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体育祭のスター

 ガタッ、バン。


 授業中にうたたねをすると、突然体がびくつくことがある。この現象をジャーキングと言う。


 この現象が起こった時、ただ地団駄を踏むだけなら良いのだが、机を蹴り飛ばしてしまうと、大変なことになる。どう大変なことになるかと言うと、今、目の前に広がっているような状況になる。クラス中の人々がこちらに視線を向け、驚きと軽蔑をその視線に流し込んでくる。その目線に自分は焼き切られそうになる。


 自分は照れるように頭を下げる。すると、クラスの人間は段々と目線を黒板の方に向ける。それぞれどうでもよいように目線を変えたり、いら立ちを見せながら目線を変えたりと多種多様な目線をする。その視線たちによって、自分の羞恥心が膨れ上がる。


 はあ、もう、帰りたい。


「……ええっと。じゃあ、続きの種目も決めていこうかな。決まってないのは、騎馬戦と借り物競争と障害物レースの二人三脚とリレーの男子だね。まだ一つも種目が決まっていない人は、積極的に挙手をお願いします。」


 クラス委員の皆見がそう言った。そうだ、体育祭の出場種目を決めていたのだった。おおかた決まってしまったようで、面倒くさい種目ばかり残っている。足が速くない自分にとって、リレーは論外だ。さらに、ぼっち的観点から行くと、多人数とのコミュニケーションが要求される騎馬戦と借り物競争も駄目だ。


 となると、必然的に二人三脚がましと言う結論に至る。確かに、二人でやらなければならないが、赤神を誘えば、何の抵抗もなく役目を全うすることができる。


 決めた。自分は赤神に目線を送りながら、挙手した。


「二人三脚がしたいです。」


 自分はそう高らかに宣言した。すると、先ほどより激しい驚きの視線がクラス中から送られた。特に、女子達が動揺しているようだった。


 自分は何が起きているか分からなかった。自分は口元を触った。寝よだれの跡は、特に残っていない。服装も乱れてなんかない。


 あれ、自分また何かやっちゃいました?


 いつもやらかしているつもりはないのだが、定型表現として心の中でそうつぶやいた。何もおかしいことはしてないはずだ。二人三脚の枠はちゃんと二人分残っているし、赤神の名前は前の黒板に書かれていなかったので、他のクラスメイトは二人三脚以外の種目にばらけて、自分と赤神に枠を譲ればよいはずだ。


 なのに、なぜクラスメイトどころか赤神までも驚いているんだ。まさか、空気を読めないわけじゃないだろう。自分はこの状況に首を傾げた。


「……えー、じゃあ。発地君と組んでくれる女子はいるかな。」


 女子?


「ちょっと待ってくれ。女子じゃなくて、赤神と組みたいんだが。」

 自分はもう一度、赤神にアイコンタクトを送った。しかし、赤神は他人のように目を逸らす。


「これはおしどり障害物レースだから、男女ペアでないとダメなんだ。」


 おしどり障害物レース?


「さっき、説明したと思うけど、これはこの学校の伝統行事で、男女ペアがリレーで障害物レースを行う体育祭の目玉種目なんだ。」


 なんだその気持ち悪いレースは。


 男女カップルがイチャイチャと障害物を超える、吐き気のする光景をこの学校は、伝統としてきたのか。


 滅びろよ。


 歴代の非モテどもはこの地獄に苦言を呈さなかったのか。いつもはうるさいPTAはどうした。この悪を断罪しろ。


「もしかして、分かっていなかったのかな。辞めておくかい?」

 しかし、よく考えてみる。女子と体触れ合って二人三脚できるなら、最高じゃないか。自分はアリジゴクのように待つだけで、女子があっちから擦り寄ってくる。


 いいんじゃないか?


 駄目だ。誘惑に騙されるな。女子は必ず、自分と二人三脚をすることを嫌がって、他の種目で争いを起こすか、だんまりを決め込んで、嫌な雰囲気を醸し出すかだ。自分はそのどちらの精神攻撃に耐えられず、二人三脚の権利を投げ出すだろう。


 ここは早めに断っておこう。


「私、二人三脚……やる。」

 先ほどまで自分に注がれていた全クラスメイトの視線は、一気にそのか細い声の主へと集まった。自分もその声の主を確かめた。


 その声の主は、おそらく一星輝璃いちほしきらりという女子だった。クラス全員の女子の名前を覚えているわけではないが、正統派アイドルのような印象的な名前から頭の片隅に残っていた。


「じゃあ、一星さんと発地君が二人三脚ってことで決定でいいかな?」


 一星の周りにいる女子は、口パクで「やめときなよ。輝璃。」と止めている感じだった。まあ、いろいろと嫌われるところはあると思うけど、いざ、実際にどれだけ嫌われているかを一星を止める女子達の必死さから感じ取ると、なんだか悲しくなってきた。もはや、自分よりゴキブリの方が好かれていそうだ。


 一星は、そんな周りの声をはにかみながら受け流していた。


 どうやら、貧乏くじを自ら引きに行ったらしい。素晴らしい自己犠牲だ。ほんの数秒、決断を遅らせれば、自分は身を引いたというのに、可哀そうなことだ。まあ、自分には、どうでもよいので、人の心配などどうでもよいことだ。


「じゃあ、他の種目もどんどん決めていくよ。」

 皆見はそう言った後、次々と種目を決めていった。しかし、リレーの選手だけは決めるのに、難航を極めた。


「リレーの男子は、僕と桑田は決まっているんだけど、あと一人が決まっていないんだ。誰か、男子立候補者はいないか?」

 自分は一種目参加の義務は果たしているので、他人事のように教室の外の晴れた空を眺めていた。


「発地とかいいんじゃね。足それなりに速かったっしょ。」


 自分?


 自分は眺めていた晴天の空からとてつもない雷のような衝撃を受けた。その雷を放ったのは、今まで一度も喋ったことのない青野だった。青野はクラスのお調子者で、自分が大嫌いな生粋の陽キャだった。


 なぜ急に自分を指名してきた?


「確かに、発地がアンカーとかやったら、マジうける。」

 

 全くうけねえよ。アンカーって、最後に走る人のことか?誰だ、このアホな女子は、適当に話するもんじゃないぞ。仲間内で戯れているうちは許してやるが、他人で遊ぶなよ。


 まず、自分は足はこのクラスじゃ、平均よりちょっと速いくらいで、青野やその他数名の男子の方が足は速いはずである。なので、自分がアンカーで走ろうものなら、他のアンカーの速さを際立たせる噛ませ犬となるだろう。


 「それあるー。」「確かに。」「うけるー。」


 なのになぜ、自分にクラス全員からの追い風が吹く?


 クラスメイトの何人かが自分をアンカーに推していた。完全に自分にリレーのアンカーに推す流れができていた。


 流されちゃだめだ。変わったんだろ。ここでちゃんと断らないと。


「無理。リレーは走らない。」

 自分はきっぱりと断った。


「いけるっしょ。発地なら。どうせ負けるんだから……。やべっ、今のなし。とりあえず、走ってくれよ。発地~。」


 なんとなくこいつらの魂胆が分かってきたぞ。これもまた貧乏くじか。


 もう、リレーで最下位を取ることは分かっているから、嫌われ者に最下位の責任を押し付けようとしているな。群れている人間は、果てしなくゴミだな。


 群れは、群れからあふれたものをいじめて、群れであることの誇りを得ている。群れからあふれたものは、劣っていると群れ全体を洗脳して、群れを宗教化している。


 群れることの洗脳は、進化の遺物か、優性思想の悪習か。


 自分は今この議題に、後者であると結論を出した。ぼっちを劣っているとして、面倒だけを押し付け、いじめ殺す。群れた人類の狂った優性思想だ。


 いけない、いけない。自分の危険思想が久しぶりに出てしまった。


 しかし、この貧乏くじ引くふりをしてやろう。こっちには、秘策がある。実際貧乏くじを引くのは、お前らだ。


「分かった。アンカーでもなんでも、するよ。」

「発地~。分かってんじゃん。いい走り期待してるぜ。」

「じゃあ、リレーのアンカーは発地君でいいのかな?僕か桑田が走ってもいいんだけど。」

「発地がアンカーやりたいって言ってんだから。その通りにしてあげちゃおう。皆見~。」

「そうかい。大丈夫なんだね?発地君。」

「どうぞ、どうぞ。お好きなように。」

 

 自分は気味の悪い笑みをこぼしながら、皆見に返事をした。こういうところも嫌われているのかもしれないな。


「二人三脚の練習……しませんか?」

 これが噂の上目遣いと言うやつか。破壊力。一星は種目決めの後の放課後に自分に話しかけてきた。


 まさか、一星が誘ってくるとは思っていなかった。貧乏くじの義務として、ある程度の練習は必要だと感じているのだろうか。


「まあ、二人三脚は、ぶっつけ本番だとこけまくったら危ないもんな。こけない練習は必要だな。」

 自分は暗に、お互い適当にやり過ごそうという協定を提示した。


「いや、その……こけるのは嫌ですけど……。」

「でも、その練習は、体育の時間だけでいいんじゃないか?君もいろいろ面倒くさいだろうし。」

 そんなやる気あるアピールしなくても、自分は君の先生じゃないから、内申点は下げないよ。それよりも自分たちが熱心に練習していると、変な噂を立てられかねないよ。特に、クラスの嫌われ者の自分に関わると、君の友好関係も変わってしまうかもしれないよ。


 君にとって賢い選択は分かったね。と自分は暗に示した。


「いや、あの……その……。」

「まあ、ゆっくり考えよう。まだ、一か月以上あるんだ。ぶっちぎりの一番を取りたいわけじゃないだろう?あまり根を詰めない方がいい。」

「……私、一番が取りたいんです。」

 彼女は今までの消えかかりそうな小さな声から少し大きな声を出して、そう訴えた。


 面倒くさい奴来た~。何事も本気でやるタイプ~。それを周りに押し付ける奴。ウザいわあ~。その華奢な体で、体育会系の思想の持ち主なのか。


「……なるほど、じゃあ、とりあえずやりますか。」

 こういうタイプは、拒絶し続けるよりも受け入れてておく方がよい。拒絶する方が面倒だからだ。


 自分は気が進まないが、彼女と二人三脚をすることにした。


 ……違うな。もう少しでまた、自分を偽るところだった。この二人三脚を受け入れた本当の理由は、彼女の外見がいいからだな。


 今まで彼女を間近で見たことがなかったので、気付かなかったが、めちゃ可愛いじゃん。


 顔はちょっと抜けていそうな可愛い顔で、茶髪ショート、上目遣い。


 なにより体を密着させる二人三脚にとって、彼女は最高の体付き……いや、体格をしている。身長差とか、歩幅とか、自分と合っていて二人三脚やりやすくて、やる気出るって話だ。もちろん下心など毛頭ない。


「ありがとうございます。じゃあ、校庭の隅で練習しましょう。」


 自分は彼女との二人三脚心躍らせながら、校庭に向かった。

 

 くるぶし、ふくらはぎ、太もも、腰骨、お腹、そして、胸。


 自分は左半身に神経を集中させて、その全てを感じた。最初は同じ高さだったくるぶしからだんだんと高さがずれていく感じが女子らしさを感じさせて、最高だ。


「大丈夫?結び目きつくない?」

「……あっ、ああ、大丈夫。ちょうどいい。」


 自分は上の空で、彼女からの返答に遅れてしまった。


「じゃあ、二人三脚らしく、一、二の合図ではじめましょう。」

「分かりました。よろしくお願いします。発地君。」

「はい、じゃあ、一。」

 自分は左足を出そうとしたが、彼女の右足が微動だにしないので、自分はバランスを崩し、前に倒れた。


「大丈夫、発地君?」

 自分は体を起こし、どこからも血が出ていないことを確認した。


「大丈夫です。血は出ていないので。」

「そうなの?」

「それよりも一って言ったら、右足を出してくださいね。」

「あっ、そっち、つないでない方の足から出すのかと思っちゃった。」


 そんなわけないだろ。普通、つながれた足から出すだろ。まあ、最初の内はこんなものか、しょうがないな。自分は砂を払い、もう一度彼女と肩を組んで、二人三脚の準備を始めた。


「じゃあ、気を取り直して、行きますよ。一。」

 自分はもう一度、左足を出そうとすると、また、彼女の足は動かなかった。自分は再びバランスを崩し、前にこけた。


「大丈夫、発地君?」

 自分は体を起こし、どこからも血が出ていないことを確認した。


 再放送?


「大丈夫です。血は出ていないので。」

「ごめん。右足どっちか分かんなくなっちゃって。」

「なるほど、足がつながれた方が右足です。だから、一って言ったら、足でつながれている方を前に出してください。」


 たまに、高校生でも左右分からん人いるけど、一回目と逆の足だって分かるだろ。自分は砂を払い、もう一度彼女と肩を組んで、二人三脚の準備を始めた。


「じゃあ、もう一度気を取り直して、行きますよ。一。」

 自分は三度左足を出そうとすると、三度、彼女の足は動かなかった。自分は悟ったように、重力に身を任せた。


「大丈夫、発地君。」

 血、出てない。


「大丈夫です。血は出ていないので。」

「ごめん。掛け声、聞いてなかった。」

「……なるほど、次はちゃんと聞いてくださいね~。」


 騎馬戦にした方が良かったかな。


 おそらくこんな暴れ馬を制御するよりも騎馬戦の方がはるかに簡単だろう。いや、彼女なら暴れ牛か。特に、意味はないけれど。


 ともかく、本当に彼女はヤバい。恐ろしく要領得ないタイプだ。同じことを二回まだしも、三回間違えることは、恐ろしい。まだ、一歩も進んでいない状況で、この練習中、あと何回こければいいのだろう。この感じじゃ、一位はおろか、レースを走り切れるかどうかも怪しい。


 一日一歩、三日で三歩、三歩進んで、二歩下がる。


 こんな歌詞をどこかで聞いたかとがあるが、この二人三脚の練習は、まさにそのような感じだった。自分が一回こけるたびに、前回より一歩多く進むこともあれば、最初の一歩も進まないこともある。三十分以上やっているが、五歩以上進んでいない。


 二人ともこける場合も、どちらかがこける場合もあるのだが、彼女の足が突然止まることが多く、それにつられて、自分がほとんどの場合受け身も取れずに、こけていた。


「発地君!鼻から血が!」

 自分は例の如くこけていると、とうとう出血してしまった。鼻をつまんで、鼻血を止めようとするが、出血量が多く、口の中に血が逆流した。溺れそうなほどの血が喉に流れ込んだ。


「このティッシュで鼻を詰めて。」

 彼女は体操着のポケットからポケットティッシュを取り出すと、数枚を抜き取って、渡してくれた。自分は一枚をつまんだ鼻に突っ込んだ。残りのティッシュで顔の血をふき取った。


「顔に血の拭き残しはないか?」

「……多分、大丈夫だと思う。……ごめん。私がどんくさいから。何回もこかしちゃって。」

「まあ、自分も二人三脚は初めてですし、最初はこんなもんなんじゃないですか。気することはないですよ。さっきも言いましたけど、一か月以上ありますし。」 


 この先もずっとこんな建前が言えるかどうか分からないが、まだ自分にも、建前を言える余裕があるようだ。


「……いったん休憩しましょう。」

「そうですね。血が出たままで、運動はしたくないですし。」

 今日はもう終わりにしようとは言わなかった。正直、まだ彼女から被る損害よりも彼女から得られる利益が上回っているからだ。正直、この鼻血もこけたことによって、出た鼻血か分からない。


 自分たちは校舎の近くにあるベンチに座った。


「……本当に私なんかに付き合ってくれてありがとうございます。」

「いえ。」

「……昔からなんですよね。この通り、私、運動はできないし、勉強もからきしで、何をするにもダメダメだった。だから、一星輝璃っていう何事にも一番星のように輝いているような名前が嫌だった。人より何倍も頑張れば、名前に恥じないように輝けるのかなんて思ったこともあったけど、どうしても一番になんてなれなかった。


 だから、私は名前のように光り輝くことを辞めたの。


 諦めたの。名前のように生きるのは。


 私はそうやって何事も頑張らないでいると、楽になると思っていたの。でも、なぜかすっきりしないというか、何か引っ掛かる感じがしたの。


 そんなもやもやを抱えて過ごしていた時だった。発地君、君が私を変えてくれたの。


 君が皆見君を殴った時、私気付いたの。私は私に正直に生きてないって。


 私は本当は何事も頑張っていたいけど、報われないことが嫌だから、逃げているだけだってことに気が付いたの。


 だから、私は報われるまで、人より何千倍でも頑張るって決めたの。」


「……」


「このおしどり障害物レースは、リレーに並ぶ名物種目だから、一位の点数も高いの。このクラスは他と違って、陸上部がいないから、リレーで負けることはほぼ確定なの。でも、私の予想では、障害物レースで一位を獲れば、クラスが総合優勝するはずなの。


 そうなれば、何もできなかった私が体育祭で、一番星みたいに輝ける。きっと、私の頑張りが報われたって言えると思うの。


 ……ごめん。なんか、話し過ぎちゃったみたい。」


「いや、大丈夫。いいと思うよ。なんだか、こっちもやる気が出てきた。」

「……ありがと。」

 彼女は頬を赤らめていた。朗々と自分語りをしてしまったことを恥ずかしがってしまったのだろう。


「じゃあ、今日は十歩進めるように頑張ろう。」

「うん。」


 その日は、結局、八歩しか進めなかった。


 それから一か月、二人三脚をし続ける日々が始まった。いや、こけ続ける日々と言った方がいいか?


 練習は昼休みの空いている時間と放課後、暗くなるまでの時間練習し続けた。


 彼女は一度寝ると、ほとんどのことを忘れるようで、練習するたびに退化しているのではないかと思う程だった。そのたびに、自分はこけて、鼻血を出した。もう血管が破れやすくなってしまったのかもしれない。そこである時から、箱ティッシュを持っておくことになった。


 男の方が両方の鼻の穴にティッシュを詰め込みながら、二人三脚をしている様子は、異常と言う他なかった。周りの生徒からは、カップル同士というより変人たちと認識され、いつもより廊下で避けられるようになった。


 先生たちもその状況を重く受け止め、自分達は職員室に呼び出され、厳重注意を受けた。二人三脚の練習をしているだけだと説明しても、校風に合わないから、学校で練習するのはやめろと怒られた。校風に合わないということは、納得はできないが、理解はできる内容だった。


 自分たちは、昼休みは屋上で、放課後は人気のない山道に練習場所を変えた。おそらく、人目に付けば、通報されると思ったので、人がまず通らないところで練習した。場所を変えてよかったことは、砂の味が校庭よりも美味しくなったことだ。


 しかし、半月を過ぎた頃、だんだんと砂を食べないでいいようになった。ようやく、ゆっくりではあるが、普通に歩くことができるようになったのである。


 そして、本番三日前になると、彼女の全力疾走と変わらないくらいの速度で走ることができるようになっていた。おそらく、ここまで速い二人三脚は、他のクラスにはいないと思う。おそらく、他の二人三脚がレースの半分を走り切っていたとしてもギリギリ追い抜けるくらいの速さにはなっていると思う。


 この速さを手に入れるために、とてつもない努力をした。練習時間は百時間を超えるだろう。自分からしてみれば、今まで学校行事のすべてがしょうもないと感じていたが、そのしょうもないことにとてつもない時間をささげることは悪くないものだなと感じた。


 体育祭当日、校門は体育祭なのにもかかわらず、派手に装飾されていた。確か去年もこんな感じだった気がする。去年は午前に玉入れをして、午後は人気のないトイレでスマホゲームをしていた。


 しかし、今回は逆で、午前暇で、午後に種目があることになっている。午前は去年同様、トイレでスマホをいじろうとしたが、一星が二人三脚の最終調整をしたいと言ってきたので、人がいない後者の裏庭で練習をした。


 もう二人三脚ではなくて、足などつないでいなくて、二人が並走してるのような状態だった。バトンを渡す他のクラスメイトが相当遅れない限り、負けることはないだろう。


「……他のクラスメイトも遅くないし、きっと……いや、絶対勝てるよね。私は初めて輝けるよね?」

「ああ、名前に恥じない体育祭の一番星になれるはずだ。」

「うん。」


 彼女はにこやかに笑っていた。もうすでに輝いているよなんて臭いセリフが出てしまいそうになるほど、いい笑顔だった。


 午後になって、二人三脚の件はいいとして、リレーはどうなっているのか気になった。体育の時間はバトン渡しを少しだけやった程度で、満足いく練習はできていなかった。まあ、あれをすれば、どうでもよくなるのだが。


 しばらくすると、おしどり障害物レースの選手の収集がかかった。このレースの概要は、最初に大きなズボンの足に二人が入って走るデカパン競争、男子が女子をエスコートしながら進む平均台、お姫様抱っこで走るやつ、そして最後に二人三脚の合計四ペアがリレーをするものとなっている。


 見る側ならおぞましくて見てられないが、今回は競技者と言うことで非常に良かった。


 自分たちはトラックの2/3の所で、いつものように足を結んだ。もう、左側の彼女の感触に慣れてしまった。二人三脚をしていない時に、左側が何か足りない気がするほどだった。


 自分は深呼吸して、出番を待った。


 パンッ


 始まりのピストルが鳴った。自分たちのクラスは大きなミスはなかったが、他のクラスより少し遅れを取っていた。その遅れは、少しずつ広がっていき、一位のクラスが二人三脚を始めだしたとき、自分たちのクラスは、お姫様抱っこが始まったところだった。


 しかし、お姫様抱っこのペアが桑田カップルだったので、桑田の爆走により、最下位であったが、他のクラスとの差はかなり埋まった。一位のクラスは、まだ半分も走り切っていなかったので、勝利を確信した。


 自分はいつものように、一、二の合図をして、左足を出そうとした。


 すると、彼女の右足は動かなかった。


 自分は突然のことに対処ができず、久しぶりにバランスを崩し、前に倒れた。


 自分は一瞬何が起きたか分からなかった。ゴールへ一直線に入る一位のクラスしばらく見て、全てを理解し、立ち上がって、体勢を立て直した。


「まだ間に合う。もう一度やり直そう。」

 そう彼女に声をかけると、彼女は茫然とした顔から意識を取り戻した。自分はもう一度、一、二の合図をかけた。今度はうまくいき、いつも通り走り出せた。どんどんと他のクラスを抜いていくが、一位の組に追いつけるかどうかは分からなかった。


 しかし、自分たちは、そんなことも気にせずに、ただ走った。ゴールまでほんの数メートルの所で、一位の組に鼻差で追いつけるかもしれないところまできた。自分たちは微かな希望にかけて、ゴールテープ目掛けて、駆け抜けた。


 ゴールテープを破ったのは、他のクラスのペアだった。


 自分たちは、ほんの少しの差で負けてしまった。


 自分たちは、息を切らしながら、一位ではなかったことをゆっくりと理解していった。今まで頑張ってきた事実が少しずつ崩れていくような感覚に襲われた。目の前の世界が段々と失われて行って、自分だけしか存在していないような追いつめられる感じだった。


 この自分が陥っている感覚が彼女には、もっと大きな衝撃が襲っていると考えると、自分はもっと嫌な感覚になった。


「……ごめん。緊張しちゃって、……一歩目が出なかった。……やっぱり、ダメだった。」


 自分は何も声をかけることができなかった。


 自分は、そのまま次の競技の邪魔にならないように、彼女に手を貸して、その場から離れさせ、クラスのテントに彼女を送り届けた。


 テントに戻ると、すぐに最終競技のクラス対抗男女混合リレーの収集が始まった。このクラスの得点は、障害物レースの結果により、リレーで一番を取らない限り、総合優勝できないようになっていた。このままでは、彼女は自身のミスで負けてしまったと思い詰めてしまうのではないかと思った。


 他のクラスの走者を見る限り、自分がどう走ろうと、最下位を取ってしまうことは確実だった。自分が彼女の絶望を確定させに行くことが嫌だった。


 彼女は今にも泣いてしまいそうな顔で、へたり込んでいた。

 

 もうどうしようもないのか?

 

 



 ……いや、まだ、希望がある。


 自分が隠していた秘策を応用すれば、この状況をどうにか出来るのではないか。


「発地君、速くリレーに行かないと、間に合わないよ。」

「……すまん。無理だ。さっきの二人三脚で足をくじいたみたいだ。ここまでどうにか歩いてこれたが、走ることはできなそうだ。」


 自分は左足をさすりながら、そう言った。もちろん、本当は足なんて痛くない。


「えっ、大丈夫なのかい?……でも、リレーは走れないってことかな?」

「そうなるな。すまん。」


 それを盗み聞いた他のクラスメイトがざわざわしだした。


「棄権ってことになると、誰か他に走ることができる人を代理で立てないといけないな。……青野、走らないか?」

「無理無理、そんな大役無理ぜよ~。発地~。なんとか走れないのか?」

「無理無理、もうここから一歩も動けないくらい痛いんだ。……でも、リレーのアンカーを走るのに、適任な人間がいるんじゃないのか?

 

 このクラスで一番足が速いが、自然と誰もが選択肢から除外している奴が。」


 自分はそう言うと、視線を優雅に本を読んでいる男に目を向けた。


「有明君?……確かに、彼はとても速いが、彼は首を縦に振るとは思えない。」

「頼んでみないと分からない。少なくとも、最初から諦めるよりもずっといい。」


 皆見はいつもの爽やかな顔から少し嫌な顔に変わった。


 どうやら、その会話を聞いていた有明がため息を吐き、本をぱたんと閉じた。


「さっきまで一星に肩を貸して、平気そうに歩いていたのに、椅子に座って、足をくじいたのか。随分便利に足をくじくじゃないか。まるで、リレーを走りたくないから、嘘をついているみたいじゃないか。」


「じゃあ、お前はその嘘を見破ることが、一番良い選択だと思っているんだな?」


 しばらく有明は考えた。

「……分かったよ。走ればいいんだろ。走れば。」

 有明は、座っている椅子に読んでいた本を置いて、けだるそうに準備運動を始めた。


「走るなら、選手交代を本部の方に報告しないといけないから一緒に来て。」

 皆見はいつもの爽やかフェイスに戻り、有明と一緒に大会本部に向かっていった。


 本来は足をくじいたと言って、陽キャ共の反応が見たかったが、今回は有明にアンカーを任せるためにこの方法を使った。

 

 有明は優しい奴だ。


 彼は人と関わることは異常に嫌っているが、他人が本気で悩んでいる時、必ず助けてくれる。班決めの時、本気で悩んでいた自分を助けてくれた。今回も落ち込む一星を助けようとしてくれている。


 しばらくすると、自分たちのクラスのリレーのアンカーが自分から有明に変わったというアナウンスが入った。


「有明が走るの?ヤバくない。有明って滅茶苦茶足速かったよね。絶対最下位になると思っていたけどもしかしたら、勝てるんじゃないの?」


「無理無理、例え、最下位を免れたとしても、一位は無理だな。だって、田口のクラスには勝てない。だって、田口は100mで、インターハイ出てるんだぜ。それに田口のクラスは、女子も早いから、有明にバトンが渡る頃には、田口がだいぶ前に走り出してる。さすがの有明でも無理だろうな。」


 青野と取り巻きの女子の分析を聞きながら、有明が本当に勝てるのか不安になった。そうやって、ハラハラしていると、リレーが始まるピストルの音が鳴り渡った。


 リレーは、普通の選手はトラック半周を走っていき、アンカーのみトラック一周走るというものだ。


 自分たちのクラスは、基本的に最下位の位置にいたが、桑田と皆見の活躍で、最下位から順位を上げることはあったが、アンカーの一つ前の女子走者が結局、最下位に戻した。


 その女子走者が有明にバトンを渡そうとしている時、噂の田口と言うやつは、トラックのカーブに差し掛かろうとしていた。最下位から一位までは割と固まっていたが、一位の田口と二位の差がぐんぐんと広がる光景を見て、田口の速さを実感した。


 自分たちのクラスの女子走者が有明にバトンを渡そうとした時、女子走者はこけてしまった。その瞬間、バトンを握る手に力が入っていなかったのか、腕を振る反動で、バトンが放り投げてしまった。


 その宙を舞ったバトンは、有明の頭上を越え、勢いよく飛んでいった。


 自分は終わったと思った。ただでさえ遅れているのに、バトンを落としてしまえば、一位になることは、不可能になってしまう。そうなれば、一星は……。


 しかし、有明は宙を舞うバトンを見て、走り出した。すると、走り出した有明はぐんぐんとスピードを上げて、バトンの落下点に近づいていった。バトンは有明の手に吸い込まれるように落ちて、有明の手に掴まれた。


 有明はそのことを当たり前のように、やり過ごし、さらにスピードを上げていく。トラックのカーブに差し掛かると、他のクラスのアンカーをごぼう抜きにしていった。カーブが終わり、直線に入ると、二位のクラスをも抜いていた。


 しかし、以前として一位との差は大きかった。体六つ分くらいの差があった。その差は埋まることもないまま、二回目のカーブに差し掛かった。


 だが、その大きな差がみるみると縮まっている。どうやら、有明と田口の走る速さは同じくらいだが、カーブを走る技術で、有明が上回っているようだった。有明はそのアドバンテージを生かして、差を縮め、カーブが終わるところで、田口と並んだ。


 最後の直線は互角の勝負だった。自分たちと田口たちのクラス全員が互いに応援し合う白熱した勝負だった。互いにラストスパートをかけるが、全く差はできないままで、同着になるのではないかと思わせるほどだった。


 二人は全力でゴールを走り抜いた。最後にほんの少し差ができた。体一つ分もない程の差だった。


 その接戦を制したのは、有明だった。


 田口は普段より長い距離や有明に迫られる焦りから疲れてしまったのかもしれない。その疲れが有明に僅差で勝利を与えた。


 自分はクラス全員が立ち上がって応援する中、椅子に座って、まだ悲しんだ様子の一星に声をかけた。


「これで自分たちのクラスが総合優勝だな。」

「……でも、私は……。」

 一星は顔を下に向けた。


「何もできていない。輝けていないって言いたいのか。


 ……なあ、一星。一番明るい星が一番いいと思うか?」

「……。」


「自分はそうは思わない。一番明るい星が一つ輝いていても、そこにはあまり価値がないと思う。一つの星がどれだけ明るく輝いていても、昔の人は何も思わなかった。でも、そこに他のそれぞれの個性のある星があったから、その星たちをつなげて、星座を作ったんだ。


 星座の中には眩しいくらいの明るい星から消えそうなくらいの暗い星までたくさんある。でも、どの星も一つでもなければ、星座は作れないんだ。


 一星は、今、二人三脚を失敗して、一位を獲れなくて、落ち込んでいると思う。でも、違うんだ。一星が二位を獲ってないと、自分たちのクラスは総合優勝できなかった。自分たちのクラスと二位のクラスの得点の差はたったの五点。


 この五点は自分たちが二人三脚で頑張って、二位を獲ったから、生み出せたんだ。確かに、この体育祭では、有明が一番輝いているかもしれない。でも、その輝きは、一星の輝きがないと、価値があまりなかったと思う。


 だから、何を言いたいかっていうと、一星の努力は無駄じゃないし、今、君は名前に恥じないくらいに輝けていると思う。」


 一星は顔を上げた。彼女は涙を目にためていた。自分は笑顔で彼女を見つめた。すると、彼女も吹き出すように、笑みをこぼした。


「そうだね。きっと、そうだよね。」

 彼女は何か吹っ切れたように、笑い出した。自分はそれにつられて、笑い出した。臭いことを言うようだが、彼女の笑顔は星のように明るく綺麗だった。


 

 


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