前哨戦 三千世界の救いのなさを
「あれっ」
つい声が出た。
外には誰もいなかった。
子どもも、踏み荒らされたスキァナン氏も、靴跡や足跡もない。
人も鳥の声もないが、警戒していた異形もいない。
は? と思ってぐるりを見たら、いた。
ボンネットに立つ俺の視線、少し下。
カールーフに、下あごを人間のかたちに歪めた、カーバンクルがいた。
靴のサイズさえ予想できそうな程、はっきり、人の形をした、あごだ。
カーバンクルの下あごの皮(?)はどうなってるんだ。
カーバンクルの下あごで、人間のかたちはじたばた暴れ、「出せ! (Fワード)! (Fワード)てめぇも車ん中の(Fワード)も、皆殺しにしてやっかんなぁ!!」だみ声で怒鳴る。
俺のあごはひきつってしゃくれた。あごがひきつるもんだって初めて知った。
人間のかたちは、身長にして2フィート程度、おそらく子供、頭が大きく、頭身が低く、手足が細い。罵詈雑言を喚く声だけが、野太く、がらついて、とても子供とは思えない。
ファイアが車上で戦っているとは聞いたが、こういう形だとは思っていなかった。戦法的にも、物理形状的にも。
口の中(?)に暴れる人型を抱いて、ファイアが俺を見る。
俺はすかさず「引いています」という顔をした。
ファイアには何の表情もない。
しかし、ファイアの中で何をどう感知したのか、人型はピタッと暴れるのをやめ、罵詈雑言をやめ、その声は、だみ声をやめた。
「そこに、だぇか、いゅの?」
俺は慄然とした。
人型が吐き出したのは、声帯も喋る筋肉も未発達の、まごうことなき幼児の声だ。
この変わり様。変わり身の早さ。こちらが無下にできない生き物を選択してなりすます狡知。
EVILとかDEVILとかそういう単語が俺の脳内でスウィッシュする。
ファイアのあごの人型は、十中八九、生きた幼児じゃない。
「ねぇ、たす、たしゅけ」
ファイアは俺の目をじっと見据えたまま、んっ、と微小な伸縮をした。
途端、わめく人型は腰から穴に落ちるように、もしくは腰から内部に吸い込まれるように、消えた。
ちんまりしたカーバンクルだけが残った。
人型は……どうなったのか、かみ砕かれたのか、飲み込まれたのか、妖精の世界にさらわれたのか、俺にはわからない。
ただ、復活しそうな気配とか、まだそこにいそうな気配とか、ドッキリでしたとか、そういった空気も全然ない。
ファイアの勝利だ。
と思う。
勝利だが。
(カーバンクルは。もしかして。ブラックホールなのかも知れない)
俺はこの戦いが終わったら、妖精との共生とその社会的安全性について、本気でリアンと話し合おう、と決意した。




