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Kanaan  作者: や
1章 序戦
3/57

世界色の失望

「お前らさぁ、それ食ったら帰れよ。そんでもうここには来んな」


 リアンは豪快にBLTサンドを噛み千切った。べろっと飛び出したベーコンはすする。21世紀の英国貴族ってこんな感じなんだろうか。仕事柄、いろんな階級の奴と会うけど、クラブで酔っ払ってるか連日パーティで大麻吸ってる貴族連中でも、そうそう大口は開けなかった気がする。でかい口あけてもの食ってんのは、大体アメリカ人だと思ったな。


「いやよ。あの窓枠は黒に塗り替えた方がリアンちゃんぽいし、ネイビーのカーペットも敷かなくちゃ。マキントス社のダイニングテーブルならこの4人にアレックスを加えても、円卓だからみんなで向き合って話せる。チェストはメートランスミスファクトリーの青ね、ヴィンテージっぽいのにモダンなのよ。ジープラニング工房のブラックトップカフェテーブルなら、あのハーブ棚の下ですごく映えるし、ヘロウショップのブラウンソファなら、種類が豊富だもの、しっくりくるのがきっと見つかる。楽しみね」

「いやだから。家主に無断で部屋づくり計画立ててんじゃねぇよ。楽しそうにされっと実行したくなっちゃうだろ」


 ジーザス、マリアのへらず口をふさいでください、とリアンは顔を覆った。

 マリアは肩をすくめて、リスのひとくちみたいにクロックムッシュウを食んだ。「おいしいわ。これ。BLTサンドも食べちゃだめ?」

 リアンが「NO生野菜」と首をふると、アマーリが「どうしてダメなの? ママにいじわるしないで」とルビィの上からリアンに凄む。

 アマーリは、座るはずだったオットマンを健気にも身重の母に譲り、車座になった虎型カーバンクルを嬉々として椅子にした。ルビィにも異論はないようで、アマーリの尻の下であくびをしている。21世紀の妖精って椅子なんだろうか。

 壁にもたれて食っていたリアンが、しょうがねぇなぁという歩調でアマーリのほうにかがむ。

「アマーリのママは妊婦さんだから、食べるものにはきをつけなくちゃいけないんだ。生野菜よりは、火を通したものを」

 アマーリは「どうしてにんぷさんだと、たべるものにきをつけるの? さべつはいけないんだよ。ぽりてぃかるこねくとれすにはんするんだから」と追いすがる。リアンは食べかけのBLTサンドをルビィに与え、ホットパンツの尻ポケットからスマホを出して、「難しい言葉覚えて来やがってまぁ」とぼやきながらも、丁寧に応え始めた。


「いつもこんな感じなん?」


 俺はすでにデザートのカットフルーツに取り掛かっている。頭にファイアがかじりついて離れないが、元々こういう帽子を被ってたような気になってきていた。チェンジリングで妖精の国にさらわれた人間の子どもって、こうして自分を妖精の子だと思い込まされていくんじゃないだろうか。


「リアンちゃんはアマリリスのお姉ちゃんで、家庭教師で、ナニーなの。悪霊だか呪いだか知らないけど、リアンちゃんになにかあったら」


 マリアの前には、アップルパイ風の焼きリンゴスライスがシロップにひたして小皿に盛ってあった。


「私のお腹の子は、こういうリンゴのおやつは食べられません。そんなの可哀想。食育の危機だわ」

「お前が作って、食育してやるというのは」

「育児の全てを母親に押し付けるのは問題ね」


 俺はべたべたするリンゴスライスを毒見した。甘ったるそうに見えるが、糖分は控えめで、シナモンの香りはしないのに、どこか清涼感がある。

 念のため毒味モア、と伸ばした手は、ぴしゃりとマリアに打ち払われた。

 仕方ないから指についたシロップを舐めとる。


「マリアさぁ。ナニーで家庭教師でお姉ちゃんを兼任する職業を、ベビーシッターともいうんだが知ってるか」

「イギリスのフードリテラシーと肥満率は深刻よ。詳しいひとが早期に子どもに教えるなら、それって素晴らしいことじゃない?」

「つまりナニーと家庭教師とお姉ちゃんと栄養士とコックも兼ねさせてるって事か?」

「コックじゃないわ。シェフよ。コックを束ねるお仕事。そしてパティシエールでもあるの。リアンちゃんのアフタヌーンティーは本格英国式なんだから。それだけでイギリスの伝統がひとつ学べるわ」

「歴史の先生も兼ねてんの? そのうち料理教室も開かせるんだろ。給料は払ってんの? 就労時間は?」


 マリアはただ、艶やかに笑った。目元のほくろがやわらかに位置をかえる。

 それだけで、俺は二の句が告げなくなった。

 マリアの肉感的な唇は、クロックムッシュウの油でてろんとしているだけなのに、視線を絡め取ってはなさない。唇の間からちらつく歯の白さ、その奥の舌が、呼んでいるようで、ち、ちくしょう、俺がマリアに夢中だったのは十代の十年間と物心ついてから十代になるまでのほんの七年かそこらだけだったってのに。

 そのとき俺の眉間に、厚めのサンドイッチを縫い止めてたピックがぺちんと当たった。

 当たって落ちたテーブル上で、ピックのとんがった先端が銀に光る。


「あっぶ……危ないわ! 刺さってたら傷害罪だぞ!」

「そうだな! 客じゃなかったら目に刺さって失明だな! 私のホスピタリティに感謝してもらおうか! 今度マリアに意地悪したら上下のまぶたにピック貫通させられっかも知れねーぞ!」

 アマーリと姉妹とはよく言ったもんだ。ママ・マリアをいじめるなってか?

 しかしアマーリはぷぅっと頰を膨らませると

「リアンちゃん、ひとにものなげたらめっ! なんだよ! めっ! めっ!!」

 リアンの服を引いて、引き裂かん勢いで左右に振った。ええー!? とリアンが不満気な声をあげる。なんだ、いい姉妹じゃないか。

「ひとの服引っ張るのもだめですー」とリアンが応戦し始めて、そこに虎が加わり、じゃれあいが始まった。ほこりがたつので、俺はこっそり結界を張った。退魔術って、こういう時に使うもんじゃないんだが。


 5階にあるこのフラットは窓が大きく壁一面に並び、吊るされたハーブが木漏れ日のような影を作る。

 コンソールテーブルでは、生前の故人が替わるがわる。

 アマーリとリアンの戯れる声に邪気はなく、もののない空間によく響く。

 市販のハーブティー(リアンが俺の厳重な監視下でタネも仕掛けもねぇよと淹れた)とハーブ棚の植物は芳しく、ランチにピクニック感を与える。

 防音のしっかりした空間は、魔都ロンドンと部屋とを隔絶していた。

 リアンのブロンドと、アマーリのストロベリーブロンドと、ホワイトタイガーの毛並みが午後の日差しを透かしてきらめく。

 かじりついてくるカーバンクルの口の匂いがかすかに薫る、多分俺だけに。驚いたことに、カーバンクルの口臭はハーバルエッセンス配合のヘアケア剤とよく似た、草の香りだった。大の字で眠りたくなるような、一面の原っぱの草の香りを、ぎゅっと凝縮したやつだ。リーバンクス氏の湖水地方本に描かれるフェルさえ思わせるのに、フェルを行き来する羊のような獣臭さは、一切想起させない。

 埃がきらめくのをぐるりと目で追って、俺はこの部屋に時計がないことに気がついた。

 単に引越し直後の単身者あるあるで、スマホがあれば時刻の確認に不便がないというだけだと思う。


 とは思うが、『R.I.P.』


 常人には隔されてるあれを見てしまった身としては、確かに、この場所は、アマーリやマリアに相応しいものじゃないように思える。未来に向かって生えていくには、土壌として向いてないというか。


 この場所は、化け物と戦う前線基地。

 時間とも、外の喧騒とも隔離されて死者や人外を意識した場所だ。

 そういう場所、俺の業界では、棺桶の中とか、墓場や霊廟を指すのが相場なんだけども。


「……昨日、二人が敗けたっていうからどんな怪我かと思ったら、レヴィン君が言ってたとおりね。元気ね」


 世間話のように、マリアがぽつんと切り出した。

 なにを思っているのか、じっと戯れる娘のほうを見ている。


「だから言ったろ怪我とかないって。あと昨日は敗けてない。引き分けだ」


 俺はフォアマザーをひとくちすすって、乾きそうになる口内を湿らせた。


「でも現れたんでしょ。なんだっけ、封印されてたおばけちゃん」

「おばけちゃんなんて可愛いもんじゃねーよ、あれは……」


 昨日、リアンに写真を無償提供した(たかが画像一枚で、十代の女の子から金を巻き上げるのは気が引けた。幸い、靴を舐めさせる趣味はない)あと、確かに()()は出た。


 スキァナン伯分断宅配事件及び事件関係者連続変死の元凶、スキァナン伯爵が属するダヌバンディアって貴族一族の、400年来の仇敵。


 燃える悪霊のカナン。


 思い出すだに冷や汗が出る。

「あれはさ」

 俺はなにか言おうと、言葉を探した。眉間がぐっとよる。


 頭皮を緊張させたせいか、カーバンクルの殺傷能力低めの牙が、地味にめりこんだ。地味に痛い。地味に。めりめり。

「あれは」


 めりめりめりめり。うまい言葉が見つからない。

「あれ、は」


 口臭良いにおいむは〜。草の香り。ヘアケア剤に配合もいいが、消臭芳香剤にして部屋の隅に置いときたくなるような癒しの香りだ。男女兼用。デオドラント製品にもアリか。

「あれはだな」


 この匂い瓶に詰めて企業に売ったら一儲けできるんじゃないのか……「違うわ! ちょっとカーバンクル! 気が散るんですけど!!!」


 苦情を申し立てたら、カーバンクルはお下劣な音高らかに、頭上でゲップした。嘘だろ。すげぇいい匂、いや言及すべきはそこじゃねぇな。


「やめろやめろぉ。辛気臭い場所で辛気臭い話しようとすっから、ファイアにゲップなんかされんだって」

 遊び疲れて寝息をたてるアマーリを抱えて、虎に馬乗りになったリアンがやってきた。21世紀の妖精は馬なのか。ちょっとややこしくなってきてないか。


「しばらくそのまま被っとけよ。ファイアはそう見えてあんたを癒してんだ」

「そう見えてっつーか、俺には口臭と歯列の感触しかねぇからどう見えてんのかわかんねーけど」

「そうねぇ。アマーリに似合いそうな子ども向けの帽子を、成人男性が乗っけて見えるわ。変態みたいよ、レヴィン君」

「はぁ!!? ……っと」


 アマーリがむずがって、リアンとマリアが人差し指を口の前に立てる。

 4歳ならそれなりに重いだろうに、リアンはお腹の大きな母親に代わって、アマーリを膝に抱いて、「なんでもないから寝てな」と頭を撫でた。

 リアンのブロンドと、アマーリのストロベリーブロンドと、ホワイトタイガーの毛並みを午後の日差しが後ろから照らせば、一番明るい部分は色をほとんどとばされて、ケルティックもアイリッシュブリティッシュも人間も妖精も関係ないみたいに、一様に柔らかくひかる。


 これが、マリアがうちの会社にまもるよう依頼したものだ。


「マリア、ここは本当にね、辛気臭い部屋なんだよ。この部屋では400年、翼の生えた子どもが、何人も殺されてるんだ」

「知ってるわ」


 マリアはクロックムッシュウの最後のひとくちを平らげた。

 俺は目を見張った。知っていたとは思わなかった。

 リアンは哀しそうに笑った。


「知ってるわ。なんとかいう化け物は、翼のある子を狙うんでしょう。翼のある子の肉体に取り憑くから、あえて取り憑かせて、肉体ごと滅ぼせないかって、色々やってきたんでしょう。こっちだって情報収集くらいしてるのよ。リアンちゃん」


 多分その情報源は、うちの社長だ。マリアとは同級生だから。そして当時の同級生男子は、ほとんどマリアに頭が上がんなかったから。裏番ていうんだったか。


「でも翼のある子なんて滅多に生まれない、百年にひとりくらいだって、前リアンちゃん言ってたわよね。だったら、400年で殺された子どもなんて、そう多くはない」

「そこまで知ってたらせめてアマーリ連れて来るなよ」


 リアンは非難がましく口を尖らせたが、その顔はただただ哀しそうに笑っていた。

 マリアは決然と首を振った。


「ロンドンなんか、ロンドンだけじゃない、どこだって、400年もあれば血が流れてるわ。わたしは怖くない。出産前はERのナースだったのよ。看護師だもの、わたしの周りでだって、沢山ひとが死んでる。でもアマリリスに職場見学を禁じるつもりはないわ。ひとを救けようとする現場は、ひとが死ぬ現場でもあるし、そのどれもがひとの、こうであって欲しいって形を常に保ってたわけじゃない。

私は怖くないわ。蚊帳の外にやるのが得策だとは思わないわね」

「知ってるよ」

 リアンは困った風に笑った。


「であればこそ、私は怖いんだ。マリア。私が怖いんだよ。貴女も、貴女の友達も、今回の件には関わらないで欲しい。

 スキァナン伯爵の事件はゴシップ誌以上のことは知らないで欲しい。

 ダヌバンディア一族にもこれ以上関わらない方がいい。

 マリアは安全なところで、幸せにしていてくれ」


 リアンは始終、穏やかな笑顔だった。

 ただ、なんでだろうな、その顔は、マグダラのマリアがイエスの亡骸を見て慟哭する絵画を思い出させる。

 紙と絵の具じゃ閉じ込められない哀号を、無理やり一服の画にしたときに消えてしまった、汲みきれなかった涙、みたいな……笑顔だ。


 マリアはリアンの感情なんかいっそはねつけるように、子どもの駄々に対する親の顔をしていた。


No way.(できないわ)

 あなたを愛してるもの」


 リアンの表情が一変した。


 原始時代にひとが初めて、焼いた牛肉がうまいと知って、驚天動地で仲間に知らせに行ったら途中で牛を発見して狂喜乱舞する、みたいな顔だった。

 リアンはなにかを言おうと喘いでいたが、さっきの俺より言葉が出ないようで、「えぉっ、えぉ」と数回えづいたと思うと虎から降りて、アマーリがむずがらないくらいスムースな動作で俺にアマーリを渡すと、玄関から飛び出して非常階段をドクトルマルティン高らかに駆け下り……今すごい音したから5段くらい踏み外したんじゃないか。

 リアンの身のこなしなら心配ないと思うが、轟音ののち、やっぱり金属の非常階段はごんごごすごい勢いで下られて、やがて静かになった。


 部屋にはアマーリの寝息と、俺とマリアとカーバンクル二匹と、ここで何人か子どもが殺されてるという嫌な話だけが残された。


「多感な年頃にああいうことぽんぽん言ってやるなよ、アメリカ人かよ。ここオートロックなのに、鍵持ってんのかあいつ。俺たち今帰っちゃったら、あいつ家入れなくない?」

「そういえばレヴィン君、JホラーのJUONって観た? 白い子供のおばけちゃんが出るやつ」

「今! そういうこと言うなよ!」


 俺は小声で抗議した。


「いいじゃない。待ちましょう、アマーリも寝てしまったし。

私も詳しい事情を全部知ってる訳ではないの。細部を言う前に、力技で出ていかれちゃったんですもの」


 マリアが、俺が何年も何年も独り占めしたいと思って叶わなかった、青の洞窟を思わせる瞳に真っ直ぐ俺を映す。

 この目だ。

 魅了の呪いなんかかけなくてもひとを思い通りに動かせる人間って、やっぱいる。


「依頼主として確認させて頂戴。リアンちゃんが戦ってるお化けちゃんのこと。

 良ければ、リアンちゃんがダヌバンディアさん達を毛虫みたいに嫌う理由も」

参考文献:

ジェイムズ・リーバンクス(2017)『羊飼いの暮らし』ーイギリス湖水地方の四季(濱野大道訳)早川書房

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