カナン戦1戦目 わりかしひでぇジャックが豆の木
一切のリアクションをしないなら、それってきみがきみでいる必要もないんじゃないかな。
「は?」
女の子の声がして振り向いたけど、ダッチワイフしかいなかった。ジャックお気に入りの彼女は、ケリーという。ビバヒルの登場人物から来てる。
狭くて物の多い部屋だった。
オマー爆破テロ事件で助けられて以来、おれはジャックにまとわりつくようになった。
ジャックんちは国教会派で、俺の親父が軍人ってのはジャックには殊の外ポイント高いみたいだった。
ジャックの部屋には、エログッズのほかにはミリタリーコレクションが溢れてる。
リパブリカンを殺せ、てジャックお手製ポスターもある。端的に、攻撃的な部屋だ。
7年生になった俺は、壁のインテリアになってる、ジャックには着られないスッとした軍服を見て、ミリタリーラインって基本格好いいよなと思ってた。
英国軍駐屯地ってのを活かした他愛無いミリタリーコレクションショップが、ジャックんちだった。
あの夏までは。
オマー爆破テロ事件は、商店街で起こった。
堆肥爆弾を積んだ赤い車が、商店街で炸裂した。
ジャックの父ちゃんがやってた店も、商店街にあった。
爆心からは遠かったけど、爆風で店はめちゃくちゃになった。
そんで火薬類は扱ってなかったにも関わらず、店はふっとんだ。
テロで神経質になった街で、ミリタリーコレクションは他愛のないものじゃなくなったわけだ。
ジャックの親父さんの店にはケチがついた。
やれテロリストに武器を流しただの、流通経路を融通しただの。
でたらめだ。
でも疑心暗鬼になった街は、最終的に親父さんから職と店を奪った。
太っちょジャックは、俺を救ってくれた時点でハタチを超えてたか。
親父さんはスーパーに再就職が決まったけど、親父さんの店を継ぐ気でいたジャックは、無職のままだった。
俺の周辺もだいぶ変わった。
あのテロで家族の大切さがみにしみたとか、なんかホームドラマみたいな大人の身勝手で、俺は両親の家に迎え入れられた。
(いや、それは普通なんじゃね? いつ死ぬかわかんない世界に住んでんだってわかったから、愛する家族を集める)
『違うでしょ? そこにあったのは愛する家族なんかじゃなかったじゃないか。どうしたらいいかわかんないけど、ただ家族は愛するもんだよねって、そこにあったのはそれだけのはずだよ』
また女の子の声がした。
俺は部屋ん中を見回した。
未練展覧会みたいなミリタリーコレクション、赤い手の描かれたリパブリカンのヘイトポスター、格好いい軍服、ついでに引きこもり特有のすえた匂い。
そして朝起きたままの状態だろうベッドに、ダッチワイフのケリー。
ケリーお前実は喋れんじゃねぇの?
でもケリーの言う通りだよ。
愛する家族。
うつくしい言葉だよな。
でもうちに限っては、そら単なる額縁だった。愛ある家族って名前の、なんか枠。
実際両親は愛そうと努力してくれたと思う。
額縁に映えるような絵画を。俺たちに与えようとしてな。
絵筆は折れていった。
絵は額縁ありきで描くもんじゃねぇからさ。いやそういう絵もあるけどさ。普通は絵をさ。先に用意すんじゃん。
外敵に怯えて闇雲に掻き込まれた末っ子に、果たして、両親は対応しきれなかった。
先住民の兄2人は、シンデレラの姉ちゃんみたいな差別とドメステッィクバイオレンスで末子を迎えた。両親はそれをカバーしきれなかったんだ。
猫も多頭飼いすんなら先住側を優先しろっていうじゃん。
うちは俺があんまり人間の枠をはみ出てたもんで、そうもいかなかった。母ちゃんは、兄貴の機嫌より、俺が羽を出さないか、お空に飛び出していかないか、それを近所に見られないかって、いつもピリピリして、気が休まらないみたいだった。
兄貴は俺を魔物って呼んで持ち物に火をつけたし、よくどっかに置き去りにしたし、路傍のゴミ箱に閉じ込めたし、悪魔払いを真似て、洗剤を聖水て呼んでぶっかけた。
大変好意的に解釈すれば、子供なりに家を守ろうとしてたんだと思う。
『んふ、守るぅ? 何から?』
ケリーがまたなんか言った。
決まってるだろ、俺って悪魔からだよ。
そんで親父は。
親父は軍での立場を悪くしていった。
俺があの爆破事件の日、軍人と話したせいだろうと、誰も言わないが今は思う。
(今? 今っていつだ? 俺は、あれ? いくつだっけ、7年生? そんなもんとっくにおわんなかったか?)
オマー爆破事件は、計画段階から英国には漏れていた。英国のスパイがテロ組織内にいたんだ。英国の、スパイだ。北アイルランド政府のではなく。
英国はテロ計画を事前把握していた。でもテロは起こった。
北アイルランドを治めるのは北アイルランド政府であって英国政府じゃない。英国側がどんな情報を得ていても、それをどう使うか決めるのは英国で、北アイルランドじゃない。英国は起こると知っててテロを止めなかった。
テロ組織内に諜報員がいるって情報が漏れても、英国は知りませんでしたを貫こうとした。
ただ、幼児の口に戸は立てられない。
ガキだった俺は、”英国”軍人と話したことを吹聴した。”英国”軍人が事件の前、赤い車を探してたって。正しい事をしてると思って言い回った。
事態は混乱していて、たくさんのひとが少しでも多く情報を欲しがってた。
俺は、事件について、求められるまま話すのはいい事だと思ってたんだ。
問題は、この件、オマー駐屯英国軍は関係ない事だった。
そもそも、スパイは英国”情報部”の人間で、駐屯している軍とはまるきり所属が違う。
俺が話した軍人は、そもそも軍人に擬態した情報部の人間、つまり軍人でなく諜報員だったわけだ。
英国政府は知ってて、英国軍は知らされてなくて、英国情報部は動いていた。
ここに不幸はあってさ。
当時、オマーじゃ爆弾予告と避難指示が日常のピースだったのは前述の通り。
この日の爆弾予告は、裁判所だった。
だから裁判所とは反対の方、メインストリートにある商店街の方に、人々は避難させられた。
でも実際は避難させられた方、商店街で、爆発は起こった。
裁判所前は、俺が遠目に見えるくらいには車でいっぱいで、駐車場に空きはなかった。
爆弾車両を自然に停めるには、商店街に路駐を装うのがベターだったみたいだ。
爆破予告は裁判所前を告げるものともう一報。
メインストリートを告げるものがあった。
情報は錯綜した。と思う。
あの日、もうあの日って言えばこの日で通じてしまうあの日、俺が言ったことは本当はどう使われて、俺は実際にはなにをしていて何を言わされて、何が違ってたら何がどう変わったのか、ずっとわからないままでいる。
なんにせよ全ての結果が、1998年8月15日だ。29人と二人の胎児、今ではカウントが変わって、30人と胎児がひとり。亡くなった。
死者だけじゃないいろんなひとが千切れたし燃えた。
俺が軍人(本当は諜報員)と話したって事実は駐屯英軍の立場を悪くし、元々英国アレルギー気味の北アイルランド人に排外の正義を与えて、軍人への冷遇と北アイルランド人でありながら駐屯地に職を得てる家庭の中傷が始まった。
俺は軍人(本当は諜報員)に自分と会ったことは口外するなと言っときながら、駐屯軍の風評被害を撒き散らしたわけだ。
ケリーが喋る『ねぇーー〜ー、だから言ったのにねぇーー〜ー! みんな、羽をしまえ、飛ぶな、人間らしく振る舞えって! ねぇきみが提供した情報はさ、そのあとどうなったんだろうね? きみは誰に何を言ったんだろうね? 情報が混乱しなかったら、さぁ』
ケリーはほとんど俺の耳元でささやくようだった『もっと助かったひとが、いたかも知れないねっ』
「うるっせぇそれは死者と遺族への冒涜だ!」
「うぉ、なんだよなに。れーのーしゃっていきなり切れるもんなの?」
「ジャック」
無人だとばかり思ってた部屋に、忽然とジャックが現れた。きったないベッドにもたれた、俺の隣に。
ジャックは、あの日の、火傷と怪我と血に塗れた姿のままだ。
「よう、親父さん、とうとう除隊させられたんだって? 残念だったな」
ジャックは気さくに、まだ未成年の俺にエールの瓶を渡した。血の匂いがした。
俺は躊躇いなくそいつを飲んだ。どっかでケタケタ笑う声がした。もう酔ったのか俺。
「どうせ俺のせいだよ! くそ親父、もう目も合わせようとしねぇよ、今日も昼間っから飲んだくれててさぁ!」
親父は。子供のくちひとつ塞げない無能として、軍内部で軽視されていってた。つまり、親父の自尊心を鑑みずに言うなら、イジメだ。
何年か前に妹が生まれて、親父は収入源を断つわけにはいかなくて、軍にしがみついた。
転属願いは受理されなかった。
なに喋るかわかったもんじゃねぇ制御不能のガキを抱えてちゃどこにもやれねぇとよ、親父は酔うとそう言って俺を詰った。
詰る元気があるうちは、まだ良かったんだって、俺は感じつつあった。
「ちくしょう、俺のせいかよ、俺だって羽なんかいらなかったよ、俺が選んだんじゃない、俺をこんな風に産んだのはお袋じゃねぇか!」
まぁま、とジャックが気さくに宥めた。
ジャックは俺の羽の事を知っている。あの日、首根っこを掴まれた俺が羽出して全力で抵抗したんだから当然だ。
ジャックは、羽の生えた俺を、とにかく幼児として保護してくれた。だから俺はジャックに懐いたんだ。
ジャックこそ本当の兄貴だったらいいと思った。
「それよりコレ、見てみろよ。本物だぜ」
ジャックが血の滲む腹の脂肪に指を突っ込むと、みりむりクソを出すような音を立て、どうみてもただのレンズ豆を取り出した。
皮がむいてあって、つるんとしろく、患部から取り出したのに血痕はない。
何これ、と俺が触ろうとすると、あぁだめだめ見るだけだ、とジャックは豆を持って立ち上がった。
「小型爆弾だよ。俺、ようやく、アルスター防衛同盟に参加できるんだ! お前も来いよ、空からばーっとこの爆弾撒くってんならさ、俺が口きいてやるからさ」
「アルスター防衛同盟か…」
ロイヤリスト武装組織である。
「だっておかしいだろ。俺は大事な店を潰されて、お前の父ちゃんは職を失った。なんもかんも、あの爆弾テロのせいだ。でも、絶望ばかりもしてらんないだろう」
ジャックは傷から出血させながら、狭い部屋を巡って演説を始めた。
「疲れちまってる大人の代わりに、俺たち若い世代が正しい北アイルランドをつくってくんだ。
俺にはカトリックの友達も、長老会派の友達も、メソジスト派の友達もいる。ナショナリストとユニオニスト、どっちともディベートを楽しめる。ナショナリスト相手だと、ちょっと熱くなっちまうかも知れねぇが。
でも、リパブリカン。
あいつらは、だめだ。
あいつらの目は、覚まさせてやらないといけない」
ジャックは窓を開けた。
そこには世界があった。
「赤い手」の頭巾をかぶせられた老若男女が、電柱に縛り付けられて泣いている。
俺もそのひとりだった。
「えっあれ!?」
卑猥な落書きがされた電柱に、俺は後ろ手に縛られてた。
手足はのびて、もう7年生じゃない。
いわゆる高校生だった。
ジャックは哀れんで俺を見下ろしてくる。ジャックの頭の傷から、血が滴った。
「俺たちが悪いんじゃない。職につけないのは俺が劣ってるからじゃない。ミリタリーショップを異様に警戒する方がおかしいんだ」
「お、おう? 言ってることはわかるよ」
ジャックはさめざめ泣いていた。
傷が。まだ癒えていないんだ。
「軍用品を扱ったのは、経歴の傷なんかじゃない。なのにどこも、俺にはチャンスをくれない。うちはあのテロには関係ないのに」
「わかった、わかったからこれほどけよ。それに電柱のみんなも、外してやんないと」
「でもおれはジャックだ。ジャックなんだよ、なぁ」
『そうだねぇ。そうねぇジャックぅ』
ジャックの巨体の後ろから、突然小柄な少女が現れた。
引き裂かれた黒のコットンドレス、ちぢれた巻き毛、そばかす、足は裸足。顔に生者の色はなく、紫がかって薄青い。目は小さく、中にちゃんと目玉があるのか判然としない。
少女は俺を見て微笑んだ。
(燃える悪霊の、カナン!)
俺は一気に覚醒した。(やばい、おれ、どんだけ奴に反応した!?)
と同時に、ジャックがレンズマメの小型爆弾を投げ散らす。
轟音と火柱があがり、爆風が「赤い手」の頭巾を吹っ飛ばした。
焼かれる人間、その表情があらわになる。
うちの婆さんもいた。
小さい子供もいた。
枯れたようにやせた爺さんがいた。
マッチョな男がしきりにママを呼んで、縛りつけられた電柱から離れようとする。
「あはははははは! やっちゃったねぇ! だーいじょうぶ大丈夫、あたしが死んだ時もこんな感じだったよ!」
カナンの肌が一瞬で焼けただれ、すぐそばにいたジャックが尻餅をついて悲鳴をあげた。
(これジャック。現実のほうのジャックは大丈夫なのか⁉︎)
ちからの強い怨霊はどこにだっていける。俺の記憶や意識を勝手に道にして、現実に、現在に、だからスキァナン伯殺害事件関連死は、刑事から運送屋まで広がったのだ!
「ジャック! 逃げろー!」
俺は燃える人間の絶叫の中で叫んだが、ジャックは尻もちをついたまま首を振った。
「俺、俺は、逃げられない。独房にいるんだ」
そうだった。ジャックは数年前、テロリストとして実刑判決を受けていた。
「ちくしょう、なんでだよ、なんで俺が起訴されるんだ。なんの罪を償うっていうんだ。
だってオマーの事件では、オマー爆破テロ事件では、誰も有罪になってない、あんなにひとが死んだのに、誰もどこも、裁かれてないじゃないか。パブリックインクワイアリだって、なくなったじゃないか!」
そうだ。
オマー爆破テロ事件では、犯人グループと見られる何人かが捕まり、事情を知っていて止めなかった北アイルランド警察当局なんてのも出てきて、何人かが証言台に立ち、実行犯と思われる何人かが起訴され、しかし結末はといえば、何人かに証人保護プログラムが適用され、結果証拠と証言が閉ざされて、証拠不十分で容疑者告訴は取り下げられ、誰にもどこにも、罪の所在が認められていない。
被害者や遺族だけが取り残されるように時間がたって、2013年、諜報部の関与や公的機関の行動に関して、パブリックインクワイアリが行われないことも正式に発表された。
それに武力で抗議したジャックは、何人かのアルスター防衛同盟員とともに、捕まった。
燃えたからだで、カナンは悠然とジャックに迫る。
「それじゃあ豆を撒こうよ。ジャックは豆を撒くものでしょう。巨大な豆を高みまで登って、オーガを倒すの。そして黄金を手に入れる。
倒すべき巨悪を倒して幸福をさらい、英雄になるのよ」
声帯は焼けていないんだろうか。カナンの声はコマドリが歌うようで、阿鼻叫喚の火刑場で、ふわふわと、しかし妙にはっきり聞こえる。
カナンは焼けた手でジャックの顎をとった。
「さぁ。ジャック。答えて。ジャック。きれいな豆をもつジャック。
あなたは、なに?」
答えるなあああ、と俺は叫んだ。煙りとひとの燃えるにおいがどっと口から入って、盛大にむせる。
煙りにやられて、視界が涙ににごる。ジャックが見えなくなる。
ジャックは、確かに悪い事をした。取り締まられるような事をした。でもひとを殺したとかじゃないんだ。抗議で爆竹鳴らしただけだ!
悪霊に取り殺されるような、そういう奴じゃねぇんだよ!
『問われるならば答えよう☆
立てばエマワトソン。
座ればオルセン姉妹。
歩く姿はカーラデルヴィーニュ!
真似したいコーデはベッカム夫人、ファストファッションでも真似しやすい、洗練された格好良さがポイントよな!
好きな母音は
1位 a.
2位 I.
3位 e.
4位 y!
最下位はboooo! 堂々の、cだ!』
ジャックから深い弦楽器の声がした。ていうかcは母音じゃねぇ。
カナンが後ろっとびに距離を取る。
しかしその腕には銀の鎖が巻きつき、カナンは思うように下がれないようだった。
『知ってるか? カナン。豆は牛と交換するもんなんだよ。そうしないジャックは豆の木のジャックじゃねぇ。ただ豆持ってるだけのジャックだ』
ジャックの巨躯が灰になって流れ、さらさら失せるその中から、ヨーマン・ウォーダーズの正装をしたリアンが現れる。
英国を守る戦闘服を着た戦士.。
『カナンお前、巨人殺しの方のジャックは知らないだろう。あの話は18世紀、お前が死んだあとに作られた、英国暴虐物語だからなぁ』
鎖の巻きついた腕から、しゅうしゅうと蒸気のようなものがあがる。
俺たちの業界では、エーテルが解けていると呼ぶ。霊体100%の幽霊の類は、エーテルが解け切ったら存在はできない。
リアンは、凄絶に片唇を引き上げた。
『覚えとけカナン。私こそダヌバンディアの弾唱詩人。最強の戦士にして、英国! の! 勝利の女神ヴィクトリア・なんか貴族っぽい先祖の名前を継がされた・でも詳細いいじゃないか・スキァナン!』
多分先祖の名前は、全部は憶えてないんだと思う。
じゃあんとカナンを戒める鎖を引いて、王国の守護者は凶悪に笑った。
『物語を呼んだのが仇になったな。未知の物語とお前、闘えんの?』