避ければ別のところで誰かが泣く悲しみがあるっていう美談、避けなければそこで誰かが泣くけどあなたが生き残る醜聞
「えー今後の戦略に関しましてー、うちの一族が今までカナン倒せなかったのは、カナンがいわゆるぷっかぷかの浮遊霊なのに対し、生きてる人間は物理的に、空中戦ができないからってのもひとつ、ありましてー」
「飛行機を使え!!! それでも文明人か、どうせ貴様ら一族飛行機のひとつやふたつ持ってるだろうが!!!」
「アレックスちょっとこれ俺の命に関わる話でもあるからさぁ!!」
俺は隣席で身を乗り出したアレックスを押し戻した。
リアンは対岸の火事とばかり、さっきな給仕が銀のワゴンで運び、あたためたカップに98度のお湯で十分空気を含ませて毎日ホワイトニンング用歯磨き粉で研磨されてそうなポットから落としてくれた、薔薇の香りのするお茶を啜った。啜っているのに音がしない。
背中にミロの絵画を従え、リアンは実にお貴族的に見えた。こういうの本当お育ちだと思う。
「飛行機なら持ってる奴も多いけど、5年前の一族郎党エクソダスで全部国外にあるな。
持ってる奴とーてーもー多いけど」
「リアンも煽んな」
俺の隣でアレックスが歯ぎしりしだした。
「ていうかこの会話はアレックスここにいていいのか」
「デュッセン氏!! わたしが部外者みたいな言い方はやめろてもらおうか! カナンだかエデンの園だかが襲ってくるって話だろう、妻がデュッセン氏に頼った以上、こちらもそれなりに事情は把握している!
だがな。ここで会ったが百年目、リアンは家に引きずってでも帰らせて」
「私は構わない。アレックスが居ても居なくても。私がやる事は変わらない」
突然の塩対応。
俺は息をひっつめた。リアンは茶を啜った。啜っているのに音がしない。実に優雅な所作だった。まるで住む世界が違うって見せつけるみたいに。
アレックスは反論しようとして、目をひんむいて様々な子音や母音の形に口を歪ませ、結局なにも言えてない。
居ても居なくても構わない。それ部外者って言われるより厳しくないか。
俺は気まずくなってコーヒーを持ち上げた。
ハロッズでコーヒーなんて、とアレックスに鼻で笑われたキリマンジャロだ。気まず過ぎて、味がわからん。
リアンは音も立てずにティーカップを置くと、
「えー、で。空中戦なんだけ」
「わたしはマリアとは違う!!」
アレックスが音を立てて立ち上がった。
「アレックス」俺はたしなめようと手を伸ばしたが、いい音で払い落とされた。
アレックスの前で、お高いアッサムティーが虚空に湯気を立てていた。ここにいるよ、て主張しても、誰にもとってもらえない手がそれでも広げる指みたいに、湯気は虚空に伸びて、拡がる。
リアンは夜の猫みたいな静謐な目で、じっとアレックスを見た。
こいつの、不意にいきなり入る貴族スイッチは、猫っつーか、ハリネズミだな。触るもの皆とりまぶっ刺す。
アレックスは、白いクロスのかかったテーブルに手を突いて、がなった。
「妻とは違う、わたしはリアン、貴様に戦うなとは言わない! 幽霊のことはよくわからんが! 妹さんのこともある、不審死のニュースも散々見た、妖精とやらに囲まれてこの五年、生活してきた。幽霊はよくはわからんが、なんか、なにかは、あるんだろう!!」
ぷぇ〜、と何かの鳴き声がして、「大丈夫だよ、ファイア」とリアンがどこにともなく言った。いるのか。ファイア。
「貴様に戦うものがあるのはいい! 生きる理由があるのは、医者として大歓迎だ!! だがな!! それは!!
うちから通いでやることは、できんのか!!」
俺は額に手をあてて、顔をしかめたい気分になった。気持ちが行動に移ってしまう前に、コーヒーを言葉ごと飲む。言いたいことはわかる、が、言い方。
リアンは嗤い飛ばす。
「通い。かよいって、アレックス。
自宅開業医か勤務医か? 学生寮か通学かルームシェアか? 進学就職の話じゃねぇんだよ。私は素晴らしい英国民を守ってるって、言ってくれたじゃないか。
かよい、はは……なんだ、英国も安く見積もられたもんだな」
「英国。英国、英国、英国。そうだな、貴様は英国を守ってるんだろう、ありがたい貴族さまだからなァ! それを我が家からやることはできんのかと言ってる、なにがおかしい、時代はリモートワークだろうが!!
大体、貴様英国が沈むだ浮かぶだ滅ぶだたいそうなこと懸念してるが、知らないのか、英国ならとっくに斜陽大国だ!! これ以上何が起こって国家存亡か知らんが、ぼやっと曖昧なこと言って茶ぁ濁して、男と現れて家には帰れませんン!?
承服できるかぁそんなもの!!!」
一緒に現れた男として大変耳が痛い。耳を後ろからふたつにたたんで、「チャイニーズギョウザー」とか言えたら良かった。
そんな冗談許される空気ではなかったので、ひたすら痛いだけ痛いが、その男をリアンにあてがったのはあんたの奥さんだとも言いたい。
とはいえ、何をもって英国存亡の危機とするのか。
それは、俺も、訊きたくはあった。
リアンは「そんなことか」と吐き捨てた。訊かなくて良かった。
「国が滅ぶ時は、何だって起こる。蝗害、干ばつ、疫病、戦争、王家の滅亡。一昔前なら、革命、フランスかスペインかドイツへの敗戦。今なら暴動、テロもそうだ。神聖ローマやプロイセン帝国が世界地図から消えたみたいに、国だってなくなるんだよ。英国は滅びってほど滅んだことがないように見えるけどな。でもアルスター王国やガリアって言うとどうだ。
今、英国は北アイルランド問題を解決できてないよな。一昨年から北アイルランド政府は止まってるし、今年もリパブリカンと警察の衝突で死者が出たろ。ブレグジットを控えてるし、どんなに見ないふりしたって、国家には常に火種がある。
火はカナンの領分だ。すこし煽るだけでいい。
アレックスにこの話は、初めてするな。知って納得できるんなら、教えとこうか。あんまり気分のいい話じゃない。
1598〜1603年」
俺はハッと目を開き、クロスの下で拳を握った。心臓が、とんと軽快なトスでもされたみたいに、とくんと打つ。
俺は多分、高揚している。
地元・北アイルランド政府の混迷を指摘されて多少動揺はしたが(俺から言わせりゃ北アイルランド政府が停止状態なのはブレグジットとか言い出した英国政府がぐだぐだになったせいであって全部が全部北アイルランド政府の落ち度ではないわい)、ずっとアクセスできなかった、ダヌバンディア側の言い分が、ダヌバンディアから聞ける。




