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Kanaan  作者: や
2章 本戦
61/63

緒戦 決着

 俺は、拘束された符に定めていた照準がぶれそうになる。

 声は、空からこだまするように落ちてくる。


『オメーの親父は惨めだねぇ! 上の娘に殴り殺されたと思ったら、愛した男に縛られて、結局やっぱり娘に爆散させられる!!』


「カナン」俺から思わず声が漏れる。

 リアンからふっと怒気が消える。俺の視界の端で、凄絶に口角を上げながら、リアンが立ち上がる。仇敵と会えた殺し屋の顔で。コンクリを舐めたリアンの両手が、めためた血を吐く。

 地獄のさらに裏側から空気を割るように、リアンが嗤う。


「なるほどぉ。族長ともあろうお方が、怨霊をお憑れとは。どぉりでぇ」


 ギラ、とリアンが俺を見る。リス捕食前の蛇みたいな目だ。


「北アイルランド問題の化身みたいなレヴィンに手を伸ばすわけだぁ」

「カナンに憑かれて、損得勘定もまともにできなくなってたってか」


 男の像は小首を傾げた。彼は、名前を訊いたら、答えられるだろうか。カナンに憑かれて、どれくらい自我が残ってる?

 ゲタゲタゲタ、カナンが笑う。

 姿はない。そうだろう。今俺達とカナンでは、存在する位相が違う。俺達は異階にいる。ダヌバンディアの族長とカナンは、俺たちが現実と呼ぶ階層にいる。


『ギャハハボス、リーダー、族長、お兄ちゃん、オ・ジ・ウ・エ。いいねぇ、いっぱい呼び名があって!』

『伯父上! マグメリオン! 答えてください!』 

『その両手で誰が守れるの、ヴィクトリア? それとも砕けて再生してみせる? その間に、そこのお友達が異階で生き残れるかしら』

「おいまだ化け物いるとか言うなよ」

『その鳩鉄炮で符をバーン☆ すれば帰れるよ』


 俺は唇を噛んだ。

 符を破れば、術は符術師に跳ね返る。そうして弱ったところにカナンが入り込めば、族長の権利と力で、カナンは何をどこまでやるだろう?

 リアンの口角がさらに吊り上がる。

 正味なところ、どこまでも物理の世界で戦ってきたイチ退魔業者の俺に、階層が違うとかいうここで何にどれだけ勝算があるかというと、計算式からただただない。


『それで? オ・ジ・ウ・エ。名前と肩書だけたくさんあって。結局あなたは姪の尊敬ひとつ得られてない』

『マグメリオン伯父上! 耳を貸されますな!』


 今まで聞いたどの発音より貴族的に、リアンは言霊を空に放った。おそらく、現実と呼ばれる階層に向かって。カナンが嗤う。


『本当に欲しかった者まで犠牲にして、棄てられない執着の塊になってまで、あなたは頑張ってるのにね! オ・ジ・ウ・エ☆

 でも誰もあなたが守ろうとするようには、あなたの大事にしてきたものを大事にしない』


 ジジ、とホワイトノイズが走るように、男の像が揺れる。男の正気や自我が、揺らいているのだろうか。

 擦り切れた両手を垂らしながら、リアンが俺に耳打ちする。

「離脱しろ。今の状況、わかるか。伯父上のいる階層で起こってることがダダ漏れてんだ。伯父上のいる階層と、この階層が繋がってる。私が道を開く」

「そらしないっつったろ」

「伯父上がカナンに憑かれかけた時点で、リズの居場所は割れてる。リズが危ないかも知れない」


 一瞬、心が揺れた。病室で5年も眠り続ける、お姫様。希望を追うのに疲れ始めてる子供の、お姫様。


「……できない。俺はリアンの護衛が仕事だ」

「見たろ。リズの病室で何か光った。現実で何か起こってるかも知れない」


 俺たちが内輪揉める間も、カナンの攻勢は続く。


『ねぇボス。先人の栄光の先で安穏を存続させること。それが先人の無念をも鎮めることだって、そう教わってきたのよね。その為の族長。その為のあなた。

 そうね、秩序はタダではなかったの。たくさんたっくさんの族長が、族長であるがゆえ狙われて、殺されて、責任を負わされて、自分の人生は何だったんだって思いながら死んでいった』

『悪霊の声を聞かれますな! 伯父上! テメェ適当抜かしてんじゃねーぞジャリがぁ!』


 リアンが威嚇する。その流れのまま


「レヴィン。族長が憑かれたらどのみち同じ事だ。族長はリズの居場所を知ってる。私の結界を突破していずれ病室に来て、次、カナンが憑くのは無抵抗なリズだ」


 俺の説得に戻る。

 カナンは全てわかっていて、楽しんでいるような声だ。


『わかるわ。あたしは族長だったことはないけど……一族を守るため、魔女を背負わされて、あたしの人生って何だったんだろう、て思いながら殴られてる間に、みんなは逃げて、隠れて、私は殺された。あんた達は再発防止策として、地位と金を手に入れることにした。ブリテン貴族になり代わって、連中の人生を奪うこともした。入れ替わられた側の怨念も、エーテルとして利用して、全ては今生きる一族のため……ダヌバンディアはみぃんな骸の先で生きてるのに、誰もあたしや貴方を顧みないね。

 どんなに身を粉にして貴族て身分の下地を与えてやっても、族長ならやって当然って思ってる。

 あいつら自分のことばっか。400年前から、あいつらは変わらない。貴族でいるためにあなたが支払ったものの百分の一も支払ってないのに!』

『おーーじーーうーーえーー!!』


 俺の背を冷や汗が滑った。

 俺の説得と戦況掌握で、リアンは喉が裂けんばかりだが、


(言霊は、音の術。違う階層にいたら、音、空気の振動は)


 届かないんじゃないのか……?


『楽にしてあげる。ボス、リーダー、族長、お兄ちゃん、それとも伯父上? 複数の肩書きに翻弄されて、結局あなたは誰でいられたんだろうねぇ。

 背負わされるのが当たり前の世界で育ったちゃうと、色んなことに気づかないものねぇ。本当に背負いたかったかどうかなんて、誰も訊いてくれない。本当は何を一番に優先して抱きしめて背負っていたかったかも、だぁれも訊いてくれない。

 訊かれたって自分が答えられないことすら、気づかないものよね。わかるわ、あたしもそうだった』


 拘束された符が、乱れた電波放送みたいにジジっと揺れた。

 いよいよ動揺の表れ、だろうか。

 現実世界でダヌバンディアの族長野郎は、どういうふうにカナンと対峙しているだろう?

 リアンが名前を強調して、『マグメリオン伯父上!』と、届いてるかわからない言霊を放つ。

 その間も、ケーキが待ちきれない子供のように、カナンはくつくつ、ふふ、と、感情を堪えられてない笑いを漏らしている。


『ねぇ、ねぇぇぇ。私はあなた。あなたこそ私。もう自分の望みを認めていいの。私がそこを代わってあげる。肩書きっていう針山の上。もう、そんなとこにいなくていいの』


 演技がかった慈愛をこめて、わざとらしい優しさで、カナンが男に呼びかける。


『私はあなた。あなたが私』


 ショーが見せられないのが残念だ、と言わんばかり、カナンはねっとりと喋った。こちらからは打つ手がない。……12歳で、こういう戦い方を、繰り返してきたのか、リアンは。


『あなたはなに』とカナンが問うのと、リアンが「二人で戻りゃいいんだろ!」と呪符に血まみれの指を突っ込んだのは同時だった。

 符が破れる。

 きゅう、と破れ目めがけて、世界がすぼまる感触があった。息遣いごと音が消える。不安定に揺れていた男の像が、消える。

 俺はこの空気が収縮する感覚を知っていた。1998年8月15日のオマー。


(爆弾が爆発する時の、圧力の反転)


 俺はほぼ反射でリアンに翼を巻きつけ、引き寄せる。


『……ィリオ。……他は知らない、どうだっていい。わたしが何だろうと』


 符の裂け目が、唇のように蠢いて回答する。空気が、唇状の符と符の間に圧縮されて、きぃぃぃんと耳鳴りがする。


『奴がミリオと呼ぶなら、わたしはミリオ、それだけが絶対』


 呪符が一気に炸裂した。

 炎が、燃える少女の形をとる。カナンの嘲笑が絶叫に変わる。爆風。

 俺は羽を三角に展開して、腕にリアンを抱き込みながら、クロイドン・エッジ・ハウスの駐車場の方に吹っとんだ。

 爆心に近い長腕とチェーンは引きちぎれ、遠めの長腕がいくつも重なり、俺とリアンを柔らかく受け止める。間近で見る長腕は、筋張ってか細く張り詰め、男神のルーどころか、ひたすらリアンの細腕だった。

 木端も暴風も熱でさえ羽で防げるが、俺の羽はベースが三角、全方位は覆えない。

 砂埃にむせる。残った長腕が埃を払うように風を起こして、視界の回復を早めた。

 咳き込みながら、いちはやくリアンが体勢を戻そうと動く。その切替の速さに俺の腕は追いつけないが、リアンと爆心の間には、俺の鉄壁の羽がある。

 リアンは立とうとして俺の羽に肩からぶつかり、俺の腕の中に跳ね返ってきた。


「あのタイミングで符に近づくとか、バカか!」

「っせぇ族長がカナンに乗っ取られたら、何人死ぬと思って!」

『それで、呪詛返しでわたしが完全に憑かれるか死ぬかしてもやむなし、と判断したのかな? 怖ろしい姪だ。おかげで舌を火傷してしまった』


 俺達を受け止めた長腕の一本、無惨な平地になった森の方からのびる腕に、目を白い布で覆った紳士服の男が座って、ボーンチャイナから茶を飲んでいた。

 セイロンティーの香りがする。

 ボーンチャイナからは芳しそうな煙があがり、そら、今口をつけたらアッツアツのお茶で舌先は火傷するだろう。

 男のイスになっていた腕はボロっと崩れて消え去ったが、男が尻もちをつくことはなかった。

 そのまま、宙に空気イスで茶をすすっている。空気イスに見えているが、こことは違う階層、言うなれば現実では、男は優雅にティータイムをとっていて、それがそのまま像だけこちらに映されているのかも知れない。


 これが、ダヌバンディアを統べる族長。


 リアンの肌が徐々に粟立ち、ゆっくり、殺気と緊張をはらんでいく。腕が痛いと思ったら、庇うようにリアンをだきしめた俺の腕に、リアンの血だらけの指がくい込んでいる。


「…………族長。あーーーー、えーーーーーーーとお久しぶりで…………幽霊?」

『礼を言おう。不出来な姪。あの符はいささかわたしの重荷になっていてね。符を壊してもらわねば、私もカナンに飲まれていたろう。敵も翼人を呑み込んで強くなっていると聞くが、なに、お前も強くなった。デュッセン氏は巻き込んでしまって申し訳なかったね』

「は? いえ、え、つかカナンは?」


 セイロンティーが首を傾げた。


『燃えたのを、見ていなかったかな? 助かったよ。お前はあの符で私が弱らないか、随分心配してくれたようだが。あの符は腐りかけていたのでね』


 冷気が俺達を巻いた。

 としか、言いようのない気配の直後。

 猫のしなやかさで、リアンが俺のホールドを抜け、俺の羽バリケードを大車輪をかまして越える。

 大回転するリアンが天地逆に立った一瞬だけ、獣の悪魔を信じたくなるような、リアンの表情が見えた。

 ぬろん、とファイアがジャケットの袖口からリアンのどこかに潜り込む。


「リアン!」


 俺の呼びかけ虚しく、リアンは一直線に血塗れの拳を、セイロンティー男に突き出す。

 セイロンティー男の像はティーテーブルごと消え、リアンは拳の勢いのまま前方にすっ転んで転がる。

 破砕された森に突っ込み、木片で傷だらけになりながら、リアンは起き上がって敵を探す。


 ははははははは、優雅な紳士の笑い声が響く。


「伯父貴! それじゃ何ですか、私もレヴィンも、ただ呪符を壊すのに利用されただけってことっスかぁ!」


 リアンは空に向かって吼えた。


「自分で剥がせば良かったじゃないですか、そもそも貼らなきゃなにより一番良かったんじゃないですかぁ!!?」

『貴様だけが、どう足掻いても守り通したい誰かを持っていたと思うかね、リアン。幼稚な視野狭窄は卒業することだ』

「それが、あんたが親父にやった事と何の関係あるって!?」

『肉体と違って、想いは墓標を持てないのだよ。行き先を失った決意は、道を見失う。貴様にはわからないだろう。ヴィクターの憐れみを受け、名をもらい、師まで与えられ、五年前に一度失敗しておきながら、再戦できているような、恵まれた貴様には』


 男の声が、タールのような粘性を帯びる。

 ぎし、と音がしたと振り向けば、長腕が雑巾よろしく見えない何かに捻られてもがいている。

 360度見回せば、同じことがどの長腕にも起こっている。

 骨の折れる音と皮膚のはち切れる音と血が噴き出す音がした。クロイドン・エッジ・ハウスの建物が屋根から血を浴びる。

 リアンは獣の悪魔の顔も引くほど唇を引き攣らせて、無理やり笑っていた。

 長腕が堕ちる。血溜まりに、安物のチェーンの姿になって。

 チェーンを細く細く血が伝う。毛細血管みたいだ。ところどころでとぐろを巻くチェーンは、赤黒く、こぼれたての内臓を思わせる。高所に引っかかったチェーンが血を滴らせるたん、たん、という音がそこらじゅうから聞こえる。

 これは、リアンのエーテル切れなんだろうか、族長からの攻撃だろうか、それとも、リザークレスの結界を割った時のような


(心象風景みたいな)


『いずれ貴様も私のようになる。今こだわるものの小さきを知り、失うべきを失い、族長になれば。その痛みの卑小さに驚くことになる。今しばらくはそこで見ていなさい。

 貴族は有事の際に命を差し出してこそ、貴族だと教えたろう。歴代の翼人も、怖くなかったわけではないのだよ。けれど国のためには仕方なかった。リズも例外ではない』

『いいえ例外です。私が姉だった』


 たん、たん、と、血の落ちる音があちこちから聞こえる。

 涙を流せない誰かの、涙を見ているみたいだ。


『リアン。悪いことをしてるのはわかっているね』

『どんな正義に敵わなくても、私が姉である限り。悪で結構。妹は渡しません』


 たん、たん、たん。雨でもないのに、雨音を聞いてるみたいだ。


『ではその言葉の代償を、リアン。君は支払うことになるだろう』

「ああああああもう、うっせぇよおっさんよ!!!」


 俺は男の声の降る方、空に向かって、銃を構えた。

 落下する安物のチェーンが俺の美貌を掠めて落ちる。危ないわ!!!


「年嵩が若輩の痛苦を、小さいとか言ってやんな! そんなん(Fワード)だ!」


 一発、空に向かって銀の弾を放つ。階層を開け、と念こめたやつを。翼人は、階層間の扉を開けるんだろう?

 どうやるか見当もつかないが。


「オッサンこそ分かってんのか、年齢だけが持つ暴力性、ガキが大人を憎むのは何でか、俺もこないだまでガキだったから、わかるわァ!」


 3発目を撃つ。と、空にヒビが入った。これは凶兆だろうか。空が落ちてきたら、人ってどうなるんだっけ。

 怖気付いて、銃口が下がる。

 でもここで止まったらビビり止まりそうだから、俺の口は空を向いたまま。


「年上ってだけで、言う事全部正しいと思うように躾けられてんだよガキは!!! そういう環境で育つとマジ、気づかねぇから! 何が大人の都合か! どれが誰の価値観か! 何も知らねぇってそういうことだから!!! 大人の言い分の大体はただのポジショントークで!! 誰にでも当てはまるたったひとつじゃねぇって事! 世界の全部じゃないってことも、」

「レヴィン、あそこ」


 リアンが空の一点を指差した。

 俺とリアンの間に、バシャアンと音をたててチェーンが落ちる。リアンは跳ね返った血をモロに浴びた。リアンの肩に引っかかっていた俺のジャケットは真っ赤に染まった。

 俺はえんがちょおと寸分引いたが、リアンは何事もなかったかのように、


「あそこから階層の違うエーテルが流れてきてる。視える?」

「そういうのはダヌバンディアしか見えねぇから。覚えとけお前も。ひび割れた青空しか見えんわ」


 大人しいと思ったらエーテルの流れ探ってたたのか。

 そういえば、車ん中でもそうだった。倒れたと思ったら呪符を探ってた。


「じゃあ、こうすっか」


 リアンは両手の親指と人差し指の先をくっつけて、三角形を作った。

 見覚えのある三角だった。

 デイジー戦で見た時の、人差し指を上に、親指を下にして作ったシンプルな三角形。小指、薬指、中指はくるんとまるめてある。

 それを頭上、高く掲げる。


『世界を呼ぼうか。我々の拘置所、いずれ親族をはっ倒す舞台、ユナイテッドキングダムオブグレートブリテンアンドノーザンアイルランドさん』


 血みどろのリアンの三角の間だけ、空のヒビが消えた。どころか、陽が落ち始めている。


(陽が!!?)


 俺は三角の向こうを凝視した。

 三角の向こうがユナイテッドキングダムオブグレートブリテンアンドノーザンアイルランドだとして、夕景ってどういうことだ。今は夏。陽が落ちるのは、午後9時を過ぎてからだ。俺たちがここにきたのは、せいぜい30分前、18時にもなってない頃じゃないか?

 リアンは時刻に頓着しない。


「レヴィン。真ん中、撃ち抜いて」

「外したらテメェ指落ちるだろ!!」

『外さない。と思う』


 リアンの言霊は、自信なさげもいいとこだった。言霊をもってしても、弾道操作はできないんだろう。とはいえ俺のグリップを握る手、指先、腕、肩が、ファイアが緊張をほぐす時みたいに、ほんのりあたたまる。ものの輪郭がクリアになって、思考が清む。


(ゆうて、生身の人間に向かって発砲しろって?)


 指を飛ばさなくとも、撃鉄から飛び出た弾丸は熱く、小柄なリアンのミニミニ三角形では、うまく中心を通ったとして指は熱風で焼けるだろう。


「翼人はやっぱすげーな。弾丸一発で階層ごと割れんだ。敵わねぇよ」


 リアンの声は、少し疲れて聞こえた。

 そうれはそうだ。

 疲れてる方が健全、て程度には、リアンは今日、エーテルを使ってる。

 俺に逡巡の時間はあまりない。


『リアン。今少し待って、大人に任せておきなさい。年長者の言うことは聞くものだ』


 くすくす笑いながら、一切聞き入れられないこと承知の、年長者の声が、確かに、三角の真ん中から聞こえた。

 三角の向こうはユナイテッドキングダムオブグレートブリテンアンドノーザンアイルランドなんだろう。

 ノーザンアイルランドが拘置所だとリアンが言うなら、それは大体グレートブリテンのせいだと注釈をつけておくが。


「呪符が破壊されて、術師が弱ってるのは事実。舌を火傷したとは、よく言いましたね伯父上ぇ。あんた普段、そんなべらべら喋る奴じゃねーんですよ。感情が抑えられない程度には、前頭葉にダメージいきました?」


 熱でも出てんじゃないですか、と煽るリアンも、言ってる間に、鼻血が垂れてきた。

 色んな方面、多分、限界が近い。


「レヴィン! 早く! 腕ずっと上げてると! 疲れるから!!」


(それは、わかる)


 俺は無惨に放られた安物のチェーンと、血の海と化した駐車場を突っ切り、リアンの背後に添う。

 少し走ったおかげで、ハイブランド衣料の靴元は血がはねて汚れた。生きて帰れたら、俺、シミ抜きをするんだ。

 背後に来たはいいが、どう撃つのが最適か、少し迷う。

 至近距離の方が標的は外しにくい、多分最適解は、細指の三角に銃口を突っ込んで撃つことだ。

 が、射撃は反動で銃が跳ね上がる。反動を最小にするためにしっかり構えるのが射撃の基本だが、しっかり構えるには、リアンの頭がくそ邪魔だった。

 三角の向こうから、くつくつ笑う声がする。


『忠告はした』

『伯父上ぇ、糸も縫い目もないシャツは制作可能なんですよ。今は。シームレスって知ってます?』


 リアンの腕が痺れたように震え始めた。

 ままよ。

 俺は大胸筋でリアンの頭を挟む勢いで密着すると、ただでさえスカスカのリアンズヘッドが射撃反動衝撃でシェイクされてよりカッスカスになることがないよう、慎重に銃を構えた。

 リアンの頭を抱え込む形になるが、背後から三角を狙ってうっかり頭に当てて実は頭蓋骨の中身がカラッポだったと世界に公表するよりは、リアンの名誉にも優しいだろう。

 異階に扉をどう開けるかなんてやっぱり知らないから、弾丸に、縋るように願うことしかできない。


『時代は風で洗濯すんですよ、伯父上ぇ。パッセーリ、セィジ、ローズマリー、タイム』


 リアンの魔除けの言霊を受け取る。

 俺は発砲した。

 昼だった世界が黄昏た。

 パー! とクラクションの音がした。赤い車。

 とはいえどう見ても21世紀製のLEDライトを搭載した車体が、俺たちの1m手前で止まった。

 ドライバーの女性が俺たちの血みどろ具合と多分銃を見て、悲鳴をあげて走り去る。

 通り過ぎざま、運転席に、アフリカ系の、中年の女性が見えた。少し開けた窓から、BBCのポッドキャスト番組「Fortunately... with Fi and Jane」が流れて、過ぎ去った。


 それで終わりだった。


 クロイドン・エッジ・ハウスに血飛沫はなく、駐車場の門は閉ざされ、子供が書いたような拙い筆跡の「Closed」プレートが下げられている。

 俺たちは車通りの少ない門前道路で、英国では所持が違法な銃を掲げて、「今の人、通報すっかもな」リアンは頭を抱えられたままぽつっと爆弾発言した。

 鳥の鳴き声、密生する森の木の葉が風に擦れる音、エンジンかかったままの俺の車。


(俺の車!?)


 俺は、リアンの頭に肘をぶつけながら、自分の車に飛びついて、傷がないか確認するように眺め回す。


「マジか! やった! 廃車になったかと思った!」


 ファイアがぷぅ、と鳴いて、抱えてたリアンをほぼ放り投げたことをようやく思い出す。

 リアンは道路に、奴らしい、堂々大の字に転がっていて、どっから出てきたのかファイアが、リアンの右手の傷を舐めていた。


 リアン、と駆け寄れば、「引き分けだ。負けてない」俺にとってはわりとどうでもいい情報を共有してくれた。


「いやお前は大丈夫なのか。ここは、現実、えー、俺らの生きてる階層? だよな? よく似た異階じゃないよな」

「そう」


 あれ見てみ、とリアンが傷だらけの指で指した先、門の端っこに、ペーパーフラワーで縁取られ、子供が書いたんだろう拙い筆跡の「リアンちゃんさよならパーティー」プレートが飾られている。


「外し忘れたんだろうな。珍し」

「……日が暮れてる」

「階層が違えば、時間の流れ方も違う」


 ティル・ナ・ノグの王女ニァヴに婿入りした人間の勇者アシーンは、里心を起こして現世へ戻った時、妻に「これだけはするな」と言われていたことをお約束的にやらかし、300歳の老人になってしまう。現世では300年の時が経っていたのです。


(………………不条理こわ!!!)


 アシーンの神話を初めて聞いた子供の時の感情が、冷や汗になって噴き出した。

 その横で、リアンは現代っ子らしく、血みどろのままスマホの確認なんかしている。「うーわ着信えぐ!」

 ダヌバンディアには、ずっと同じ国内で息してるのにある時突然時差が発生するくらい、日常なのかも知れない。

 夜で、車通りもないのをいいことに、リアンは見た目にスプラッタ映画のまま、通話を開始した。


『リアンちゃん、2日も音信不通で、何やってたの!!!』


 マリアの怒声が俺まで聞こえ、リアンはデバイスを耳から遠く離した。


(……二日?)


俺はリアンからデバイスを奪うと、「二日って!?!?」と開口一番質問した。

『レヴィンくん! 一緒なのね!? 留守電は聞いた!? 何やってたの!? そうよ、二日。

あなたたち、二日も音信不通だったんだから!』


俺は回答を求めてリアンを見たが、リアンは「そういうこともあらぁ私は悪かねぇ」みたいな顔をしていた。


『この二日間、大変だったんだから! ニュースは見た!? リアンちゃんの、お母さんが』


リアンが俺からデバイスをひったくる。


「母が、なんて?」

『ニュース見てないの!?』


 もちろん見ていない。俺たちは今の今まで異階にいたのだから。

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