小田原の役④
春に向かっての、清々しい寒さが、人々の感性を研ぎ澄ましていく。
草花には少しづづ緑の若々しさが、みずみずしく匂っていた。
だが、ここは間違いなく戦場であり、完全武装の足軽達や、鎧武者がいなければ、まったく日頃の日常と変わらない相模の風景である。
戦国期の4月中旬はまだまだ寒く、しかし、日差しが気持ちいい。
北条家の菩提寺である早雲寺、ここは関白豊臣秀吉が北条攻めの総指揮を執る本陣である。
早雲寺には秀吉を筆頭に、豊臣秀長、豊臣秀次、徳川家康、黒田官兵衛、宇喜多秀家、織田信雄、蒲生氏郷、小早川隆景、堀秀政などそうそうたる面子が参加し、議論が行われていた。
むろん小田原攻めについてである。
近頃、秀次は、秀長を謀殺しようと企んでいた家康に喰ってかかってしまう。
まあ、叔父を亡き者にしようとしていた家康なんかは、この場で斬ってしまいたい位である。
何とかその感情は抑えているのだが、いかんせん若さがつい、この若者を感情的にさせてしまうのである。
そして、今日も、流(秀次お抱えの忍び)が掴んできた情報を家康にぶつけていた。
『家康殿は逃げ込んできている北条の者を駿河にて匿っているとか?』
家康は秀次の詰問に大げさに驚いて見せ、
『秀次殿、徳川は国境を北条と繋がっております。関白殿下の天下に向けての大戦、民も不安で逃げ出すでしょうよ、これも、日頃より慈悲深い関白殿下を慕っての事ではござらんか。』
と、悪びも見せずに、答える。
はてさて、と、驚いたように秀次は、
『家康殿は、もう北条を下した後の事でも考えておるのではないのですか?』
と、少しでも家康の野心を引っ張り出したい。
しかし、この人は、自分が敵わないと思った者の前では、野心の素振りなど出さず、むしろ従順にて、戦国一の律儀者で通っていたのである。
古くは織田家の人質時代、今川義元の人質時代を経て家臣として、常に先陣で三河衆はすり潰され、織田信長の同盟時代は、同盟と言いながら、実情は従属関係を耐えて、やっと自分の時代かと思ったら、秀吉にほとんど何も出来ないままに天下をさらわれたのである。
実は、家康は本能寺の変が起こるのを予見していたのではないか?と、思われる行動を多々起しているのである。
嫌、実は明智光秀の後ろで糸を引いていたのは家康ではないのか?
今回の件で、秀次はそんな疑いも持ち始めている。
そんな事を思われているなど、知ってか、知らずか家康は、
『嫌々、流石は秀次殿!この家康の意図を読んでおられる!』
と、たいそうに驚いた後、
『当然後の関白様の仕置きし易き事!』
と、大見えを切って見せた。
そして、秀次がさらに咬みつこうとした時、秀吉が、
『うむ!流石は武蔵大納言!!よう言った!よう言った!余は、この様に頼もしい臣下をもって、大変心強いわ!』
と、間に入って話を終わらしてしまった。
このやり取りを見ていた諸将の中には、違和感を感じていた武将がいたのである。
名人久太郎こと、堀秀政である。
彼は、小牧・長久手の戦いで家康軍と直接戦闘経験がある。
今、家康と激論を交わしていた秀次に従軍し、三河の本拠を迂回し、奇襲する作戦であったが、家康に見破られ、敗走、家康方の部将大須賀康高、榊原康政らが突出してきた所を、自軍3千を三面埋伏の計で挟敗走させた。
秀次は確かに、若さゆえ、短気な所もあるし、小牧・長久手での感情もあるだろう。
だが、諸侯の前で、こんな短慮な感情のぶつけ方があるか?
むしろ、この場では空気をわざと読まない振りをしているのでは?
家康殿関係で何かあったか?
ここに秀政は自分の考えを持ってきた。
ここで、秀長が口を開いた。
『遊軍としておる堀殿の軍勢、先鋒として、秀長めにお預け願いたい。』
秀政はいきなりの秀長の発言に驚いた、素直に驚いた、自身の思考が、外の北条に向いてなく、現在の自身の疑問にぶれていた所に秀長の発言である。
少なくても、現時点での秀政の立場は、遊軍の総大将である。
『いや、しかし秀長殿、それがしにもお役目がございま・・』
秀政が言い終わらないうちに、秀次も、
『おお!それは良い考えです!!秀長殿!!!』
と、合いの手を入れてきた。
すかさず、秀長が、
『今回の北条攻め、仕置き後関東は堀殿に治めていただくことになります。ぜひとも先陣にて、お役目ねがいたい。』
秀長が低調に秀政に頭を下げる。
この温厚な秀長が、静かな圧力をかけてくる。
先ほどの事と言い、何かあるのでは?
考え始めると同時に、秀政は力を込めた声で、
『小田原城攻め、先陣仰せつかまりまする!!』
と秀長に頭を下げ、秀吉も家康もニコニコと頷いていた。
しかし、家康の胸中は怒りに溢れていた。
豊臣政権に忠実で、自分よりも若く、有能な秀政という将は目障りなだけであった。
事前に、秀吉が秀政に、関東を治めさせる意向も直接聞いている。
この合戦中に病死に見せて毒殺するつもりであった、なにより遊軍というのが都合がよかった。
それを、諸侯の前で、関東経営の中心は秀政であると宣言されてしまった。
だから、今回の北条攻めに対し、関東の経営準備も極秘で進めていた事が無駄になってしまう。
ある程度時間がたてば、娘婿の氏直に降伏の仲介に入り、一番勲功で鳴り物入りで関東経営に乗り出すつもりであった。
そして軍議が終わった後、秀長は秀次と秀政を呼び、密談を始めたのであった・・・・。