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Kanaan  作者: や
2章 本戦
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本戦外典:上 「大きなことを成し遂げねばならなかった」世界から見たら針穴みたいな大きさでも

※七階が最上階=日本でいうと八階

『ママがしてるのはね。すごく意義のあることよ』


 それが俺を置いてパパラッチすることだと知った時、俺は世界に一つ失望した。

 指摘したら、『ノアったら! ママの仕事をパパラッチなんかと一緒にしちゃいけません。これはジャーナリズムなのよ』

 大人は普段嘘つくなっていうくせに、事実を言えば良くないっていう。


 そんな母親でも、最初に俺のわけわかんねぇ世界を肯定して、対処法を教えてくれたひとだった。

『ノア。あなたに見える世界は、ちゃんとあるの。ノアは嘘つきなんかじゃない。ママと一緒に、どう対処するか考えましょう!』

 妖精は「妖精」と決めつけられる事を嫌うから、「善き隣人」と呼ばなきゃないとか。

 死人は見ないふりが一番効くとか。

 ゴーストに反応してしまった時に反応を誤魔化して事態を円滑に進める大人のライフハックとか。

 都会では孤独な魂が多いものだから、拒絶するよりただあるものとして見ればいいとか。

 同級生に嘘つき呼ばわりされた時の心の保ち方とか。

 それでも俺はママに愛されてるとか。

 遺品のリング式手帳を、今も持っている。

 手帳に走り書きされたメモには、いくつものオカルトじみた単語があった。

『ダヌバンディア。呪われた貴族』『英国のスピリチュアル業界の頂点?』『彼らならノアにもっと具体的助言を与えられるかも知れない』『レディ・ティエラ:フランス リザークレス:入院(ロンドン?) ヴィクトリア:行方不明 使用人のアジア人:行方不明』『ショージ・シンタロー。日本人。家庭教師→魔法の? 誘拐?』『ヴィクトリア→怪我を治せる? ノアの心臓も治る? →期待はしない →ノアの心臓のためなら、なんでもする。脅してでもまずヴィクトリアを手に入れる』『火事が増えた →関連は? 呪いは撒かれるものだろうか?』

 たくさんの、「ヴィクトリア」と思しき写真が、手帳にファイルされていた。

 俺より年上の、長い金髪をポニーテールに結い上げた女の子の写真。弾道みたいにキレのある目で、唇だけ厚い、痩せた女の子。

 この子に執着して、ママはホテルを頭っから落ちた。

 こんな子、呪いを振りまく魔女以外の何者であるはずもない。


 ジャーナリストとして、真実を伝える義務があるママは、俺に愛って情報を与えることを惜しまなかった。

 それがママの教育方針だったと知ったのは、ママが死んで、クロイドン・エッジ・ハウスに任意入院させられることが増えてからだ。ママが死んでから住むことになった特別養護施設では、心臓の悪い俺を持て余し気味で、ママが生きてた頃から世話になってたクロイドン・エッジ・ハウス頼みのことがほとんどだった。

 魔女と出会ったのも、任意入院するようになって過ごす、死んだ子供が這いまわるハウスでの夜だった。

 デイジーが(その時はまだ生きていた気の毒なデイジーが)、先月、特別入院棟の(ザ・タワー)に入院患者が入ったらしい、と聞きつけて、夜にこっそり見に行こうと言ったのだ。

 誰か入院したはずなのに、一向に紹介されたり遊び場に来たりしないから、重い病気で接触禁止の状態なのかも知れない、このハウスで友達がいないのは寂しいよ、というのがデイジーの言い分だった。


「……夜は。危ないよ。発作が起きたらどうするの」当時七歳だった俺は、単に夜のホスピスを歩きたくなかったから、止めた。

 その晩は、デイジーと俺とリチャードくらいしか入院患者がいない、静かな夜だった。

「私は吸入器持って歩くし、ノアに何かあったらすぐ助けを呼んであげる!」

「僕は行く。友達が一人増えるかも知れないんだろ?」


 俺は止めた。ここに来るのが助からない子供だけだってことはわかっていたし、接触禁止になるような病状の子はココみたいな子どもホスピスじゃなく、ロンドン中心のでかい病院に入院するものだって知ってた。

 何より、当時、俺はママを失ってひと月たっていなくて、何をする気力も湧かなかった。

 今思えば、デイジーは幼いなりに、落ちてた俺を励まそうとしていたのかも知れない。


「絶対ぜったい、誰か来たんだから! ノアはまだ入院前だったから知らないだろうけど。業者さんが塔に入ってバタバタ掃除してたの。リフトで一緒になったんだけど、すっごい人数で、ぬいぐるみがぎゅうぎゅうにパッキングされたビニールをいくつも台車に載せてた!」


 多数決で、僕らは夜のホスピスに繰り出すことになった。

 見張りが何時に来るのか、何時なら出歩いても平気か。入院歴の長いデイジーはそういうことに詳しかった。当時の俺は、デイジーの親がヤク中で、ろくすっぽ育児をしないからデイジーの任意入院が多いという事実を知らない。

 夜のホスピスは、正味最悪だった。

 うろつくゴースト、良き隣人、ひたひたついてくる何か。

 リチャードもデイジーも何一つ気づかなかったけど、俺は何もかもにビビってないフリをするので精一杯だった。

 リフトを使うと移動がバレるから、俺らは地道に階段を登った。塔は七階が最上階、一般入院棟は左翼三階が男子、四階が女子の階だった。

 夜のホスピスは過剰な静けさの中、始終くすくす笑いが聞こえた。デイジーとリチャードの声もあったが、聞いたことない奴の声がいくつもあった。

 生者と死者の声は簡単に区別がつく。生者の声は、過剰な静けさに微かに空気の響きが残るが、死者の声にはそれがない。空気を振るわせない音だ。

 すれ違うゴーストの大半は子供で、良き隣人たちが、さりげなく俺達の方に来ないよう誘導してくれていた。

 が、親切な良き隣人達の形の異様なこと。

 頭が上下前後逆についてる兎、しわくちゃでほとんど木目みたいな顔の小人、芋虫に直接羽が生えてるピクシー。

 悪気のない彼らでさえそんな感じで、俺の心臓が目的地手前の階段で発作を起こしたのは当然だった。


 六階から七階へ続く階段の踊り場。

 デイジーとリチャードは大人を呼びに行く、と駆け降りて行った。

 一人にしないで、と声にできたらどんなに良かったか。

 俺はうずくまって、ママを呼んだ。声は出ていなかった。

 ところが、ママは、来た。

 俺のママでも、生者でもないママだった。子供が死んで自殺する親はいくらもいる。当時俺はそんなこと知らなかったが。

 血の気のないママは、足が胴体にめり込んで、顔は目鼻が目鼻の位置になく、折れた歯をポロポロ落としながら、七階から降りてきた。

 俺の心臓はますます痛んで、体は痙攣を始めたし、ママのゴーストは縮んだ足で不器用に階段を降りてくる。

 俺は床に倒れて、なるべく距離をと思いながら、痙攣する体は思うように動かない。

 ママのゴーストが目の前に来て、俺に腕を伸ばす。


『その子は貴女のお子様ではありませんよ』


 男の声がして、ママのゴーストは止まった。


『あなたのお子様なら、天国で待ってますよ。なに、ちっと飛び降りたからって、天国は貴女をフイにはしません。人が飛んだら落ちるのは、自然なこと。あんたらの神様は全知全能だろ、あんたの死に様だって、神様の知っていたこと。

 顔あげて天国の門叩きなさいな』


 男は、そんなようなことを言ったと思う。妙に耳に響く声で、生者の音とも死者の音とも違っていた。

 俺は意識がぐるぐるしていたけど、彼がアジア人だったことは覚えてる。

 額に紅い宝石をつけたファンシーな良き隣人が七階から飛び降りてきて、俺にしがみつく。

 良き隣人は怖いけど、ファンシーな隣人がくっついた途端、痛みがラクになって、徐々に心臓は落ち着いていった。

 汗で冷えていた体はあったまったし、意識はギリギリあって、ひどく疲れていたけど、ファンシーな隣人が抱きついた箇所から、筋肉の緊張はほぐれて、ぽかぽか温まっていった。

 助かった、と思った時。


「お前の力でなんとかなんないの、この子」

「師匠。私の力では、先天性の疾病は最悪、悪化します」


 七階から、長い金髪をポニーテールに結い上げた、俺より年上の女の子が降りてくる。。貴族的にすきっと細い顎と、厚い唇、射殺しそうな弾道の目。


(彼女は)


 思った途端、心臓がまた一際強く動いて、俺は気を失った。

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