1/13
プロローグ
はじめまして、はじめて投稿させていただきます。
なんせ、若輩者なので、文章の稚拙な点や、時代考証等、大目に見ていただければ幸いです。
従二位権大納言 豊臣秀長・・・。
彼は、兄太閤秀吉に無くてはならない数少ない肉親であり、補佐役であり、裁量権を任せられる優れた部下でもあった。
そんな秀長は天正18年(1590年)1月頃から病が悪化してくる。
秀長は、自身と同じ官位を持つ徳川家康より長寿の秘伝を教わっていたが、(家康は健康に対する執着が凄く、漢方医でさえ舌を巻く知識を持っていたと言われている)どうも、病は酷くなる一方であった。
天正18年10月に甥の豊臣秀次が秀長の病気本復を祈願のため談山神社に訪れるのだが、そこで、秀次は草(忍び)流から驚くべき報告を受ける。
ここから物語が始まります・・・・。