東海の狸
家康登場です。
家康が秀長をなぜ邪魔であると思ったのか、そこを書いてみました。
次回から仮想モード突入です。
駿河国駿府城、ここに本拠を置く東海の覇者徳川家康、もう一人の大納言である。
『とうとう、北条の命運も尽きてしまうな・・・。』
家康は碁を打つ向の男にそうつぶやいた・・・。
『北条の負けは間違いないでしょうな。しかし関白は相模を我らに下さるのでしょうか?』
逆に、神経質そうで細面な顔つきの男が聞き返す。
『まあ、戦後加増は間違いないだろうよ。但し、食えない御仁だからなあ、殿下は。』
食えない事に関しては、負けず劣らずの家康はにやりとした笑みを湛えて、必勝の一手を打つ。
『むむむ!これは・・・参りました!』
悔しさを滲ませながら男は頭を下げる。
この男の名は本多正信と言い、家康が「友」と呼ぶ数少ない心を許せる男である。
正信が間を置き、人からするとまったく訳の分からない一言を家康につぶやいた。
『武田ですな・・・。』
この人は家康にしか分からない事をつぶやく。
『うむ。』
武田の意味とは?
それは信長の時代に遡るのだが、当時、信長は武田勝頼に甲斐領地安堵の条件で、降伏勧告を送っている。
しかし、勝頼はその条件を突っぱねる。
長年甲斐を狙っていた家康は、甲斐より進行し、美濃より攻め入った織田勢と共に甲斐武田家を滅ぼしたのである。
その後当然、甲斐は家康が貰えるものと思われていたが、駿河を与えられ、甲斐には自身の腹心である、河尻秀隆に与えられたのである。
しかし、この河尻秀隆が武田狩りといわれる、過酷な武田家遺臣を弾圧したために、(信長の意向が強く反映されたものと言われている)本能寺の変後、残党の一揆により殺害される事になる。
このとき武田家遺臣団を保護し、後に召し抱えたのが、家康であり。
河尻秀隆の支援、穴山梅雪の所領警護の名目で甲斐を占拠した経緯がある。
これらの事は当然、家康、正信両名の画策した事であるが、北条家との領地争いも視野に入れていたのだが、一つ誤算があった、【真田家】の存在である。
真田との狭間で北条と徳川が争い、支配権争いにより家康は真田昌幸に痛い目を見せられ、天正壬午の乱を経て、小田原の役に繋がるのであるが・・・。
なにわともあれ、家康にとって、北条領の一部が転がってくるのは間違いないとの読みである。
『まあ、北条家に恩を売っといて損はないよ。後々の事を考えてもな。』
家康は信長、秀吉と、臣従しながら沢山の事を学びとっていた。
やりすぎは後に禍根を残す・・・。
やるなら徹底的に禍根を根絶やしにする。
自身が秘めたる野心の邪魔になるものは排除していかなければならない。
『秀吉なぞ秀長あっての物ぞ、信玄公に信繁あったように、儂にも支えてくれる優秀な弟がおれば・・・。』
家康は正信にも聞こえない心の声で呟いているのである。
親族を早くに失い、自身を支える兄弟の居ない家康にとって、自身が秀吉に負けているのは、秀長という存在が自分には足りないだけだとの思いを抱いていたのである。
『そろそろ大和の明りも消えましょう・・・。』
正信のつぶやきに、家康は口元を醜くゆがめた。