの子には何も言わなかったの?」
「それとも言われたのにエリシアが気づかなかったの?」
「ぶっ、エリシアならありえるわ」
「もしそうなら…殿下がお気の毒すぎるわ」
「ねぇ、こんな話、さっきもしなかった?」
「そこらへんの子息と同じ扱いじゃない」
「殿下なのに……」
「さすがエリシアね。ブレないわ」
誰かがそう言うと、彼女らは笑いが止まらなくなってしまった。
夜、部屋にこもっているエリシアをリリアナが訪ねてきた。
「エリー」
もちろんこれくらい呼ばれたところで彼女が気づくはずもない。
「もう!」
リリアナは苦笑いしながら、机に向かうエリシアを後ろから抱きしめた。
「キャア!なに?なに?…リリー!」
「エリー」
「びっくりするじゃない!どうしたの?」
「どうしたのじゃないわ、食事の時間よ。侍女達が困っているわ、呼んでも返事もしてもらえないって」
「えっ、あら、もうそんな時間?ごめんなさい、ありがとう。あともう少しだけ描いたら降りるわ」
「ほんとよ、エリー。ちゃんと食べなきゃダメよ」
「ええ」
「リリー」
部屋を出て行こうとするリリアナをエリシアが呼び止めた。
「なに?」
「…………」
「なによ?」
机に座ったままエリシアが振り向き尋ねる。
「誰かを好きになるってどういうこと?」
「は?」
「どうなったら好きってことなの?」
「…あなたはほんとに…散々マンガで描いてるじゃない」
「マンガはマンガだわ。私のことじゃないし」
「ラウル殿下になにか言われた?」
「……………」
「フッ…そうね、どうなったら好きか…うーん、簡単そうで難しい質問ね。私の場合は、その人といたら楽しいって思えること、かな」
「その人といたら楽しい」
「ええ。その人と一緒にいると楽しい、もっとずっと一緒にいたい、て思えたら幸せじゃない?」
「もっと一緒に」
「その人と一緒にいると、リズやターシャやカーラ、皆といるときと同じくらいか、それ以上に楽しいと思える。だからもっとずっと一緒にいたいと思う。それがその人のことを好きってことなんじゃないかな」
「リリーはマルセロのことをそんなふうに思うの?」
「もちろんよ」
少し恥ずかしそうに、それでいて即答するリリアナがかわいい。
「ありがとう、リリー」
「なにかあったの?言いたくない?」
「このマンガを描き終えたら話すわ。まずは終わらせてハワード王太子に読んで頂かなきゃ」
「そうね、わかった。待ってるわ」
「ありがとう」
リリアナはもう一度エリシアの側に戻ってくると彼女の額にそっとキスをした。
「あっ」
「なに?」
「今、エリーにキスをして思ったの」
「なにを?」
「その人に触れたい、キスしたい。て思うのも好きってことかな。だってそんなこと誰にでも思うことじゃないでしょ」
エリシアは自分の顔が急激に熱くなるのを感じた。
「あら?エリー?えっ、まさかまさか?」
「なんでもない、なんでもないわ」
「あやしいなぁ〜。ふふっ、まぁいいわ。とにかく早く降りてきてね」
「ええ」
リリアナが閉めた扉の音で我に返った。
「ダメダメ。今はマンガを仕上げなきゃ!これは終わってから考えればいいわ」
エリシアは手元にあった紙に
『一緒にいると楽しい』『触れたい、キスしたい』
と書き置き、全意識をマンガの世界に戻した。
4日後、彼女は今回も3種のマンガをカバンに入れ家を出た。
1つは『マンガで読む物語シリーズ』の中から選んだ作品。
そして『ベルダ物語』の第2話と『魔法学院を退学になった俺が魔女の3姉妹と出会った話』の同じく第2話だ。